5歳の夏、初めて母に褒められた。俺が一体の人形を作り上げたからだ。
精緻なそれは、仕立てた黒子風の衣装を着せれば人と見分けがつかないほど。自分で言うのもあれだが、今この世界にこれ以上完璧な人形を作れる職人はいないだろう。
けど、俺の心にあったのは、落胆。
目の前の女はきっと、母親になるべきじゃなかったんだという、落胆だった。
こいつは、俺の人形師としての才能にしか興味がないんだ。
影紬。闇の人形師の一族。俺はそこの
物心がついたとき、既に俺は人形の作り方を知っていた。飽きるほど教え込まれていたからだ。そして、初めて作った人形が、母のお眼鏡にかなったのである。
家出の計画を立てよう。こんなところにいたら頭がおかしくなってしまう。そう思った。
思えば忙しい10年だった。言われた通りに人形を作りながら、目の届かないところで世界を学び、路銀をかき集め、戦う手段を手に入れ、身を隠す場所と逃げ切る算段をつける。
そして、決行の日、俺は母に殺された。計画なんて最初からバレてて、利用されるだけ利用されたんだ。
「被造物が創造主の元から逃げようなんて、酷い失敗作だ」
そんな言葉が、意識の途切れるその瞬間まで、ずっと頭の中に響いていた。
Wake up! Like a sleepless doll.
覚めるはずのない目が覚めた。
身体は冷たく、なのに寒くない。触れれば確かに皮膚の柔らかさが感じられたが、人肌の温度はなかった。
この触感を知っている。人形だ。
状況を確認しようとも、どうにも
少しずつ肉体に感覚が宿っていく。俺は倒れているようだった。とりあえず立ち上がろうと床に手を付く。
生温かい液体に手が触れる。
なんだろうか、これは。
もう一度触れると、小さな水音が聞こえた。聴覚が宿ったらしい。手に付着したそれを、舐めとってみる。味覚は既にあって、鉄のような味が口の中に広がった。
そうか、これは血か。では誰の?
やっと世界が見え始める。暗い場所だが、多分ここは母のアトリエだ。そして、俺が死んだ場所でもある。
ならこの血は俺のか?
目が暗闇に慣れ始める。
母と目が合う。
「あ、え、あ?」
首だ、母の首が転がってる。あそこには腕が、少し遠くには脚が、胸部が、腰が。
バラバラになった人形みたいだなんて。
「おや、お目覚めですか?」
誰かの声がした。知らない声だった。
底冷えするよな恐ろしさと、呆れるほどの胡散臭さと、ほのかな優しさが入り交じったその声は、どうやら俺に向けられていたらしい。
「少し早すぎますが、いいでしょう」
声の方向に目を向ける。
そいつは、普段掛けてあるベールはめくられていて、人間そっくりの顔を晒していた。知っている顔だ。
「さて」
声を出す間もなく、黒布が視線を閉ざす。
嫌な感覚だ。この子がこの子でなくなるような、遠くへ離れていってしまうよな、最悪の予感がする。
けれど、目を閉じることも耳を塞ぐこともできなくて。
「本日、四代目を襲名いたしました、影紬と申します。以後、お見知りおきをば」
「・・・・・・いえ、叶うのなら、もう二度と出会いませんように」
あの後、俺はまた意識を失い、次に目覚めたときには、影紬も母の死体もなく、血痕も綺麗に拭き取られていた。
いつものアトリエに戻った。あの子がいない、ということを除けば。
自我の芽生えた、あるいは最初からあったのか、自らの意思で出ていったあの子を探す術はない。何故母を殺したのか、何故影紬の名を自称したのか、何故出ていってしまったのかは分からない。
