国内安全保障執行局〈D.S.E.D.〉〜再会したお姉ちゃんは、私のことを覚えていないようです〜   作:暁天花

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第十二話 対決

 リィンヴァース社本社ビル――四八階。最上階まであと二階に迫る階段のさなか。

 拳銃を手に登り続けるエレナの耳に、通信機を介したブルシーロフ中隊長による報告が舞い込んでくる。

 

『リィンヴァース社による犯罪の()()()()()()は既に俺達で抑えた。これから仕掛けられていると思われる罠を捜索、総力を挙げて解除にあたる。こちらのことは任せて、君はアイザック・リィンヴァースの逮捕に専念しろ』

「了解しました」

 

 言いつつ階段を進み――途中で著しい電波妨害に襲われる。ザザザッと鳴り響く区画から数歩下がり、再び通信が可能な場所へ。“本当用意周到だな”――と思考しつつ、エレナは、

 

「これより上階は電子妨害が激しく、一切の通信および録音等の証拠確保が行えません。私の方でも自供は聞き出しますが、逮捕後には改めて聴取をお願い致します」

『了解した』 

 

 通信アウト――エレナの耳に静寂が戻る。

 ふぅと一息をつき、気を取り直して階段を進む。電波妨害で一切の電子機器が使用不能に陥り、戦闘支援システムが多大な影響を受けて機能を停止。何の音声も届かない、真の孤絶に放り込まれる。

 更に登って四九階に。各所にある部屋を一つずつ見て回り――安全確保(オールクリア)。最後の階段を上ったところで、今度は天使の羽根が音を立てて崩れ去った。

 “〈対魔導領域散布弾(アンチ・ウィザード・バレット)〉か”――と内心で呟きつつ、エレナは少し重くなった拳銃を両手で握り締める。一歩一歩を着実に登り、その度に心が悲鳴を上げるような錯覚に陥る。

 

 ――七年ぶりの父との邂逅。その事実が、思いのほか自分の精神に重くのしかかっているのだった。

 そんな想いを理性で制しつつ、エレナはついに五十階へ到達――ビルの最上階たる最高経営責任者(C E O)室のドア前で立ち止まる。

 小さく深呼吸を一つ。ドアのそばで聞き耳を立て、停止していた戦闘支援システムを強引に起動。超音波探査で中に人がいることを確認する。

 “……あとは、罠の有無を確認してから”――と、また別の探査をかけようとした――その時。

 

『仕掛けはない。入ってきたまえ』

 

 中から、()()()()()()()()()男性の声が呼びかけてきた。

 一瞬の自失ののち、エレナは拳銃を構えながら恐る恐るドアを開く。重厚な造りのドアがエレナに押されてゆっくりと開き、その狭間から拳銃を突き出す格好で中へと侵入。

 予想通り、その男性――アイザック・リィンヴァースは部屋の奥、ガラス張りの壁を背にした執務机の向こう側で、後ろで手を組んで立っていた。

 振り返る壮年の男は、エレナと同じ白金(はっきん)の髪をオールバックに揃え、エレナと同じ赤瞳(せきとう)を静かにこちらに向けている。

 記憶の中のものと何ら変わりのない、実の父の姿。アイザック・リィンヴァースが、そこにいた。

 鋭い眼光と銃口を彼へと差し向けたまま、エレナは、

 

「お久しぶりです。()()()」 

「ああ。久しぶりだな。()()()

 

 まるで昨日ぶりとでも言うような笑みと仕草に、エレナは頭が怒りで沸騰しそうになった。が、何とかそれを鉄壁の理性で抑え、あくまで冷静な声音を保って告げる。

 

「アイザック・リィンヴァース。貴方には合衆国憲法修正5条および第14条の逸脱、国立銃器法(N F A)銃火器所有者保護法(F O P A)を含めた連邦法、合衆国法違反の計一五つの罪状についての容疑があります。……なぜ、このようなことを?」

「なぜ? それは君たちも既に掴んでいる筈だが?」

 

 と、片眉を上げるアイザック。エレナは更に目を細めながら、

 

