稀代の暴君令息は、未来に期待出来ない   作:ヤハリ ナオ

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大掃討

 

 

 

 親睦会の夜から、ピーター達による嫌がらせはピタリと止んだ。さしものピーターも、王族の関係者に睨まれれば自重というものを覚えるらしい。あの男のことだし、暫くすれば折角覚えたそれを綺麗さっぱり忘れてしまいそうではあるが、一先ず最近は穏やかな日々を過ごせていた。

 

 しかし心置きなく講義に臨めるようになったからといって、成績が格段に向上するようになったかと言えばそんなことはない。特に自然学、これは相当な曲者で、毎講義安定してずっと難解な内容のそれが続くので、悩み事の一つや二つが片付いたところでどうこうなるものではなく、一貫して講義についていくのがやっとの有様であった。

 

 とにかく厄介なのが計算だ。重力やら慣性などといった現象自体は身近なもの故にイメージ自体は容易く掴める。だがそれらの現象を数式で表すというのが、てんで難しい。

 

 まず使う技能が算術から数学へとレベルアップしたもんだから、ただ計算するだけでも一苦労だ。加えて位置やら速度やら軌道やら、何をどうやって求めれば良いかがまぁこんがらがる。何度ペンを持つ手が止まったことか。それでも固い頭を必死に回して、何とか頑張ってきたわけだが……。

 

「──さてここまで、自由落下運動に投げ下ろし、投げ上げ、投射運動などで用いる公式について学んできましたが……実のところ、あれらの公式は現実世界ではなんら役に立ちません。というのも空気抵抗の存在を加味していないからです。あれらの公式を意味あるものにするには、更に微分積分といった技能を覚える必要があるんです」

 

 ごちゃごちゃとした講義室。教壇の上で、講師であるギヨームがウキウキとした様子でそう宣う。瞬間俺は、自身の表情が死んだのを感じた。

 

 グラスにはその容量を超える水が入ることはない。人間の脳みそも同じだ。容量を超える情報が入ることはない。教わった端からみるみる溢れていってしまうであろうことが、簡単に想像出来た。

 

 マジで何だよ、現実では使えないって。無理だろ。ここまでやってきておいて、まだ始まりに立ってすらいないのかよ。

 

 グレイシアはこの時間常に寝ているので論外としても、マリーという令嬢は俺と同様死んだ顔をしていたし、カルロスも顔を引きつらせていた。元気を保っているのはヴィクトルくらいだ。半数以上が、更なる難敵の登場にうんざりしていた。

 

「楽しいですよー、微分積分。簡単に言うと、微分はある一点についての変化を、積分はある範囲についての変化を解析する手法です。これが出来るようになると、少し大袈裟な表現にはなりますが……世界が一変しますよ!」

「マジか!楽しみだな……」

 

 ギヨームの謳い文句に、唯一ヴィクトルだけが反応する。他は最早、反応する気力すらなかった。

 

「それでは早速──」

 

 意気揚々とギヨームが口を開くと同時に、鐘の音が響く。俺にはそれが、まるで聖なる調べのように聞こえた。

 

「……おや、時間ですか。残念ですが、今日はここまでみたいですね」

 

 ほっと息を吐く。助かった。いやマジで。

 

 隣のグレイシアが起き出し、皆がガタガタと片付けを始める中、思い出したとギヨームが筆記用具をまとめて立ち上がった俺へ話しかけてきた。

 

「ああ、そういえばライルハーツさま。お聞きになられましたか?来週の今日、大掃討があるそうですよ」

「……知らなかったな。そうなのか」

 

 大掃討。それにはかねてより参加の予定を立てていた。具体的な日程だけ分かっていなかったが……そうか、来週か。

 

「もし参加されるんでしたら、お昼を済ませて午後の一時半までに出陣門に集合だそうですよ。あと、身分を証明するものは必ず持って来るようにとのことです」

「了解した」

 

 頷き、必要事項を脳内に書き留めておく。

 

 と、俺たちの会話を聞いて、講義机とほとんど平行に首を傾けたヴィクトルが不思議そうに声を発した。

 

「……?大掃討って何だ?」

「ハッ、貴様はそんなことも知らないのか」

 

 馬鹿にした口調でその疑問に答えたのは、カルロスだった。

 

「大掃討は、学院の向こうを跋扈する混沌の使徒を有志の生徒たちで間引く、月に一度の行事だ」

「ふんふん……」

「参加するのはほとんどが騎士を目指す者らしいが……丁度良い、貴様も参加したらどうだ?運良く使徒を倒して素材を得られたら金になるぞ。僕にとっては端金も良いところだが……貴様にとっては大金だろう?」

 

 嫌味な言い草だ。しかしヴィクトルの方は大して気にしていないようで、表情も変えずに周りに話しかけていた。

 

「使徒かぁ……倒せっかなー。マリーは戦ったことある?」

「あ、あるわけないでしょ。恐ろしい」

「ギヨームさんは?」

「何度か戦ったことはありますよ」

「マジか。強かった?」

「使徒によるとしか……小柄なものもいれば、家ほどあろうかという巨体のものもいますからね」

 

