気持ち悪い。そうとしか思えない。
しかし私がどれだけそんなことを思っても意味はなく問答無用で立たせてきます。モルガンさんは私の腕をひっつかみ持ち上げます。
「だか…ら、無理だって……」
「口答えするな。やれ。私がやれと言えばやるんだ。」
「……はい。」
もう覚悟を決めるしかありません。私は言うことを聞かない足で何とか体を支え剣を構えなおします。それを見たモルガンさんは少しほっとしたような表情をしながら私の腕から手を放してくれました。私から数歩離れたところで腕を組んで見ています。
「大丈夫っすか?てぇ抜くっすか?」
見かねたモードレスさんが小声で言ってきてくれますがモルガンさんが見ている手前、手を抜くのはあまりにも危険すぎます。そう感じた私は小さく首を横に振ります。モードレスさんは何かを察したのか一瞬視線をずらした後にため息をつきます。
「じゃあ、行くっすよ。」
「はい。全力で行きます。」
私は疲労困憊の全身に鞭打って剣を振り下ろします。ですがこんな程度の攻撃が効くはずもなくいとも容易く防がれます。もう一度攻撃を試みますがこちらは体を横に傾けて避けられカウンターで右腕を蹴り上げられ私は剣を落としてしまいます。
「あっ……」
「隙ありっす!」
すかさずモードレスさんは剣で私の首を叩きます。
「が…あっ…………」
視界に強烈なノイズが走ります。それと同時に思考がシャットアウトされ完全に体と切り離されてしまいます。
「あっ…やっちまったす。」
「何やってるんだ副隊長。はぁ…とりあえずベッドに運んでおいてくれ。私はこのまま仕事に向かう。」
「わかったっす。私遅れるかもなので伝えといてほしいっす。」
「分かっている。では頼んだ。」
「ハッ!」
気づくと私はベッドの上で寝かされていました。隣にはモルガンさんではなく、モードレスさんが居ました。
「さっきは悪かったっす。打ち所が悪かったみたいで。」
モードレスさんが顔の前に手を出し謝罪を表しています。もちろん私はモードレスさんが悪いなんて全く思ってもいないので
「いえいえ!私が未熟すぎたのが悪かったんです!」
と言います。するとモードレスさんは恥ずかしそうな顔をします。
「それともう一ついいっすか?」
「はい、なんでしょう。」
「隊長の事なんだけどさ。」
モードレスさんが突然モルガンさんの話を始めたので少し混乱しましたが、意図は読めました。
「モルガンさんが私に跡を継がせるっていう話ですよね。」
「話が早くて助かるっす。そうなんすよ。隊長はサリトリア人の話になるといつもああなっちゃうんす。」
「そうなんですね…。でもモルガンさんの言いたいことも分かります。」
「分かっちゃうんすか……」
モードレスさんが引き気味に言います。
「同じ
「そういう問題なんすか……」
「分かんないですけど、モルガンさんの言っていることは根本的には間違っていないと思います。」
「まぁね。私もゆうてサリトリア人嫌い側の人間っすから。」
「なら貴方も……」
「あんな狂信者じみた真似はしたくないっすよ。」
モードレスさんは明らかにいやそうな顔をして腕でバツ印を作ります。
「敬虔な方って言ってあげてください。モルガンさんが傷ついちゃいますよ。」
「それもそうっすね。はは。」
モードレスさんは明後日の方向を見ながら渇いた笑いをします。きっと彼女はこれまで何度もあの時のようなモルガンさんを見てきたのでしょう。
「そろそろ私も仕事に行くっす。今はゆっくり休んどくといいっすよ。」
「はい。お心遣い感謝します。」
モードレスさんは部屋を出る間際一瞬こちらを見ます。その目は私を心配しているようには見えずむしろ私をにらみつけるように見えました。
「サオリ。体は大丈夫か。」
モードレスさんが仕事に行ってから夕方まで私はベッドの上でずっと寝ていました。モルガンさんがドアを開けた音で目が覚めました。
「あ、お帰りなさい。すみません夕食の準備がまだで……」
「分かった。ならば今日は私が用意しよう。」
「あっ…まって。」
モルガンさんは私が言い終わる前に部屋を出て行ってしまいました。
しばらくしてモルガンさんは紙袋をいくつか抱えながら戻ってきました。
「前に君がおいしいと言っていたパンだ。さ、食べよう。」
「は……はい!」
私はベッドから起き上がるとモルガンさんの後を追ってリビングに行きます。モルガンさんは椅子に座ると紙袋の中に無造作に手を突っ込むと食べ始めました。私は向かいの椅子に座り別の紙袋に入っているパンを手に取って食べます。
「やっぱりおいしいですね。このパン。」
「ああ、そうだな。サオリは見る目があるのかもな。」
モルガンさんは少し微笑むとすぐにいつもの顔に戻り
「今日はすまなかったな。少し興奮しすぎてしまった。」
そういうとモルガンさんは小さく頭を下げます。モルガンさんの突然の行為に私は申し訳なさがあふれ出てきて
「そ、そんな!私が弱かっただけですよ!」
「うむ、私もサオリの実力を過大評価していたみたいだ。」
あっ、意外と辛辣ぅ~
「すみません。まだ駆け出しで……」
「みたいだな。だが安心しろ。騎士養成学校に入る前にはそこら辺のならず者をひねりつぶすぐらいにはしてやる。本番は入学後だ。」
「はい。」
なんだかちょっと嫌な予感……
その日はパンを食べた後はゆっくりして寝てしまいました。どれだけスパルタのモルガンさんでも今の状態の私に訓練は酷だと思ったのでしょう。
「おい……起きろ…朝だぞ。」
「あえ…?もう朝ですか……?」
どうやら私はぐっすりと眠っていたようです。朝なのも忘れて…………あっ!
