鞄には、大量の栄養ドリンク。
頭の上には、白いヤトウモリ。
――ついに、俺は旅に出た。
目指すのはジムでも、リーグでもない。
ただひたすらに、確率との戦い。
その光の一点を、今日も探す。
まずは、ハロンタウンを出てすぐの草原。
朝露に濡れた草が足元をくすぐる。
目の前には、ウールーの群れ。
まるまるした白い身体が、もふもふと跳ねていく。
「黒いウールーはいないかな……」
そう呟きながら、俺は草むらの隙間を覗き込む。
色違いの黒いウールーが出る確率も、当然ながら1/4096。
わかってる。わかってるけど――
期待するのが俺の悪い癖だ。
「ヤトウモリ、どう思う?」
肩の上――いや、いつの間にか鞄の上に移動していたヤトウモリが、欠伸をひとつ。
退屈そうに、けれど機嫌は悪くないらしい。
…ま、そうだよな。そう簡単に会えるなら苦労しない
周囲には、普通の白いウールーばかり。
一匹一匹じっくり観察したが、どれも色は標準通り。
それでも、俺は焦らない。
色違いとの出会いに、急ぐ理由はない。
「よし、次行くか」
ヤトウモリがぴょん、と俺の肩へ戻る。
尻尾を揺らして、少しだけ楽しそうに。
ブラッシータウンの駅。
目の前には、広大なワイルドエリアへの入り口。
どこまでも続く草原と空の境界を眺めながら、俺は思案していた。
「このまま、ワイルドエリアまで行ってみるか――」
そんなことをぼんやり考えていた矢先だった。
「へぇ~……ほんとにポケモン、捕まえたんだ」
不意に、後ろから声がした。
振り向くと、ふわふわしたオレンジのサイドテールに、小さなハートの飾り。
頭には軽くサングラスを乗せていて、どこか大人びた雰囲気の女性――ソニアだった。
「ソニアか」
「やっほ~」
彼女は片手をひらひらと振って、草原の方へ歩いてくる。
距離の詰め方が自然というか、なんというか。昔から人懐っこいんだろうな。
たしか――ストーリー上では、ダイマックスの研究を任されるんだったか。
「ダイマックスの研究、頑張ってね」
反射的にそう言ってしまう。
「あれ? 私、カケルくんに言ったっけ?」
しまった。
ゲーム知識でうっかりネタバレをかますテンプレ。
「……ユウリたちに聞いた」
即座に嘘で誤魔化す。
「ふーん。そっか」
ソニアは深く追及せずに、ふっと微笑んだ。
そして、俺の肩に乗っていた白いヤトウモリを見て、目を丸くする。
「おいで~」
手を差し出すと、ヤトウモリは一瞬こちらを見たあと、ためらいなくソニアの膝へと跳び乗った。
喉を鳴らし、撫でられてご満悦だ。
ああ、懐くんだな。
「珍しい色だね」
「色違い」
「この子が!? すご……初めて見たかも。ホント、カケルくんってポケモンに詳しいんだね」
――それ、ゲームの知識なんだけどな。
ただの色違いオタクです。ええ。
「博士志望なんじゃないの? 色違いだからこの子、ゲットしたんでしょ? 研究のために?」
その言葉に、俺は静かに首を振る。
違う。
博士になりたいわけじゃないし、研究もしていない。
ただ、そういう“光”に惹かれた。それだけだ。
けれど口から出た言葉は――
「この子が、一人でいたから」
ああ、またこれだ。勝手に“それっぽい”ことを口にしてしまう。
別にそんなつもりで言ったわけじゃ――
ソニアが、はっとしたように目を伏せた。
「……なんか、ごめん」
「いいよ」
少しの沈黙。
気まずい空気が、草原に広がる。
けれど、ソニアはすぐに気持ちを切り替えたように、ぱっと立ち上がる。
「じゃ、私そろそろ行くね!」