分からない、分からないと頭を悩ませていたらどうやら3日が過ぎたようだった。そういえば、もうこの体は人のものではないのだった。時間感覚も人から乖離しているのかもしれない。
幸いにもその3日でこの身体にも完全に慣れ、前と同様に動かすことができた。そして、ある程度心も落ち着いた。
そういえば、きっとあの子が作ってくれただろうこの躯体は、一体どんな容姿をしているのだろうか。どういうセンスか、足元がギリギリ見えないくらいの双丘が実っているので、おそらくは女の身体にされているのだろうが。
大きな姿見の前に立つ。
息を飲む、という経験はこれが初めてだった。
人だ、見事なまでに。
長い白髪は、3日間手入れを怠った影響か少しパサついて、けれど艶やかな
化粧の崩れた顔立ちは、少しの隈と疲労を滲ませながら尚美しく。
均整の取れた肉体は、胴も胸も関節部も、人形らしさの一切が排除されている。
人という種の不完全さも美しさも、完璧に詰め込まれたまさに珠玉の作品だ。
次にもし、会うことがあったなら、思い切り頭を撫でてあげよう。そうだそうしよう。それがいい。母が重なるようで不本意だが、これは褒めねば親じゃない。
・・・よし、品評はここまで。
「どうしようかな、これから」
美しいソプラノの声がよく響く。自分の声だ、まだ慣れてないけど。
さて、言葉の通り、考えなければいけないのはこれからどうするか、だ。
今までは母から逃げ切ることばかり考えて、実際逃げ切れたら何するとかは考えてなかった。思った形ではないけども念願の自由が叶った今、俺は何をしたいんだろうか。
分からない。
分からないから、旅にでも出ようか。目的はやりたいことを見つけること。うん、いいんじゃないだろうか。
そうと決まれば善は急げ。男物の服に手を加え、不細工でない程度の婦人服を仕上げる。路銀は十分、地図はいらない。食料もまあまずまずだ。
荷物を纏め、最終確認。忘れ物はないね、よし。
「・・・さようなら」
多分、帰ることはないだろうから。そんな予感がするから。俺の育ったこの
旅は、楽しかった。人形しか知らない俺は、目に入る全てが新鮮で、興味深く、楽しかった。頬を撫でる柔らかい風、体力を奪う砂漠の陽射し、森の鬱陶しい虫も、夜の寂しげな静謐も、俺の心を踊らせた。
時に魔物に襲われることもあった。時に立ち寄った村の人々に頼られ、技師紛いの仕事を請け負ったこともあった。時に戦争に巻き込まれることもあった。
人の死も、新たな命の誕生も、たくさたくさん見てきた。
見てきて、それで俺は今────
「お姉さん!お姫様のお人形さんください!」
「はいはい、少し待っててね」
────おもちゃ屋さんを営んでいます。
場所はグランドノアの一角。商品は人形を中心に、ぬいぐるみや剣、盾を模したものだったり。休日には街の広場で子供たちを集めて人形劇をやったり、あるいは依頼を受けて精密機器の修理をしたり。
おもちゃ屋なんて言ってはいるが、実質的には何でも屋みたいな感じだ。やりがいはある。
店を開いてもう長い。5年くらいかな。常連さんも来てくれるし、新しく命を授かった夫婦が顔を見せに来たりもしてくれる。
こうなるなんて、家にいた頃は想像もしなかったな。
幸せだ、胸を張ってそう言える。
けれど、物悲しさも少しある。あの子は元気にしているだろうか。楽しくやっているだろうか。俺が背負うはずだったものを背負って、あの子は幸せに暮らせているだろうか。
