短編連作小話集。ビタロサ王国編。   作:カズあっと

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遺し物。

 

 昼日中の喧騒賑わう路上で、ジュゾは左胸を押さえて呻いた。

 周囲から視線が注がれる。だが、一睨みしてやれば途端に、それらは逸らされた。

 

「チッ」

 

 白い髪、浅黒い肌、こけた頬。皺だらけでありながら、眼光鋭い老人が舌打ちの一つもすれば、心配げな顔をする真面な市民など気後れもしようものだ。

 おまけに、彼の頬には三筋の傷跡が残されている。

 顔などに傷を残す習慣は昔から、反社会組織である『鉄の掟の徒』と関わりの深い証として、認知されていた。

 六十を過ぎた彼であるが、決して反社の所属という訳ではない。ここシシリア州がカターニア市においては、良民として登録されている。

 そもそもがこの都市には、そういった組織は存在せず、大抵の無頼は精々が破落戸紛いの溢れ者達でしかなかった。

 故に、そういった特徴を有する者達はよく知られていないからこそなんとなく、忌避感を以て見られるものとなっている。

 ジュゾも別に、周囲のその様な対応を冷たいとは思わない。また、恨むでもない。当然だとも思っていた。

 だが、今の様に肉体に苦痛を覚えていると、その疎外感や寂寥感は胸に忌々しい気分を運んで来るものなのだ。

 男一匹を気取って歳を取った彼は、そんな自分に我慢がならない。

 老人は弱味など見せてなるものかと、肩で風を切りながらも姿を隠す様に、ねぐらへと続く裏路地へと向かった。

 

 ジュゾはトリノの出である。

 よんどころの無い事情により、故郷にはいられなくなって、各地を転々としていた後に、シシリアへ流れて来ていた。

 別に、確固たる意思があっての事ではない。

 なんとなく、日雇い仕事があるからと来てみれば、住み易く、福祉も手厚い都市であったからと、つい長居してしまい、居着いてしまっている。

 本来ならジュゾも、これは良く無い事だとは判っていた。

 だが、素性不確かであっても日雇い仕事が途切れずにあり、物価も安い街なのでその日暮らしの彼には仕方のない事だった。

 

 裏路地の中程でジュゾはまたもや左胸を押さえて呻き、蹲った。

 近頃でらこういった事が増えている。若い頃から散々に不摂生を続けて来た肉体だ。

 歳を取り、ガタが来ている自覚はあった。

 それでも、医師にかかろうとは思わず、また、そんな弱った姿を衆人に見られる事を嫌った。

 だが今のこの場所ならば、誰の目があるでもない。

 暫しの間、痛みが引く迄は耐える腹積りであった。

 

「おじいちゃん!?」

 

 女の呼び声。

 バサと荷物を取り落とす音がしたかと思えば、パタパタと、駆け寄る足音があった。

 

「大丈夫? どこか、痛むの?」

 

 優しい声。鼻腔をくすぐるのは女の匂い。僅かに触れ合うのは肢体の柔らかさ。

 蹲ったままのジュゾの背中を、女が摩ってくれている。暖かな、掌であった。

 

「よせやい。ちっと、腹を下していてな。年寄りだと思って、なめんじゃねぇぞ」

 

 痛みはすっかり引いていた。なおも背中へ置かれた女の手を軽く払い、ジュゾは立ち上がる。

 

「おい、間抜け。荷物落としてんじゃねぇか」

「あっ。ごめんよ。つい。ありがとう」

 

 ジュゾはツカツカと歩み、放り投げられた買い物籠を拾ってやった。

 

「随分と重てぇな。ヤサでいいんか?」

「えっ。そんな、悪いよ」

「つべこべ言うな。俺も帰ぇる処だ。ついでだよ」

 

 見知った女であった。

 教会の慈善事業の一環として貸し出されている格安の集合住宅。長屋造りのソレへジュゾは住んでいる。

 この女は十一になった娘と二人で暮らす、長屋の隣人であった。

 子持ちには管理費以外は無償となる。

 そして、彼等の長屋は管理費さえも最安値帯となっている。

 彼等の住まう長屋では水回りなども共用という事もあって、それ以外の者にも格安だった。

 治水の行き届いたシシリアにおいて、水の不便は賃貸料を大きく下げる要因となる。

 立地の割の安さのおかげで、この長屋は長く満室となっている。

 

「ありがとうね。おじいちゃん」

 

 別に、器量好しという訳ではなかった。平凡な女である。

 だが、豊かな表情には愛嬌があり、心優しい女でもあった。

 先程の様に、ジュゾの調子があまり良くない時や、労働で草臥れていたり、怪我などをしていたりすると、気に掛けて、お節介を焼いてくれていた。

 お人好しで、間抜けな女。三十そこそこの女は数年前に別の女をこさえた旦那に逃げられている。

 

「娘さんは、まだ学園かい?」

 

 礼など言われる謂れはないと、ジュゾは思ってもいる。

 別にそれは一人でも娘を育てるという健気さに、絆された訳ではない。

 この女はどういう訳だか、食事へ出るにも億劫な時に、作り過ぎちゃったから。などと言いながら、食事を持って来てくれていた。

 それも幾度もだ。ジュゾは自炊をせず、また出来ず。

 滋養を欲するならば、外食以外に術はない。単なる一飯の恩。では足りない程に気持ちの負債は貯まっていた。

 

「講習を受けさせて頂けまして、少し帰りが遅くなるのです。私に似なくて、お勉強が好きなので」

 

 とても嬉しそうに宣う女へ、ジュゾは「そうかよ」と言っておく。

 学があって、悪い事はない。学があれば、働きの割も良くなった。

 就職や嫁入りだって、学があるのとないのとでは、雲泥の差があった。

 優しさという美徳を持つのに、この女は学の無さから軽んじられており、夫に捨てられる事となったのだ。

 あまり交友はなかった為に良くは知らないが、隣家からは、そういった主張をしながら怒鳴りつける男の声が、良く聴こえていた。

 

