国内安全保障執行局〈D.S.E.D.〉〜再会したお姉ちゃんは、私のことを覚えていないようです〜 作:暁天花
今年、二〇四五年は、長きに渡り世界秩序を保っていた国際連合が正式に機能不全を宣言した年だった。
事の発端は、二〇二二年に起きたナゴルノ・カラバフ戦争ともロシアによるウクライナ侵攻とも言われているが、明確なところは不明。だが、この近辺をきっかけにして、世界中でゆっくりと、しかし確実に平和が壊れていったのだと後の歴史は証明している。
ともかく、二〇年代初頭から世界秩序はゆっくりと壊れ始めていた。それは年を追うごとに着々と悪化の一途を辿り、世界は着実に崩壊への道を突き進んでいた。
そして、その最前線を突っ走っていたのがこの国――アメリカ合衆国だった。
まず、少子高齢化に対応するために『児童労働基本法』が制定された。
これによって貧困層の子供は一〇歳からの労働の
表向きには児童救済を唱えていたものの、実態はただの階級固定化装置でしかなかった。結果、この法律と保護は国内の分断を更に煽ることになる。
そして、二〇三四年六月一四日、アメリカ独立記念日の日。
二一世紀初頭より叫ばれ続けていた富裕層とそれ以外による国民感情の分断。これを原因とする国家全域にわたる同時多発的なデモとテロが敢行されたのだ。
また、時を同じくして各地の州兵・陸海空軍の駐屯地によるクーデターが発生。貧困にあえぐ民衆たちがそれに同調して暴徒化し、ギリギリの線で踏みとどまっていたアメリカ国内の治安は一気に地の底へと転がり落ちていった。
国外でも、『世界の警察』たるアメリカの
そんな国外の惨状を傍目に、
だが、後に残されたのは悲惨なものだった。
かねてより発生していた少子高齢化に、経済成長の停滞による失業率の高止まりと格差の拡大と固定化。ギャングの台頭による治安の悪化。などなど。
国内の騒乱は治安悪化を強力に後押しし、現状の能力だけでは治安維持を実現することはもはや不可能となっていた。
そんな現状に危機感を覚えた合衆国司法省は、ある一つの機関の設立を大統領と議会に承認させる。
『
そして。私は――エレナ・ヴェンツェルは、この
†
スキッド・ロウ地区から北西に数十分したところにあるビル街――ダウンタウン。その一角にある〈 D.S.E.D.〉本部ビルの十三階。
聴取室で事情聴取を受けている
「まずドライバーの方だが、聴取による収穫はほとんどなしだ。自分の名前と国籍以外の記憶が軒並み消えちまってる。奴の所属してた〈
「……もしかして、自分が所属していたという事実ですら?」
ブルシーロフ中隊長は険しい顔で頷き、
「当たりだ。所属することになった経緯から、今までどんなことをしでかしてきたのかまで。なんなら自分の名前すら覚えていなかった。何とか情報を引き出そうと試みてはいるが、現状の収穫は一切なしだ」
「そうですか……」
言ったきりエレナは押し黙る。“そんな都合よく記憶が吹き飛ぶなんてことあるの?”――そんなことを心の中で呟きつつ、視線を左の
「彼女については?」
「どうやら〈
「魔導の才能を……ですか」
思わず呟いてしまっていた。
魔導。二〇三〇年代初頭に存在が確認された、量子力学ですらも通用しない超常的な物理現象の総称だ。
人間の科学を完全に無視したそれは実態が未解明のまま急速に発展が進み、現在では
つまり。貧困層に存在する魔導使用可能者というのは希少であり、武装組織にとっては切り札ともなりうる存在なのだ。
“確か、お姉ちゃんも魔導の才能あったんだよな”――という思考をすぐにかき消し、エレナは担当官に話し続ける
いかにもホームレスらしい雑に切ったボブカットに、汚れまみれの短パンとパーカー。おまけに顔の左側にはざっくりと傷が走っていて、それが彼女の可憐な容姿に一種のアクセントを加えている。
……何度みても別人だ。だいたい、私の姉にあんな傷はついていなかったし、こんな奇跡みたいな再会などある訳が無い。そう思っているのに、エレナの心は自分の姉――リゼ・ヴェンツェルの面影をずっとちらつかせている。
