武士娘転生 剣の聖地にTS転生した忠犬の奮闘記 作:斑模様のキャットフィッシュ
────ルーデウス視点────
十日間にも及ぶ事務所に泊まり込んでの鍛錬の末、俺は社長であるオルステッドから直々に次の仕事の通達を受けた。
三日後の出張に備え帰宅を果たした俺を出迎えたのは、酷く懐かしい光景だった。
──そう、これは俺とエリスとルイジェルドの三人が冒険者として旅をしていた頃に良く見かけた光景である。
エリスだ、小さいエリスがいる。なんだ?何が気に食わなかった?
この子は半分は俺の子だし、前世の記憶だってあるんだぞ?エリスの遺伝子が強烈すぎるだろ!?
条件反射の様に、俺の脳裏に危険信号が鳴り響いている。
そこにはボコボコに腫れ上がった顔で転がるリニアと、仁王立ちでそれを見下ろすエディトがいた。
「父様!お帰りなさいませ!……どうして鼻を抑えているのです?」
「マジで死ぬかと思ったニャ…このチビ殴っても殴ってもビクともしないとかどうかしてるニャ…」
「は?お前エディトを殴ったの?」
「ニャ!?」
「ひぃっ!…だ、ダメです!ダメですよ父様!私が先に手を出したんです、リニアーナを殺さないでください!」
「いや、殺しまではしないけどさ…」
俺の前で堂々とエディトを殴ったと公言するリニアに危うくキレそうになるが、本気でビビりながらリニアを庇おうとするエディトに毒気を抜かれてしまった。
やはりというなんというか、リニアがこの十日間でやらかしまくってエディトの逆鱗に触れたらしい。
ボレアスパンチをマウントポジションから叩き込まれて心をへし折られたのだろう、リニアの振る舞いの節々からエディトへの怯えが見える。
さて、これはどうしたものだろうか。
エディトが怒るなんてよっぽどだろうし今後も山猿時代のエリスみたいに無闇やたらと殴ったりはしないだろうが、エディトの場合はフィジカルが違いすぎる。
5歳にして下手な上級剣士より強いエディトだ、ふとした時に力加減を間違えて近所の悪ガキを殴り殺してもおかしくない、一度しっかり注意するべきだと思った。
「だからと言ってここまで殴ることはないんじゃないか?」
「父様、リニアーナは殴られれば覚えられる人間です。」
「パパは殴られて学習しない奴の方が少ないと思うけどな…」
いや、エリスは誘拐犯に瀕死になるまで殴られても覚えなかったけど。
「殴られねば覚えぬと言うのなら殴って覚えさせれば良いのです。」
「んな無茶苦茶な…」
エリスを通り越してサウロスの爺さんの血が隔世遺伝したんじゃないか?昭和の頑固親父だって裸足で逃げ出すぞ。
とは言え俺も一度こいつらをぶちのめして誘拐して縛り付けたまま男子寮に放置して顔面に屈辱的な落書きまでした身だ、もう殴るしかない一線を超えられたのならそれを注意する筋合いはないようにも思える。
「あ、…お兄ちゃん、お帰りなさい。」
そうして俺が悩んでいる内に、少し暗い顔をしたアイシャがやって来た。
「アイシャ…先輩!いい所に来たニャ、アイシャ先輩からも言ってやって欲し「リニアーナ!!アイシャ姉様をその目で見るのはやめなさい!!」はい!申し訳ありませんニャエディト様!」
リニアがアイシャに助けを求めようとした瞬間にエディトが激発し、とんでもない威圧感を放ちながら瞳孔の開いた目でリニアを睨み付ける。
「父様…責任を放棄するようで恐縮なのですが、リニアーナにはメイドの仕事以外で働かせた方がいいと思います。」
「……まぁ毎度ボコボコに殴られながらじゃ流石にリニアも可哀想だしな。だからって、そうポンポンと仕事なんて用意してやれるもんじゃないぞ?ここでメイドを辞めさせて何をさせるって言うんだ?」
「何って、兵を持たせれば良いではないですか。」
「兵を持たせる?」
既にリニアを追い出すつもり満々なエディトを止めるために代案を求めたがアッサリと答えを返されてしまった…やけに用意が良くないか?
