上昇を続けるリフトの中で、ユウリはスマホロトムを取り出した。
階下では今もローズとゲーチスが戦っている。プラズマ団の目的がムゲンダイナにあるのなら、あの場だけで終わるとは思えない。
画面からリラの名前を選び、通話を繋ぐ。
『ユウリさん?』
「リラさん、今ナックルシティにいます! プラズマ団が襲ってきて、ローズ委員長の施設が――」
『把握しています』
返事は早かった。
『こちらでも異常なエネルギー反応を確認しました。現在、現場へ向かっています』
「ブラックナイトの正体はムゲンダイナっていうポケモンらしくて、ダンデさんが今、一人で戦ってるんです」
『分かりました。可能な限り早く合流します。それまでは無理をしないでください』
「はい!」
通話を切る。
その隣では、ホップもスマホロトムを操作していた。
「……また駄目だ」
「カケルさん?」
「ああ」
何度目か分からないメッセージを送ったらしい。
『今ナックルシティで大変なことになってる! これ見たらすぐ連絡くれ!』
送信済みの表示だけが増えていき、返事は一つもない。
「あれからずっと連絡ないんだよな」
ホップの声から、いつもの明るさが少し消える。
「ユウリも連絡取れてないんだろ?」
「うん……」
「カケル兄ちゃん何してんだよ」
怒っているような言い方だったが、本当は心配しているのだとユウリには分かった。
プラズマ団。
そして連絡の取れないカケル。
考えれば考えるほど不安になる。
だが、今はそれより先にやらなければならないことがある。
リフトの上昇が止まり、扉がゆっくりと開いた。
その瞬間、凄まじい衝撃音が飛び込んできた。
「リザードン、ドラゴンクロー!」
「グオオオオッ!」
炎の翼を広げたリザードンが空を駆け、巨大なポケモンへ鋭い爪を振り下ろす。
対するポケモンは、これまでユウリが見たどの生き物とも似ていなかった。
細長い骨格のような身体に、不気味な赤紫色の光を纏っている。空間そのものを侵食しているような禍々しいエネルギーが周囲へ溢れ出し、立っているだけでも身体が重く感じられた。
「あれが……ムゲンダイナ?」
ユウリが呟く。
声に気づいたダンデが振り返った。
「ユウリ! ホップ!」
「アニキ!」
「助けに来てくれたのか!? サンキューな!」
激しい戦いの最中だというのに、ダンデはいつもの自信に満ちた笑顔を浮かべていた。
「でも安心しろ! こいつの能力なのか、こっちはダイマックスが使えなくて少し手こずったが――」
ダンデが帽子を押さえ、ムゲンダイナを見据える。
「チャンピオンタイムも、いよいよクライマックスだぜ!」
リザードンが大きく咆哮した。
ムゲンダイナの身体には、すでにいくつもの傷が刻まれている。ダンデとリザードンがここまで追い詰めたのだろう。
「あと一押しだ! 弱らせたところで俺が捕まえる!」
「さすがアニキ!」
「行くぞ、リザードン!」
ダンデが次の指示を出そうとした、その瞬間だった。
ムゲンダイナの身体から、今までとは比べものにならない量のエネルギーが溢れ出す。
「なっ……!?」
赤黒い光が天へ伸び、空を覆っていた雲を飲み込んでいく。
細長かった身体が崩れ、捻れ、巨大な骨の腕のような異形へと変貌していった。
「なんだよ、あれ……!」
ホップが息を呑む。
巨大化という言葉では足りない。
空そのものを覆うほど膨れ上がったムゲンダイナが、五本の指を思わせる身体を広げる。
次の瞬間、凄まじい衝撃波が放たれた。
「リザードン!」
「グオッ!」
