犬耳のわんこと猫耳のにゃーちゃん。   作:海月 水母

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犬猫スニッフィング

「にゃーちゃんっ、お待たせ~!」

 

 昼休み。もはや私たちの集合場所としてお馴染みとなった、屋上へと続く階段。

 そこを目指して階段を登っていた私の背後から、ぱたぱたと忙しい足音と共に元気な声が響いて来る。

 振り返り、パーカーのフードの隙間から声の主を覗けば、長い茶髪を犬の尻尾みたいに揺らしながら走ってくるわんこの姿が目に入った。教室では例によってクラスメイトの輪に捕まっていたけれど、さほど長引かずに済んだようだ。

 階段の途中で立ち止まり待っていると、やがて追い付いたわんこが私の数段下で足を止める。

 

「えへへ、なんかこうして会うのも久しぶりだね」

 

「久しぶりって……土日の間会ってなかっただけでしょ」

 

「そうなんだけどさ~。なんか前より、にゃーちゃんが恋しくなっちゃって。早く月曜日にならないかなーって、楽しみだったんだ」

 

「っ……何それ」

 

 屈託のない笑顔で、恥ずかしげもなくそんなことを言ってくるわんこ。対照的なほど分かりやすく、私の頬がぽっと熱くなる。

 昼休みだけじゃなく、一緒に帰るようにもなって、むしろ二人で過ごす時間は増えたというのに。華の週末よりも楽しみにされるほど、私に面白味がある気はしないのだけど。

 ……分かってる。わんこの言葉にはいつだって裏表が無い。今の言葉だって、きっと本心なんだろう。

 それが分かってしまうからこそ、どう受け止めたらいいか分からなくて。

 

「もう、いいから早く上いこ。昼休み終わっちゃう」

 

「はーい」

 

 照れ隠しに話題を逸らすしかない私の言葉に、微笑みを含んだわんこの返事が返ってくる。

 ますます熱を帯びてしまう頬を無視して、すたすたと歩みを進めることにした。

 階を上がり屋上に近づくにつれ、廊下にも人気は少なくなっていく。最後の踊り場に着いた頃には、私の猫耳にもわんこと私の足音以外殆んど物音は聞こえなくなっていた。

 パーカーに手をかけ、フードを脱ぐ。なんとなく、この踊り場より上は安全地帯だという意識が自分の中に芽生えている気がした。

 私とわんこ以外滅多に誰も訪れることのない、誰にも近づいて欲しくは無い場所……縄張り、という言葉がふと頭に浮かんだ。

 猫耳が露になると同時に、少しの安堵と開放感を覚えたのも束の間。

 

「えいっ」

 

「わっ」

 

 不意に胸の前に回された手が、私の体をぐい、と引き寄せて。

 ひ弱な体幹では踏ん張りも効かず、成す術なく背後から抱き寄せられる形になってしまった。

 こんなことを脈絡なくしてくるのは、勿論わんこしかいない。身長差のせいでわんこの胸にすっぽりと収まる形になったまま、呆れたように声を出す。

 

「ちょっとわんこ……どうしたの急に」

 

「う~ん、にゃーちゃんを近くに感じたくなっちゃって」

 

「なにその理由……ってか歩きにくいんだけど」

 

 私が口を尖らせても、頭上からは「えへへ、ごめんごめん」というのんびりとした声が返ってくるばかりで。

 緩くホールドされた腕も解かれず、私はわんこの胸に収まったまま静かに諦めのため息を吐いた。

 

 相変わらず、わんこの行動は予想出来ない。どこまでも自由で、素直で、近すぎるパーソナルスペースで。自分を守れるだけの狭い枠からはみ出さずに生きる私は、いつも振り回されてばかりの毎日だ。

 ……急に抱きつかれることもため息一つで流せるくらいには、私もそんな『毎日』に慣れつつあるのだろうけど。

 なんて、すっかり絆されている自分にやれやれと思いながら。暫くされるがまま、わんこの抱擁に身を任せてみる。

 その内わんこが飽きるか、お腹を空かせるかで私も解放されるだろうし、それまで待ってみるか。なんて軽い気持ちでいたのだけど。

 

「ふへへ、にゃーちゃんいい匂い」

 

 猫耳と髪の間に埋められたわんこの口から漏れたその声に、私の体は電流が走ったみたいに勢いよく跳ねた。

 