「朝食!忘れてました!今作りますね!」
「ああ、よろしく頼む。」
私はベッドから飛び起き、台所に急ぎます。モルガンさんはゆっくりとした足取りで二階から降りてきてリビングの椅子に座り新聞を読んでいます。
「出来ましたよ、モルガンさん。時間がなかったので簡単なものしかできませんでしたが…」
「構わないさ。サオリが作ってくれた。それだけで私は嬉しい。」
この人はホントに……意識して言ってるんだか。
「あ、そうだ。食べたら今日は走り込みだ。いいな。」
「分かりました……」
拒否権などはないのは重々承知です。とにかく養成学校に入るまでにある程度は力をつけておかないといけませんから。
食事を終え、私が皿を洗っている間にモルガンさんは仕事の用意をします。そうこうしているうちに誰かがドアを叩く音が聞こえてきました。
「む、誰だ。」
「私っすよー隊長。」
声の主はそういいながらドアを開けて入ってきました。私に気づくと左腕を上げて
「おはようっす。サオリ」
と軽めの挨拶をしてくれます。昨日見たあの目は何だったのかと疑うほどの笑顔。私はそこに何か裏があるのではないかと勘繰ってしまいそうになります。
「サオリ、それが終わり次第着替えて玄関だ。いいな。」
「はい!」
「よし、準備はできたな。前回と内容は同じだ。ただし今回はモードレスについてもらう。」
「というと?」
「簡単な話っすよ。サオリは私と同じペースで走るそれだけっす。」
……は?
「そんな顔するな。安心しろ。それなりにペースは落としてもらうから。」
「なら……大丈夫…ですかね。」
それってつまり前回よりは速いペースってことですよね!?そうですよね!?!?!?
「じゃスタート。」
モルガンさんは私の動揺なんて知ったこっちゃないと言わんばかりに走り出します。
「ほら、サオリも行くっすよ!」
「あ、はい!」
有無も言わさず走り出したモードレスさんの後を追います。
「なるべく私と離れすぎるのはダメっすからね!」
わかってる。そんなことは分かっていますが……
「速い!」
前回の私のペースの2倍は速いです。これを保ったまま島を一周と考えると終わった後に何が待っているのかという方に意識が持ってかれてしまいそうになります。ですが今はそんなことを考えている暇はありません。とにかくついていく。それだけを考えて走ります。
ですが中盤に差し掛かった頃私は今までに感じたことのない痛みと吐き気に襲われます。
「モ……モードレスさん。ストップ……ストップしてください……」
「うぇ!?もうギブっすか!?まだ半分っすよ!」
「分かってます。分かってるんですけど、き……気持ち悪くて。」
「だったら尚更止まったらダメっすよ!」
え……は?この人何言って……
「いいっすか?確かに今はつらいかもっすけど。もし止まった時の事考えてみるっす。今フルスロットルで走ってるのに止めてしまったらもう一度そこまで持ち上げなおすのはもっとつらいことなんすよ?」
「う…確かに。」
「今は耐えるんすよ。耐えて体の限界を超えるのを待つっす。限界さえ超えてしまえば疲れも吐き気も痛みも感じないっすよ!」
合ってる。その考え方は基本的には合ってる。所謂ランナーズハイってやつなのかもしれません。ですが今の私はその限界を超える前にもっと重大な事故を起こしてしまいそうでままなりません。
「もう少し…頑張ってみます。」
「そうそう!その調子っすよ!」
ギブって言われたら私もまずいっずよぉ。そんなつぶやきが聞こえました。ですが私は知らないフリ。聞こえてない聞こえてない。
気を取り直して足を動かし続けます。前回はこのあたりで早歩きぐらいまでスピードが落ちていたのでこの区間を全力で走るのは初です。足だけでなく体全体がミシミシと音を立てているような気がします。限界さえ超えればこの耳障りな音ともおさらばできるのでしょうか。
私がそう思った直後でした。突如私の足は動くことをやめ、脳の信号を拒み始めました。
動けっ!動けっ!動いてくださいっ!!!!!