「貴方ほどの人間が、わざわざこんなリスクを背負ってまで人身売買をする理由がない。ましてや、人間の記憶データなど、何の価値もないでしょう」

「はて。君たちは本当に『人間の記憶』が何の価値もないものだと言うのかね?」

「……何が言いたいのですか? ()()()

 

 “記憶”そのものは、何にも替えがたいかけがえのないものだ。それがあるから人間は社会生活を営めるし、他者との交流で楽しさを得ることもできる。

 だが。それはあくまで『自分の記憶』が自分にあるからだ。他人の記憶――ましてや、以前のエレナ達のような貧困層の記憶など、何の情報も詰まっていない。怖くて辛いだけの日々に、ほんの少しだけの楽しみがあるだけ。そんな記憶を抜き取って、何なら保管までしているのは、意味が分からなかった。

 

「人の記憶――なかんずく貧困層の記憶は、とても高い価値を持っているのだよ、()()()。なぜだか分かるかい?」

「……」

 

 きっと睨み返すエレナ。アイザックは出来の悪い子供にするような苦笑を浮かべて肩を竦め、

 

「『記憶』を買うのは、いわゆる大富豪と呼ばれる巨大な資本家達だ。彼らは生まれながらにして裕福であり、手に入らぬものなど殆どなかった。貧困とは無縁の生活を送り、そのままエリート街道を突き進んで資本家階級へと成り上がる。低賃金の労働など視界の端にも入らない、本物の資本家達だ」

 

 そこで父は両手を広げ、悠々と語りを続ける。

 

「だが、そんな彼らにも手に入らないものは必ず存在する。その一つが他人の『記憶』。いわば他人の人生だ。確かに、彼らの資金力なら他人を自由に操作できるだろう。だが、彼らの『主観』がどう見えているのかは分からない。どんなに資金を投じたところで、操作される人本人がどのようなことを考え、感じ、何を為そうとするのか。それらは誘導こそできても、実感することはできない。……つまり、だ。彼らは、『貧困層』の生活がどのようなものなのか想像もつかないし、ましてや実感など不可能なのだ。それが他人である限り、実際の体感はできない」

「……体感は、できるのでは?」

 

 終始圧倒された挙句、ようやく口をついたのはそんな言葉だった。

 父は呆れたような笑みを浮かべ、

 

「確かに、やろうと思えばできるのかもしれない。だが、彼らは今の安全地帯を捨てるつもりはないし、わざわざ下層に降りるようなこともしない」

「っ……」

 

 それは、なんと傲慢なのだろう。安全地帯に居ながらも他者の――貧困層の人生は欲しい。己が危険を被るようなことはしたくないが、他者の人生を欲することは辞めようともしない。

 トレードオフの関係を完全に無視した、強欲極まりない思考。

 歯噛みしながらも銃口を向け続けるエレナへ、父は続ける。

 

「そんな彼らに対する商品として、我がリィンヴァース社は脳内埋め込み型コンピュータを介した記憶のコピー機能に目をつけた。その結果生まれたビジネスが、『記憶の売買』だ。これによって資本家達は他者の人生を体感できるようになり、逆に貧困層の人々は己の記憶を売ることによって金銭を得ることが可能となった。両者にとって得しかない、素晴らしい取引だ」

「あの凄惨な暴行も、その資本家達の……貴方のビジネス相手の要望だと?」

「ああ。そうだよ」

 

 さらりと言ってのけるアイザック。

 

「私としてもあのような痛ましいものはあまり見たくはないがね。しかし、相手は我が社に莫大な資本を投下してくれる株主だ。拒否する訳にもいかない。……だから、私達はあのような組織に記憶の生成を依頼した。無論、記憶のコピーとオリジナルの消去はこちらで全て行ったがね」

「……オリジナルの消去は、被害者達からの反攻を阻止するために?」

「それもあるが……単に、そんな記憶を持っていても辛いだけだろう? やった本人は非合法組織の一員であり、そこを辿ったところでやはり巨大企業に行き当たる。資金のない、貧困に喘ぐような人々には、非合法組織に対抗する力を持つこともできなければ、私達のような巨大企業に楯突くための司法の力を持つこともできない。何もできないならば、辛いだけの記憶なんて消し去ってしまった方が彼らにとっても本望だろう」

