桜の胸元からじんわりと血がにじみ出ている。刺された箇所そして刀の切っ先からこぼれていくそれが命の終わりを彼女に突きつけている。
━━━私…本当に死んでしまうの………
桜はこれまで何度か命の危機を感じた事があったが今回は別格だった。明らかに正中線を通っている。致命傷だ。
「サオリ…そんなに私の事が憎かったの…?」
桜はぎこちない動きで背後を見る。そこには冷たい眼差しで桜を見つめているサオリがいた。
「貴方を憎んでいるのではありません。私が憎んでいるのはサリトリア人だけです。」
「なら私を…殺す必要はない…だろ…ごほっ…」
「いえ、あります。貴方はあそこで倒れているサリトリア人を滅殺することを阻んだ。理由はそれだけで十分だと思います。」
「なんだよ……それ……うぐっ!」
サオリは桜の首根っこを後ろから掴み持ち上げる。桜はもがくが彼女の腕は石のように動かない。彼女は更に桜を追い詰めるため桜に刺さっている刀を鍔が桜の背中にピタリとつくまで押し込む。
「ぐ……うう…いたい……やめてよサオリ…」
桜はあまりの痛みに抵抗する気力を完全に削がれ腕をだらりと下げてしまった。
「ふ、造作もない。」
サオリが桜に刺さっていた刀を引き抜くと貫かれた場所から血が吹き出し、返り血がサオリの袴を濡らし真っ赤に染め上げるのと同時に桜の命が尽きかけるのを彼女は肌で感じ思わず笑みをこぼした。
もう桜になんの余力もないことを悟った彼女は桜から手を放す。支えを失った桜は重力に従いどさりと床に落ち、うつ伏せになる。
「貴方が悪かったんですよ…」
サオリは寂しげに別れを桜に告げると今度は司馬龍の方へ向く。次はお前だと言わんばかりの眼差しを彼女へ向ける。
「……ッ!」
今までの光景を全て目の当たりにしていた司馬龍は怒りを込めた一歩を踏み出すが目の前を孔の腕が阻む。
「何故じゃ…何故止める、孔。そなたも怒りに燃えてるであろうに。」
「ですがダメです。これ以上の戦闘は体に障ります。」
これ以上の犠牲を出さないためにも孔が今すべきことは司馬龍をなんとか踏みとどまらせサオリとどうにかして和解することだ。そのためにはなんとしてもこの暴走しかけている龍を止めなければならない。それが出来なければきっと彼女はまた"あの力”を使ってしまうだろうから━━
「来ないのですか?それならこちらから参りますが。」
サオリはあくまで事務的な声でこちらを煽ってくる。今の彼女にとって司馬龍も孔もユイ殺害のためのただの障壁にしか過ぎない。
「もう我慢できぬ!どけ、孔!」
「ああっ!ダメです!龍殿!」
我慢の限界に達した司馬龍は孔の腕を蹴り上げ強引にサオリの方へ向かう。
「むきになったところで勝てませんよ」
「知らぬわ!妾が滅すと決めたものは必ず滅するのみじゃ!」
司馬龍は力強く刀を振り下ろすのに対しサオリは冷静に受け止めカウンターを放つ。しかし司馬龍はそれを華麗に回避しさらにもう一撃攻撃を加える。
「くっ……」
サオリはそこまでパワーやスピードがあるわけではなく、あくまで自身の能力と技巧で闘う剣士のためパワー特化の司馬龍とは相性がイマイチである。桃と桜の二人を圧倒していたとはいえ体力は消耗している。その上次の相手は司馬龍、サオリは冷静を装ってはいるが勝算はその前の二人よりも低い。
「ははっ!その程度か!?妾はまだ行けるぞ!」
「私も…まだ負けていません!」
司馬龍の一瞬の隙を突きサオリもカウンターを食らわせる。視界外からの攻撃に反応が遅れた司馬龍は左の二の腕に彼女の突きを受ける。腕を貫通した刀を素早く倒し引き抜く。血が飛び散り即座に司馬龍の左腕が使い物にならなくなる。
「そなたもなかなかやるの…。その技巧は褒めてやろう。」
「上から目線で言わないで下さい!」
司馬龍の強者の余裕から来る煽りに激昂し拙い斬撃になってしまう。司馬龍がその隙を見逃すはずがなく右足で脇腹に蹴りを食らわす。
「ぐっ…げほっ…げほっ…」
「まだ終わらぬぞ。」
後ろによろめいたサオリをすかさず追撃する。今度は力ではなく速度でサオリを追い詰めていく。サオリは防御が追いつかず体にいくつもの切り傷をつけられる。
「ハァッ…ハァッ…」
荒い息遣いでなんとか呼吸を整える。刀を床につきたて支えにして立っている。
「なんじゃ?息切れか?フッ…無理もない。桃に桜の相手をしたからの。そろそろ体力も限界じゃろう。」
「く…舐めないで下さい…私はまだ……ッ!?」
サオリが刀を持ち上げ立ち直ろうとしたときだった。突如として彼女の体は鎖で縛られたように動けなくなってしまう。
「う…動かない…どうして…」
渾身の力を込め動こうとするが体はピクリとも動かない。それを見た司馬龍は口の端をスッとあげ
「それはそなたの体の節々に契を打ち込んだからじゃ。」
「契…?」
サオリはわからず聞き返すしか無かった。
「そうじゃ。契を打ち込まれた箇所は体から切り離されたのと同義。どれだけ力を入れても動けぬ。」
「そんな……くっ…うう…」
サオリはただ正面に佇んでいる司馬龍を睨みつけることしか出来ない。その司馬龍は今ゆっくりとこちらに近づいて来ている。刀をゆっくりと持ち上げる様子はまるで処刑台のギロチンのようだ。
「覚悟…サオリ…」
(私はまだ…こんなところで……!)