 

 

「あばよ」

 

 軽く告げて、部屋を出る。「お茶でも」と言われるが、長居は憚られた。

 捨てられた女とはいえ、まだ離縁は成立していない。年寄りのジュゾとて男である。不貞の噂でもあれば、女の不利となりかねないし、噂好きの暇な隣人達へも、くだらない茶飲み話のネタを提供するつもりなぞなかった。

 部屋へと帰ったジュゾは、そんな己の思考に対し、ゲンナリとしてしまっていた。

 袖擦り合うも多生の縁。

 なぞという言葉もあって、生きていれば他人と関わるのは仕方がない事だった。

 人は一人で生きる事は出来ない。だが、それでもジュゾは、人や世間とは距離を置いていたかった。

 

 その理由は、ジュゾの過去にある。

 若い頃の彼は硝子細工の職人で、親方に着いて、多くの兄弟弟子達と共にトリノの工房で修行を積んでいた。

 結婚もしており、子供も一人いた。だが、あまり素行も腕も良くなかった彼は悪い仲間達と共に、悪い遊びを覚えた。

 博打である。勝ったり、負けたりの身を焼く様な興奮と、偶に勝った時の報酬に目が眩み、嵌った。

 若い見習い職人の給金など知れたものだ。

 家族もあれば、金が続く筈もない。

 公営以外の博打は戦前からも違法であって、彼の遊び場は悪所と呼ばれる反社会組織の縄張りであった。

 遊ぶには金がいる。だが、手持ちはない。鬱屈の中で、ジュゾは荒んでいった。

 仕事にも行かなくなった。

 その頃には、妻子もまた捨てている。ちゃんと働いて、真面な生活を送って、この子を育んで欲しいと泣く妻が鬱陶しかったからだ。

 給金を根こそぎ使ってしまっていたジュゾの家庭に金はない。

 乳飲子だった娘を抱え、教会の配給に頼って過ごす妻の姿は見窄らしいもので、これっぽっちの未練もなかった。

 四六時中泣く赤子にも辟易していて、負けが込んで不機嫌な時に聞かされる度に、怒鳴りつけてもいた。

 妻子を捨てて、付き合いのあった阿婆擦れの元へと転がり込んで、また悪所に通った。

 この阿婆擦れは非合法の娼婦であって、小金を持っていた。

 仕事の代わりに悪所通いを続けた彼は、紐の様な生活をして小金を得ていた。

 人並みの容姿でも身嗜みに気を遣い、職人として身体も鍛えられて口も達者なジュゾは女に不自由がなかった。

 女から小金をせびり取りながら、また別の女達を悪所へと売り飛ばし、博打の元手を賄った。

 

 とはいえ。そんな綱渡りの様な生活など、長く続く筈もない。やがて博打での負けが込んで、悪所へ大きな負債を抱える事となった。

 そこで誘われたのが、火事場泥棒である。

 行政の力の弱まった戦後の混乱期。そして魔王統治期初期までは反社会組織による強盗窃盗、みかじめ料の強制徴収や違法物品の取引などが横行していた。

 だが、社会が落ち着きを取り戻してゆくとそういった行為は取締られて、縮小せざるを得なかった。

 残されたのはなんの理由もなく暴虐に暴れ回る元魔王配下の怪物達に乗じて盗みを働く、火事場泥棒だった。

 被害件数があまりにも多く、主犯が怪物である事が明白な為に深い調べとはならない。

 怪物達は様々な物質と融合し成長していく。その為に盗みなどの犯罪を隠すのに最適であった。

 無論、危険であって生命が掛かる。だからこそ生き残れれば安全で、実入りも期待が出来た。

 火事場泥棒を繰り返し、博打を打ちながら日々を過ごす内に泥棒仲間は段々と減っていっていた。

 とうとう仲間もジュゾともう一人。兄貴分である男と二人きりとなった時、岐路が訪れた。

 さる豪商宅を、天より降りて来た怪物が襲撃をしたその日。

 いつもの様に生命を賭けて火事場泥棒へ来ていた彼等は目が眩む程の大金を手にする事となる。

 戦利品の分配は均等割が基本であった。

 その為に、人が減る程に取り分は増してゆく。

 元々結構な人数で構成されていた火事場泥棒仲間の半分は怪物による被害で失った。だがそれ以外にいなくなった者達は全て、兄貴分により殺害されている。

 欲に目が眩んだ兄貴分に殺され掛けた。

 戦利品を詰めている間に短刀で三度も切り付けられたのだ。

 首を狙った斬撃だった。済んでの所で躱したジュゾの頬には三筋の傷跡が残された。そして銃声が一発。

 躱された事により腹狙いの突貫を目論んだ兄貴分の眉間へと浴びせたのは鉛玉である。

 ジュゾはこういう事もあろうかと、護身の為に銃を隠し持っていた。何度も殺害の現場を見ている。当然の自衛手段であった。

 そして、ありったけの戦利品をかき集めて逃げた。

 恐ろしかったからだ。殺人は禁忌である。

 正当な防衛とはいえ、司直に訴えられる筈もない。

 行っていたのは火事場泥棒という明確な犯罪行為であり、これまでに何度も殺人の共犯ともなっている。

 調べられ、事が露見しようものなら、極刑は免れなかった。

 それでも、冷静な思考はバレる筈はないと告げていた。

 長年やって来て、バレた事がない。

 証拠となる遺体も物証も、怪物に呑まれたからだ。

 明確な意思を持ち、現場へ過去視を行わなければ事件として扱われる事すらないのだ。

 それは、知っている事だった。

 それでも恐ろしかったのは、殺人という禁忌を犯したからだろう。

 ジュゾにとって、初めての殺人だった。

 不思議な事に、博打への熱はすっかり冷めていた。

 何かから逃げる様に、冒険者となって各地を転々とながら日銭を稼いで過ごした。

 そんな生活を三十年近くも続けている。

 最後の火事場泥棒で得た金も使い尽くしてしまった頃に、シシリアへやって来ていた。

 

