昼休み。
当然というべきか、この時間の廊下は賑わっている。なんというか、無駄に。
学食に向かったり、他クラスの友達を誘ったり、昼食もそっちのけでお喋りに夢中になったり。
わいわい、ガヤガヤ。よくもまあ、そんな大声で騒げるものだと。耳を塞ぐほどでは無いにしろ、ため息の一つも吐きたくなる。
面倒なことに私の『耳』は、普通よりいくらか優れている。これまた、無駄に。
分類するなら、長所というより短所だ。何割増しかで脳に届けられる雑音には、毎日のように辟易させられてるから。
ーーそしてこの『耳』は、今日も頼んでもいないのに不必要な声を拾ってくる。
なにあれ、だの。
中二病?、だの。
痛いわー、だの。
遠巻きに、ひそひそと。普通の耳なら取りこぼしてくれるであろう声を、私の容姿に関する陰口を、この『耳』は聞き逃してくれやしない。
……まあ連中の言うことも、当然といえば当然なんだけど。
制服の上から羽織ったパーカー、そのフードを常に目深に被る私の姿は、校則違反ではないとは言えすれ違えば大体の相手が二度見をしてくる代物だ。同級生も、他学年も、先生も。
『普通』からはみ出た存在に向けられる視線は冷たく、無言の線引きで私は排斥される。……別に好きでしている服装じゃないってのに。
それももう、慣れてしまった日常なのだけど。
腫れ物でも扱うかのような声を聞き流し、好奇の視線をパーカーで遮る。無理のある気づかないふりで、私は人混みの隙間を縫うように歩いていく。
まるで壁や柵の間をくぐり抜ける、野良猫のように。
「にゃーちゃんっ!」
「ぅあっ」
「だーれだっ?」
突然、背後から抱きつかれ、情けない声が口から漏れた。
肩上から回された腕に抱き寄せられて。
ぎゅっ、というか。むにゅっ、というか。
背中に、たいそう発育の良い柔らかさを感じて。
同時にふわり、と抱きつく勢いで揺れた長い茶髪に、頬をくすぐられて。
……ここまでヒントが出揃うまでもなく、私にこんなことをする相手は一人しかあり得ない。 音もなく近づいてきたということは、私の『耳』についても知っている唯一の相手ということだ。
見上げれば案の定、パーカー越しの視界に見知った顔が見えた。
「わんこ。……しかいないでしょ」
「えへへぇ、せーかいっ!」
私よりも頭一つか二つ、またはそれ以上高い身長。女子にしてはかなりの背丈と成長を競うようにたわわな胸元を揺らしながら。
発育とは裏腹に、私に向けられるのはあまりに無邪気な笑顔で。
ふわふわの茶髪に、同じく茶系のカチューシャを着けた、大型犬のような人懐っこい雰囲気の彼女。
わんこーーもとい、
一子だから、
対する私は、ご存知パーカーのフードで顔を隠した、見た目通りの陰キャ。
別に同学年の中で言えば平均的な方だが、わんこに比べたら遥かにちんちくりんな身長と、胸。
短めの黒髪に無愛想な表情は、人に言わせれば猫のようだという私。
にゃーちゃんーーもとい、
二谷だから、
……いや、ちゃん付けはわんこが勝手にしてるだけだけど。
ざわざわ、と落ち着かない雰囲気を肌に感じ、周囲を軽く見回す。
学年でもトップの身長と天真爛漫な笑顔のわんこは、良い意味で。
学年でもトップの不審者姿の私は、もちろん悪い意味で。
それぞれに注目を集めてしまう理由を抱えた私たちが並ぶと、それだけで周囲の目を引いてしまうのが分かる。
まあ、普通ならつるまなそうなほどに正反対だもんな、私たち。
私自身は好奇の目など慣れっこだが、わんこは違う。
どこかそわそわと、不安げな様子で。
「……にゃーちゃん……早くお昼、いこ?」
隠れるように身を屈め、潤んだ瞳の上目遣いで私の袖をきゅっ、と握ってくる。
……瞬間、私の心臓がばくん、と跳ねた。
不意打ちだ。
いきなりそんな仕草で、普段は見せない気弱な表情で、私なんかを頼りにするように縋り付かれたら。
ドキドキ、しちゃうじゃんか。
「……ん。じゃあ行こっか、いつものとこ」
「! うんっ!」
赤らんでいるだろう頬をフードが隠してくれていることを祈りながら、いつも通りの気だるげ調子で声を掛ければ。
ぱっ、と表情に明るさを取り戻したわんこが、勢いよく伸ばしてきた手を私に重ねてくる。
並んで歩き出してすぐ、身長差からくる歩幅のズレを合わせようとして、二人揃って足をよろめかせて。
顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。
すれ違う赤の他人たちの怪訝な表情なんて、それだけでもう気にならなくなる。
二人でいれば、それだけで。
やって来たのは、校舎最上階の端。
立ち入り禁止の屋上に通じる階段、基本的に生徒も先生も立ち寄らない場所だ。
「ふふーんっ。今日のはね、こないだにゃーちゃんに教えてもらった味付け、試してみたんだ!」
早くも階段に腰を下ろしたわんこは、自分のランチバッグから弁当箱を取り出している。
……私の味付け、そういえば聞かれてたな。
別に普通の味だと思うけど、真似したというわんこはやけに嬉しそうで。
ちょっと、胸がくすぐったくなって。
そのせいで危うく言い忘れそうになっていた言葉を、慌てて伝える。
「わんこ、先に『それ』外した方がいいよ」
「ぁ、うん! えへへ、お弁当待ちきれなくって」
ふにゃっ、と返された笑みに、またも不意打ちを食らう私に気づくこともなく。
私の言葉に従うようにわんこは自分の茶髪に手を伸ばし、カチューシャを外すーー
「ふーっ、すっきり!」
ふわっ、と。
カチューシャから解放された、わんこの頭には。
髪色と同じ、もふもふの犬耳が生えていた。
いわゆるケモ耳のカチューシャとか、そういうんじゃなく。
生えているのだ、直に。わんこの髪と一緒に。
……普通に考えて、まあまあ衝撃の光景だけど。
私は特に、それを見ても驚くことはない。
既に見慣れている、というのももちろんあるし。
「……あんま大きい声出さない方がいいよ、いつ人が来るか分かんないし」
そう忠告を告げつつ、パーカーのフードを脱いだ私の頭にも。
自前の黒髪と同じ色をした、猫耳が生えているからだ。
……現実的じゃない、というツッコミは、誰より私自身が何度もしてきた。今はもはや受け入れ、というか諦めているけど。
正直、この耳にはずいぶん面倒をかけられてる。
普通の人より聴覚が優れているというのも、こいつのせいだし。
誰かに見られたら間違いなく大騒ぎになるから、こんなパーカーを年中被るはめになってるし。
勝手に私の日常を侵食した、この意味不明の存在に、何度ため息を吐かされたことか。
「にゃーちゃん? 早くたべよっ!」
「……あぁ、うん。そうだね」
……まあ、こうして秘密を共有できたおかげで、わんこと出会えたことを考えると。
感謝してなくもない、かもしれない。たぶん。