その鬼の事を知ったのは、時雨達と一緒に過ごし始めて一年後のとても寒い冬の日だった。
「ゴホッ!ゴホッ!ゴフッ!?」
「お、おば様!?」
「だ、大丈夫ですか!?」
いつものように、台所で昼食の準備をしていた時に、桜さんが咳き込みながら膝から崩れ落ちる。
近くに居た私としのぶは慌てて駆け寄ると、桜さんは胸を押さえながら何度も咳き込み、その度に吐血もしていた。
「はぁ…はぁ…うぅっ…ゴフッ!」
「や、やばいやばいよ姉さん!ど、どうしよう!」
「落ち着きさないしのぶ。確か薬があったはずよ」
診察室のどこかに薬があったのを思い出す。
時雨が定期的に遠出して専用の薬を取りに行っていたのを見ていたから。
「診察室の…机の引き出しの中よ…うぅ…」
「分かりました!直ぐに取りに行ってきます!しのぶはおば様を部屋に」
「わ、分かった!」
急いで診察室まで向かって机の引き出しを開けると、見慣れない紙に包まれた薬を5つ見つける。
紙には調合日と分量、使用日が書かれていた。
「今日の日付は…」
「胡蝶…?どうかしたか?」
「あ…時雨君」
丁度いい時に時雨が帰って来たので事情を説明すると、彼は直ぐに薬を持って桜さんの元に向かって薬を飲ませると、桜さんの咳が収まり、呼吸も安定していく。
その様子を見た時雨は安堵の息を吐く。
「姉さん。おばさんの咳ってもしかして…」
「えぇ。思い当たるとすれば…」
私の脳裏に浮かんだのは結核。
でも、何か違うような気がした。
結核にしては咳の仕方が異常だった。
もっと根本的な…そう、肺が完全にやられているような咳の仕方だった。
「助かったわ時雨。ありがとう」
「気にしないで母様。帰ってくるの遅かったし。あまり無理しないで」
「そうね。じゃあカナエと一緒に昼食作ってきてくれる?材料は切ってあるから」
「分かった。すぐに作ってくる」
私達は台所に移動し、昼食を作り始める。
けど、さっきの桜さんの咳の事がどうしても頭から離れられなかった。
どう見ても普通の咳ではなかったから。
だから私は、意を決して聞いてみることに。
「あの…時雨君。さっきの事だけど…おば様はどんな病気にかかってるの?」
「……」
時雨は答える事無く手を動かす。
私の話を聞いていない訳ではなさそうだけど、何かしらの反応を示してほしい。
ちょっと悲しくなってくるから。
「私達でよかったら力になるわ。出来ることはある?」
「………」
「せめて病気の名前とか教えてくれると嬉しいけど」
「…………」
連続で聞いてみても全く答えてくれない。
流石の私も、一言言ってやろうと思って時雨の頬を引っ張ろうと思った時、しのぶが机を思いっきり叩く。
「ちょっと時雨!姉さんが聞いてるんだから答えて―――え?ちょっとアンタ震えて…」
「時雨君…?大丈夫?」
まるで何かに怯えているように、時雨の体は震えていた。
それだけではなく、唇も強く噛んで何かを堪えている様子。
こんな時雨は…初めて見た。
「…時雨君。ちょっとだけごめんなさい」
一旦手を止めて、私は彼を優しく抱きしめて、頭を優しく撫でながら声を掛ける。
「大丈夫?その…無理をして話す必要はないわ。私もちょっと強引だったから」
「…いいんだ。いつかは…話さないといけないから。後で時間が欲しい。そうだな…昼食の後にしよう」
「うん。でも無理しなくていいから」
「大丈夫。ちょっと…楽になったから。母様も待ってるし作ってしまおう」
時雨の体の震えも止まっていたのを確認してから、昼食づくりを再開し、完成してから4人で食べる。
桜さんの容態もよさそうで、用意した昼食を美味しそうに食べていた。
昼食を食べた後は、後片付けをしてから時雨の部屋に向かうと、彼は紙に何かを書いている最中だった。
「話し大丈夫かしら?」
「あぁ…大丈夫。しのぶは片付けの最中か。なら後で渡そう。片付けるから座ってて」
「うん」
時雨が机を片している間に座って待っていると、彼は私の向かいに座ってある一枚の紙を渡してくる。
その紙には鬼の血気術の名前と詳細が細かく書かれている。
中でも『粉凍り』については、異様なまでに書いてあった。
「母様は病気ではない。鬼の…上弦の弐の血気術で肺胞が壊死しているんだ」
「肺胞が…壊死?」
言葉を失ってしまった。
肺胞が壊死しているってことは、息をするのもやっとなはず。
その事にも驚いたけど、もっと驚いたのは上弦の弐と会っていた事。
だって上弦の鬼と戦って生き残っているのだから。
「おば様は…夜明けまで戦っていたの?」
「……母様は直ぐに血気術にやられた。夜明けまで戦ったのは俺だ」
「……嘘。待って時雨君。いくら何でも―――」
「無我夢中だった。今でもあの時の事は覚えている」
(あ……)
時雨の体が再び震え始める。
とても怖かったのか、その時の事を話す声も震えていた。
桜さんの苦しそうな顔、感情一つない鬼の言葉。
その時の事を今でも鮮明に覚えていて、思い出すだけで体の震えが止まらないらしい。
