稀代の暴君令息は、未来に期待出来ない 作:ヤハリ ナオ
今から五〇〇年以上も前のことだ。世界の半分は、混沌に侵された。
天は塵ばみ、河は枯れ、地は荒れ果てた。恐れ戸惑う人々を何よりも脅かしたのは、混沌の使徒と呼ばれる存在だった。
彼らは犬や牛、あるいは鳥など、動物のものと酷似した姿形をしていた。けれどもその外殻は鉄のように硬く、殺戮の本能のみに従い人間を襲う。滅亡の危機に瀕した人類を、しかし世界は──星は、見捨てなかった。
混沌に追いやられ、行き場をなくした自然が、人に宿るようになったのだ。
恵み育む大地。燃やし照らす日輪。飛ばし動かす天空。移ろい冷やす流水。
だが、使徒との争いは、終わったわけではない。数百年の時を経てもまだなお、続いているのだ。そう、今、この時も──。
◇◇◇
地響きに、幾多もの甲高い金属音、そして喧騒で埋め尽くされる荒野に、よく通る怒号が響く。
「──使徒には必ず複数人で当たれ!!いいか、決して一人で戦おうとするな!!いたずらに死体を増やすだけだ!!」
馬に乗る、黒い軍服に身を包んだ男性がそう叫ぶ。その言葉に従い、軽鎧を纏った兵士たちはいくつもの小規模の部隊を形成して動いていた。
ここは戦場だ。ゼレンハーティア王国の南、イシュザーク公爵領の更に向こう。混沌の使徒と人類が戦う最前線。
数百近い数の使徒を、同じく数百近い数の兵士が迎え撃つ。
駆けてくる狼を模した使徒を、兵士の一人が身の丈はあろう盾で受け止める。動きの止まった使徒を、すかさず他の兵士たちが取り囲み、手にしている剣や槍を振るう。
戦場のあちらこちらで見られるどこか作業染みたその動きは、しかし使徒に対しての最も優れた戦い方だ。使徒同士は共食いこそしないものの、協力というものも基本しない。故にこの戦場においても使徒の行動はバラバラだ。そのため素早く複数人で使徒を仕留めていけば、人的損耗、つまり負傷者や死者をなるべく減らすことが出来る。
が、なかなかどうして現実というのはそう上手くいかない。疲労というものは、人にも、武器にも蓄積する。
牛型の使徒の突進。兵士の一人が、大盾を以てそれを受け止めんとする。けれども戦端が開かれてから、優に三〇分以上が経過していた。その間何度も使徒の攻撃を受け止めてきた彼の腕は、気付かぬ内に限界近くになっていた。
思うように動かぬ腕で構えた盾は、合わせる角度がズレていた。
衝撃。使徒の突進に盾は耐え切れず砕け散り、兵士自身も大きく吹き飛ばされ、地面を転がった。痛む身体をおして、何とか起き上がった彼は、背筋を凍らせた。盾で威力は減衰されていたにも関わらず、突進を食らった鎧は、大きくひしゃげている。生きていたのは、ほとんど奇跡だ。
ゾッとする彼の元へ、再び使徒が駆け出す。慌てて他の兵士が妨害に入るも、剣や槍で傷を付ける程度では、使徒は何の痛痒も示さない。
死が迫ってくる。
「ひっ──」
情けない声が漏れた。避けなければならないと分かっているのに、足が竦む。怒りや怯え、食欲など、獣が人を襲う理由は様々だ。だが、使徒が持つ純粋な殺意ほど恐ろしいものはない。
死が迫ってくる。
「……チッ」
──その時、突風が吹いた。
荒野の枯れ草が揺れ、次の瞬間には、牛型の使徒の胴体と頭部が泣き別れを迎えていた。それを成したと思われる人物も、地面にへたり込む兵士の前に立っていた。
白のシャツに、黒のズボンという、戦場に立つには少々ラフな格好。左肩に取り付けられたマントがなびく。右手には剣が握られている。おそらくはそれで使徒の首を斬り飛ばしたのだろう。
「た、助かった……!ありが──うっ……ラ、ライルハーツさま……」
一命を取り留めた彼は安堵の表情を浮かべ、次に救世主の顔を見て表情を強張らせた。
兵士を助けた金髪の青年は、ライルハーツ・ノア・イシュザーク。イシュザーク公爵家の令息だ。この公爵領において最も敬われる人物であり、また最も畏れられている人物でもある。
彼の悪評は数知れない。自身の前を横切った使用人を殺した、戯れに兵士同士で殺し合わせた、密かに使徒を飼っているなどなど。
ただでさえ高貴な相手。加えて機嫌を損ねたら何をされるか分からないとくれば、兵士は助けられたというのに生きた心地がしなかった。