そう言って、手を振りながら軽やかに歩き出した。
背中越しにサングラスがきらりと光る。
きっとあの明るさも、“研究”の重さを隠す仮面の一部なのかもしれない。
「助かった……」
俺は小さく呟き、ヤトウモリを見下ろす。
すると、タイミングを計ったように、ヤトウモリが俺の頭へぴょんと飛び乗ってく
◇
ワイルドエリアへ向かう電車の車内は静かだった。
朝の光が窓から差し込み、揺れる景色を淡く染めている。
座席に身を預けた俺は、白いヤトウモリと並んで外を眺めていた。
小さな体は俺の鞄の上にちょこんと乗り、興味深そうにきょろきょろと目を動かしている。
車窓を流れる風景、座席のシート、天井の蛍光灯――
そのすべてが初めての世界で、すべてが珍しいのだろう。
しばらくして、ヤトウモリは俺の膝の上にぴょんと飛び乗った。
じっとこちらを見上げてくる。
その目は、何かを求めているようで――
だけど、それが“食べ物”ではないことくらい、わかる。
「お腹、空いたのか?」
問いかけると、小さく首を傾げた。
違う。そうじゃない。
俺は、そっと手を伸ばしてヤトウモリの頭を撫でる。
細やかな鱗の感触。思ったよりも温かい。
目を細めて、ヤトウモリは小さく喉を鳴らした。
すり寄るように身を預けてくる。
そういえば名前…
そのとき、ふいに――
言葉が、口をついて出た。
「……ラヴィ」
ぽつりと。
どこか遠くを見つめるような気持ちで、俺はそう呟いた。
音の響きが、やけにしっくりきた。
静かに、優しく、けれど確かにそこにある名前。
ラヴィ。
この子の、名前だ。
ヤトウモリは俺の膝の上で、喉を鳴らしながらくるりと丸くなる。
嬉しいのか、安心したのか、目を細めて眠るような顔をしていた。
電車はゆるやかに走り続ける。
次の目的地へ。
俺と、ラヴィの二人で。
ワイルドエリアに着いた。
電車の扉が開いた瞬間、風の匂いが変わった。
広がる大地、濃い緑、そして遠くに見える巨大な巣穴の光。
ガラルの心臓とも呼ばれる場所――ここが、ワイルドエリア。
俺は伸びをする。ポキポキと肩が鳴った。
すぐ後ろで、白いヤトウモリ――ラヴィが小さくあくびをして俺に続く。
「さて……まずは何をしようか」
そう自問しながら、俺は目の前の光景を見渡す。
たくさんのポケモンたちがのんびり歩き、空を飛び、時折地響きを立てる。
だが俺の目的は――
もちろんポケモンバトルではない。
いま大事なのは、これだ。
・インドメタシン×18本
・リゾチウム×26本
・ブロムヘキシン×1本
俺の鞄の中にぎっしり詰め込まれた、高級ドーピングセットである。
財布が泣いてる。
実際、あれから何本かはラヴィに飲ませた。
だが――減らない。全然減らない。
鞄はまるで岩のように重い。
「よし、今日も1本」
俺はインドメタシンの蓋をカチッと開け、差し出す。
ラヴィはちょっとだけ首をかしげ、それでも器用に前足で支えてちゅーっと飲みはじめた。
口元をちろりと舐めるその姿が……いや、可愛すぎか。
「頑張って全部飲んだら、もっと強くなれる」
もちろん、これはトレーナーとしての“育成の儀式”であって、決して虐待ではない。多分。
さすがに一気飲みはやめた。常識人だから。
とにもかくにも、栄養ドリンクをすべて飲み終わるまではバトル禁止だ。
努力値が変なところに入ってしまうと目も当てられない。
というわけで、今日も俺たちは色違いポケモンを探して歩く。
このワイルドエリアのどこかに、運命の輝きを持った一匹がいる――そう信じて。