ダンデとリザードンがまとめて吹き飛ばされる。
「アニキ!」
ホップが駆け寄ろうとするが、ダンデは床へ手をつきながら顔を上げた。
「俺は大丈夫だ! それより、来るぞ!」
巨大なムゲンダイナの中心に光が集まる。
「行くよ、インテレオン!」
「頼むぞ、バイウールー!」
二人は同時にボールを投げた。
インテレオンとバイウールーが飛び出し、ムゲンダイナの前へ立ちはだかる。
「インテレオン、ハイドロポンプ!」
「バイウールー、ずつきだ!」
二人が指示を出す。
しかし。
「……え?」
インテレオンが動かない。
いや、動けない。
技を放とうとしているのに、何か見えない力に押さえつけられているようだった。
バイウールーも同じだった。足を踏み出そうとしても、技へ繋げることができない。
「どうしたんだ、バイウールー!?」
「インテレオン!」
二匹は答えるように声を上げるが、やはり攻撃はできない。
「ムゲンダイナの力か……!」
ダンデが歯噛みする。
ムゲンダイナの攻撃だけが降り注ぐ。
インテレオンとバイウールーは避けながら、あるいは身体で受けながら耐えることしかできなかった。
「このままじゃ……!」
ユウリが拳を握りしめる。
何かないのか。
ムゲンダイナへ対抗できる何か。
そのとき、鞄の中から強い光が漏れ出した。
「え?」
ユウリが慌てて中を探る。
取り出したのは、まどろみの森で拾った錆びた剣だった。
隣ではホップの持っていた錆びた盾も同じように光を放っている。
「これ……あの森で拾ったやつだよな?」
「どうして……」
光が強くなる。
やがて二人の手を離れた剣と盾が宙へ浮かび、その周囲に風が巻き起こった。
遠くから、二つの遠吠えが聞こえる。
ユウリが顔を上げる。
空を裂くように二匹のポケモンが現れた。
一匹は青い身体を持ち、もう一匹は赤い身体を持つ狼のようなポケモン。
ユウリたちはその姿に見覚えがあった。
「まどろみの森の……!」
青いポケモンが剣を咥える。
赤いポケモンの身体には盾を思わせる装甲が形成されていく。
姿が変わった。
剣を携えたザシアン。
盾を身に纏ったザマゼンタ。
「俺たちを助けてくれるのか!?」
ホップの問いに、ザマゼンタが力強く吠えた。
「だったら頼む! ザマゼンタ!」
ホップが前へ出る。
隣でザシアンもユウリを見る。一瞬だけ視線が交わった。
「ザシアン、行こう!」
二匹の伝説のポケモンが同時に駆け出す。
先ほどまで技を封じていた圧力をものともせず、ムゲンダイナへ接近していく。
「ザマゼンタ!」
「ザシアン!」
二人の声に応じ、剣と盾が輝いた。
ザシアンの斬撃がムゲンダイナを切り裂き、続けてザマゼンタが真正面から巨大な身体へぶつかる。
ムゲンダイナが初めて大きく揺らいだ。
「効いてる!」
「このまま押し切るぞ!」
インテレオンとバイウールーも、今度は動けた。
伝説の二匹が現れたことで、周囲を覆っていた何かが崩れたらしい。
「インテレオン、ねらいうち!」
「バイウールー、すてみタックル!」
攻撃が次々と決まり、ムゲンダイナの巨体が後退していく。
ダンデも立ち上がった。
「よし! リザードン、俺たちも行くぞ!」
「グオオオッ!」
四方から攻撃を受け、ムゲンダイナの動きが明らかに鈍る。
「あと少しだ!」
ダンデが叫ぶ。
勝てる。
誰もがそう思った。
だが、ムゲンダイナも最後の力を振り絞った。
巨大な身体の中心へ、赤黒い光が集まり始める。
「まずい!」
ダンデの表情が変わった。
空気が震える。