 

 一日仕事の労働依頼を片付けて、ねぐらへと帰って来たばかりのジュゾは物々しい気配を感じていた。

 隣家を、怒鳴りつけている数名の男達がいる。どの男も柄が悪く、とても堅気には見えない。

 ここいらでは見ない顔だと思いながらも、ジュゾは彼等へと近付いて行った。

 ねぐらの隣である。そうでもしなければ帰れやしなかった。

 

「おう。兄さん達。あんま、人のねぐらの前で騒ぐんは、感心しねぇなぁ」

 

 そうして声を掛けてやる。

 彼等が居座っているのはジュゾの部屋の手前である。狭い裏路地だ。退かなければ通れやしなかった。

 

「あん? なんだ?」

 

 男達が睨み付けてくる。やはり、堅気にはとても見えない。

 だが、大した魂でもないと踏んでいる。荒々しく、五人と数は多いもののいずれにも強者の気風はなかった。ジュゾは酷薄な笑みを浮かべる。

 

「邪魔だって言ってんだよ。道を塞ぐんじゃねぇ」

「おい。爺い。取り込み中だ。邪魔すんじゃねぇ」

「止せ」

 

 比較的若い男が凄んでくるが、年嵩の男に止められる。この男には、多少は出来そうな気配があった。

 長く冒険者としての日々を送る間に、ジュゾは強者の気配を悟れる様になっている。

 強者とは災厄であり、関わる事は得策ではなかった。

 眩しいモノから目を背け、日陰の中で生きる彼であるが、格下の同類の気配など恐れる理由はない。

 

「爺さん。この家の者かね?」

「いや、その先のだよ」

 

 顎をしゃくって答えてやれば、すまねぇな。と謝られ、道を空けられた。

 

「兄さん達、見ねぇ面だが、他国モンかい? あんまりここいらで騒ぎを起こすと、護衛団が五月蝿えぞ」

 

 親切心からの忠告をくれてやる。

 邪魔ではあるが、護衛団などがやって来て暴れようものなら目も当てられない。壁の薄い長屋など、容易く吹き飛ぶ。恐れたのか、男達は悪態を吐きながらも離れていった。

 彼等が見えなくなるまで見送ったジュゾは、己のねぐらの手前にある部屋の扉へ手を掛けた。

 

「おう。ジュゾだ。開けるぞ」

 

 大抵の住居では生体認証による鍵が掛けられている。住民が許可をしなければ、開かぬ様に出来ていた。

 無理矢理の突破では強盗と見做される。強盗は現行犯での討伐対象となった。先程の男達が開けろ。出て来いと騒いでいたのよこの為だった。

 ジュゾは荷物持ちなどをしていた事から、鍵として登録されている。

 これまでは必要もなかった事だが、この時ばかりは踏み入る必要があると感じていた。

 

「……アイツらは、もう去ったぜ」

 

 そこには部屋の隅で震える、哀れな親子の姿があった。

 母親は真っ青な顔をして、子供を抱きしめて耳を塞いでおり、子供は涙を流しながらも嗚咽を抑えている。

 恐ろしかったのだろう。ジュゾにとっては取るに足らない男達だが、女子供には恐ろしい暴虐だった。

 

 二人を落ち着かせ、話を聞いてみれば、何の事はない。

 男達はカンパニアの金貸しの取り立て人で、この家の本来の家主である旦那から借金を取り立てに来ただけであった。

 離縁が成立している訳ではないので、住所として登録が残されている。

  彼等が言うに、なんでも旦那は散々に借金をし、踏み倒して、姿を眩ませたそうである。

 カンパニアの貸金業は反社との関わりが深く、舐めた真似を許さない。落とし前を付ける為にやって来たのだと想像出来た。

 

「お前さん達にゃ、関係ねぇのになぁ……」

「そう言っても、聞いて貰えなくって」

 

 借金も、踏み倒しも。

 ここ一年の事であり、当然、旦那は帰って来ていない。彼が彼女達を捨てたのは、娘が学園に通い始めた頃なので、もう五年にもなる。

 ジュゾがシシリアへ来て、一年が過ぎた頃だった。

 

「連れ会いの不始末を付けろって、怒鳴られて」

「まぁ。筋は通っているし、取り立ても、利息も、違法って訳でもねぇしなぁ……」

「でも、私に、そんな大金……」

 

 旦那が踏み倒したという借金は、それなりの額だった。一般的な勤め人の平均年収程度のものだ。

 

「お母ちゃん。泣かないで」

 

 耳を塞がれていた娘さんだが、ちゃんと流れは聞いていた様だ。母親の方でなく、娘の説明によりジュゾは状況を把握している。

 親バカなのかと思っていたが、成程、娘の出来はかなり良い。

 

「五年、飲まず食わずで働いて、やっと稼げる額なんて……」

 

 彼女の収入は低い。学がなく、また子供がまだ小さいが為に、時間的な制約もあった。

 朝晩は家にいないといけないし、子供を一人には出来ない。

 正業に就く事が出来ず、雑多な労働依頼を請け負って、やっと生計を立てられていた。

 世間的には多額でなくとも、彼女達にとっては途方もない大金であった。

 

 

 

「よぉ。探したぜ。兄さん達」

 

 そして今、ジュゾはカターニア市内にある宿へと来ていた。

 六年も住めばそれなりの土地勘もあり、人との関わりを避けていても、それなりの伝手はある。

 

「あ? なんだ。さっきの爺いかよ。何の用だ?」

「取り立てが、兄さん達の仕事だって事ぁ、判っちゃいるぜ。だが、見ただろう? あの親子にゃ金なんてねぇし、返せはしねぇぜ」

 