「オルステッド様は呪いのせいで父様しか部下を持てないと言うではないですか、それなら父様の命令で動く兵を揃えて、リニアーナに管理させれば良いのです。」
物騒だが少なくともメイドよりはリニアの適性に合った仕事と言える、ほっとけば勝手にガラの悪い連中を集めて幅を利かす奴だからな、こいつは。
「街の警邏を任せれば使徒からの襲撃も防げますし、オルステッド様や父様が出向くまでもない仕事を任せられるようにもなります。
それに…使用人ではなく軍の長であれば稼げる給金も上がります、リニアーナも一生奴隷として働かずに済むやもしれません。」
つらつらと理路整然とした説明を続けるエディトを見て、俺は話の流れを理解し始めていた。
「エディト…もしかしてさ、ずっと前からメイド以外の仕事をさせるつもりだったんじゃないか?」
「…………」
黙ってしまった…つくづく嘘の付けない子だよなぁ。
実のところ、エディトが本気でリニアに怒ったのはアイシャに助けを求めた時だけだ。
それ以外はむしろ気遣うような、庇おうとする様な雰囲気まである。
「はぁ……分かった。リニア、良い感じに事務所になる場所見繕って初期費用は用意してやるから、そこで人を集めてみてくれ。」
「分かったニャ、ボス「ボス?」ご、ご主人様!分かりましたニャご主人様!誠心誠意努めさせて頂きますニャ!」
完全に上下関係を叩き込まれている、少し可哀想に…ならないな。
5歳児に口で言っても分からないと見限られて殴り負けた挙句再就職先の打診までされる方がどう考えても悪い。
まぁ元を辿れば法外な金でリニアを引き取って放置した俺が悪いんだけど、十日も保たないなんて思わないだろ普通。
リニアをどうするかは決めたが、それではい終わりと言うわけにもいかない。
明々後日には出張に出るのにデリケートな問題を引き起こしてくれたリニアに非難の視線を送ってから、帰宅早々に頭を悩ませる事になった。
────エディト視点────
実のところリニアーナにはそこまで怒っているわけではないのだ、仕事を覚えようともせずに利益目当てで父様の妾の座を狙っていると気付いた時は本気で殺意を抱いたがその程度である。
そもそも彼女にメイドをやらせる事自体に無理があったし、失敗する前提で助けていくつもりではあったが、彼女とアイシャ姉様の相性が悪すぎたのだ。
彼女は確かに父様には感謝しているし自分の主人として尊敬もしている、シルフィ母様に対しては親しみからの軽い対応が目立つが、母様方にも全員彼女なりの敬意を持っている。
だが、アイシャ姉様やリーリャお婆様にはそうではなかった。
グレイラット家と言う枠組みの中で、いずれは自分より下の地位について働く者としてアイシャ姉様を見て、その態度を隠し切れていなかった。
これは貴種としてのプライドと明確な上下関係を前提に他者と繋がる獣族の価値観が悪い噛み合い方をしたのだろう、二度と上に噛みつこうと思わないように殴り伏せたからそれはもう問題ない。
だがもう手遅れだ、アイシャ姉様はリニアーナをグレイラット家に不要なものとして切り捨てる腹づもりで、半ば敵意すら滲み出している。
アイシャ姉様は思ったよりも複雑だったのだ。
彼女は父様の側に居られるから…いや、父様の側で働きぶりを見せられるからメイドをしているだけで、メイドとして下の者だと扱われる事には少なからず不満を抱いている。
ノルン姉様を隠す気もなく見下しているのがいい証拠だ。
彼女の半生を思えば仕方のない事だ、産まれた時から父様のメイドとして生きるべく双子同然のノルン姉様と区別され、才能を公平に認めてもらうことはできなかっただろう。
転移災害でパックスなる下衆に囚われて、そこでようやくしがらみなく愛してくれる父様と助け出されて、直後にゼニスお婆様の御実家へ送られた。