 

 さも当然のことのように語る父。引き金に掛ける力が強くなるのを必死に抑えながらも、エレナは思考し続けていた。

 

 

 

『……リゼの、お姉ちゃんの記憶も、そうして抜き取って誰かに売り渡したのですか?』

 

 リィンヴァース社本社ビル五十階。最高経営責任者(C E O)室に至る扉の陰。閉じたドア越しに聞き耳を立てる銀髪赤瞳(ぎんぱつせきとう)の少女――リゼは、聞こえてきた言葉に思わず唾を飲み込んでいた。

 “今、ボクのことお姉ちゃんって言った?”――という無言の驚愕。同時に襲い来るのは、自分の真実が明かされることの恐怖。

 自分は何をされてこうなったのかという答えが今、明かされようとしていた。

 

『ああ。リゼは当初こそうちの魔導士として雇う予定だったんだがね。彼女はそれを拒否した。だから、仕方なく他の者と同様に記憶を生成したのち、それをコピーしてオリジナルを消去した』

『お姉ちゃんの左目の傷は、お父様が?』

『そうとも言えるし、そうでないとも言える。リゼが強引にこのビルを出ようとした際に負った傷だからね』

 

 “え?”――何とか言葉を飲み込み、リゼは瞠目する。

 ……ここまでの話を整理すると。

 ボクは、エレナちゃんの姉だった。それで、何らかの因果によってボクはここ、リィンヴァース社に連れて来られ、そこでボクは彼の支配下にあることを拒否した。そしてその際に負った傷が――この左目の傷ということになる。

 “まさか”という思考。だが、こんな場面で二人が嘘を吐いているとも思えない。

 “いったい、消えた記憶の中にはどれほど大切なモノが入っていたんだろう”――胸のうちに痛みを覚えながら、リゼは無意識に左目の傷に触れていた。

 無意味な焦燥と悲嘆を、何とか抑え込みながら。

 

 

 

 リゼの――大切なお姉ちゃんのことを聞き出して。エレナは、ついそのことを問うていた。

 絶対に聞くまいと思っていた、ある禁断の質問を。

 

「……なぜ、お父様は私たちを――()()捨てたのですか?」

「捨てた? 聞き捨てならない言葉だな。別に、私は君たちを捨てたというようなことは断じてしていないよ」

「……は?」

 

 あまりの言動に危うく銃を取り落としそうになった。気を取り戻して拳銃をちゃんと握り込み、エレナは彼の言い分を静かに聞く。

 

「前述の通り、リゼは君たちの母親の借金を返済するという名目で一度は私のもとに帰って来てくれた。だが、彼女は私のもとで魔導士となることを拒否した。だから、リゼは私の元から去った。エレナ、君についてもずっと捜してはいたのだよ。だが、見つけられなかった。君の母親があらゆる手段を尽くして住所と身分を隠していたからね」

「嘘をつかないでください!」

 

 気がついたら叫んでいた。今までずっと心の中で押さえつけていた怒りと哀訴が、あらゆるところから噴き出しているかのようだった。

 

「あなたは、私を一度足りとも探そうとしてなどいなかったのでしょう!? だから、私が児童局に引き取られても、〈D.S.E.D.〉に就職しても、一度も会いに来なかった!」

「それはそうだろう。既に児童局に引き取られた児童は、足が残ってしまうのだから」

 

 さも当然のことのように、目の前の男は無慈悲な言葉を言い放っていた。

 

「な、なにを……」

 

 狼狽えるエレナ。対して、アイザックは変わりのない気軽な口調で、

 

「本当はエレナも我が社の専属魔導士として雇う予定だったのだよ。レイラのように死を偽装し、秘密裏に所持する強大な軍事力兼裏社会に対する抑止力としてね。だが、君は児童局に引き取られてしまった。あそこに入所した者は、その後五年間は児童局の厳しい監視の目に晒される。だが、それは『魔導士』という仕事とは決して相容れないものだ。故に、私は君を引き取ることが出来なかった」

