夕暮れ時。
茜色に染まった空が、ゆっくりと夜の帳に飲まれ始めていた。
人気のない草原の片隅に、小さなテントを設営する。
風が涼しくて、火照った身体に心地いい。
一仕事終えたあと、深く息を吐いて空を見上げた。
「……ふぅ」
傍らでは、ラヴィが俺の荷物の上にちょこんと腰かけている。
いつの間にそこに乗ったのか、わからないくらい静かだった。
背中を真っすぐにして、尾を小さく揺らしている姿が妙に誇らしげだ。
ふと、気配を感じて前を向くと――
ラヴィが俺の目の前に立っていた。
口には、小さなボール。
俺の鞄から勝手に取り出してきたらしい。
しっぽを揺らしながら、小さく「ンッ」と声を出す。
「……遊びたいの?」
ボールを差し出すラヴィの目は、まるで子どものようにきらきらしていた。
仕方ないな――
そう思いながら、ラヴィの頭を軽く撫でてやると、うれしそうに目を細めた。
俺は地面にボールを転がす。
それと同時に、ラヴィは風のように駆け出した。
静かな草原に、ボールの転がる音と、ラヴィの軽やかな足音が響く。
ラヴィはボールをくわえて戻ってくると、俺の前にぽとりと落とした。
そしてしっぽをふりふり、また期待に満ちた目でこちらを見上げてくる。
もう一度、ボールを転がす。
ラヴィは今度は小さく助走をつけて、跳ねるようにボールを追っていった。
オレンジから藍色へと変わりゆく空の下。
テントの前には、ただ俺とラヴィだけ。
どこにも急ぐ必要はない。
誰に見せる必要もない。
俺たちだけの時間が、静かに流れていた。
翌朝――。
薄明かりがテントの隙間から差し込んでくる。
俺は、ぬくもりを抱きしめながら目を覚ました。
「……ん?」
腕の中にあるのは、白い……長い? 滑らかな鱗の感触。
時間を確認する。
まだ早朝だ。二度寝しても全然いい。……でも。
「え?」
腕の中で眠っているのは、昨日までの小さなヤトウモリじゃない。
よりしなやかで、優雅なラインの――白いエンニュート。
「……マジ」
俺は一気に目が覚めた。
進化……したのか、ラヴィ。
寝てる間に……お前、勝手に進化したのか。
その瞬間を見られなかったのは、少し悔しい。
だが、それ以上に――
「ラヴィー! すごいぞー!」
思わず声が出た。
無表情のまま、内心はテンションが爆上がりだ。
そっと撫でてやると、ラヴィは半分寝ぼけながらしっぽをパタンと振り、俺の頭を軽くはたいた。
「……起こすな、ってか?」
薄目を開けたラヴィが、うっすらとこちらを見てから、再びまぶたを閉じた。
その表情は、ちょっとだけ不機嫌そうで――でも、どこか安心したようにも見えた。
「……もう少し寝るか」
結局、俺はもう一度ラヴィを抱きしめた。
白い鱗が朝の冷気をやわらかく遮り、まるで高級な毛布みたいにあったかい。
◆
「メッソン!《みずのはどう》!」
鋭い声が、静かな丘に響く。
小さな青い身体がふるえながら、手元に渦巻く水の波動を集める。
指先から放たれた技は一直線に大岩へ――けれど、乾いた音を立てて弾かれた。
……だめ。全然、足りてない。
ユウリの胸の奥に、冷たいものが落ちる。
(遅い。動きが――)
思い出すのは、あの日の戦い。
――白いヤトウモリ。
カケルさんの指示を待たずに、まるで心を読んだように動いた、あのポケモン。
火花のように速く、獣のように鋭く――そして、美しかった。
「もう一回! 《みずのはどう》! ……《みずのはどう》!」
叫ぶたびに、声がかすれていく。
自分でもわかってる。焦ってる。余裕なんてない。
でも止まれない。止まったら、もう――置いて行かれてしまう気がして。
「《みずのはどう》!!」
振り絞るように声を出したとき。
「ユウリ! ユウリ! もうそろそろ休憩にしようぜ!」
ホップの声が飛んできた。
反射的にそちらを見て、それから――ようやく、気づいた。
「……あ」
メッソンが、その場に座り込んでいた。
肩で息をし、目をうるませて、苦しそうにこちらを見上げている。
……こんなになるまで、何も気づかなかった。
「……ごめんね、メッソン」
しゃがみ込んで、そっと抱きしめた。
ひんやりとした身体。けれど、その震えは冷たさのせいじゃない。
一生懸命に応えようとしてくれてた。あたしの無茶に、全力でついてきてくれてた。
(なにやってるんだろ、あたし……)
本当は、一緒に強くなりたかっただけなのに。
いつのまにか、追いつきたいって気持ちが暴走してた。
カケルさんみたいに。
白いヤトウモリみたいに。
あんな風に戦えたら――って、そればかりを思ってた。
「メソッ!」
そんなあたしの胸を、メッソンの小さな手が突いた。
見上げるその瞳は、泣いてなんかいない。
悔しさも、情けなさも、全部飲み込んで――握った拳を、前に差し出してくる。
まるで、「大丈夫。次は一緒に頑張ろうよ!」って言ってくれてるみたいに。
「……うん、ありがと。メッソン」
胸がぎゅっと締め付けられる。
でも涙は見せたくない。だって、あたしはトレーナーだから。
「でも、まずは……お昼ご飯、食べよっか!」
笑いながらそう言って、メッソンの手をしっかり握る。
小さな掌があたたかくて、少し震えていて――でも、ちゃんと力がこもっていた。
負けない。
あたしも、メッソンも。
ホップにだって、負けたくない。
――そして、いつか。
「カケルさん、あたしも…強くなったでしょ?」
そう胸を張って言えるように。そう思ってもらえるくらいに。
私は、前を向いて歩き出した。
◆
お、イーブイの群れだ。
その姿に足を止める。ふさふさの尻尾を揺らしながら草原を駆け回るその姿は、誰が見ても可愛い。
……が。
「……イーブイは、いいか」
ぽつりとそう呟いて、すぐにその場を後にした。
色違いじゃないなら、見惚れても仕方ない。可愛いけどな。
バウタウンに到着した。
ガラル地方の中東部にある港町。レストランや市場の並ぶ、賑やかな観光地だ。
海風が心地よく吹き抜け、鞄の上のエンニュート――ラヴィの白い尻尾がふわりと揺れた。
俺の旅は観光じゃないけど、たまにはこういう場所も悪くない。
「買い物でもするか……」
そう思いながら市場を眺めていると、海辺に立つ釣り人の姿が目に入った。
釣りか――。
そういえば、転生してからまだ一度もやってなかったな。
金のコイキング……なんて引き当てちまったら、運命感じる展開だよな。
俺は即決で釣り竿を購入すると、海沿いの釣りスポットへと向かう。
人気の少ない、防波堤の先。
釣り座は静まり返っていて、波音だけが聞こえる。
穴場ってことか。いいじゃないか。
針を垂らし、海を見つめる。
ラヴィは俺の肩に移動し、しばらくしてから――
「……くぅ」
退屈そうにあくびをひとつ。
「……釣れたら見せてあげる」
そう言って、俺はもう一度、静かな海を見つめた。