稀代の暴君令息は、未来に期待出来ない 作:ヤハリ ナオ
学院に通い出して迎える初めての週末。尖塔にある小さな食堂で、丈の長いメイド服に身を包んだグレイシアは、いつになく張り切っていた。机に頬杖をついている俺の前で、彼女は小さく胸元で両腕を立てる。
「──やっとこの日が来ましたねー。待ちに待ったショッピングの時間ですー」
「やけに気合いが入ってるな」
「そりゃ入りますよー。だってこの場所……」
ぐるりと周囲を見回した彼女は、言葉の続きを口にする。
「ほとんど何もないんですもん。貧乏貴族でももうちょいものありますよー」
「まぁ……そうだな」
同意を示す。というか、示さざるを得ない。何せこの場所には、本当にものがないからだ。あるのは申し訳程度の備え付けの家具だけ。棚は空っぽ、置物の一つすら飾られていない状態だった。公爵家の者が住んでいると言われて信じる者など、誰一人としていないだろう有様である。
「別に贅沢な暮らしがしたかったわけじゃねーですよー?ただ何事にも限度があると言うかー……調理器具も食器もないって、有り得ねーですよー」
「いや、なくはなかっただろ」
「鍋一個と木の皿二個じゃないっすかー。わたしが寮に無理言って諸々借りてきてなかったら、碌な料理食えてませんからねー?」
グレイシアにそう言われて、俺はそっぽを向いた。正直何も言い返せない。
「というかー、料理してる最中毎回後ろに立って見てくるの、やめてもらえません?すっごい圧を感じるんですけどー」
「毒を入れられるかもしれないだろ」
「いやそんな真似しませんよー……信用ねー」
ボヤくグレイシア。けれども見張りは必須だろう。警戒を怠って、何も成し得ないままくたばるつもりは毛頭なかった。
「まぁとにかく今は、お買い物ですよお買い物ー。今日を逃したら次は二週間も先なんですからー」
学院は広大な敷地を有していて、設備の数々も大層充実している理想の学術機関ではあるが、商店というものが存在していなかった。上流貴族であれば、無理を言ってお抱えの商会や御用商人なんかを呼び付けることが出来るが、他の者はそうはいかない。普通の貴族は揃えたい品が生じた場合、二週間に一度広場で開かれる、商人の集う市場に足を運ぶ必要があった。
身分だけで言えば俺も上流貴族ではあるが、贔屓にしてる商会などあるはずもなく、欲しいものがあるならば市場で買うしかないというのが現状であった。
「分かった分かった。食器と調理器具を買えば良いんだな?」
「それだけじゃないですよー?カーテン、姿見、掃除用具、バス用品……服ももうちょい買った方が良いと思いますしー、何よりライルハーツさまは寝具を買うべきですー」
「服は要らん。寝具も今のままで良いだろ」
「良いわけねーでしょ。服はまだしも、寝具は絶対要りますってー。ライルハーツさまが使ってるベッド、マットレスがなくて硬い木が剥き出しじゃないですかー」
「問題ない。寝れてる」
「あーもう駄目です、駄目駄目ですー。睡眠初心者の考えですよそれー」
いやもう睡眠との付き合いは十五年目に差し掛かるんだが?誰が初心者だよ。
「睡眠っていうのはですねー、至高の贅沢であり、魂の休養なんですー。人間は一日の三分の一を寝て過ごすんですよー?寝具に拘るのは、当然のことなんですー」
「俺は遅寝早起きだ。三分の一も寝ない」
「なんだこの人、うっせーなー……でもだったら尚更ですよー。硬いベッドで寝るよりも柔らかいベッドで寝た方が、より質の良い休息を取れますからー。同じ短時間の睡眠でも、ずっと効率的ですー」
……一考の余地はあるか。確かにどうせなら、より効率の良い睡眠をとりたい。無駄に高級なものを買う気はないが、それなりの品質の寝具は買っても良いかもしれないないな。
「……けどよく考えたらライルハーツさまって、お金持ってるんですかー?事情を鑑みたら、お小遣い貰えてるようには思えないんすけどー……」
「小遣いはないが金はある。使徒をぶっ殺して、その素材で稼いでたからな」
「ワイルドっすねー……」
実に良い収入源だった。ストレス解消にもなるし。ただこちらでは使徒の生息域には簡単に立ち入ることが出来ないようだし、無駄遣いは避けたいところである。とはいえ聞いた感じ、ある程度の出費は免れなさそうだ。好んで不便な生活を送りたいわけではないし、一応はここの主人でもあるわけだから仕方ない話ではあるが。
「まぁ心配ないんなら良いですー。ほんじゃぁ市場へ行きましょー」