 見たまんまに貧しいのである。まったく金なんてある様には見えない。

 それは彼等も気付いているのだろう。騒いでいたのは鬱憤晴らしの為であり、護衛団を恐れた事もあるが、あの時にあっさりと引き上げたのはつまりはそういう事だった。

 

「お節介かよ。だがなぁ。俺等は金貸しだぜ。舐めらて引き下がったとあっちゃ、お飯の食い上げよ」

「そこで、相談があるんだがな。旦那の方を探すってんなら、俺も協力するぜ。もう五年も前の話だが、奴さんに貸した金を、返されてねぇんだ」

「あん? お前さんも同業者かよ?」

「いや。そうじゃねぇ。個人的に頼まれて用立てたのだが、妻子を捨ててのドロンよ。落とし前を着けるってなら、俺も一枚噛ませてはくれねぇか」

 

 口から出任せである。

 だが、旦那を探す方向で注力するならば、協力もやぶさかではなかった。

 あの親子に金を返す能力はない。気前良く肩代わりしてやれる金もない。だからこその、お節介である。

 

「悪ぃな。爺さん。旦那の方からは、もう毟る事が出来ねぇんだよ。アイツはとっくに、魚の餌だ」

 

 どうやら既に、落とし前は着けていたらしい。

 捕まえた旦那は、金を使うだけ使い、文無しであったそうである。ちょっと脅したら、恐怖からか心臓発作を起こし、死亡したそうだった。

 バラして臓器を売る案もあったそうだが、不適格であったらしい。魚の餌とするくらいしか、活用方法はなかった。

 

「つーわけでな。俺等は誇りの為に、金を回収しなけりゃならんのよ。無論、爺さんが用立ててくれるならば、手を引くがよ」

 

 まったく期待をせずに宣う男には、嘲りがある。

 同じ長屋の住民だ。金がある筈も無いだろうという嘲りだった。

 

「まぁ、歳は少し食ってはいるが、女にゃ稼がせる方法もある。娘の方も、もう十一だったか。一年育ててやれば、高く売れるから、取り立て様もあるさ」

 

 ジュゾの胸に、サッと怒りが奔った。持て余した感情が、思いもしなかった言葉を喋らせる。

 

「……判った。七日待て。アイツ等の借金、耳を揃えて返してやるよ」

「爺さんにかぁ? 義理も何も、あったもんじゃねぇだろう。余計な真似すると、火傷するぜ」

 

 男達は、まるで道化を見る様に嘲笑う。

 金は金。用意出来るものならば不満はないし、別に親子への拘りなどもない。

 だが、この老人にそんな能力があるのだとは、男達も思っていない。

 確かに多少は腕が立ちそうであるが、その気もありふれたものだ。男達も修羅場に身を置く者で、そういった直感も働いた。

 

「見ての通り、俺もすっ堅気って訳じゃねぇ。義理を欠く真似はしねぇよ」

 

 双肌脱ぎとなったジュゾは、上半身に青々と彫られた刺青を見せ付ける。

 その意匠は白い鷹。それは戦国の昔より恐れられた白の傭兵団。一時は民間軍事会社として、そして現在では反社会組織認定されている軍事組織、白鷹への所属を示すものだった。

 かつてジュゾの通っていた悪所は白鷹の管轄であり、その縁で構成員としても認められている。

 その際に、彫り入れたものだった。合法的な民間軍事会社であった当時の白鷹は暴力により、畏怖されていた。

 

「位階はよ?」

「残念ながら、平だし錬鉄だ。だが、アンタらなら判るだろう?」

 

 胡散臭いものを見る様な視線であるが、その中には怯えもある事が見て取れた。

 カンパニア州の反社組織で有名なのはカムラであり、今はもうない。

 代わりに勃興したのがガムラン商社という企業であって、反社会組織認定はされていない。

 だが、これらは子供を用いて力を付けた組織であった。純粋な暴力である白鷹などの組織へ、恐れがない。などと言う事もなかった。

 だからこそ、利用するのだ。

 

「七日だぜ。ここで待ってな。悪い様にはしねぇさ」

 

 

 

 再びねぐらへと戻ったジュゾは、親子には話を着けて来た。心配はいらねぇぜと告げている。

 取り立てる金はないと理解したらしく、旦那の方を追う事にした様だとの嘘も交えて。既に死亡しているなどという、残酷な事実を伝える必要はなかった。

 ビタロサでは失踪後六年が経過すると、死亡として見做される。残るは一年で、公的な縁は切れるのだ。

 余計な重荷など、背負う必要はない。

 

 さてここで、ジュゾが企むのは盗みであった。現金を置いてある場所へ忍び込み、頂いてゆく。

 

 社会的に大きな意味を持ち、重い価値のある貨幣であるが、これの所有権は国家にある。企業や個人に付与されてはいない。

 国家が流通量を調整可能な、有限の信用貨幣となっていた。

 つまりは入手手段は問われず、手にしてさえいれば、仮の所有者として見做される。必要と普及の為だった。だからこそ盗むのに都合がよく、足もつき難い。

 

