エンジンシティ。
ジムチャレンジの開会式を終え、私とホップは、次なる目的地――ターフタウンへと向かおうとしていた。
煌びやかな街並みと蒸気の立ちこめる工場群、その中を抜ける風が少しだけ熱を帯びている。
そんな時だった。
前方、レンガの坂道をのんびり歩いていたひとりの男性の姿に、私は思わず足を止める。
あの、白い影。
「――あ!カケル兄ちゃん!」
ホップの声が響いた。
間違いない。
あれは、カケルさんだ。
旅立ち以来、会えていなかったけど……頭の上に乗った、白いヤトウモリがなによりの証拠。
彼は、ゆっくりとこちらに振り向いた。
どこかぼんやりとした表情。でもその瞳は、まっすぐだった。
「順調?」
それだけ。とても短い言葉。
けれどその一言が、なぜか胸に染みる。
彼の言葉には、飾り気がない。まるで、ただ様子を見にきたような……でも、やっぱりちょっと嬉しかった。
「いま、開会式が終わったとこ」
私がそう言うと、カケルさんはこくりと頷いた。
「そっか」
その声音は穏やかで――けれど、何かを見透かしているような、不思議な響きがあった。
あ……そうだ。今なら、バトルを――!
そう思った瞬間。
「そうだ!カケル兄ちゃん!俺とバトルしようよ!」
ホップが元気よく声を上げた。
――ぐぬぬ。先を越された。
「うーん……いいよ」
少し間を置いて、カケルさんは承諾した。
言い方は気乗りしない風だったけど、それでも断らなかったことが嬉しかった。
「カケル兄ちゃんは一匹だから、こっちも一匹で」
ホップはそう言って、モンスターボールを軽く放る。
中から現れたのは、彼の相棒――ヒバニー。小さな体に闘志をみなぎらせて跳ねるように着地する。
それを見たカケルさんの頭の上から、白いヤトウモリがすっと跳び降りた。
軽やかに、静かに。
まるで彼の意思とつながっているような動きだった。
そして、しゅっと前脚を揃え、鋭く構える。
その姿は小さくて――でも、どこか品があって、美しい。
私は息をのんだ。
あぁ、やっぱりこの子……普通じゃない。
ただの“色違い”なんかじゃない。
この子と一緒にいるカケルさんも、きっと――。
このバトル、目を逸らしたら――もったいない。
「いけっ! ヒバニー! でんこうせっか! 左からだ!」
ホップの掛け声と同時に、ヒバニーが疾風のように走り出す。
その動きは速い――私が見ても、追いきれないほどに。
だけど――
「えっ……!?」
カケルさんのヤトウモリは、何の指示も受けていないのに。
まるで、もうその動きが読めていたかのように。
ひょい、と軽やかに跳ねて、攻撃を――躱した。
それだけじゃない。
「スモッグ」
カケルさんが口にしたのは、それだけ。
無駄のない、ただ一言。
その瞬間、ヤトウモリの口元から黒紫の煙が吹き出した。
煙は渦を巻き、まるで意志を持っているかのようにヒバニーを包み込む。
「ヒバニー!! くっ! にどげりだ!」
ホップの声に反応し、ヒバニーが懸命に突っ込んでいく――
だが。
――また、躱された。
いや、躱したというより、受け流した。
ヤトウモリが前脚でヒバニーの足を軽く払い、その体勢を崩す。
なんて……しなやか。
まるで水面を舞うような、静かで、鋭い動き。
「ひのこ」
火の粉が、宙を舞った。
その熱が伝わってくるほどに近く、鮮やかで、儚い一撃。
タイプ的には効果が薄いはずなのに――ヒバニーはその場でふらつき、倒れた。
「ヒバニー……! うわ、さすがカケル兄ちゃん! バトルも強いんだな!」
ホップが驚いたように笑って、ヒバニーをボールに戻す。
一方で、ヤトウモリはというと、少し誇らしげに尻尾を揺らしていた。
火花を纏ったその瞳が、少しだけこちらを見た気がする。
なんだろう、この感じ。
まるで――舞台の上で踊るダンサーを見ているような。
ひとつの技に、あれほど“美しさ”を感じたのは初めてだった。
カケルさんとホップは自然と握手を交わしていた。
互いを讃え合うように、言葉はなくても、その手の熱が伝わる。
私はただ、黙ってそれを見ていた。
見惚れていた、といった方が正しいかもしれない。
そして、私も。
「カケルさん! 私ともバトルしよう!」
思わず、声が出ていた。
ホップとあんなに楽しそうに戦って――
私も、あんな風に笑って、強くなって、褒められたかった。
けれど。
「……うーん」
カケルさんは少しだけ困ったような顔をした。
眉尻が下がり、視線がわずかに逸れる。
その仕草が、はっきりと「断ろうとしている」のだと分かって――胸がぎゅっと痛んだ。
「ダメなの?」
私の声は、小さく震えていた。
「ダメじゃないんだけど……弱いからさ」
……え?