 

 ……つまり。私が彼の手駒に――武力にならないから。だから引き取らなかった。会いに来なかった。彼は言外にそう告げていた。

 沸き起こるのは、かつてないほどの絶望感と徒労感。ずっと心のどこかで思っていたことが――父に認められたいと、愛して欲しいという心が、粉々に砕け散っていくようだった。

 目に涙が滲むのを必死でこらえ、エレナは強いて冷淡な声音で、

 

「……私たちに関することはよく分かりました。あなたが、私たちをただの道具として思っていないということが」

「その考えは心外だがね」

 

 肩を竦めて苦笑するアイザック。挫けそうになる心を鉄の精神で支え、エレナは己の職務を全うすべく次なる尋問を投げ入れる。

 

「それでも。やはり納得できません。いくらビジネスとして儲かり、また有利になるカードなのだとしても、お父様のしていることは明確な犯罪です。これほどのリスクを犯してまで、貴方は何をしようとしているのですか?」

 

 確かに、『記憶の取引』は莫大な利益を生み出すのだろう。原価はゼロに等しく、仕入れも少し郊外や路地裏に出ればいくらでもできる。コピーと同時に対象者の記憶を消すのだから支払う金銭は雀の涙ほどの金額で良く、それを高値で富裕層へと転売すればこのビジネスの――弱者を究極まで搾取する構造の完成だ。

 

 しかし、このビジネスは拡大するか長期化するかのどちらを取ったとしてもいずれ露呈する。そしてこのビジネスの内容は『現在』の法律では重大な違反行為が多数認められ、それに対抗するために雇おうとしていた『魔導士』――つまり彼の私設部隊も、公的組織に逆らえば重大な違法行為にあたる。

 今後『記憶の取引』が合法化される見通しであるとはいえ、現状ではあまりにもリスクが大きすぎるのだ。そんなことを何故、この男のような人間がしているのか。エレナはまるで分からなかった。

 アイザックは机に手を置いて、

 

「そうだね……。強いて言うなら、『誰もが幸福な世界』かな?」

「……は?」

「我が社のスローガンは、エレナも知っているだろう?」

 

 “この男は急に何を言っているんだ?”――と思いつつ、エレナは脳裏に焼き付いている文章を口に出す。

 

「『誰もが幸福に(オールフォアハピネス)誰もが楽しく(ファンフォアオール)』」

 

 幼い記憶の片隅に燦然と輝く――まだリィンヴァース社が一介の中小企業に過ぎなかった時から続くスローガン。

 アイザックは満足したように「そうだ」と頷いて、

 

「記憶のコピー実験が成功した時、私の思考はすぐにこのスローガンへと結びつき、記憶の取引というビジネスへと辿り着いた。富裕層には莫大な金銭と引き換えに『貧困層の記憶』を与え、貧困層には己の記憶をもって『辛い記憶の削除』と『金銭』を与える。我が社はこの両者の仲介に立つことで、双方にとっての幸福を与えられるのだとね」

「それは欺瞞でしょう、お父様。記憶の削除の目的は、この取引が露呈するのを少しでも遅らせるため。辛い記憶の削除は副次的なものに過ぎないはず」

「そうだとするならば一石三鳥だね、エレナ。もしかしたらそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」

 

 あくまで娘と話している父というふうに笑みをこぼすアイザック。エレナは心底冷えきった赤瞳(せきとう)を彼へと向け、片手で胸ポケットから手錠を取り出す。

 “確かに、お父様の言うことに一理はあるのかもしれない”――という思考。

 だが。その『辛い記憶』と一緒に――または『辛い記憶』とされてコピーされ、削除された人はどうなるのだろうか?