 大抵の施設は施錠されており、金品は金庫などへ隠されているが、ジュゾにとっては問題にならない。

 昔の仕事道具である魔銀製の鍵開け道具があるからだ。彼はこれの扱いが巧みであり、それが為に最後の一人となるまで生き延びた。

 それに、最悪は強盗でも良かった。

 今更殺しまでをする気はないが、最悪の場合は視野にも入れている。強者に出会してしまった場合、甘い見立でいては、失敗に繋がる。

 普通の生活を送っていても、金を置いてある場所にあたりはつくものだ。

 何軒かの商店と富裕な家を見繕う。纏った金を置いている事は確認済みである。

 どこも、必要な額には届く。とすれば可能性の問題であった。吟味するしかない。思考を続けてゆく。

 粗方検討した結果。とある商業施設が丁度良いと狙いを定める。

 割と阿漕な商売をしている癖に、あまり警備が厳重ではなかった。大型であるせいだ。

 それは近頃シシリアへ進出して来た企業であり、大量生産、大量販売による薄利多売をビジネスモデルとしている。

 ところがあまり州民には人気がなくて、閑古鳥が鳴いていた。

 店舗の従業員が少なく、警備が緩いのは働き口としての魅力が薄いからだった。

 この企業の地域担当従業員の賃金はかなり低い。

 とはいえ、給与の支払い日ともなれば纏った金を置いていた。

 幾つかの店舗を回る事となるが、見つかっても逃走経路は豊富である。

 頭の中で、巡り方を構築し続ける。すると、静かな訪に気付いた。

 

 トントンと、扉を叩く音だ。訝しんだジュゾであるが、ソロリと立ち上がり、扉をそっと開いた。

 

「おめぇ……」

「おじいちゃん……」

 

 するりと入って来たのは、隣の母親だった。その柔らかな肢体はそっとジュゾの胸へと縋り付く。咽せる様な女の匂い。

 

「あいつらが、来たよ……」

 

 つい、舌打ちの一つもしたくなるジュゾである。

 口止めを、していなかった。近頃の若造供は仁義に欠ける。

 大方、ジュゾとの約束を盾に七日以内に金が返せなかったら、形として売り飛ばすとでも伝えたのであろう。彼等なりの保険とは判るが忌々しい。

 

「ああ。お前さんは何の心配も、いらねぇぜ。俺が、何とかしてやるよ」

「そんな、おじいちゃん……」

 

 聞けば予想通りであった。

 悪い予感でもしたのだろう。貧乏人が纏った金を手にするには、盗みくらいしか道はない。

 それは、あまり学のない女にでも判る事で、危ない事はしないでくれと縋り付かれる。何の関係もないおじいちゃんが、関わる事ではないのだと。

 

「関係ねぇこたぁ、ねぇやな。お前さんにゃ、随分と世話になっちまった。それによ……」

 

 その先を口にするのは憚られた。

 世間に背を向け、隠れ潜む様に生きてきたジュゾであるが、気に掛けられて心配されて、優しく接されて嬉しかったのだ。

 彼とて、散々に非道を働いてきた悪党であるという自覚があった。

 それでも歳を取り、隙間風が吹く様な索漠とした心象に注がれた何かは心安らぐものであった。

 受け取った何かを返したい。彼はそういう心境にもなっている。

 胸の中の痛みは、もう取り返しのつかない場所へと来ていた。

 

「おめぇが心配する事じゃねぇ。なんとかしてやるよ。娘と二人でやり直せるさ。何があっても、知らぬ、存ぜぬで通すんだぜ」

「だ、ダメだよ。あ、アタシ……。——っ」

 

 ジュゾがしようとしている事を、察したのだろう。

 拒もうとする女の唇を塞いでやる。自分のガサガサとしているモノとは比べ物にもならない、瑞々しく柔らかな唇だった。

 女の、佳い匂いが強くなる。口内に舌を絡めてやれば女の身体からは強張りが取れて、ジュゾの腕の中に柔らかく体重が預けられた。

 

 朝となり、ジュゾは決行の為に街へ出た。

 例の大型商業施設である。警備も管理もザルなので、予め潜り込んでおき深夜に動く。

 昔はよくやっていた手口であった。

 人がいない時間帯に忍び込むよりも、人が多い時間帯から隠れ潜んでいた方が、足がつきにくい。昔取った杵柄である。

 

 ——優しい女だぜ。

 

 見込みもつけば、暇になる。そうすると思い起こされるのは、昨夜の白く柔らかな、女の身体であった。

 昨夜の事はジュゾの不如意で終わった。

 だが、あの女はそれを責めず、一晩の間の温もりを与えてくれていた。

 騒めく血を癒す様な、穏やかな夜。散々に悩まされている胸の痛みさえ忘れていた。

 それは汚れ切り、何処にも身の置き場のなかった男へ最後に与えられた福音としか、彼には考えられなかった。

 だからこそ、腹が決まった。

 都合の良い事に警備はあまりキツくない。誰も、盗みに入られると思っていないからだ。

 大陸での盗みは極刑と定められている。この極刑とは一般的にいう死罪を指すモノではなかった。

 極めて重い刑との意味だ。つまりは被害者側の裁量に委ねられた。死刑? その様な、甘い終わりはない。無論、叩きや賠償という軽い量刑で済む事もあるが一時の感情で族滅ともなると、親戚縁者さえもが殺される。

 被害者が可能であればだが。罪に対しての想定される罰があまりにも大き過ぎた。

 だからこそ、盗みに対する警戒はあまり強くない。

 

「平和ボケした奴らにゃ、良いお灸になるだろうぜ」

 

 つい、独り言を溢してしまう。シシリアは豊かな島で、カターニアは豊かな都市だ。

 その日の糧に困る様な貧民は殆どいない。それもまた、ジュゾの決意を後押ししていた。

 若い頃の彼等は義賊を気取っていた。富を動かす事で、社会の不公平さを無くすという大義だ。

 今や唯のおためごかしとは知ってはいるものの、どこかの誰かに犠牲を強いるのには必要な理屈であった。碌でなしの自覚があってさえ、そういったものを必要としていた。

 夜を待つ。懐かしき緊張の中でジュゾは機会を伺い続けた。

 

 

 ——ちくしょう! 大間抜けがっ!