「お、お手を煩わせてしまい申し訳ありませんッ……!」
「……」
真っ青になって、彼は頭を下げる。ライルハーツは冷たい目でそれを一瞥した後、風を纏って姿を消した。
どっと押し寄せる倦怠感。今度こそ、助かった。
安堵の息を吐く彼の元へ、他の兵士が数人駆け寄ってくる。
「お、おい、大丈夫か?」
「今の、ライルハーツさまだろ。暴君令息の」
「威圧感凄かったな……」
「おっかねぇ〜……だがまぁ助かって良かったぜ。立てるか?」
「あ、ああ……ありがとう」
仲間と言葉を交わしつつ、手を借りて兵士は立ち上がる。
「どうする?後退するか?」
「いや、他の部隊に合流しよう。剣を貸してくれ」
「おう、ほらよ」
「ありがとな」
大盾を失くした兵士は、予備の剣を仲間から受け取り、腰に携える。
戦いはまだ終わっていない。今こうしている間にも続いている。
かくして兵士は再び、使徒との戦闘に身を投じるのであった。
侵攻してきた使徒を全て討伐し終えたのは、それから一時間近くが経ってのことだった。
◇◇◇
人間の本質はいつ現れるのか。その問いに対して、ある者は家族と共に在る時だと答え、ある者は反対に孤独で居る時だと答える。中には、他者と比べ優位な立場に立った時だと答える者もいる。
ただ一番ありふれた意見は、追いつめられている時、極限状態にある時だというものだろう。
危機に陥って、人はその本性を見せる。
ところで人類はここ数百年の間、ずっと使徒の侵略に遭っている。危機に見舞われ続けている。
人は星術を以て使徒に抗ってきたが、その力は果たして、それを扱う者にもう一つの力をもたらした。すなわち権力だ。星術を扱える者は貴族とされ、何の力も持たない平民と区別されるようになったのだ。
貴族は領地を任せられ、そこに生きる平民から税収を得て豪勢な暮らしを送る代わりに、使徒から領の民を守ることが義務となった。
星術を使える貴族は、一騎当千の存在だ。故に貴族は多くの子をつくることもある種の義務とされた。戦力的には、いくら居ても困ることはない。しかし金は湯水のように湧いてくるわけではなく、税収にも限度がある。全ての貴族の家が贅沢な生活を送れるわけではなくなっていき、次第に没落する家も出てくるようになってきた。
すると激化してくるのが、権力争いである。誰だって苦しい生活はしたくない。だから手頃な相手を貶め、妨げ、消し去り、少しでも自身の利益を得ようと画策する。そしてそれは、家規模から派閥規模、国家規模で行われている。
未だ使徒という危機がすぐ傍に存在しているにも関わらず、人類は内輪同士でも争いを繰り広げているのだ。愚かと言う他ないだろう。
つまるところ、人類の本質はどうしようもなく愚かだということになる。とするならば、権力闘争の渦中にいる俺もまた、非常に不本意ながらそうなのだろう。むしろ筆頭とすら言えるのかもしれない。
だが言い訳させてもらうのならば、望んで権力争いなんてものをしているわけではないのだ。──巻き込まれた。その一言に尽きる。
しかめ面で俺は、執務机の奥に座る元凶の男を睨んだ。
纏う衣装は一目見て上等だと分かる代物だ。薄ら皺の刻まれた顔には、内心を窺わせない微笑が浮かんでいる。
男の名はサイモン・ノア・イシュザーク──イシュザーク公爵家の名代だ。すなわちこのゼレンハーティア王国で国王陛下に次ぐ権力を持つ男である。
そのサイモンに呼ばれ、俺は今、公爵邸の執務室にて彼と対峙していた。
「──今朝は使徒の間引き、ご苦労様でした、ライルハーツ殿。お怪我はなかったようで何よりです。イシュザーク公爵家の正統な跡取りに、何かあっては事ですから」
思ってもいないことを良く言う。
俺は呆れともおかしさともつかない感情を抱いた。
その正統な跡取りを最も疎んでいるのはお前だろうに。
「そうそう、此度もまた領軍の兵士が危ういところを助けて下さったようで。流石です。ますます兵士から慕われてしまいますね」
「別に助けたわけじゃないが……そうだな。おかげさまで、とでも言っておこうか」
「おやおや……」
皮肉に皮肉で返す。
──俺が七歳の頃に母は病で亡くなり、八歳の頃に父は戦死した。
いつまでも続くと思っていた幸福な日常は、いとも容易く崩れた。