光は見る見る膨れ上がり、周囲の空間まで歪ませていく。
「ダイマックスほう……!」
これまでの攻撃とは規模が違う。
あれをここで放てば、屋上だけでは済まない。
「ここごと吹き飛ばす気か!?」
「止めないと!」
ユウリが叫ぶ。
ザシアンとザマゼンタが動こうとする。
しかし間に合わない。
ムゲンダイナの中心に集まった光が、限界まで膨れ上がった。
「くそっ!」
ホップが歯を食いしばる。
間に合わない。
そう思った、その瞬間。
「――だいもんじ!」
別方向から声が響いた。
同時に、巨大な炎の文字が空を駆け抜ける。
炎はムゲンダイナの中心へ直撃した。
爆風が屋上を飲み込み、ユウリは思わず腕で顔を覆う。
「なに!?」
チャージされていた光が大きく乱れ、ムゲンダイナのダイマックスほうが霧散していく。
炎の向こうから、一匹のポケモンが姿を現した。
赤褐色の身体、背には白煙のような鬣を纏い、威厳に満ちた瞳でムゲンダイナを見据えている。
「エンテイ……?」
そして、その隣には。
「間に合いましたね」
「リラさん!」
リラが立っていた。
エンテイの背から降りると、ユウリたちの方へ軽く手を上げる。
「ずいぶん派手なことになっていますね」
「遅いよ!」
ユウリが思わず叫ぶ。
「申し訳ありません。こちらも途中でプラズマ団に足止めされまして」
リラはそう答えながらも、視線はムゲンダイナから外さない。
「ですが、どうやらギリギリ間に合ったようです」
ムゲンダイナは大きく揺れていた。
先ほどのだいもんじで決定的に体勢を崩したらしい。
その巨体を見上げ、ダンデが笑う。
「ナイスだ! これなら――」
「うん!」
ユウリも頷く。
ザシアンとザマゼンタ。
ダンデとリザードン。
ホップ。
リラとエンテイ。
全員の攻撃を受け、ムゲンダイナはもうほとんど力を残していない。
あとは。
捕まえるだけだった。
マスタードとのバトルを終えたあとも、あの老人は妙に俺へ絡んできた。
「カケルちん、道場にも遊びにおいでよん!」
「……また今度」
「今日でもいいよ?」
「帰る」
「じゃあワシちゃんも途中まで――」
そんなやり取りを何度か繰り返し、どうにかマスタードを振り切った俺はヨロイ島を離れ、久しぶりに自宅へ戻ってきていた。
「……困った爺さんだった」
「ニュート」
ラヴィも疲れたのか、部屋へ入るなり床へ座り込んでいる。
元チャンピオンなのは知っていたけれど、ゲームで見るよりずっと自由な人だった。いきなり寝ているところへとびひざげりを撃たせてくるし、バトルが終わったら終わったで延々と話しかけてくるし、あの歳でどうしてあんなに元気なんだろう。
俺も疲れた。
今日はもう家でゆっくりしよう。
そう思いながら荷物を置いたところで、机の上に見覚えのある物を見つけた。
スマホロトム。
ヨロイ島へ持っていくのを忘れていたやつだ。
手に取る。
画面を点けた瞬間、表示された大量の通知に思わず手が止まった。
「…………」
怖い。なんだこれ。
メッセージ、着信、またメッセージ。そのほとんどが同じ数人から届いている。
特に目立つのがユウリだった。
「百……?」
百を超えている。
なんで?俺、何かした?
恐る恐る一覧を開いてみると、最初の頃は『今どこ?』『大丈夫?』程度だったメッセージが、途中から明らかに切羽詰まったものへ変わっていた。
『カケルさん、連絡ください』
『本当にどこにいるの?』
『見たら返事して』
『お願いだから返事して』
……。怒ってる?
いや、心配されてるのか?