 彼の論理によって、お姉ちゃん(リゼ)の記憶は削除された。貧困層での暮らしというものと一緒に、私との日々は全て抹消された。恐らくは消えた部分との矛盾を解消するためだけに。

 

 結果、お姉ちゃん(リゼ)の中での妹は存在を抹消された。それがどれほど哀しいことなのか、彼には分からないのだろうか。“……いや、分からないからこそこんなことを平然とやってのけているのだ”――父は、昔からそうだったのだから。

 

「あなたの論理は分かりました。ですが、あなたの――リィンヴァース社がしたことはれっきとした犯罪行為です。証拠も確保した今、あなたに罪から逃れる術はありません」

 

 銃を向けたまま一歩踏み出し、理解できない男との決別の念を込めてエレナは告げる。

 

「アイザック・リィンヴァース。あなたを連邦法および合衆国法の多重違反の容疑で逮捕します」

 

 歩調を早め、父へと近寄ろうとした――その時。

 彼はおもむろに引き出しを開き、滑らかそのものの動作でエレナに拳銃を突き付けていた。

 “しまった”――という時には既に遅く、その銃口はエレナの眉間にぴったりと合ってしまっていた。

 〈天使ノ翼(エンジェル・フェザー)〉が起動できない今、この弾丸は絶対に受けることはできない。かといってこの至近距離では避けることもできず――四面楚歌。

 思わず悔しさが表情に出る。それを見てとったアイザックは相も変わらず穏やかな声音で、

 

「何故ここまで私が全てを開示したのか、不思議には思わなかったのかね?」

「それは、」

 

 “観念したからなのでは”――と言いかけて口を噤む。……まさか。

 

「……全て計算していたのですか」

「正解だ、エレナ。と言っても、それは私が喋り出した時点で気づくべきだったがね」

 

 “やれやれしょうがない子だ”――とでも言うように微笑むアイザック。次は何を言い出すのかと身構えた矢先、彼は、

 

「証拠部屋を確保したのは素晴らしいが、このビルはまもなく跡形もなく爆破される。地下の部屋諸共、全てね」

 

 と。とんでもないことを言い放っていた。

 “は?”――と言いかけて、机の引き出しの隅に、厳重な機器で管理されたボタンがあることに気づく。

 そして。そのボタンを守る機器は全てが解除され――凹んだままになっていた。

 

「――既に押していたのですね。()()()

「私は物語の悪役ではないのでね。君たちがこのビルを包囲した時点で証拠品を他に移動させる術はなく、罪を逃れる術もない。ならば。このビルごと爆破して、証拠品も何もかも消し去ってしまえばいいというわけさ」

「っ……!」

 

 “まだ自社の人間が戦っているのに”――と言いかけて辞める。この男に情といったものは一切考慮されず、ただ結果だけが全てだ。

 己の目指すもののために、他の全てを犠牲にする。昔と何ら変わらない気質。

 アイザックは別の引き出しを開け、そこに設置されていたレバーを引く。すると、彼の背後にあったガラスが突然粉々に砕け散った。

 

『エレナちゃん!?』

「お姉ちゃん……!?」

 

 焦った表情で突入してきたリゼさん(お姉ちゃん)に一瞬気を取られ――その隙に、アイザックは一番大きな引き出しから機器を取り出すと、

 

「では、またいつか会えるといいね。エレナ、リゼ」

 

 直後。父は躊躇なく割れた窓から空へと飛び出していた。

 そしてそれと時を同じくして、下方で爆発音が発生。地面が大きく揺れる。

 

「わっ……!?」

「ちっ……!」

 

 思わず舌打ちがこぼれ出る。“この期に及んで、私は父の手の内で踊らされていただけだった”――という忸怩(じくじ)たる思い。証拠を確保し、敵の切り札たる魔導士を――レイラを倒したことで完全に油断していた。というか。相手がまさか会社のビルすらも捨て駒にするとは思わなかった。

 “とにかく。今はことの対応を”――そう思い、エレナは一歩前進。父が飛び出したガラスのそばに立ち、リゼさん(お姉ちゃん)に顔だけで振り返って、

 

「リゼさんは、」

「ボクはレイラを救出してからここを出る。エレナちゃんはあの人を――アイザック・リィンヴァースを」

 