サオリは目の前に迫っている死に心の奥底から抗おうとするが肝心の体は言うことを聞いてくれない。もう駄目だと確信したとき。突然として処刑者の歩みが止まる。
「…!?」
彼女は小さく舌打ちをすると刀から手を離し口元を抑え始める。刀が床に落ち甲高い金属音を鳴らすのと同時に司馬龍は咳き込み始めた。
「くそ…何故よりによってこんな時に…ごほっ…」
サオリが司馬龍の手元を見るとその指の隙間から赤い液体が溢れ、彼女の腕を伝っているのが見えた。その瞬間先程までサオリを拘束していた鎖は解き放たれ、司馬龍は更に激しく咳き込み始める。
「どうしたんですか、龍さん。もしかして貴方のほうがピンチだったりしますか?」
「う…うるさいわ!だまって…ッ!げほっ…ごふっ…あぁ…」
もう抑えきれなくなったのか手を口元から放し、床に跪くような姿勢になって血を吐いている。心臓を押さえ苦悶の表情を浮かべている。
(ここまで反動が大きいとは……このままでは妾もサオリにやられてしまう……もう少しだけでいい…もう少しだけ持ってくれ…この体!)
司馬龍は床を強く叩き再度刀を持つ。そしてその刀を杖代わりにして立ち上がる。足は震え顔色も悪い。首元を嫌な汗がなぞってくる。しかしここで倒れるわけにはいかないと自分を鼓舞し構え直す。
「う…嘘…あの出血量でまだ立ち上がるんですか…」
サオリは信じられないといった顔で司馬龍を見る。
「何をしておる…さあ、構えよ。次の一合で全てを終わらせるぞ。」
司馬龍は刀をゆっくりと後方へ送りその一撃の準備をする。サオリはそれを受け止めるべく脇差を抜き構える。両者はどちらも眉毛の一本すら動かさない。やがてあたりが沈黙が包み二人の視線だけが熱く、激しくぶつかり合っている。二人にはその時間が永遠に感じられるほど長い。
━━━今!
ほぼ同時に二人は駆け出しほぼ同時に刀を振り抜く。司馬龍は逆袈裟にサオリは二本の刀をクロスさせるように切り下ろす。そうしてまた再び沈黙が訪れる。
「く……かはっ…」
その沈黙を破ったのはサオリの喀血だった。彼女の刀は真っ二つに折れ司馬龍の剣先からはサオリのものと思われる血が滴りおちている。遅れてサオリの胸元から血が吹き出す。
「勝負あり…じゃな。」
「な……なんで…斬った感触はあったのに…」
サオリはやるせない表情を浮かべながら膝から落ちる。
「妾にその剣、突き立てたいのならあと三年…いや、五年は要るな。」
そう言うと司馬龍はサオリのもとに近づき彼女の顎に手をやる。そして優しく持ち上げ、微笑みかける。サオリはこの後に待っている自身の結末を想像し涙を流す。
「い……いや…」
サオリは頭を小さく揺らして訴えるが司馬龍の手を止めることは出来ない。ついにはその恐怖に絶えきれず失禁してしまう。
「無様だな…だがこれがそなたの結末じゃ。しかと受け止めよ。」
サオリの醜態を見た司馬龍は憐れみさえ覚えてしまいそうになるが、そのような心には戸を閉め刀を大きく振り上げる。サオリは目を見開いて大粒の涙を流している。
「そんな……私はまだ……死にたくないのに……」
「それは桜も同じじゃ。では……さらばじゃ。」
そう言うと司馬龍は刀を振り下ろしサオリの首を断つ。完全に制御を失った彼女の体は多少の痙攣を起こしながらその場に崩れた。司馬龍をはその様子をしっかりと確認し刀に付着した血を振り払い鞘に納める。
「……ん?」
後方から誰かのすすり泣く声が聞こえてくる。
「そんな…桜さん…嫌ですよ…」
仰向けになった桜の傍ですがりつくようにしてユイが泣いていた。その傍には桃が立っておりユイの背中を擦っている。
「そうか…桃。起きたのか。命に別状が無くてよかったのう。」
とりあえず現実から目を背けてみる。きっと桜も大事ではない。そう信じて少女たちの元へ近づく。