それだけが、ずっと気がかりだ。
「玩具屋、ですか」
「ええ」
グランドノアにて、コロシアムで優勝し、ミノタロス娘の大量失踪、ヤマタイ村の神社問題、メフィストの正体も暴いて、いよいよグランゴルドかと気を引き締めた矢先のこと。
女王様からの依頼は、玩具屋店主の調査であった。
理屈としてはこうだ。
グランゴルドは魔芸、魔導に精通している国。ゴーレムを始めとした様々なドールが人々の生活を支え、あるいは戦場で活躍した歴史を持つ。
そして、件の玩具屋は5年前に訪れ、店を開いた。扱う商品は主に人形で、出来はもはや狂気的なまでに高い。加えて、機器の修理であったり、玩具以外の物作りであったり、持ち前の技術で人々の助けになり、今ではグランドノアの民の多くが彼女の世話になっている。
精緻な人形を作る元旅人の技師、そして魔芸魔導の長けたグランゴルド。露骨すぎると思いつつも、疑う理由には十分、というわけだ。
「なるほど。狂気的と言っていた理由も分かりますね」
隣で、資料としていただいた商品の人形を見て、イリアス様がそうこぼす。
それは、人形と言われなければ人形だと分からないほどに人間だった。いや、そう教えられた上でなお、何かしらの理由で小さくなってしまった人間なのでないかと疑ってしまう、それほどに完成されている。
さらにこの人形、なんと喋るのだ。持ち主の趣味趣向に応じ、またその場の状況に合わせ、喜怒哀楽を含んだ声を発する。
そんな人形が、何体も作られている。たった一人の手によって。
狂気、まさに狂気である。
「並の人形師なら10年は必要なものを量産している方です。グランゴルドと繋がっていても不思議ではありません。意図は分かりかねますが」
メフィストが言うように、仮に彼女がグランゴルド側だとしてもまるで目的が分からない。
ともあれ、会ってみないことには何も始まらない。依頼を引き受けた僕達は、早速その玩具屋に向かった。
玩具屋の外見は、至って普通といった様子だった。時折子供が駆けていっては、吸い込まれるように店内へ入り込み、少ししてその手に新しい玩具を持って嬉しそうにまた駆けていく。
有り触れた日常がそこにあった。正直、疑いたくない。
意を決して、僕達も店へと踏み入れた。
「いらっしゃい・・・おや」
珍しいお客さんだなぁ、と思った。先日のコロシアムの優勝者だ。いつにも増して賑わっていたので、よく覚えている。
「何をお求めで?」
「え!?あ、えっと〜・・・」
何故か頬を真っ赤にする少年の頭を、僧侶服の少女がスパンと弾いた。いい音だ。彼も人形なのかな。
「街で人気の玩具屋、一体どんな場所なのかと思いまして」
いわば観光です、と天使の女の子が答えてくれる。なるほど観光。天使に僧侶、剣士のパーティで観光ねぇ。十中八九物騒な目的が裏にあるのだろうが、どうも悪意を感じない。
「では、何かありましたら声をおかけください」
「そうですか、では早速一つ」
「あなたは人形ですね?」
「イ、イリアス様・・・?」
───驚いたな。別に隠してたつもりはないけど、初見でバレたのは初めてだ。この子何者?
「単刀直入に聞きます」
「ええ、どうぞ」
「あなたはグランゴルドと繋がっていますか?返答次第では、この場で拘束します」
???
え、なんで?
「いや、違いますけど」
グランゴルドと繋がってる?あの戦争むちゃくちゃやってる国と?なぜ?何で疑われた?