一夫一妻を絶対とするミリス貴族の…それもゼニスお婆様が逃げ出すほどの厳格な御実家で、ともすれば私の次ほどに産まれた事自体を疎まれる忌子として、一切の容赦なく己の立場を思い知らされた事だろう。
我が家のように妻の全員が対等でも無い限り、正室の子がおらず跡継ぎとして扱われるわけでも無い限り、妾の子は家に尽くすために生涯を使わなければならない。
アイシャ姉様ほどの才能が産まれ一つで他者の道具と位置付けられるのは屈辱で仕方がなかっただろう、やろうと思えば家を抜け出し存分に己の才能を活かして生きる事もできたであろう。
…だが、アイシャ姉様には父様がいた。
誰への憚りもなく公平に評価して愛してくれる、御家の庇護を放棄し己の力一つで身を立てて初めて得られるような存在が、当たりの前のようにそこにいたのだ。
だから逃げずにメイドとなった、それだけの事だったのだ。
私は産まれを歓迎されない者同士、アイシャ姉様にどこか仲間意識のようなものを感じていたが、お門違いだった。
私は彼女がグレイラット家のメイドなどではなく、ただただ父様の妹でしか無いのだとこの十日で理解した。
きっと私が彼女をノルン姉様と同列に扱うだけならこの家の誰も、リーリャお婆様ですら注意はしないだろう。
そんな彼女が己と同じように父様に命を拾われ恩を返すべきリニアーナに、仕事を任せても失敗ばかりでマトモにメイドとして働く気もないリニアーナに、どうせ自分の下につく人間なのだからと、そんな目で見られれば許せなくもなるだろう。
だが、仕方ないではないか。
リニアーナにとってはそんな事情など知らないただ血の繋がっただけのメイドだ。
詐欺にあっていきなり奴隷へと身を堕とされただけの彼女が、産まれた頃より一族を率いる者として育てられて来た彼女が、下働きのメイドの少女を心底から自分より上の存在として敬うなどすぐにできる事ではない。
仕方ないではないか。
アイシャ姉様にとっては己の才能でどうにかならなかった事など、この十三年間、私の前世よりも長い時間においても災害と己の産まれしかないだろう。
先輩として導いてやれると思った相手にメイドとして悪意なく見下されれば、父様の妹でしかない彼女には怒りを飲み込んで教え切るなどできるわけがない。
どちらの立場も心情も私には理解できた。
どちらの事情にも納得がいって同情できた。
だからどちらの責任でもなく、短気で幼稚な私の癇癪として、リニアーナに別の居場所を用意するべきだと思った。
だが………
「リニアの起業の手伝いをしろってお兄ちゃんに言われたから、当分メイドの仕事はエディトにお願いする事になっちゃうと思う。
ごめんねエディト…リニアの事、私が我慢できなかったのに嫌な役やらせちゃって、お兄ちゃんにもちょっと怒られちゃったな…」
父様には全てお見通しだったようだ。
私が理由もなく人を殴ったりしないと信じて裏の事情まで考え、その上でアイシャ姉様もリニアーナも許して、二人がただ失敗して喧嘩別れのままにならないように手を回してくださった。
きっと……父様にとっては私もただの娘に過ぎないのだろう、忌子でも不義理で産まれた子でもなく、ただただ己の娘として誰に対しても憚る事なく愛してくれているのだろう。
「父様には敵わないなぁ…」
私が一人で思い悩んで空回った事をこうも綺麗に纏められてしまうと、情けなさすら抱けないではないですか。
父様のわがままなぐらい素直な愛情が、私にも向けられているという事実が、どうしようもなく誇らしくて仕方がなかった。
リニアはメイド就任三日目の時点でこの人には荒事しか任せられないな…と見限られて転職用のプレゼン資料を用意されてましたが、アイシャのティーカップを割っても素直に謝れなかった所でとうとうボコボコにされました。
あと、エディト君ちゃんはこの十日間で体裁上メイドやってるだけで普通に対等な家族だと理解したのでリーリャ親子へのさん呼びをやめるようになりました。