 

 胸の中で罵るも、声は出さない。また、その余裕もなかった。平和ボケしていたのはどっちだ。

 という苦々しい後悔がある。

 今、覆面にて顔を隠したジュゾは追われている。

 生命無き機巧にだ。

 射掛けられた矢で、肩を負傷していた。

 それでも収納の付与された鞄だけは離さずに、必死に駆けている。

 傷は即座に焼いて、出血を止めた。幸いな事に、矢には毒も術式も施されてはいない様であり、痛みに耐えれば問題はない。それでも、思う様に動かぬ老いた身体は忌々しいものだった。

 こうなったのも、己の不明の為である。

 欲を掻き、必要充分を超えた金を集めていた。

 僅かにでも、纏った金を渡してやろうと思ってしまった。

 

 それだけではない。既に現役の盗人であった頃からは、大凡三十年も経っていた。

 その間に術式による安全管理も洗練されていて、生体に反応し、迎撃する機巧が完成されているなどとは考えてもいなかった。

 社会の進歩から目を背け、生きて来た報いを受けるのは必然だった。

 そして今、聴こえているのは重い足音だけでない。

 まだ遠いものの、大勢の賊を捕らえんとする人数の気配があった。

 当然だろう。通報機能が搭載されている。賊を許しておけば、社会など立ち行かない。

 

 だが、諦める訳にはいかなかった。

 金貸し共には既に渡りを付けている。

 御使メタトロンの権能を介し、金を用意さえ出来れば、あの親子からは手を引くという契約を結んでいた。

 その為の秘密の隠し場所へ、金を運ばねばならない。

 一度切りだけ使える、転移陣のある場所へ。

 運の良い事に、その途中には住み慣れ長屋があった。僅かであるが、道中で金を落としたとしても怪しまれる事はないだろう。

 そうも考えていたジュゾであるが、追い詰められている。

 予測はしていた事であるが、既に市の護衛団へ通報がされた様だった。街中で、捕物の囃子が響く。

 覆面を剥ぎ取り着替えてはいた。

 だが機巧へ通報機能が備わっているのならば、映像も送られている事だろう。

 出会せば体型や身ごなし、傷跡から怪しまれるのは想像に難くない。何よりまだ鞄を手にしている。

 中身を改められれば、その場で終わる。

 感覚を研ぎ澄ませて駆ける。昔から追う者への気配には敏感だった。見えてくる長屋。

 

 ——ああ。良いぞ。窓は開いている。

 

 初夏も近付き気温も上がって来た頃だ。

 親子は涼を取る為に窓を開け放っている。

 長屋には網戸なぞという便利な機能はなかった。

 夏場は虫の鬱陶しい季節だが、今回ばかりは感謝の気持ちが強くなる。

 巾着袋を投げ入れる。大した額ではないが、一息くらいは吐けるだろう。

 

 ——あとは、駆けるだけだ。

 

 金を持って受け渡し場所へ辿り着けば、契約は達成される。

 御使メタトロンは融通の利かない石頭で、無慈悲かつ面倒な御使であるが公平だ。

 権能は極めて強く、違えさせる事もない。

 契約を結ぶ際、他に借金がない事は確認している。海の底の阿保な旦那が、新たな借金をこさえる事はなかった。

 

 

 

「ねぇ。おじいちゃん。もう一年が経って、あの人が認定死亡扱いになったら、家に来ないかい?」

「おめぇ……」

 

 胸を優しく摩る、女の言葉。

 

「毎日外食じゃ、大変でしょう? 少し食費を入れてくれるなら、二人分も三人分も変わらないわ。——ううん。綺麗事じゃないよ。あの子も年が明ければ十二になるの。お金も掛かる様になるし、少しでも稼ぎたいってだけ」

「旦那さんが、帰って来るかもしれねぇぞ」

 

 心にもない言葉。アイツが蘇って帰る事などない。

 

「ううん。あの人は、帰って来ないよ。長屋を出て、暮らす事が夢だったしさ」

 

 聞けば二人は三代に渡る長屋育ちで、幼馴染でもあったらしい。長じて恋仲となった二人だ。

 いつかは共に長屋を出ようと女は義務教育を終えた後には家政婦として働きに出て、男は苦学しながら学園で学んだ。

 学府を目指していたそうだ。

 だが、二年を掛けても受からずに、やがて娘が産まれる。

 男は進学を諦めて革職人として奉公へ出た。

 カターニアは冒険者の都市で霊峰エトナは恵み深く、霊獣達が跋扈している。この手の産業は豊富であった。

 

「長屋でも、慎ましくとも三人なら。って、思ってたのだけれどね……」

 

 女が思い描いた幸福は、男のものとは異なった。

 お互いの心と想いは離れていった。

 男は酒を飲み、悪い遊びを覚え始めて娘の存在を疎む様になる。

 本来。子は福音そのものだ。だが彼はそう思わなかったらしい。夢を邪魔した障害であると、当たり散らした。

 ジュゾには身につまされる話であった。

 彼も妻子を疎ましく感じて捨てている。旦那を若い頃のジュゾ自身の写し身の様に感じられていた。

 

「……行政官の旦那に、老兵隊に誘われている。仕事が続けられそうなら、考えてみてもいい」

 

 女の手が止まった。口も開いてしまっている。

 

「間抜け面なんて、晒してんじゃねぇぞ」

 

 手を握ってやれば、きゅっと唇を閉じた女はコクリと頷いた。伝わる体温をぐいと抱く。柔らかな何かが胸の奥へと沁みていった。

 

「オメェさん達は、何も心配する事ぁ、ねぇぜ」

 

 

 

 

「止まれっ! 止まらんと、撃つぞ!」

 

 怒鳴り声と共に銃声が聴こえる。もう、撃っているじゃねぇかと嘲笑うジュゾであったが、止まらない。

 銃弾程度。躱せぬ様では錬鉄の士となど呼ばれないものだ。拳銃程度に遅れなど取るものか。

 それに、この音は警告の為の空砲だ。それで止まる訳がない。

 まだ暫くはこいつらには撃たれやしないとジュゾは見通している。

 

