稀代の暴君令息は、未来に期待出来ない 作:ヤハリ ナオ
人類の叡智の結晶の一つに、地図というものがある。地図はちっぽけな紙に、収まり切らないほどの歴史と技能と情報が詰め込まれた芸術品であり、文明の象徴と評されることもあるほどの存在だ。時代が時代であれば、宝ともされていた。
現代においても地図は貴重品だ。果てしなく根気のいる測量と、最先端の数学と自然学の知識を以て生み出されるだけあって、値が張る。
そんな代物を書庫の机に広げて睨めっこしながら、俺は、自前のまっさらな紙にそれを描き写そうとしていた。
皮紙の地図に記載されているのは、周辺諸国一帯だ。まずはゼレンハーティア王国から写そうと、万年筆の先を白い紙につけ、数分。線が歪んだのでそれまでの紙を退け、新しい紙を用意する。再び万年筆を持って描き出し、数分。どうにもクロムバード連合王国の大きさが小さくなってしまったので、描き直す。新たな紙に万年筆を振るわせ、数分。このまま描いていくとディアモナ商国が入り切らなくなりそうなので、別の紙を取り出し──。
「いや見てらんない見てらんない。めちゃくちゃ見てらんないっすよライルハーツさまー。どんだけ描き損じしてるんですかー……資源の無駄ですよ、もー」
「……好きで無駄にしてるわけじゃねぇよ。無駄になっちまうんだよ、勝手に」
「勝手にってー……はぁ、ちょっと待ってて下さいー」
隣で机に頬をぺたんとくっつけながらこっちを眺めていたグレイシアは、そう言って席を立ち上がった。
やがて戻って来た彼女は、ペンとインク壺、定規を携えていた。
「凝るんだったら徹底的にやって下さいよー……ほら、管理人の人に頼んで道具貰ってきたんで、ちゃんと罫線引いて描いて下さい。ちょっとずつやっとけば、失敗しないですよねー?」
「……どうも」
流石にフリーハンドでやるのは無理があった。礼を告げて受け取る。見た感じインクは薄めのもののようだった。万年筆の色とはっきり区別が出来る。そこら辺もきちんと考えてくれたのだろう。早速作業に取りかかる。
定規を使い、地図との縮尺を調整しながら薄いインクをつけたペンで罫線を引いていく。
「にしても、地図なんて持ってたんすねー」
「この前の市場で買った。高かったな」
「あー、あの時ですかー」
縦横どちらの罫線も引き終えたら、いよいよ国だ。つくられたマス目を地図のそれと見比べながら、少しずつ少しずつ描き写す。
大分時間と労力をかけて、ようやく手製の地図が完成した。既製品と比べれば当然見劣りはするが、悪くはない出来だ。その地図のいくつかの地点へ、数字を書き込んでいく。
「……?何の数字ですかー?これー」
「……年数だ。何年前に起きたのかを書いて、共通点を探ってる」
「ふむー……何が起きたのかってのは、聞かない方が賢明ですかねー?……ライルハーツさまのイシュザーク領ん所にも書いてますねー。三年前……その頃ってライルハーツさま、どんなガキでしたー?」
問いかけられて、万年筆を動かしていた手を、一旦止める。どんなガキ、か。
「捻くれたガキだったな」
「ああ、今とあんまし変わんない感じっすかー」
「うるせぇよ。お前は?」
「わたしは神童扱いされちゃってましたねー。将来を嘱望されてましたー」
「今や見る影もないがな」
「うるさいですねー」
ジトリとこちらを睨んだグレイシアは、視線を天井へと移し、ポツリと呟く。
「思えばあの時が人生のピークって感じでしたねー……」
哀愁を帯びたその独り言に、俺は共感を抱いた。転落人生。幸福の日々は、今では手の届きようのない雲の彼方にあって、自分はどん底を這いずっている。まったく嫌になる。
なるからこそ、作業にも身が入る。止めていた手を動かし、数字の書き込みを再開する。散りばめられたような位置関係、そこには規則性は感じられなかった。だが、違和感。何かが、引っかかっていた。
「──イシュザーク公爵家のライルハーツさまですね?少しお時間、よろしいでしょうか?」
背後から声。首を捻って振り向けば、肩ほどまでの髪をした女子生徒がいた。緑の瞳がこちらを見つめている。
「……誰だ?」
「レヴィアコール公爵家が嫡男、エドワードさまの使いでございます。こちらをお届けするよう申し付けられております」
