「並ぶか〜」
そう腹をくくったそのとき――
「きみ、こっち、席空いてますよ〜」
どこか気の抜けるような、聞きなれない声が背後から届いた。
振り返ると、そこには――
帽子を目深にかぶり、いかにも「芸能人です」みたいなグラサン姿の男が、手を振っていた。
……ローズ委員長じゃないか。テレビで見たまんまだ。
……え、なんでこんなところに?
ていうか、なんで俺に声かけたの?
その隣には、鋭そうな目のお姉さん。たぶんオリーブさんだ。
二人揃って昼食中……って、え? 俺を誘ってる?
慌てて首を横にぶんぶん振る。
いやいやいや、無理無理。どんな展開? 怖い。
あんな偉い人と肩を並べて飯なんか食えるか。胃がもたれるわ。
けど、ローズさんは笑顔のまま、ずっと手招きしてくる。
止まらない。無限手招き。
あれ?もしかして……壊れた?
助けてオリーブさん、なんかあの人、壊れてるんですけど?
……結局、観念した俺は、ラヴィを連れておそるおそる席についた。
ラヴィは当然のように俺の膝の上に飛び乗って、嬉しそうにしっぽを振っている。
……お前、馴染みすぎだぞ。
「あ、あの……ありがと……ございます……」
一応、礼は言ったけど、めちゃくちゃ素っ気ないトーンになった。
我ながらコミュ障がすぎる。
だがローズさんは、にこにこと柔らかい笑みを浮かべたまま。
「いえいえ、カケル君ですよね?」
「――え?」
……なぜ名前を知ってるんだ。
記憶を総動員しても、会ったことなんて一度もない。
……あれか?ネットか? SNSか?
「ほら、その白いエンニュート。噂になってますよ。色違いしか連れないトレーナーがいるって」
……あ、なるほど。そういう感じか。
確かにラヴィは目立つ。妙に視線感じると思ったんだよな。
「まあまあ、今は食事中ですから。遠慮なく、きみも好きなものを頼んでください」
にこやかに言いながら、ローズさんはラヴィの頭を撫でる。
ラヴィは目を細めて、くすぐったそうに小さく鳴いた。
……人懐っこいな、お前は。初対面だぞ。
ついでに言うと俺はまだ腹が据わってない。
でもまあ、どうやら奢ってくれる雰囲気だし、断る理由もない。
というか、今さら断れる空気でもない。
「……じゃあ、遠慮なく」
メニューを開きながら、俺はラヴィの好物を思い出そうと頭を回転させた。
◇
食事も一通り済んで、空になった皿を見下ろしながらふと肩の力を抜く。
味も雰囲気も上等すぎて、俺にとってはちょっと贅沢すぎるくらいだったけど――腹も、心も、思いのほか落ち着いてきていた。
ラヴィは俺の膝の上。食後の満足そうな顔で、尻尾をくるんと丸めてうとうとしている。
その柔らかな重みとぬくもりが、やけに心地いい。
そんな静けさの中、唐突に聞こえた声は――意外すぎる問いだった。
「カケル君。君は――未来と過去、どちらが大切だと思いますか?」
「……え?」
フォークを持った手が、空中でピタリと止まる。
咀嚼の余韻も吹き飛ぶ、完全に意表を突かれた一言。
なにそれ。急にどうしたの。
食後の雑談ってレベルじゃない。完全に哲学の導入でしかない。
いやいや、なんで今!?
心の中では盛大にパニック中だが、目の前のローズさんはそんな俺の内心を見透かすように、相変わらず穏やかな笑みを湛えていた。
けれど、その瞳は……真っ直ぐだった。冗談ではない。本気で聞いている。
「え、えーと……」
困った俺の膝の上で、ラヴィが小さく「ん?」と首をかしげる。
見上げるその瞳がきらきらしてて、ちょっと癒されたけど――いやいや、頼れるのは俺だけだ。
「……過去、です」
言葉を選びながら、なんとか絞り出す。
「過去が、その人を作るから……だと思います。
──思い出とか、後悔とか……失ったものとか……大事なことって、けっこうそこに詰まってる気がして」
……あれ? 今、俺けっこう喋ったぞ?
いつもなら《過去、人、作る》みたいに三単語くらいで終わるはずなのに──自分で自分に軽く驚く。
ローズさんも意外そうに眉を動かした気がした。
「ふむ。というと?」
やっぱり掘ってくるか、この人……!