 帰ってくるのは、真剣そのものの赤い双眸。“やっぱり、この人は私の英雄(ヒーロー)なんだな”――という一瞬の思考を心の中に抑え込み、エレナはこくりと頷く。

 

「通信が可能になり次第、ブルシーロフ中隊長らにも状況を伝達してください。……では、行って参ります」

「うん。またあとで」

 

 直後、エレナは父が飛び立った場所から勢いよく飛び降りた。と同時に、ビルの中層で爆発が連続で勃発。爆炎と瓦礫を盛大に撒き散らしてビルを傾けさせる。落ちていく視界の中で、横向けに崩れ始めるビル最上階から駆けていく少女の姿が見えた。

 何の防護もない身体が、強風に煽られつつも朝焼けの空を落ちていく。視界の隅で崩落するビルを捉えながら、エレナはアイザック・リィンヴァースを――父を探していた。

 

 ようやく復旧した戦闘支援システムが頭上から降り注ぐ瓦礫の雨を検知し、それに従って姿勢を制御。頭部を砕かれないように雨の隙間を落ち続ける。

 続けて、〈対魔導領域散布弾(アンチ・ウィザード・バレット)〉の効果が消失。瞬時に魔導を起動し、背にボロボロな天使の羽根が顕れる。即座に前方へと飛翔、瓦礫の雨から逃れたところで――戦闘支援システムが、小型の()()()()()に掴まった父を捉えた。

 

「――お父様!」

 

 叫び、エレナは全速力で彼のもとへと翔ける。

 今度こそ捕らえるために――彼が決して私刑などではなく、平等な司法のもとで裁かれるために。

 

 

 

 崩落するビルの中、リゼは来た道を駆け戻る。横滑りに落下していく五十階を下り、四十九階へ――そのまま全速力で四十八階まで降りる。更なる爆発で上階が完全に崩壊し、瓦礫と化した鉄筋とコンクリートが雨あられと降り注ぐ。その中を戦闘支援システムが指し示す経路に沿って走り切り、何とか通信可能区画まで後退することに成功する。

 と、同時に通信から声。

 

『ヴェンツェル大隊長! ヴェンツェル隊員! 聞こえるか!』

「はいっ。今四十八階に到達しました!」

 

 瓦礫の雨の中、リゼは走りながら、

 

「現在上階は完全に爆破され、ここにはもう瓦礫しかありません。アイザック・リィンヴァースは窓を破壊して外へと逃走、エレナちゃんは逃げたあいつを追っています」

『そちらの状況は理解した。こちらも至る所で爆発が発生、部屋で罠の解除中だった隊員が重症を負っている。証拠品が全てが破壊されることは避けられたが、かなりの数の記憶データ体が爆破された』

 

 リゼは無意識に奥歯を噛み締める。“もしかしたら、そこにボクの記憶もあったかもしれないのに”――という想いを使命感で上塗りし、決然と報告。

 

「そちらは引き続き証拠品の確保をお願いします」

『君の救出に向かえない以上、俺達がやれるのはそれしかない。……後でまた会おう』

「はい」

 

 短く応答。そして通信アウト――耳に崩落と爆発の音だけが響き渡る。

 今更ながらに魔導を起動し、背に純白に煌めく天使の翼が(ひるがえ)る。その効能を頭部保護と腕力に集中させ、目の前の道を塞いでいた瓦礫へと右ストレート。小さな穴が空いた地点を中心に拳撃(けんげき)を繰り返し、何とか自分が通れるぐらいの穴をつくり出す。

 一旦魔導を解除し、その穴を通過。即座に魔導を再起動し、道を右折。その先の部屋へと突入し――そこで倒れ伏している()()()()()を確認する。

 この部屋はまだ何とか持ちこたえていたらしく、眠る彼女の上にはぱらぱらとしたコンクリートの欠片しか降っていない。

 

「よかった……!」

 

 というのもつかの間、またもや大きな振動。直後、ついに耐えきれなくなった天井が異様な音を立てて割れ始める。

 

「っ!」

 