どれだけ心で念じても微動だにしません。体は前を向いているのに肝心の足は進もうとしてくれません。まるで次の一歩を踏み出すなと警告を発しているようです。
それでも動かないと!モルガンさんの期待に応えないと!
私の願いが通じたのかゆっくりと右足が浮き始めました。
よし!いい調子!このままいけば!
私は前へ体重を乗せ右足がスムーズに着地できるようにします。そして浮いている右足はついに半歩先の地面に着地しました。
やった!これが……これが限界を超えるってことですか!
しかし私が歓喜に満たされたのも一瞬、今度は先ほどのそれを超える吐き気に襲われます。限界を超えた弊害で体内で致命的な何かダメージが入ったのかもしれません。それに加え今度は頭痛が襲ってきました。
ううっ…気持ち悪い……
頭痛を和らげるために頭を押さえますが痛みは増すばかりです。モードレスさんも異変に気付いたのかこちらに振り返り様子を窺っているようです。そのままこちらに来てくれてもいいのに。さらに吐き気に抵抗するように口元も押さえます。傍から見たらさぞ滑稽でしょう。
「う…うぐ……おえええええっ……」
やっぱり無理でした。私は体の内側から逆流してきたそれを押さえつけることは出来ず、無様に吐き出してしまいました。吐いたが最後、私の中でピンと張っていた緊張の糸は完全に切れてしまい私は膝から崩れ落ちるようにして四つん這いになります。流石にモードレスさんも駆け寄ってきてくれました。
「なぁおい!大丈夫っすか!?」
「だ……大丈夫なわけないじゃないです……う…ぷ……」
気を抜いてしまいました。こんな無様な姿見てほしくなんかないのに……。
「これはまずいっすね……とりあえず走り込みは中止っす。私が担ぐっすよ。」
「あ…ありがとうござい……げほっ…げほっ……。」
喉が胃液で焼かれて痛いです。視界もおぼろげになっています。今私を支えている腕も限界が近づいているようでプルプルと小鹿のように震えています。
「よっと…じゃ戻るっすよ。」
「…………はい。」
満身創痍の私モードレスさんは軽々しく持ち上げ歩き出します。
「ごめんなさい…私は限界を超えられませんでした。またモルガンさんの期待に応えられませんでした………」
口に出すと更に惨めに思えてきて涙があふれてきました。モルガンさんに拾われてからなにもかもが上手くいきません。もしかしたら私はあそこで死ぬべきだったのかもしれない。そう思えてしまいます。
「大丈夫っすよ。隊長はああ見えてサオリのこと気にかけてるっすから。今回も表面上は起こるかもしれないっすけど。心の中はきっとサオリへの心配でいっぱいっすよ。」
そうでしょうか。そうならいいんですけれど。
「モルガンさんやモードレスさんは私の事見捨てたりしないですよね……?」
「当り前っすよ!なんせサオリは……サオリは……あぁ、いや何でもない。とにかく大事っすからね!」
なんなんだ……?今の間は!
私にはその間に私のまだ知らないモードレスさんの感情が含まれているように感じました。しかもそれは私にとって良くない感情。どす黒くて私を飲み込もうとする闇の感情。触れてしまったら終わり。そう思いました。じゃないと昨日の私にあんな目をしたりしません。きっとモードレスさんは私に何かを隠している。モルガンさんにも見せられない何かを……
結局私はモードレスさんにおぶられて家に帰るまで全く生きた心地はしませんでした。それはきっとこれからもでしょう。本来の私はあの日死んでしまったのだと改めて自覚させられました。
──あぁ、私はこれから何になってどう生きていけばいいのでしょうか。