“そんなことある訳ないでしょバカ”――と、自分の思考を振り払うように頭を振って、エレナはブルシーロフ中隊長に向き直り、
「彼女の名前は?」
「ああ、それなんだが、」
彼は渋い顔に困惑の表情を浮かべ、はっきりと言った。
「リゼ・ヴェンツェルだ」
と。
「……は?」
あまりの衝撃に呆気にとられるエレナの前で、ブルシーロフ中隊長はタブレットの資料を提示して続ける。
「まず、国のデータベースに照合した結果、彼女の供述した生年月日と容姿の特徴が完全に一致した。また、簡易的なDNA鑑定と血液検査も行ったが、彼女は『リゼ・ヴェンツェル』のデータベースにある通りの血液型とDNAだった。……つまり。あの少女は間違いなく君の知る『リゼ・ヴェンツェル』――君の姉だ」
「そ……、」
“そんな都合のいい話、ある訳がないでしょう”――毅然とそう返したかったのに、声が出なかった。
エレナは彼に言われた言葉が全く頭に入ってこず、こちらを向いて指を差す
「じょ、冗談でしょう?」
硬い笑みを浮かべるエレナ。だが、ブルシーロフ中隊長はその渋い顔に歓喜とも悲嘆ともつかぬ表情を湛えたまま、
「事実だ」
と、断言していた。エレナは手元にある彼女の情報を映したタブレットに視線を向け、
「……私のことは、何と?」
「治療後に訪ねてみたが、『知らない』の一言だけだった。……今、君を見た際にも、君が自分の妹――『エレナ・ヴェンツェル』であると気付いた様子はない」
そう言って彼は聴取室の録音を手渡してくる。エレナは少しだけ逡巡したのち、それを受け取って録音を再生した。
『――あの子も、ここに所属してる人なの?』
『――ああ、そうだ。俺たち〈D.S.E.D.〉戦闘部隊の隊長をやってる凄い
『――へぇー。あんな小さくて可愛い子が隊長なんて凄いねぇ』
そこから先の録音は切られていたようで、エレナの耳にはすぐに無音が帰ってくる。
けれど。心の中は恐怖と絶望がこれ以上ないぐらいに騒々しく鳴り響いていた。
……まるで、自分と一切関わりのない他人事みたいな。遠くから偉人を見ているみたいな、そんな口調だった。
“あれじゃあ、まるで私のことを何も覚えてないみたいじゃんか”――そう叫びたいのを理性で抑え、エレナはぎりと奥歯を噛み締める。
絶対にリゼお姉ちゃんなのに。私の味方でいてくれるって、そう言ってくれた私のヒーローなのに。
なのに。当の本人は、
急に現実感を失った視界の中で何とか手元のボタンを押し、窓を不透明な壁へと切り替える。ついさっきまで見えていた
ぎゅっと両拳を握り締めるエレナに、ブルシーロフ中隊長は先程までと全く変わらない口調で、
「……彼女の今後については、能力を聞きつけた陸軍と海兵隊が既に引取りの打診をこちらに送り付けている。これを断れば児童局への保護ということになるが……。どうする?」
「あくまで彼女の意志を尊重した上で、ではあるが」と付け加えて、ブルシーロフ中隊長は静かにエレナの答を待つ。
……恐らく、実の姉妹だからと気遣ってくれているのだろうなと思う。お前の意思次第では、そうなるように応答を誘導してやるぞ、といったような。
まず児童局だが、これは論外。考えるにも値しない選択肢だ。
ここに引き取られれば最後、最低限の衣食住だけを与えられた後、義務教育を終えれば最低賃金でこき使われるだけの人生が待っている。いくら今の姉が何もない状態とはいえ、そんなところに送り込みたくはない。私と同じ苦労など、する必要はないのだから。
では、陸軍と海兵隊は良いのかというと、決して良いとは言えないのが現状だ。
今の軍は、児童局と同じように衣食住の保障こそあるものの、それ以外の保障は一切がなされない。あるのはせいぜい戦闘中に負った傷にだけ使える医療保険ぐらいで、賃金は時給に換算すると最低賃金をゆうに下回っている。おまけに
つまり。児童局に保護されても、軍に引き取られたとしても、ろくな未来は待っていない。それが、今のアメリカという国だ。
今の姉は――リゼ・ヴェンツェルは、なかば
……ならば。
どちらにせよろくな未来がないのならば。私は――