 長屋通りを抜けた後、ジュゾは見つかっている。正確に言うならば、たまたま進行方向から来た護衛団の一人に誰何されたのだ。

 

「お爺さん。こんな夜更けにどうしたよ? 随分と、大荷物だな」

 

 まだ若い男であった。

 こういった騒動時。護衛団には臨検が認められている。

 対象者には身分証の提示と荷物の確認を求められた。身分証は冒険者証があるので問題はないが、問題は荷物である鞄であった。

 中には盗み出した貨幣が入れられている。間違いなく、押収される事になるのは明確だった。

 

「おう。夜分にご苦労さん。シラクザへ朝釣りへ出るところよ。随分と騒々しいが、何かあったんかい?」

 

 ジュゾは素早く判断する。

 

「おう。物盗りよ。随分と割に合わない真似をするヤツも、いたもんだ」

「おいおい。とんだ阿保もいたもんだな。ほれ、荷物だ。改めてくれや」

 

 鞄を手渡す。

 

「ご協力、ありがとさん」

 

 振りをして、素肌の晒された手首へと、高圧電流銃を突き付けた。起動する。迸る電流。

 

「ぐぅ」

「悪ぃな」

 

 放電による筋肉の収縮で、肉体は麻痺状態に陥る。麻痺銃(スタンガン)とも呼ばれる護身用術具の効果に失神はない。そのまま当身で意識を刈り取った。昔取った杵柄というものだ。

 身動きの取れない相手にならば、容易い芸当であった。ジュゾは護衛団員を道の片隅に転がして、受け渡し場所へと急いだ。

 

 そして町外れにある所定の位置へ鞄を置き、転移を確認したジュゾである。

 だが、この段階に来て追っ手に見つかった。どうやら先の護衛団員。優秀な様で、意識を失う前に交信による報告を行っていたらしかった。

 してやられた苛立ちがあるものの、同時に嬉しくもある。市井の生活を護る護衛団員が優秀である事は、一般市民としては安心に繋がった。

 それはともかくとして。

 当然ながらジュゾは逃げる。盗人は一般市民と呼べないし、捕まれば極刑だ。既に目的は果たしている。さっさとずらかるに限った。

 身を翻し、一目散に駆けた。

 

 上手く撒けると思っていたが、甘かった。

 外れとはいえ、街中だ。発砲は禁じられている。

 既に囲まれていた。結論から言えば、ジュゾは逃げ切る事が出来ていない。街からさえ、抜け出る事が出来ていなかった。行く先々を護衛団達が固めていた。

 追っ手も執拗だった。そして、彼らは発砲を躊躇わなかった。

 腹を撃たれてもいる。血痕。あるいは血臭を辿られて、ジュゾは追い詰められている。

 なんとか物陰へと潜んだものの、捕まるのも時間の問題であった。

 

「あーあ。歳は取りたくないもんだなぁ」

 

 荒い息に諦めて、息を潜む事は辞めている。

 腹の傷は致命傷ではない。護衛団の制式拳銃弾には治癒が付与されている。生捕りとする為であった。

 このせいで、即死さえしなければ死ねない。

 血は流れて消耗するし、傷は痛むが死というある意味での逃走を赦さない。社会の為に。

 これは行政側の都合である。

 犯罪の背後関係を洗い出し、問題解決をする為の手管の一つであった。

 彼等は社会を僅かにでも良いモノとする為に日夜働いている。

 

 ——いつだって、アイツらは正しいさ。だが、それじゃ救われねぇ、どうしようもない奴ってなぁ、どこにだって、いるもんだ。

 

 喧騒が近付く。どうやら年貢の納め時か。そう腹の据わったジュゾだった。

 法治国家であるビタロサだ。

 法が絶大なる支配者として君臨している。犯罪者の背後関係は洗われて、関わりのある者達へも相応の罰が下る事となる。

 そこに事情や感情など、無意味なものだった。

 何の為に盗みを働いたか。親子の借金を返してやる為だ。それを、唆したと疑うのが法だった。

 故意でないにせよ、人をそういう状況へ追い込んだ事への刑罰が下される。

 大した罰ではないが、調べの為に拘束される。長くとも一月程度であろうが、それはあの、貧しい親子の生活を破綻させるものだった。

 そんな理不尽を、赦してなるものか。

 アイツらはただ、巻き込まれただけの哀れな被害者だ。ジュゾの胸は怒りに染まった。

 一方で、冷静な思考が何故、こんなにも拘るのだと囁いた。

 ただ隣に住むだけの、多少の遣り取りがあるだけの親子だ。大した義理がある訳ではない。

 瞼の裏の親子の姿に、捨て去った昔の妻子の貌が重なった。

 

 ——もっと、佳い女だったと思っていたんだがなぁ。

 

 苦笑して、懐から銀の十字架を取り出す。術具であった。

 傭兵団、白鷹隆盛期、共に歩みを進め、台頭した唯一神教一派があった。名を、暗殺教団という。

 

 死は救いであり、主からの大いなる福音であるとして各地でテロ行為を働く事で、力を得た狂信者達の集団。

 この十字架は、彼等の創り出した術具であった。

 人二人から三人分程度という極狭い範囲をニュークリアによる破壊に拠って消滅させる道具だ。暗殺兼自決用として用いられた術具である。

 

 ヨロヨロと立ち上がり、ヨタヨタと歩み出す。

 

 ニュークリアによる極大破壊は遺体が残る事を許さない。盗人は死んだのだと、見せ付けてやらねばならなかった。

 叫べは、注目が集まった。

 銃口が向けられる。手足が弾け飛んだ。お優しい事に、まだ生捕りにしようとしている様だ。

 だが、もう遅い。

 ジュゾは暗殺教団の構成員。告死天使【アズライール】達が『主の裁き』と呼ぶ、極大破壊を齎す術具を既に起動している。

 もう、遺しものは済んでいた。

 