ダウナーでありながらテンションは高くという何とも器用な真似をするグレイシアを連れて、俺は市場に赴く。
そしてまず、景観がガラリと一変していることに驚いた。学院にやって来た初日、敷地を軽く案内してもらった時にこの場所を通ったが、その時はただの広場でしかなかった。それが今はどうだろうか。
通り道を残して絶え間なく露店や荷馬車が敷き詰められており、簡素なブロック状の建物までもが立ち並ぶ。どこからどう見ても立派な商店街、それが広場に誕生していた。
市場は活気に溢れている。相手が貴族故に口調には気を遣われているが客引きの声は飛び交っていて、また生徒たちの楽しげな会話も聞こえる。
多数の国の貴族が集う特殊な空間だけあって、商品の中には、ゼレンハーティア王国では見ない珍しい品も存在していた。目に入ったそれらを、グレイシアが逐一報告してくる。
「──見て下さいライルハーツさま、変な壺ありますよー。買いますー?買っちゃいますー?」
「買わん」
「お、めっちゃ毒々しい色の花発見。あれ買って住まいに彩り添えちゃいますー?」
「添えない」
しつこく呼びかけてくるグレイシア。コイツ、はしゃぎ過ぎだろ。
「お前も買い物好きか。女ってのは皆そうなのか?」
「まぁ好きな人は多いでしょうねー。……というかお前もって……誰とお買い物に?もしかして、婚約者さんとかですかー?」
「そんなもんいるか。姉がそうだっただけだ。……実際何かを買ってたわけではなかったが」
「左様でー」
「それよりさっさと買うもん買うぞ」
グレイシアの抱いた下世話な興味をバッサリと切り捨てて、止めていた足を再び動かす。少し遅れてついて来た彼女と共に、人通りの多い道を歩き出す。
「多少吟味くらいはさせて下さいよー?一応わたしも半分出すんですからー」
「お前も払うつもりなのか?」
「まぁ、共用で使うものですしー……。全額払わせるのは気が引けるというかー」
「別に気にしなくても、全部出すが」
というか、それが常識だ。上の者が金を出す。下らない見栄と見做すことも出来なくはないが、立場が違えば使える金の量も違うのだから、むしろ当然の行いとも言える。
「……いや、やっぱり半分払いますよー。その代わり、いくつか余計なものも買っちゃって良いですかー?」
「……まぁ、馬鹿みたいに高いもんじゃなかったら」
「やたっ。ありがとうございますー」
さてそういうわけで買い物開始だ。グレイシアの目利きのもと、必要な品々を買い揃えていく。あらかたを買い終えた頃には、二時間近くが経っていた。
結構な大荷物となったそれらは天空の星術を使ってまとめて持ち運びしていたのだが、今は地面へと下ろされている。というのもグレイシアがソファを扱うブロック建造の商店に立ち寄った途端、そこを動かなくなったからだ。かれこれ十分は過ぎただろうか。
複数陳列されている多様なソファを見比べ、時には触って確かめている彼女へ、溜め息混じりに声をかける。
「おい良い加減にしろお前……どんだけ悩んでんだよ、さっさと決めろよ」
「いやー、いくらライルハーツさまのご命令でもこれは譲れません。趣味に妥協したくありませんのでー」
「趣味?買い物がか?」
「まさか。わたしの趣味はダラダラすることですよー。何もせず、何も考えず、ただひたすらダラダラする……そのためにソファは必要不可欠なんですー。でもソファなら何でも良いわけじゃなくてですねー、まず肌に合った材質じゃないといけません。クッション性は当然大事ですがー、弾力性も忘れちゃ駄目ですねー。インテリアとして、周囲の家具との調和についても考えないとですしー……」
「もう良いもう良い」
饒舌な語りを遮って、俺は嘆息する。どうにも彼女の意志は固そうだった。ベストなソファを選び抜くまで、この場をテコでも動かないだろう。
「好きに選んでろ。俺は他を見て回る」
「りょーかいですー」
振り向きもせずおざなりに返事をするグレイシアと荷物を置いて、俺は商店を出る。
人で賑わう市場を、あてもなくブラブラと歩く。買い物自体は、公爵領でもフード付きの外套を被り身分を隠して行っていたので、それほど新鮮なことではない。が、扱う商品がやはり違う。工芸品一つとっても、他国の特色が色濃く出ていて、文化の違いを感じる。
ふと、露店の前でしゃがみ込んでいる生徒の姿が目についた。麦色の髪に、貴族らしくない振る舞い。覚えがある相手だ。近付くと、向こうから声をかけてきた。
「──あ、自然学の!何だっけ、ゼレンハーティア王国の公爵家の人だよな!」