酷く丁寧な所作で渡されたのは、封状だった。その正体を問う前に、彼女は頭を下げてすぐさま引っ込んでしまった。
封状を訝しんでいると、横からグレイシアがにゅっと顔を出してくる。
「何が書いてあるんすかねー、それー。開けてみましょーよー」
「寄るな、離れろ……」
促されて、俺は腿のバンドから薄刃のナイフを取り出し封を開ける。取り出した手紙の文言を、グレイシアが読み上げる。
「えー……学院生活が始まりもうすぐで一ヶ月。ゼレンハーティアの者同士、更なる友誼を深めるべく、三日後親睦会を開くので是非参加されたし。……なるほど招待状ですかー」
「要らねー……」
要するにパーティーのお誘いだろう。嫌過ぎる。茶会とかパーティー嫌いなんだよな……。柄じゃないし、迂遠に嫌味ぶつけてくる奴いるし、まるで楽しくない。
「あんま乗り気じゃなさそうっすねー。サボりますー?」
「いや、主催が主催だ。断って波風立てるよりは、顔だけ出して帰った方が良いだろう」
「結局後ろ向きなのは変わんないんですけどねー、それー」
山もなく谷もなく日々は過ぎ、親睦会の夜がやって来た。
流石は界立学院、パーティー専用の講堂も存在しているようで、会場はそこであった。入り口付近には、着飾った招待客が見える。その対応を行っている生徒や、警備のために佇んでいる騎士志望の生徒の姿も複数あった。
その様子に、随伴しているグレイシアがボヤく。
「うわー……皆ドレスとか礼服着てますよー?いつも通りの格好なのー、わたし達くらいじゃないですかー?」
「は?良く見ろ」
仲間扱いしてくる彼女に、俺は自身の首元を示す。そこにはペンダントの代わりに、いつもは着けていないクラバットが巻かれている。
「……まさかそれで正装したつもりなんですかー?罷り通らないっすよそれはー。変化が些細過ぎますって、九割以上普段の格好じゃないですかー」
「おい、イチャモン付けるのはよせよ」
「いやイチャモン付けてるんじゃなくて正論ぶつけてるんですがー……」
グレイシアの言葉を聞き流して、招待状を係の者に渡して会場へと足を踏み入れる。
高い天井からは金のシャンデリアがいくつも吊り下げられ、星の如く眩かった。磨かれた床が、ぼんやりとその光を反射している。
形式は立食パーティーらしい。豪勢な料理の並んだ円形テーブルが等間隔に沢山配置されていて、その周りで正装に身を包んだ生徒たちが歓談を楽しんでいた。
近くのテーブルに歩み寄ったグレイシアが、料理を一口つまむ。
「……悪くない味ですねー。多分わたしのがもっと美味しくつくれますけどー」
「余計なこと言うんじゃねぇ。諍いの種が生まれるだろ」
「気を付けますー。……ライルハーツさまも食べますー?」
「いや要らん。毒が入ってるかもしれんし」
「生んでますねー、諍いの種ー。わたしより言ってることやばいですよー……」
でも、毒が入ってるかもしれないだろ。
喋っていると、人が近付いて来る気配がした。視線を向ければ、仕立ての良い衣装を纏った黒髪の青年──エドワードが、こちらへ近付いていた。書庫で招待状を渡してきた側仕えの女子生徒や、護衛騎士と思しき男子生徒を連れている。
「よく来てくれた、ライルハーツ」
「……ご招待どうも、エドワード」
「家同士の確執はあれど、我々の間にはそんなものはないと思っている。良き関係を築けたら幸いだ。是非今日は楽しんでいってくれ」
主催の身だ、忙しいのだろう。それだけ言うと、エドワードは別の生徒へ挨拶をしに向かった。
それまで静かにしていたグレイシアが、ほぅと息を吐く。
「……なんか、雰囲気のある人でしたねー。威圧感が凄いっつーかー……」
「まぁ、公爵家だしな。それよりさっさと準備しろ。帰るぞ」
「えぇー……?この人、ほんとに顔だけ出して帰るつもりだー……やばー……」
やばくないだろ。挨拶も済ましたし、作法的には問題ないはずだ。礼節的には終わってるけど。
「──ライルハーツ殿……?お久しぶりだ。まさかこのような場でお会いするとは思いませんでした」
「……」
しかしその時、あまり聞きたくない声が聞こえて、俺は顔をしかめる。声の主は、お洒落に興味がないのか、普段通りの制服姿だった。束ねた赤い髪に、緑の瞳。ギレスドーレ家のアシュリーが、そこに立っていた。
コソコソと、グレイシアが話しかけてくる。