 光が溢れる。その中に、女と子供の姿を見た。

 ジュゾはいつのまにか、彼女達に弾け飛んだ筈の両手を握られている。夢か。そう思う。

 

「——あばよ」

 

 彼は一言だけ漏らし、光の中へと融けていった。

 

 

 

「ねぇ。お母ちゃん。じーじ。今日もまた、帰って来ないねぇ」

「忙しいんだろうね。新しいお仕事を始めたそうだから」

「つまんないのー」

 

 瞬く間に日は過ぎて、あの日から一月が経っていた。学園から戻った娘の不満は受け流す。

 とある学園中等部への進学が決まった娘だが、級友達はまだであり、受験勉強へ勤しんでいる。

 その退屈をお隣のお爺ちゃんに埋めて貰おうとしていた娘である。宛が外れた様な顔をしている。

 この子は、お隣のジュゾお爺ちゃんには、大層懐いていたからねぇ。

 女は胸の内で零した。

 

「教会に遊びに行ってくるねー」

「遅くならない様にね」

 

 子供の切り替えは早い。

 教会には書籍が多く置いてあり、自由に閲覧出来た。自分に似ず好学な娘は一に友達、二にお爺ちゃん、そして最後の選択として、読書を選ぶ。

 最近は教会通いばかりであった。

 娘が出て行った後、戸棚から化粧箱を取り出した。とうに化粧品など入れてはおらぬ空箱だ。そっと開く。

 そこへ収められているのは現金で、札束だった。

 大金である。数えれば女の年収の倍程もあった。

 だがそれは、彼女の慰めとはならない。それよりも、気持ちを重くするものだった。

 

「薄情な女だね」

 

 つい、漏れ出てしまうのは後悔か。

 この金は、あの捕物騒ぎの起こった翌朝に台所へ投げ入れられていたものだ。

 

 

 

 捕物騒ぎは一晩で収まった。

 大きな騒ぎとなったのは、盗人が護衛団員を傷付けたからである。

 戦士の面子と後顧の憂いを失くす為、彼等は大掛かりな捜索を行った。

 罪人に生きて裁きを受けさせねば、沽券に関わる。社会に平穏と安定を齎すには必要な事だった。

 こういった捕物などが始まれば、力持たぬ者など家の中で震えている事しか出来ない。女も娘を抱いて、震えながら眠った。

 捕物は一晩で決着した。護衛団側の敗北という形で。

 それは盗人を取り逃がした事を意味しない。もっと悪い。

 盗まれた金は目下探索中。犯人は死亡という幕引きだった。そんな噂話を教えてくれたのは、早朝の清掃という労働での仲間達だった。

 

 台所へ投げ入れられた札束に気付いたのは朝食を用意しようとした時だった。

 朝の労働の前に女は水を一杯飲むが、食事は摂らない。家族は食卓を囲むものである。

 理由は判らぬものの、彼女はすぐにそれを仕舞い込んだ。何某かの直感が働いたのかもしれない。だが彼女にはその時、形に出来ぬものだった。

 娘を学園へ送り出した後、仕出しの仕事へ赴く前の僅かな間。彼女は郵便の配達を受けている。

 慌てて彼女は隣家を訪ねた。不在であったが鍵は開け放されている。

 人一人が住んでいると思えぬ程に、殺風景な部屋だった。

 それでも確かな生活の痕跡があって、僅かな日用品や着物などが残されている。

 丁寧に清められたその部屋は、まるで家を長く空ける前の様な印象を抱かせた。

 ヘナヘナと腰が抜け、膝を突いた。この光景と手に持った、返済証明書の意味が繋がったからだ。

 盗人騒ぎ。いなくなってしまった人。完済された借金。学はなくとも、悟らぬ筈もなかった。

 

 化粧箱を仕舞い込む。借金が返済された今。すぐに必要な出費はない。

 

「知らぬ。存ぜぬ。で、通せか。勝手なもんだね」

 

 犯人の遺体は残らなかったが、ジュゾらしき老人が護衛団員へ暴行を働いた事は証言が取れていた。

 無論、被害者側からだ。

 状況証拠から警務官達は最重要容疑者として手配した彼を捜索中であるものの、一月が経った今も消息は掴めていない。

 過去視でも、ジュゾと犯人を結ぶ決定的な証言は取れていなかった。

 自爆に用いた術具から漏れ出ていた術力が濃厚で、視界が歪んでいたからだ。

 当然ながら彼と交流のあった女も、参考までにと捜査協力を求められた。

 それを、知らぬ。存ぜぬとして、やり過ごしていた。ただのお隣さんで、そう親しい訳でもありませんよ。と。

 そうしろと言われていたし、本当に、知っている事など何もなかった。ただ、確信していただけだ。

 取り立ても来客も、それからは訪れない。

 隣に住む老人が居なくなった日常が、続いただけである。

 そしてやがて、盗人騒ぎは噂にも昇らなくなった。老人を案じる声と共に。

 

 そんな、自分と世間を冷たいと感じるのは、烏滸がましい行いであろうか。そう女は思う。だが、良くそんな綺麗事が言えたもんだとも自嘲する。

 纏った金の存在は、女に安堵を覚えさせている。

 これだけの大金があれば、娘が学府へ希望を持ったとしても諦めさせないで済んだ。

 長年で身に付いてしまった生活習慣は贅沢を求める様なものではない。

 真っ当に、やっていける。それは女の安心を担保するものだった。それでも。

 

 その金に、安易に手を付けるつもりはなかった。アレは心を寄せて、案じてくれたお爺ちゃんが遺してくれたものだ。あの金は、御守りなのだ。

 本当にどうにもならなくなった時までは、頼らない。女はそう決めてもいた。

 

「お爺ちゃん……」

 

 そう一言呟いて、彼女は仕事へ向かう。

 彼が言ってくれた様に、親子二人で人生をやり直す為に。

 

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