とりあえず返事をした方がいい気はするけれど、百件以上溜まったメッセージを前にすると、今さら何と送ればいいのか分からない。
『ごめん、スマホ忘れてた』
これだけで許されるだろうか。
ものすごく怒られそう。
少し考えていると、その中にホップから届いているメッセージがあることに気づいた。
何件か遡り、一番新しいものを開く。
『今ナックルシティで大変なことになってる! これ見たらすぐ連絡くれ!』
「ナックルシティ?」
ナックルシティで大変なこと。
そこまで考えたところで、一つの可能性が浮かんだ。
「……ムゲンダイナ?」
そういえばユウリのジムチャレンジはかなり進んでいた。
俺がヨロイ島で色違いを探したり、マスタードに襲われたり、ラヴィと原っぱで寝転がったりしている間にも、当然ストーリーは進んでいる。
「もうそこまで行ったのか」
思っていたより早い。
ということは、ブラックナイトが起きている頃だろうか。
ムゲンダイナ。
ゲームでは何度も見たことがあるけれど、本物を見たことはない。
「……見たい」
この世界にいるのだから、一度くらい実物を見てみたい。
「ラヴィ、ナックルシティ行こう」
「ニュート!」
元気よく立ち上がったラヴィを見て、俺も玄関へ向かう。
そこで足が止まった。
「……どうやって?」
ナックルシティ。
ここから歩いて行ける距離ではない。
いや、頑張れば着くのかもしれないけど、到着する頃には全部終わっている気がする。
空を飛べれば早いんだけど。
視線を横へ向ける。
ラヴィと目が合った。
「ラヴィ」
「ニュ?」
「そらをとぶ、できる?」
「…………」
ラヴィが首を傾げる。
俺も首を傾げる。
「……無理か」
「ニュート」
そりゃそうだ。
エンニュートは飛ばない。
何を聞いているんだ俺は。
どうしようかと家の外へ出たところで、ちょうど上空を大きな影が横切った。
「あ」
アーマーガア。
その下には客車が吊り下げられている。
ガラルタクシーだ。
「これだ」
すぐに手を上げる。
運よくこちらに気づいたらしく、アーマーガアがゆっくり高度を下げてきた。
客車が地面へ降り、ドライバーが顔を出す。
「ご利用ですか?」
「ナックルシティ」
「ナックルシティ?」
行き先を告げた途端、ドライバーの表情が曇った。
「悪いけど、今は無理だよ」
「……無理?」
「ナックルシティの上空が大変なことになってるんだ。リーグからも近づかないよう通達が出てる。今あそこへ飛ぶのは危険すぎるよ」
なるほど。
そりゃそうか。
ムゲンダイナが暴れている場所へ飛んでくれと言われても困るよね。
無茶を言ってしまった。
「……」
謝ろうとする。
ごめんなさい、無理を言いました。
それだけなのに、いつものように喉のところで言葉が止まった。
こういうとき本当に不便だ。
なら。(N)
少しだけ意識を切り替える。
自分ではなく、Nならどう話すかを考える。
すると、さっきまで引っかかっていた言葉が驚くほど自然に口から出た。
「まあ、無理だよね。分かっていたよ」
ドライバーが申し訳なさそうに頷く。
「悪いね」
「ううん。こちらこそ無茶を言ってごめん」
ここまではよかった。
「君ならできるかもしれないと、ほんの少しだけ期待していたんだけどね」
「…………」
アーマーガアがこちらを見た。
あれ。なんだろう。
急に空気が変わった。
「ガァ」
低い声。
「いや、責めてるわけじゃ――」
「ガアッ!」
翼を大きく広げる。
怒ってる?
俺、謝ったよね?
ドライバーはアーマーガアの様子を見ると、困ったように頭を掻いた。
「……参ったな」
「?」
「こいつ、乗せていくってさ」
「え?」
「自分なら飛べるって」
アーマーガアが胸を張る。
「ガァ!」
……。
もしかして。煽ってしまった?
そんなつもりはなかった。
ほんの少し期待していたのは本当だし、無理なら仕方がないと思っていた。
でも、言い方が悪かったらしい。
「本当にいいの?」
「ガァ!」
力強い返事。
ドライバーも苦笑しながら客車の扉を開けた。
「こうなったら止めても聞かないからね。ただし、危険だと思ったら途中で引き返す。それでいいかい?」
「ありがとう」
「礼ならこいつに言ってやってくれ」
アーマーガアを見る。
「……頼りにしてる」
「ガアッ!」
さらにやる気になった。
ラヴィと一緒に客車へ乗り込むと、扉が閉じられる。
直後、大きな翼が羽ばたいた。
身体がゆっくり浮かび上がる。
窓の外で家々が小さくなり、やがてガラルの大地が眼下へ広がっていった。
「ムゲンダイナかぁ」
どんな感じなんだろう。
ゲームで見るのと、実際に目の前で見るのではきっと全然違う。
ラヴィも窓から外を眺めている。
「楽しみだな」
「ニュート!」
俺たちを乗せたガラルタクシーは、禍々しい雲が渦巻くナックルシティへ向かって飛んでいった。