「今でも夢で見るんだ。母様が倒れて、殺されそうになる夢。アイツの事を話すと、怖くて震えが止まらない。それを誤魔化すように刀を振るっても何一つ変わらない。でも…さっきは本当に助かった」
「さっきって…」
「抱きしめてくれただろうカナエ。本当にありがとう。本当に助かったから」
「っ…(今…笑った?)」
ほんの一瞬だけど時雨が笑った様な気がした。
滅多に笑わない彼が、とても優しくて暖かい笑みを浮かべたように見えた。
ううん、今も浮かべている。
その笑顔から、私は目を離せなかった。
今思えば…私はこの時に、彼の事が好きになって、もっと彼の事を知りたいと思ったのかもしれない。
「ごめん姉さんに時雨も…ってどうしたの?」
「何もないしのぶ。これ渡しておくよ。母様の薬の調合表」
「ありがとう(って…あれ?なんかいつもと違うような…)もう話してるの姉さん」
「え…えぇ。色々と。もう一度しのぶにも話してくれる?」
「あぁ…」
私に言った事と同じことをしのぶに伝える時雨。
しのぶもとても驚いて信じていなかったけど、その鬼の特徴と血気術の細かく説明されたので最終的には信じていた。
「対策考えないとね。私も姉さんも考えるから」
「…そうだな。少しずつ詰めよう。でもしのぶは出来れば薬の方が嬉しいかな」
「それもそうか。じゃあちょっと考えて来るから」
「うん。頼んだ」
しのぶに薬の事を頼んだ時雨は、私と鬼の対策を考えることに。
でもすぐには案は出なかったから、時間が出来た時に、時雨の当時の記憶を頼りにして、少しずつ血気術の対策を考えた。
それに必要な鍛錬もしたし、悲鳴嶋さん相手にして時雨との連携も強化した。
だから…その鬼と会っても決して遅れを取ることは無いと思っていたのに―――。
「はぁ…はぁ…っぅ」
「んー苦しそうだね。ほんの少しとはいえ、俺の血気術を吸っちゃったからなぁ」
あれだけ気を付ける様に言われていた粉凍りを吸ってしまった。
いつ吸ってしまったのだろう?
戦いの中で出した血気術の間合いは時雨の言った通りだった。
対策も完璧で、間合い管理も決して間違っていなかったのに。
「それにしても、カナエちゃん全然吸わないから、ちょっといたずらしちゃったよ。上手くいくか分からなかったけど」
「ということは…」
時雨が知らない方法を使用してきたという事。
問題はどの時かだけど、戦っている最中は違和感はなかった。
多少間合いが広い時があったぐらいで、それも時雨との打ち合わせ済み。
成長速度も過剰に踏まえて考えていた。
「さてと。夜が明ける前に終わらせちゃおう。君は柱だし可愛いから美味しそうだな」
「っ…やられる。体を動かさないと」
ゆっくり近づいてくる童磨から距離を取ろうとしても、体が震えて動かない。
死を予感して思うよう動かせない。
これは…あの時の時雨と、初めて鬼と会った時と同じだった。
恐怖に怯えて動けない。
「さようならカナエちゃん。直ぐに時雨君も送ってあげるから」
「あ……」
彼の得物である扇が、私の首に振り下ろされる。
もう駄目だと覚悟を決めたけど、彼の扇は私に届かなかった。
何故なら…橙色の日輪刀が、寸での所で扇を止めたから。
「この日輪刀は…はっ!」
童磨の意識が日輪刀に向いた瞬間、荒れ狂う風の一撃が扇諸共童磨の胴体を穿ち、背後の廃屋に吹き飛ばす。
暁の呼吸の伍ノ型・画龍天晴。
風の呼吸が元となったとされる広範囲から一点集中まで可能の型だ。
「大丈夫…だなカナエ」
「時雨……」
どこかいつもと雰囲気が違う時雨が傍に来て抱きしめて来る。
そのまま優しく頭を撫でてから、私の胸の辺りを見てくる。
「吸った量は…うん。ちょっとだね。これなら時間はかかるけど完治はすると思う。少し安静にしたら普段通りの生活も送れる」
「っ…時雨。私は―――ん」
何も出来なかったと、伝えようとしたけど、彼は人差し指で私の唇を塞ぐ。
時雨の顔を見ると、とても優しい顔を浮かべていて、視線が合うと何も言わずに首を左右に振った。
「何も言わなくてもいいから。カナエが頑張ったら間に合った。後は俺の番。カナエの頑張りを無駄にはしない。だから…待ってて。夜明けまで粘るから一緒に帰ろう」
「…うん。でも、死んだら許さないから」
「大丈夫。死なないから」
もう一度頭を撫でると、時雨は私を軽々と持ち上げて後ろの廃屋の屋根に移動してからゆっくりと降ろす。
それと同時に向かいの廃屋から童磨が扇で顔を扇ぎながら出て来る。
時雨から受けた傷は完全に再生していた。
「じゃあ行ってくる。遥が来たら見ておくようにと。正しい呼吸と正しい動き。自分との違いを目に焼き付ける様にと伝えてくれる?」
「分かった。その…大丈夫?怖くない?」
「……怖くないよ。逆に怖いぐらい冷静で、頭の中が
「透明…?」
一体何を言っているのだろうと思っていると、時雨は『また今度教えてあげるから』と言ってから屋根から降り、童磨と対峙するのであった。