「……でも、未来も大事だとは思います。
過去ばっか見てたら、前に進めなくなるし……その……意味がなくなる気がして」
また口が勝手に動く。
(おかしいな。今日は《言語省略バグ》がオフになってる?)
自分でも説明できないまま、言葉がするりと零れた。
「つまり、両方が大切だと」
「……うーん……はい。たぶん、そう……です」
返事を終えた途端、急に照れくささが込み上げる。
こんなに饒舌になったのはいつぶりだろう。正解があるのかも分からない問いなのに、やけに真面目に答えてしまった。
ローズさんはしばらく指を組み、静かな沈黙を落とす。
時間が引き伸ばされるようで、胸が少しざわついた。
やがて口元をやわらげ――
「なるほど。いいと思います」
そう一言。
褒められたというより、“観察結果に満足”されたような、不思議な感触だけが残った。
少なくとも、怒ってはいない……はず。
そう判断したところで、彼はすっと席を立った。
スマートな仕草でコートの内ポケットから財布を取り出し、何枚かの紙幣をテーブルに置く。
「ごちそうさまでした」
「いえ、こちらこそ」
俺が答えると、ローズさんはちらりと膝上のラヴィを見る。
「……その子、また会わせてください」
静かな微笑み。
けれどその言葉の裏に、どこか探るような――観察者としての視線を感じたのは気のせいじゃない。
後に続いて立ち上がったオリーヴさんは、無言のままぺこりと一礼。
まるで「礼儀」と「任務」だけで構成されたような人物だ。
二人はそのまま、優雅に背を向けて店を後にした。
……なにが目的だったんだ、あの会話。
俺の中に、謎だけが置き土産のように残されたまま。
膝の上で眠るラヴィの、小さく上下する背をそっと撫でる。
その細い背中から、確かな命の温もりが伝わってくる。
――本当に、かわいいな。
言葉にせず、ただ胸の奥でそう思う。
未来も、過去も、正直よくわからないけれど――
この瞬間だけは、きっと間違いじゃないって思えた。
◆
国際警察所属の私、リラは――
この日、カントー地方から遠く離れたガラルの地へと降り立った。
目指すは、ハロンタウン。
ガラル地方南部の外れ。小さな牧草地に囲まれた、のどかすぎる町。
空は青く、風に揺れるウールーの群れが、まるで夢の中の風景のようだった。
……ここね。
私は手にした端末を見つめ、そこに記された名前を胸に刻む。
――カケル。
それが、あの赤子……かつて奇跡のように“現れた”存在の名。
すぐに聞き込みを始めた。
彼がこの町に住んでいたという確証は、オーキド博士から得た情報のみ。
けれど、それでも十分だった。
町の人々に名前を告げると、皆、一様に戸惑ったような顔をする。
まるで、何かを隠しているかのように。
けれど、ある年配の女性が、そっと声を落として教えてくれた。
「娘の面倒をよく見てくれてね……優しいお兄ちゃんだったのよ」
ポケモンを持たず、旅にも出ない。
けれど、引きこもりでもない――奇妙な存在。
「最近ね、一匹だけ、ポケモンを捕まえたって。白いヤトウモリだったかしら」
「それから、旅に出たみたい。……つい、数週間前のことよ」
私はその言葉に、心が一度、静かに波打つのを感じた。
やはり、彼だ。
“白いヤトウモリ”――そんな特徴を持つ個体は、この世界にほとんど存在しない。
確信に近い実感が胸を満たしていく。
タイミングは悪かったかもしれない。でも、まだ間に合う。
――ガラルのどこかに、彼はいる。
「ありがとうございます。」
短く礼を告げると、私は踵を返す。
風が吹き抜け、外套が揺れる。
情報は断片的。けれど、確実に“普通”ではなかった。
ポケモンを持たず、旅にも出ない青年が、ある日突然、白いヤトウモリを捕らえて出発した。
それも、数週間前。
――妙だ。
偶然とは思えない。
彼の存在は、ただの“保護対象”ではなく、現象の中心にいる可能性がある。
このガラルで、何が起きているのか。
そして、彼が“何者なのか”を確かめる必要がある。
それが、私の任務。
……それだけのはずなのに。
わずかに――本当に、わずかに。
心が騒ぐ。