一瞬、意味が分からなかった。
それでも、頭の中でその言葉が何度も繰り返される。
“弱いから”――
私が……?
ホップよりも……? 弱いから?
思考が止まる。喉が、からからに渇いて、声が出ない。
目の前のカケルさんは、そんな私の反応に気づかないまま、ぽつりと付け加えた。
「ほら、まだ弱いからさ」
……やっぱり、そう言った。
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
言い返せなかった。
さっきのヤトウモリとのバトルが、あまりにも完璧すぎて――あまりにも、遠すぎて。
でも、でも……
それでも、私は――
「で、でも! 私だって……!」
必死に声を絞り出す。
だけど。
「もっと強くなってからね」
カケルさんは、優しく笑って、私の頭に手を伸ばした。
撫でられる髪が、やけに重く感じた。優しさが、酷だった。
「……わかった」
私は視線を逸らして、走り出した。
止まったら、泣いてしまいそうで。
誰かに顔を見られたら、崩れてしまいそうで。
「ユウリー!? おい、待てって!」
ホップの声が後ろから聞こえる。
でも、私は立ち止まらなかった。
お願い、誰も見ないで――
今の私の、情けない顔なんて……!
……バトルしたかった。
挑戦したかった。
勝てなくても、見てほしかった。
なのに。
――どうして、“挑む資格がない”みたいに言うの?
その言葉は、あまりにも私にとって強すぎた。
心の奥が、火照って、痛かった。
◆
ホップとのバトルが終わった。
ふぅ、と息をつく。――トレーナーとの初バトル、上出来だったと思う。
ヒバニーの機動力には少し驚いたけど、うちのラヴィが落ち着いて対処してくれた。
火傷ひとつない完勝。
さすがは俺の相棒だ。誇らしげに尻尾を揺らしている姿が、めちゃくちゃ可愛い。
……まあ、かえんほうしゃは封印したけどな。
あんなの本気でぶっ放したら、ヒバニーが黒コゲになってしまう。あれはもはや技というより兵器だ。
うん、配慮は大事。俺は紳士だから。
そう思っていたら――来た。
主人公ムーブの少女が、目を輝かせてこっちに歩いてくる。
「カケルさん! 私ともバトルしよう!」
まっすぐな瞳。
まさに“主人公”らしい強い気持ち。……うん、知ってる。ユウリはそういう子だ。
でも。
「うーん……」
考えは変わらない。
俺がどれだけあがいたって、この世界はユウリが“勝つように”できている。
ジムチャレンジだって、チャンピオン戦だって、最終的に彼女が頂点に立つ。
……いや、それを羨んでるとかじゃないんだ。俺はそこに執着してない。
ただ、バトルってのは“勝ち目”があってこそ意味があると思うんだ。
「ダメなの?」
ユウリが小さく問いかけてきた。
あ……しまった、少し真剣すぎたか?
でも、嘘はつきたくない。だから俺は、率直に言った。
「ダメじゃないんだけど……(俺が)弱いからさ」
ラヴィもまだ進化してないし、俺自身トレーナーとしては素人同然。
ホップとのバトルだって偶然が重なった面が大きい。
「ほら、(俺)まだ弱いからさ」
だから、もっとちゃんと準備してからじゃないと。
「もっと強くなってからね」
そう付け加えて、彼女の頭を軽く撫でた。
誤解されないように、優しく。あくまで、気を遣って。
……これで分かってくれたらいいんだけど。
ユウリは俯いたまま、かすかに――
「……わかった」
とだけ言って、走り出していった。
「ユウリー!? おい、待てって!あ、カケル兄ちゃん、またな!」
ホップが慌てて後を追っていく。
……うん、若いな。青春ってやつだ。
俺は頭の上に戻ってきたラヴィを撫でながら、小さく息をついた。
ラヴィは不思議そうに首を傾げている。