「あの、何が何だか分からないんですけど・・・!」
ほらあの僧侶の子が混乱してるよ。隣の少年も赤べこみたく首振ってるし。あまり突拍子のないことは言うもんじゃないよ。
「その人が人形ってどういうことですか!」
そっちなんだ、俺が疑われてることはいいんだ。いや当たり前か、そういやパーティだもんなこの人達。びっくりして思考回路に問題が発生してるやこれ。
「見ての通りです」
「分かりません!」
分かんないよね普通。
「ともかく、あなたはスパイではない、ということでいいのですね?」
「なんで疑われたのか分からないですけど、あんな国と関係を持ったことはないですよ」
「・・・嘘ではない、ですね。分かりました、信用します」
「あ、はい」
いやだからなんで?あれか?俺の腕か?そういやグランゴルドって人形やらロイドやらが発達してたな、ウチほどじゃねぇけど。
「しかし、人形を作る人形ですか」
「えっと、本当に人形なんですか?」
納得したような顔の天使に反して、未だに疑問符の海から出られない少年が質問を投げてくる。
「そうですよ」
ま、躯体だけだけど。
「ところで、5年前から店を開いているのに、なぜ今更調査に来たので?」
念の為と、何やら魔法的なもので捜査を続ける天使を眺めながら、少年に声をかける。
「実は、ついにグランゴルドに攻め入ることになって」
「後顧の憂いを断つ、ですか」
なるほどね。ここに来たのも本当に念の為なんだろうな。仮にもし、スパイならまずいかもしれないから。そんな程度か。
「少年、名前を聞いても?」
「ルカです」
「ルカ、か」
いい名前だと思った。
改めてその容姿を眺めると、なるほどコロシアムで優勝できたのが納得できる。若いながらにいい目をしていて、そしてよく鍛えられている。なかなかの修羅場をくぐってきたのだろうことが分かる。
でも解せない。そんな歳で、何故戦場に身を投じれる。どうしてそんな覚悟ができる。
この子は一体、何を抱えている?
「───ダメだなぁ」
つい、そうこぼしてしまう。
「え?」
「いや、なに、見て見ぬふりはできないなと思って」
酷い親だったからか、どうも俺は老婆心と言うべきものが強いらしい。特に、前の俺と同じくらいの年の子は、笑顔でいてほしいという我儘が強い。
だから、こんな子が凄惨な戦いに駆り出されるのを見てられない。
「ルカ、俺も連れて行ってくれないか?」
気付けば、素で話しかけていた。
「グランゴルドに、ですか?」
「いや、君の旅にだよ」
予感がある。きっとこの先、何度も困難にぶつかるだろう嫌な予感だ。けど、知ってしまったのだから、何も出来ずともせめてついて行こう。
ついでにあの子も見つけられたら、なんて。
「強いよ、そこそこ。これでも長く旅人だったから」
窓際で、僧侶の子と天使の子が会話をしている。時折僧侶の方が困った顔をしているあたり、どうも天使の方は問題児らしい。
「えっと、こちらとしてはありがたいんですけど、何故?」
「・・・俺はさ、子供の笑ってる顔が好きなんだ」
「笑ってる?」
「そう」
旅をしてきた。その過程で己を知った。きっと俺は、どうしようもなく、子供が好きなんだ。
そして───
「君は俺から見れば子供だよ、ルカ」
「!」
「ははっ、驚いた顔してるー」
・・・こんな顔させる世界が許せないなぁ。子供っていうのは、もっと我儘を言って、もっと甘えていいはずなんだよ。例えどんな使命を背負っていても、どんな運命に見舞われていても、これは変えられない俺の感覚、あり方だ。
俺がされなかったことを、せめてこの子にしてあげたい。歪んだ世界のせいで剣を握るあの子を、できる限り支えてやりたい。
エゴでもなんで、決めたからやろう、そう思った。
「そういえば」
はっと気づいたように、ルカは私の目を見た。
「名前、教えてください」
おっと、そうだったか。まだ名乗ってなかったな。
しかしどう名乗ろう。今までは技術屋、玩具屋、人形師、お姉さんなんて呼ばれてきたけど、今後はちゃんと固有名詞が必要になりそうだな。
なら、あの子に付けた名を名乗ろうか。どうせ元のは盗られたんだし。
「
せめて物語の舞台に登らぬように、そんな願いを込めたこの名を、主役の勇者に名乗る皮肉が、今は少し、誇らしかった。
そして俺は、勇者の仲間に入ることになった。
本来の四代目。人形を作る、ということに関してはガチで右に出るものはおらず、白兎をして「これ以上の才能には会ったことがない」と言わしめるほど。
仮に5歳のときの課題が「人間のような人形」でなく、「戦闘用の人形」だったら特異点世界は普通に終わってたし、破滅事象は+1されていた。