「……すみません…私には無理です……」
孔が申し訳なさそうに顔を落とす。司馬龍も流石に認めざるを得ない。桜がもう助からない状態にあるということを。
「ユイ…アンタの魔法でどうにかならないのか?」
「私にも出来ません…まだ魔力が回復していませんし…それに、桜さんには……魔術骨格がありません…」
魔術骨格とは人体の内部にある骨から成る骨格とは別に存在し、魔力から形成されるものだ。人によって強度は異なるがこれが強ければ強いほど体内に蓄積できる魔力の総量は増える。また
「魔術骨格が…ない…じゃと?」
司馬龍も初めて聞いた。いままで魔術骨格の強度が低い人間には数え切れないほど会ってきたがゼロは見たことがなかった。あまりの衝撃に言葉を失う。
「はは…みんな……そんな悲しい顔するなよ…」
「アンタが死にかけてんだぜ…悲しい顔しねぇやつがいるかよ、ばか…」
「馬鹿はひでぇな。もうちょっとやさしい言葉でけなせよ。」
桜の命はほとんど消えかけていた。それでも仲間を悲しませたくない。その一心でなんともないかのように返事をする。
「桜さんっ!私…貴方がいなくなったら…どうすれば…」
「どうもこうもしねぇよ。桃といっしょに旅すりゃあいい。私がいなくなってもユイは大丈夫だ…」
「私はもっと…貴方といたかった…」
「泣かせてくれるな…だがなユイ。人間なら誰しも別れが訪れる。それは私たちも例外じゃない。」
「でも…こんなのあんまりですよ…!」
ユイは涙を拭う袖をぐしゃぐしゃに濡らしながら桜に訴えかける。
「むりだ…私は死ぬ。それは変えられないんだ。」
段々と桜の声が小さくなる。ユイは彼女の手を強く握りしめもう片方の腕で抱き寄せる。桜の体はユイの想像していたのよりも何倍も軽かった。今まさに死に向かっているのが肌で感じられる。
「桃…ユイを頼んだぞ…」
「当たり前だ。アンタの分まで生きてやるからな。」
「それと…龍さん…いや、師匠…」
「何じゃ…桜。」
司馬龍は泣きそうになるのを寸前で堪えながら聞き返す。
「私の刀を持っていって下さい…きっと貴方を守ってくれるはずです…」
「ああ……分かった。肌身離さず持っておく…」
「ありがとうございます。」
桜は最後に優しく微笑むとゆっくりとその瞼を閉じた。そしてその瞼が再び開かれることはなかった。
「うぐ……あああああああああっ!」
ユイはもう二度と動くことのない桜の体を抱きしめたまま慟哭した。大量の涙が桜とユイの両方を濡らすがその雨が桜を再び起こすことは無かった。
「桜……妾はまた一つ失ってしまったなのう……」
悲しみに暮れる司馬龍彼女の頬を一筋の涙が伝う。そして彼女もまた体力の限界を訪れゆっくりとその場に倒れてしまった。
「龍殿!」
段々と薄くなっていく視界の中最後に聞いたのは孔の叫びだった。
━━━あぁ…桜が見えるよ。
視界が完全にブラックアウトした後に彼女は一本の桜を見た。若干緑の葉が混じっているその夜桜は風に吹かれ花びらを散らしている。そのうちの一枚を手に取った瞬間に体が一気に軽くなるのを感じる。
━━━私は解放されたんだ。
肩にかかっていたあらゆるものが外され、自分の足をひっぱていた枷が消える。背中に羽が生えたような浮遊感。このまま宇宙の果てまで連れて行かれそうな感触。今の桜には心その全てが地よかった。
━━━さようなら、ユイ、桃、龍さん、孔さん。最後まで迷惑かけてばっかりでごめんね。またいつか会えたらその時は幸せになれるといいな。
空に舞い上がる感覚と共に桜は自らの死を改めて実感させられる。
━━━━なにも成せないままこの世界とお別れするのは悔しいなぁ……
桜はこの世界に一片どころかいくつもの悔いを残したまま去ることになってしまった。
桜はまだ光を知らなかった。