 それを聞くと、彼は腕を組んでうーんと唸り始めた。そして、カルロスに問いかける。

 

「どうすっかなー……。カルロスさまは大掃討、参加すんの?」

「フン……あんな野蛮な行事、参加するわけないだろう。戦うだの何だのは、下級中級貴族に任せておけば良い。僕には相応しくない」

「出ないんだ。……ああ、ビビってんのか」

「……は?」

「ちょっ、あ、あんた何言ってんのよ!言って良いことと悪いことの区別もつかないわけ!?」

 

 ヴィクトルの失言に、マリーが慌て出す。必死だ。カルロスはと言えば、引きつった笑みを湛えていた。その目は据わっている。

 

「ち、違うんですカルロスさま!コイツ、ちょっとバカというか、言葉選びが下手なだけで……!」

「そうそう、正直なだけなんだ!気に障ったならごめんなさいです」

「よ、余計なこと言うんじゃないわよっ……!」

「……気のせいか?貧乏貴族の分際でお前、今……この僕を、バカにしなかったか?」

 

 怒りにカルロスの声が震えていた。これは揉めるな。まぁギヨームがいることだし、酷いことにはならないと思うが、巻き込まれない内に退散した方が良いだろう。俺は扉の方へと向かう。遅れてグレイシアも、ヴィクトルたちの方をチラチラ気にしながらついて来た。

 

「ちょっとちょっと、帰っちゃうんですかー?めちゃんこ良いとこなのにー。絶対何か起きますよー?あれー」

「だから帰るんだろ」

 

 折角ピーターの件が今落ち着いているというのだ。新たに厄介事に首を突っ込んだりなんかするものか。足早に場を立ち去る。

 

 後にした講義室からは、未だギャーギャーと騒がしい声が聞こえていた。

 

◇◇◇

 

 大掃討当日。俺は集合時刻よりも十分ほど早くに出陣門前に足を運んでいた。

 

 星術で築かれた巨壁は見上げるほどの高さをしていて、付近には参加者であろう者たちが大勢集まっていた。ざっと見た感じ、五十は余裕で超えているだろう。下手したら百も超えているかもしれない。

 

 ひしめき合う生徒たちを見て、グレイシアが素直な感想を口にする。

 

「うーん……なんか騎士志望の人ばっかなのかなーと思ってましたけどー、そうでもなさそうっすねー。文官とか使用人志望っぽい人たちも割といるみたいですしー」

「多分、素材拾いのために騎士志望のやつらに雇われたんだろう。存分に戦うためには、素材を抱えてなんていられないが、かと言って捨て置くには勿体ないからな」

「そーゆーことっすかー。なるほどー」

 

 生徒の格好は多種多様だ。鎧を纏っている者が大半ではあるが、制服で荷車を押していたり、大きな背負い鞄を身に付けている生徒もままいる。これならば普段通りの装いである俺らでも、親睦会の時とは違って浮いたりすることはなさそうだった。

 

「──あ、ライルハーツさま!いたいた!」

「……?」

 

 大掃討が始まるのを待っていると、大声で名を呼ばれる。それも聞いたことのある声でだ。

 

 そうして人混みを縫って駆け寄って来たのは果たして、ヴィクトルとマリーであった。それぞれが、剣や荷袋を携えている。

 

「見つけられて良かったぁ……こんなに人が多いとは思ってなかったぜ」

「何か用か?」

「えっとな、ちょっと手伝って欲しくて……うーん、どっから説明すれば良いんだろ」

 

 訝しげに二人の姿を見つつ、用件を問えば、答えるのに苦慮するヴィクトル。それを見かねてマリーが口を開く。

 

「その、ライルハーツさま。先日の自然学の講義で、このバカの失言にカルロスさまがお怒りになられたのは覚えていらっしゃいますでしょうか?」

「……ああ」

「それでですね。何を思ったのかカルロスさま、自分も大掃討に参加するから、ヴィクトルも絶対参加しろと言い出しまして……。しかも、大掃討で得られた素材の総額を比べて少なかった方が多かった方の言うことを何でも聞くという勝負までふっかけられてしまっているんです……」

 

 ……ヒシヒシと嫌な予感がしてきた。俺は顔をしかめる。

 

「頼む、ライルハーツさま!協力してくれ!三人までになら、力を借りても良いって言われてるんだ!」

「断る。お前一人で何とかしろ」

「いや無理だって!カルロスさま、護衛騎士を四人連れてって、そいつらに使徒を討伐させるつもりなんだぜ!?俺一人じゃ絶対勝てねぇって!」

 

 それはそうだろう。以前の口振りからしてヴィクトルには戦闘経験はまったくなさそうだった。対して護衛騎士は皆学生とはいえ、ほとんどが十年あまり鍛錬に時を費やしてきている。差は歴然だ。

 