決心した瞬間、エレナはタブレットを操作して連邦法の一覧表を開くと、〈D.S.E.D.〉に関連した条文のところへと画面を移していた。その中の一つを見つけたと同時に指で指し示して、エレナは画面をブルシーロフ中隊長に見せつける。
困惑の表情を見せる彼へと、エレナは毅然とした声音で告げた。
「連邦司法省国内安全保障執行局法第三条に基づき、リゼ・ヴェンツェルを私の名の下で〈D.S.E.D.〉にスカウトします」
†
聴取官にことの内容を簡潔に伝え、エレナは応答も待たずに聴取室へと足を踏み入れる。困惑と驚きの表情を同時に浮かべる聴取官の横を通り過ぎ、そのまま
椅子に座ったまま不思議そうにこちらを見上げてくる彼女の瞳を見返して、エレナは冷徹を取り繕って告げる。
「リゼ・ヴェンツェルさん。あなたを連邦司法省国内安全保障執行局法第三条に基づき、私たち〈D.S.E.D.〉にスカウトします」
「……え?」
“どういうこと?”と言外に問うリゼに、エレナは複雑な感情を一滴たりとも漏らすことなく続ける。
「現在、あなたには陸軍または海兵隊への所属か、児童局の保護かの合計三つの選択肢が提示されています。しかし、軍への所属はあなたを治外法権へと放り込むことになりますし、児童局の保護下に入るということは今後の人生においての未来を閉ざすことに他なりません。……かといって、このまま元の借金取りから逃げ回るだけの生活に戻すにはあなたの能力は惜しい」
「そこで、」と言い置いて、エレナは手を差し伸べ、
「あなたの魔導と銃火器使用の才能を、私たちに貸すのはどうでしょうか? 〈D.S.E.D.〉ならば衣食住の保障はもちろん、基本的な医療は無料で提供されます。給与は国家公務員と同等のものが出ますし、万が一戦闘で負傷して戦えなくなったとしても、司法省が責任を持って私たちの今後を用意してくれます。……条件は申し分ないと思うのですが、いかがでしょうか?」
言い終えて。聴取室には何とも言えない沈黙の時間が訪れる。
“……もしかして断られたりしちゃうのかな”――なんて思った矢先、目の前の少女はエレナの手を取ってにこりと微笑み、
「その条件なら、ボクに断る理由はないよ」
「では、」
期待で気分が
「そのスカウト、受けるよ。よろしくね。えっと……」
「エレナ・ヴェンツェル。〈D.S.E.D.〉戦闘部隊の大隊長です」
そこでエレナは少しだけ表情を緩め、
「……と言っても、実質的な権限はほとんど司法省が持っているのでそこまでの立場ではないですが」
“やったー! これでこれからはずっとお姉ちゃんと一緒に居られる!”――と、自分の幼い部分が言い出しそうなのを何とか飲み込んだ、その時。
耳につけっぱなしだった通信機に、渋い男性の声が届いた。
『そっちの話は終わったか?』
訊ねてきたのは、聴取室の外で待っているであろうブルシーロフ中隊長だ。
先程までの歓喜の感情は一転、エレナは即座に仕事の心に切り替える。
「ええ。無事にスカウトは成功しました。……今繋げて来たということは、〈
『ああ』と、短い肯定の声。
『監視カメラから割り出した車両の追跡と、以前からあった情報を洗い直した結果、リンウッドにある集積所に偽装していることが判明した』
リンウッド。ここから南東に行ったところにある、いわゆるベッドタウンと呼ばれ
「了解。……では、これより〈D.S.E.D.〉は〈
『そう言うと思ってな。現在行動可能なC班およびD班、F班は既に現場に急行させている。俺たちB班もこの後現場に向かう予定だ』
流石、長年FBIに居た歴戦の猛者だ。行動が早い。
感嘆を心の中で伝えつつ、エレナは冷然とした態度で、
「準備ができ次第、私たちA班も現場に向かいます。詳細情報は、」
『後ほど君の
通信アウト――耳に静寂が戻る。
聴取官が部屋を出ていくのを横目に、エレナはこちらを見上げる少女に向かって告げる。
「これより〈D.S.E.D.〉は違法武装組織の摘発に向かいます。……リゼ・ヴェンツェルさん、今回の奇襲作戦があなたの初陣になります」