そして―― 一週間後。
当然だが、色違いとの出会いは、まだ無い。
それでも、まったくの無駄だったわけではない。
かつて岩のように重かった俺の鞄は、いまや驚くほど軽い。
そう――栄養ドリンク、全消費完了。
「よく頑張ったな、ラヴィ」
俺の頭の上で、白いヤトウモリが自慢げに尻尾を揺らす。
一週間かけて、インドメタシンもリゾチウムも見事に飲みきった。
副作用どころか、最近は普通のきのみジュースじゃ満足できない顔をする始末。
「まさか、ドリンクの味、気に入った……?」
ポケモンフードに戻すと、露骨に“えっ”という顔をする。
いや、ダメだからな?高いんだから。俺の財布が干上がる。
ともあれ、強化は済んだ。
あとはレベルを上げ、進化の時を待つだけ。
戦いの中で、ラヴィは確実に力をつけてきた。
俺は今、ワイルドエリアの広い草原に立っている。
遠くから飛来するのは――ココガラの群れ。
鋭い鳴き声を上げながら、空を切ってこちらへと突っ込んでくる。
それを前に、ラヴィが前脚を踏み出す。
その白い体に、熱が集まる。
「ラヴィ――“かえんほうしゃ”」
一言。
次の瞬間、紅蓮の奔流が放たれた。
轟音とともに放たれたそれは、空を薙ぎ払う灼熱の帯。
炎は弧を描き、飛び込んできたココガラたちを一掃する。
焼けた羽根が空に舞い、草の上に煙がたちのぼる。
ラヴィは、すっと胸を張った。
堂々として、誇らしげで――
そして、誰よりも綺麗だった。
俺はその姿を見つめながら、口を動かさないまま呟く。
(……すごいな)
表情は変えず、でも胸の奥では小さく拳を握っていた。
ちなみに、ラヴィが最初から“かえんほうしゃ”を使えたのには理由がある。
以前一人旅の途中に、偶然拾った《技レコード》――
それを見た瞬間、俺は確信していた。
「これ……使える」
見れば、《かえんほうしゃ》と書かれていた。
ヤトウモリには超強力。
そしてラヴィは、それを一発で覚えてくれた。
……まぁ、使い捨てだったらしいけど。もったいなかったかな。
でも、それが今、こうして威力を発揮しているのだ。
この一週間で、確実に相棒は“力”を手に入れたのだ。
夕暮れ。
茜色の空がワイルドエリアを包み、草原の影がゆっくりと伸びていく。
風が穏やかに吹き抜け、ポケモンたちの鳴き声が遠く微かに響いていた。
このあたりの生息ポケモンは、もうだいたい把握した。
黒いウールーも、黄色のココガラも、見かけてはいない。
――今日も、成果なし。
まぁ、いつも通りだ。
そんな簡単に出会えるなら、とっくにこの旅は終わっている。
「……次はエンジンシティまで行こうか」
独りごちて、草原の一角にテントを設営する。
これも随分手慣れてきた。以前までの一人旅では、夜が怖くてたまらなかった。
暗闇の中で眠るたびに、背後に気配を感じたり、遠吠えに身を強張らせたりしていた。
けれど、今は違う。
ラヴィ――あの白いヤトウモリがそばにいるだけで、こんなにも安心できるなんて。
一人じゃないというのは、これほど心強いことだったのか。
夕飯は、ささやかなキャンプ飯。
小さな鍋にスパイスと具材を投げ込み、ゆっくりかき混ぜながら火を通す。
じわじわと立ち昇る香りが、空腹を刺激する。
「もうすぐだよ」
そう声をかけると、ラヴィがテントの入口から顔を覗かせた。
鼻をひくつかせながら、ぱたぱたと小走りで近寄ってくる。
その様子が、あまりにも自然で、可笑しくて。
思わず笑ってしまった。
本当に――旅って、いいものだな。