「お知り合いですかー?」
「……王女の護衛騎士をやってる女だ。名前はアシュリー」
「あー……扱い辛い立場のお人ですかー」
よく分かってるじゃないか。扱い辛い立場、実に的確な表現だ。王族はただ王族であるだけで尊き身分であり、公爵相当の権力を持つ。そんな人物の手足であり目であり耳であるのが護衛騎士だ。護衛騎士に下手な真似をすれば王族の面子を潰したとして国から睨まれることになるし、そこまでいかずとも主人の不興を買うことになる。
出来るだけ関わりたくない相手だ。立場的にも、そして性格的にも。だが話しかけられた以上、対応しないわけにはいかなかった。
「……そうだな。久しぶりだ」
「ええ。だが本来ならそうなることはありませんでした。剣術の訓練で、毎週顔を合わせるはずだったからです。なのにあなたは初回以降一度も、講義に参加していない。どういうことですか?おかげで毎回物足りない思いをしています」
脳筋のお前の相手をしたくねぇから行くの辞めたんだよ。なんてのは口が裂けても言えないので、適当に取り繕う。
「あー……あれだ。野暮用があってな」
「野暮用……?毎週ですか?それは一体?」
「それこそ聞くのは野暮ってもんじゃないか?」
「む……」
はぐらかされてるのを感じ取ったのだろう、半眼を向けてくるアシュリー。俺は目を合わさないようにする。
「では、いつ頃また講義に参加して下さるのですか?」
「それはお前……あー……野暮だろ」
「野暮ですか……!?そんなことはないと思いますが……野暮、野暮なのか……?」
野暮は野暮だよ。野暮とは何か考えるのも野暮だ。
「しかしお前がこういった催しに参加するとは……少し意外だな。エドワードと仲が良かったりするのか?」
「そういうわけでは……ただ、招待を断って姫さまの不利益になってもいけませんから。正直な話、こういう場は……苦手ですが」
「同感だな。居心地が悪くて仕方がない」
なのでさっさと帰りたい。早くどっか行ってくんねぇかなと思っていれば、その邪な気持ちが悟られたのか、アシュリーの形の良い眉がひそめられる。
「……まさかとは思いますが、だからもう帰ろう、だなんて思ってはいませんよね?それは各方位に失礼な行為だ」
「……当たり前だろ」
当たり前に、帰る。
「……なら、良いのですが」
「それよりお前、挨拶回りは良いのか?」
「そうですね。まだ途中でした。──ではライルハーツ殿、この辺りで失礼させて頂きます」
「ああ」
「……帰っては、いけませんからね?」
真面目くさった顔で釘を刺してから、彼女は俺の前から立ち去った。遠く姿の見えない所まで離れたのを確認してから、俺はグレイシアに呼びかける。
「よし、帰るぞ」
「とんだ嘘吐き野郎じゃないですかー」
嘘は吐いてない。言葉が足りてないだけだ。
連れ立ってそそくさと煌びやかな会場を後にする。外に出れば、頬を撫でる夜風。日中より気温は下がっていたが、寒がるほどではなかった。空には霞のような雲と月が浮かんでいる。
「ライルハーツさま、知ってますかー?お月さまには蟹さんが住んでるんですよー?」
手入れのされた生垣が両脇に並ぶ石畳の道を歩いていると、グレイシアが突然両手をチョキチョキさせながら、そんなことを言い出した。一瞬何を言っているのか分からなかったが、すぐに月の模様を指していることに思い至る。
「昔婆さまが言ってましてねー。当時のわたしはすっかり信じ込んじゃってましたよー。純真無垢ですよねー。ちょー可愛いーと思いません?」
「自分で言ってしまう辺り、可愛くないな」
「えー?」
不満そうにグレイシアは唇を尖らせる。
昔を懐かしむ口調には、一抹の寂しさが滲んでいた。
──ふと、月の光が遮られた。風に流れる霞雲に、月が隠されたのだ。ほとんど時を同じくして俺は足を止め、グレイシアを腕で制しそれ以上進まないようにする。直後、前方に勢い良く岩の壁がせり上がって来た。
「ッ、星術……?一体誰がー……」
「──パーティーはまだ始まったばかりだというのに、もうご帰宅ですか?ライルハーツさま。相変わらず、マナーのなっていないお方だ」
グレイシアの疑問に応じるように、後ろから声が響く。暗い夜道から姿を見せたのは、冷笑を浮かべるピーターとその取り巻きだった。瞳には、嗜虐の光が宿っている。