「マジで頼むよぉ、ライルハーツさま……。このままじゃ俺、言うこと聞かされて退学させられちまうって。まだまだ学びたいこと沢山あんのに……」

「……お前の失言が招いたことだろう。何度も注意されてたはずだ」

「う……」

「──む、無茶な頼み事なのは分かってるんです。他国の、それも公爵家の方にこんなこと……でも、それでもどうか、お願いしますライルハーツさま!力をお貸し下さい……!」

 

 気まずそうに言葉を詰まらせたヴィクトルに代わって、マリーが声を張り上げる。己の胸元を、皺が出来るほど握りしめるその手は微かに震えていた。怯えと怖れの冷や汗も、頬をつたっている。けれどその瞳には、強い意志が煌めいていた。

 

「……勝負を仕掛けられているのはヴィクトルだけだろう?お前は関係ないはずだ。何故そこまで必死になる?お前らはそんなに仲の良い間柄ではなかったと思うが」

「それは、はい、そうです。もっと言えば今回の一件、悪いのはヴィクトルだってこともちゃんと分かっています。身分差は弁えなければいけない……平民でも知っていることです」

「なら……」

「でもっ、分かっていてもそれを実践出来るかっていうのは別なんです。下級貴族って、本当に貴族らしい生活とは無縁で、平民に交ざって畑を耕すのも当たり前で……だから、礼儀作法がまったく身に付かない。勉強する余裕がないんです。わたしもそれで苦労しました」

 

 貴族の全員が恵まれた暮らしを送れるわけではない。当たり前にある残酷な現実だ。立場の違いは、教育による格差という形で如実に現れる。

 

「だから何となく、昔の自分を見ているようで……簡単には見捨てられないんです。どうか、ライルハーツさま、ご助力を……!」

「マリー、お前……」

 

 並々ならぬ決意と覚悟を持っての嘆願だったらしい。ヴィクトルも感じ入ったように声を漏らす。

 

 最後まで聞いた俺は、一つ頷いて口を開いた。

 

「そうか。まぁそれでも返事は変わらんが。他を当たれ」

「今のを聞いてその返事マジですかー……?ライルハーツさま、人の心どこにやっちゃったんですかー……考える素振りだけでもしたげて下さいよー」

「何とでも言え」

 

 いかにもドン引きといった様子を見せるグレイシア。だが、当然の判断だろう。

 

 いくら使徒の討伐には慣れているとはいえ、危険があることには変わりない。替えの効かない命が懸かっているのだ。おいそれと承諾出来る頼みではない。

 

 それに学院の外は、何が起きても……それこそ不幸な事故が起きてもなんらおかしくない場所だ。俺の立場を思えば、余計なことに気を割いている余裕もあまりなかった。

 

「こちらにメリットも何もない以上、お前の頼みは──」

「いや待ってくれ!あるぞメリット!」

「……というと?」

「言っただろ?この勝負、負けた方は勝った方の言うことを何でも一つ聞かないといけないんだ。だからもし俺たちが勝った場合は、その権利をライルハーツさまに譲るよ。クロムバード連合王国の公爵令息に命令出来るって、めちゃくちゃメリットだろ?」

「それは……」

 

 多少の労力を払うことにはなるが、カルロスに言うことを聞かせられるというのは非常に魅力的だ。一回切りであっても裏切らない協力者を得られるというのには、心惹かれる。それも高位の相手だから、なおさらだ。

 

「負けても俺が退学するだけでライルハーツさまに損はないし、良いことづくめじゃね?」

「……言うことを聞くっていうのは、きちんと書面か何かで交わされた約束なのか?」

「はい、書面にて。わたしも確認しました」

「そうか……」

 

 口元を手で覆って少し考え込み、俺は新しく結論を出す。

 

「……分かった。その条件でなら手伝ってやる」

「本当か!?やった、ありがとう!あぁ、マリーもありがとな!」

「ちょ、ちょっと、気安く触んじゃないわよっ」

 

 喜びを露わにしたヴィクトルが、マリーの手を両手で握ってぶんぶんと振る。

 

 と、グレイシアがこっそりと話しかけてくる。

 

「なんだ、結局助けてあげるんですねー。……ツンデレってやつっすかー?」

「はっ倒すぞ。利があったから協力してやるだけだ。リスクも少ないし」

「利があった、ですかー。…….一応言っときますけどー、何でも言うこと聞いてもらえるからって、カルロスさまにえっちな命令とかしちゃダメですからねー?」

「するわけねぇだろお前は何言ってんだいや本当にお前は何言ってんだ」

 

 バカげた妄言を吐かすグレイシアに、俺は引きつった顔で白い目を向ける。頭おかしいだろマジでコイツ。

 

 何にせよヴィクトルに手を貸すことが決まって、話に一段落がついたその時だった。

 

「──フン……やはり暴君令息に泣きついたのか。予想通りだな」

 

 タイミングよくというべきか、制服姿のカルロスが登場する。後ろには、姿勢の良い鎧姿の生徒が三人控えていた。内一人は、荷車を引いている。

 

「そいつ一人程度の力で何かが変わるとは思えないが……精々足掻くと良い。邪魔はしないとも」

 

 せせら笑うように言葉を置いて、カルロスたちは通り去って行く。

 

 そして、大掃討が始まった。

 

 

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