しかし悲嘆に暮れる間もなく襲ってきたのは責任だ。父は公爵──つまり、領主だった。この公爵領に住む五万人近い人々の命を背負う立場にあったのだ。その父が亡くなった結果、役目は自動的に俺に引き継がれた。
だが領主教育を受けていち年程度しか経っていないガキが、まともに領政など行えるはずもない。代行が必要だった。
そこに現れたのが、俺の叔父にあたるこの男、サイモンだった。
思い返せばまったくバカバカしい、若気の至りでしかない話なのだが、当時の俺は、彼が差し伸べた救いの手を、何の疑いもせずに掴んでしまった。父の兄なのだから、信を置ける人物なのだろう、なんて間抜けとしか思えない考えで。
実際公爵の名代となった彼の手腕自体は賞賛に値するものだった。領主を務めていた父と遜色ない、ものによってはそれを上回る仕事を見せ、彼は次々と屋敷の文官たちの信頼を勝ち取っていった。武の心得もあり、侵攻して来る使徒との戦いにも何度か出陣し、兵士の尊敬も集めていく。領民との触れ合いも欠かさず、時には直に聞いた要望を受け入れたりもして、着々とその地位を固めていった。
全てに気付いた頃には、もう遅かった。僅か一、二年で、サイモンの公爵の名代としての地位は盤石なものと化していた。どころか、名代と扱うには手に余るほどの権力を手にしていた。
要するに、事実上公爵家を乗っ取られてしまったというわけである。
それからはまぁ随分好き勝手されたものだ。領主教育は中断され、部屋は離れの小部屋に移され、食事に毒は盛られ、根も葉もない悪評なんかも流された。挙げていけばキリがない。今日に至るまで、ひたすら悪意に晒され、蝕まれ続けた。そしてそれは、きっとこれからもだ。
「──で?何の用で俺を呼び出したんだ?まさか薄っぺらい世辞を述べるためじゃないだろう?」
つまりはこの男は、好んで顔を合わせていたい相手ではない。さっさと用件を話すよう促せば、サイモンもまた口を開く。
「ああ、これは失礼。お互い忙しい身ですのに、無駄話なんかしている暇なんてありませんでしたね。……ライルハーツ殿をお呼びしたのは、これを渡すためですよ」
書類の積まれた執務机の上に、スッと差し出されたのは封書だった。白い封筒には、青い封蝋が刻まれている。
「
界立学院は、人類の生存圏の最端に世界共同で建てられる学習機関だ。通えるのは、成人を迎えた星術を行使できる貴族の子息だけ。そこでは、最新の学問や技術を学ぶことが出来る。同時に使徒の侵攻を防ぐ役目も持っていて、言ってしまえば各国で賄い切れない防衛線の穴を、各国から集めた貴族の子息で塞いでいるというわけである。またそれだけでなく、他領や他国の者と縁を結ぶ社交の場でもあったりする。
「申請した覚えはないなんだがな。それに確か入学は、義務ではなく権利だったはずだが?」
「ええ、もちろん、仰る通りです。ですが今のライルハーツ殿では、些か知識なり経験なりが不足していると思いまして。いくらライルハーツ殿が来季から十六歳を迎え成人となられるとしても……いきなり公爵の務めを果たそうとするのは早計でしょう」
「学院でものを学んでくるべきだと?」
「差し出口かもしれませんが……」
じっと封書に目を向ける。
成人を迎える以上、どれだけサイモンが実権を握っていようと、ゼレンハーティア王国の法では俺が正しく公爵となる。即ち強権を発動してサイモンを追放することも可能になる。尤も周囲の反発は想像もできないものになるだろうが。
学院に通うとなれば、当然領主の執務をこなしている暇はなくなるため、爵位継承はお預け、就学期間である三年間のモラトリアムが生まれる。その間はサイモンが名代として領政を回すことになるだろう。ますますサイモンの地位は揺るぎないものとなる。そしてもし俺の身に何かあった場合──公爵の座はサイモンが引き継ぐことになる。
ここに残るか、学院に向かうか。どちらを選ぶべきなのかは、俺にとっては考えるまでもないことだった。
封書を手に取り、ひらひら揺らす。
「お前の進言を受け入れよう、サイモン。留守の間、公爵領は頼んだ」
「──。え、ええ、お任せ下さい」
やけに俺が素直で驚いたのだろう、サイモンは一瞬面食らった表情を見せた。
珍しく間抜け顔が拝めたことにちょっとした満足感を覚えながら、俺は執務室を後にした。