 それを確認するのと同時に少女へと駆け寄り、いわゆる“お姫様抱っこ”の格好で抱き上げる。そのまま粉々に割れたガラスから外へと飛び出し――直後、背後で盛大な崩落が巻き起こった。

 戦闘支援システムの誘導で瓦礫の雨をかいくぐり、何とか安全地帯へ。一息ついたところで、眼下にボロボロになった純白の翼を見つけた。

 

「……あとは頼んだよ。エレナちゃん」

 

 色んな感情がごちゃまぜになった声音で、リゼは呟いていた。

 あのふざけた合理主義者へ――この子(レイラ)を兵器に仕立てあげたクソ野郎に司法の裁きを下すために。やつを捕まえろと。

 

 

 

 無人航空機に捕まる父を目指して、エレナは朝焼けの蒼穹(そら)を翔け抜ける。天使の羽根はレイラとの戦闘で既にボロボロで、防護能力は辛うじて頭部に空気の膜ができている程度。弾丸を受け止める力はもう残されてはいない。

 右手に拳銃を手にしつつ、戦闘支援システムで拡大した視界で父が拳銃をこちらに向けるのを捉える。

 即座に直角機動。と同時に、彼が放った弾丸がエレナの元いた場所へと突き刺さっていた。

 “……流石開発元、戦闘支援システムを使いこなしているな”――と思案しつつ、回避機動を継続。掠める弾丸をこちらの支援システムで認識しながらも、エレナは着実に父との距離を詰めていく。

 残弾を撃ち尽くしたらしい父が拳銃の下から弾倉を落とし、手品のごとき手さばきで再装填。再び銃口がエレナに向けられる。

 が。その隙に全力疾走。背後の羽根が音を立てるのも構わずに一気に距離を詰め――遂に彼の顔を鮮明に捉える距離に達する。

 

「私を捕まえたところで、記憶の商品化は止まらないぞ! エレナ!」

「そんなことは分かっています!」

 

 たまらず叫び返していた。

 父の言う通り、記憶の商品化は止まらないのだろう。リィンヴァース社捜査が却下されたように、既に国全体がそれを推進している。数日もすれば『記憶商品取引法』は両議会を通過し、連邦法としてこの国を覆うだろう。

 その流れは止められない。

 

「けれど、あなたのしたことは“今”の法律に、“今”の道徳に反している! ならば、“今”の司法によって報いを受けるべきです!」

 

 連射される弾丸がエレナの頬を掠め、右脚を貫き、腹の左側を穿(うが)つ。けれども止まらない。遂に目前に父と無人航空機が迫り――拳銃を無人航空機へと照準。

 一切の躊躇なく引き金を引いた。

 

 ――ばん! ばん! ばん!

 

 銃声と共に無人航空機のエンジンが火を噴き、煙を立てて動作を停止。揚力と動力を一挙に失った機体が急降下を開始し、それを見てとった父が、

 

「やってくれたな」

 

 初めて見た悔しげな表情とともに、無人航空機を放棄。真っ逆さまに落ちていく。

 “そのまま落下死してしまえ!”――と、幼い部分の自分が叫んでいる。けれど。それにエレナは理性をもって抗う。

 天使の翼を翻して、エレナも急降下。落ちる父を抱え上げた。

 

「……そうまでして私を裁きたいのかね?」

「ええ。あなたはここで死ぬのでもなく、私たちによる私刑でもなく、“司法”の元で平等に裁かれるべきです」

 

 たとえ、それが人々の心にとっては堪えがたいものだとしても――私刑も当然というような人間であったとしても。

 それが、この『アメリカ合衆国』という国家が――司法が保障した権利だ。『司法』の担い手であるエレナにとって、それを放棄させることは決して許されない。

 腕の中で、父が歓喜とも悲哀ともとれるような声音で呟く。

 

「どの道、貧困層は更に搾取される運命にある。ならば、私が全ての罪と救いを一手に引き受けようと思ったのだ。……だが。結局はこの有様か」

 

 朝焼けの蒼穹(そら)の中。

 二人は無言で空を飛んでいた。

 崩落するリィンヴァース社本社ビルを眺めながら。

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