「ライルハーツだ。お前は確か……ヴィクトルだったか?」
「おう!なぁライルハーツさま、これ見てくれよ。めっちゃイカすよな?」
俺を見上げながらヴィクトルが指差していたのは、敷物の上に並ぶ腕輪の一つだった。金属製で、綺麗なリング状ではなく、捻れた形をしている。
「表面を辿っていくと、気付いたら裏になってんだよコレ。不思議だよな!凄いよな!」
「……確かに面白いな」
「だろ?すっげぇ欲しい……!」
「そんに気に入ってるんなら買えば良いんじゃないか?」
「いやぁ、それは厳しい……ウチあんま金ないからさー」
至極残念そうに肩を落として、ヴィクトルが言う。そういえば自己紹介で、男爵家の四男と言ってたな。爵位に応じて任せられる領地の大きさ、ひいては得られる税収は決まる。そして男爵家は一番下の位だ。なおかつ沢山兄弟がいるともなれば、小遣いにあまり余裕がないであろうことが察せられる。
「買う気もないのに居座るわけにもいかねぇし、俺はもう行くわ。じゃあな、ライルハーツさま」
立ち上がり、ヴィクトルは背を向け歩き出した。少ししてから、俺はその後を追いかけ呼び止める。
「──待て、ヴィクトル」
「おん?どうした?」
振り返る彼に、俺は今しがた購入したばかりの腕輪を投げて渡す。
「わっ、とと……。って、さっきの腕輪じゃん!……買ったの?え、くれんの!?」
「ああ」
「マジか!うわー……!めっちゃ嬉しい!ありがとな、ライルハーツさま!」
ストレートに喜びを露わにするヴィクトル。そこに演技の気配は少しも感じられなかった。……都合が良い。
「代わりと言ったら何だが……聞きたいことがある」
「何だ?何が聞きたいんだ?何でも答えちゃうぞ?ちなみに親父は尻派だ。母さんに尻に敷かれてるけど、本望らしい」
「それはどうでも良い。本当にどうでも良い」
聞きたいのはそんなことじゃない。聞きたいのは、求めているのは──手がかりだ。
呆れと僅かな緊張を、小さく息を吐いて排出し、俺は言葉を紡ぐ。
「……壁抜けって、知ってるか?」
「あー……確かあれだよな?壁に囲まれてるはずの街中に、使徒がどこからともなく現れるっていう怪奇現象」
「それだ。その怪奇現象が、最近お前の国……マジョルカ王国で発生した、なんてことはあったりするか?」
「んー?いや……なかったはず。多分だけど。壁抜けなんて起きたら、絶対耳に入ってくるだろうし、でもここ十数年そんな話聞かねぇから」
「……そうか」
それは望んでいた答えではなかった。けれども重要な手がかりでもあった。落胆と喜びの感情が、混ざり合って湧き上がる。
「聞きたいのってそんだけ?」
「ああ。手間を取らせたな」
「いやー、全然!じゃあ今度こそもう行くわ。腕輪ありがとう!」
幼子のような弾けるような笑みを残して、ヴィクトルは去って行った。人混みに紛れて見えなくなるまで、じっとその後ろ姿を見送る。
……マジョルカの商人から聞いた話と相違なし、か。
──必要なものを買い揃える最中、俺は折を見てヴィクトルにしたのと同様の質問を、周辺諸国から来ていた商人たちに繰り返しぶつけていた。
商人は情報に聡くなければ生き残れない職業だ。それ故下手したら、そこらの貴族よりもずっと世情に詳しい。そんな彼らが集まるこの場所は、情報のるつぼだ。俺が知りたいことを調べるには、ある種一番適している場所であった。
壁抜けの発生の有無とその頻度。それが俺の知りたいことだった。
商人は貴族相手に商売しているくらいだから、腹芸もそれなりに出来る人種だ。つまり嘘を吐かれる可能性もある。だから聞く相手は各国から複数人ずつ選んでいた。
主要な周辺諸国は四つだ。ゼレンハーティア王国の北部にあるクロムバード王国、南東にあるマジョルカ王国、東にあるスペルディエス帝国、北東にあるディアモナ商国。それぞれの国の商人に先のことを訊ねれば、クロムバードでは八年前に一度、マジョルカではゼロ、スペルディエスでは十二年前と十一年前、五年前に、ディアモナでは九年前と六年前に壁抜けがあったと言う。
贅沢を言えば、直近で発生したことがあるという情報が欲しかった。そうであれば、尻尾を掴むことが容易となる。しかし事はそう上手くいかないようであった。まぁ情報が得られただけでも良しとするべきだろう。
脳裏を過ぎる、少女の花開くような笑みと、それを塗り潰す使徒の大群、男の哄笑。
飛躍的な一歩ではない。だが、着実に近付いているはずだ。