「えっ、ちょっ、わんこ何してんの!?」

 

「あ、猫耳はちょっと違う香りだ」

 

「うにゃぁっ!?」

 

 ふにゃっと響くわんこの言葉、猫耳の先をくすぐる呼吸の音が、爪の先で肌をなぞられたようなむず痒さとなって全身を駆け抜けた。

 くすぐったい。そしてそれ以上の羞恥心が心臓の動きを一気に加速させる。

 頬から指の先まで熱を帯びていく感覚。髪どころか猫耳を嗅がれるという今まで誰にも許したことのなかった距離感に、胸の底から恥ずかしさが高熱となって押し寄せてきた。

 キャパオーバーを起こした脳では、抵抗どころか喉から漏れそうになる情けない声を堪えるのが精一杯で。

 猫耳の間近で繰り返される呼吸の音、発達した聴覚がそれをダイレクトに脳へ伝える度に、唇を噛む力が抜けそうになる。

 前言撤回。こんなのわんこの気が済むまで待ってたら、私の心臓がとても持たない。頭ではそう分かっていても、猫耳をわんこの吐息が撫でる度に沸き上がる恥ずかしさで、ぱくぱくと声にならない声を出すことしか出来ないでいた。

 

 

「やっぱり落ち着くなぁ、にゃーちゃんの匂いって」

 

 悶える私を包むように抱いたまま、何度かの呼吸を繰り返していたわんこがふと、そんな言葉を溢した。

 とろんとした、微睡みの中で発したような声が、警報のように煩く鳴っていた心音の間を縫って私の耳に届く。

 

「にゃーちゃんの言う通りだよね。土日の間、会ってなかっただけなのに……自分で思ってたより、にゃーちゃんに会えなくて寂しくなっちゃってたのかな」

 

 ふっ、と耳元に柔らかく漏れた吐息で、顔が見えなくてもわんこが微笑んでいるのが分かった。

 

「わたし、にゃーちゃんが近くに居るって思えるだけで、こんなに安心できちゃうんだね」

 

 猫耳をくすぐる、わんこの声。

 だけどそれ以上に、私のためにわんこが寂しさや安心感を抱いてくれていることが、それほどわんこが私に心を許してくれている事実が、くすぐったくて。

 恥ずかしさで爆発寸前だったはずの胸が、わんこの言葉一つでこうも簡単に塗り替えられてしまう。

 我ながら単純すぎて呆れてしまうけど、それだけ私も、もうわんこに心を許してしまっているということなんだろうな。

 

「きゃっ、にゃーちゃん猫耳くすぐったいよ~!」

 

「え、わっ」

 

 頭の上からくすくすと笑うわんこの声が聞こえ、同時に私の前で組まれていた腕がぱっと解ける。

 ……無自覚に動いていた猫耳が、わんこの頬を撫でるようにくすぐっていたみたいで。自由になった手で猫耳を押さえながら、慌ててわんこの胸の中から躍り出る。

 

「……わんこが髪なんか嗅ぐからでしょ。むずむずして勝手に動いちゃったんじゃん」

 

「でもにゃーちゃん、今お耳全体がぴこぴこしてたでしょ? あれって、何か嬉しいことがあった時の動き方だもんね」

 

「んなっ……!」

 

 再び頬が真っ赤に変わる私を、丸い瞳に映しながら。

 わんこもまた、満足そうに笑っていた。

 猫耳の動きとリンクする感情までバレてたなんて、恥ずかしすぎる。おまけにわんこの言葉に舞い上がってた内心まで見透かされて……。

 穴があったら入りたい。ため息混じりに階段へへたり込む私を覗き込みながら、ふにゃっとした笑顔のままでわんこが続ける。

 

「言葉にしなくても、嬉しいって思ってくれてる。にゃーちゃんのそういうとこ、わたし好きだよ」

 

「…………ありがと」

 

 わんこの言葉が引き金になったとはいえ、そこには悪気も無ければ揶揄う意図も無い。

 ただ私が自分の感情を隠し切れず自爆しただけなのでわんこを責める訳にも行かず、熱くなった頬を膝に埋めながらもごもごと返事を返すので精一杯だった。

 

 ……わんこは私の感情に、どこまで気付いているんだろう。

 わんこと居るだけで、ちょっとした言葉一つで、表に出せないほど目まぐるしく変わり続けてる私の内側は、わんこにどれくらい見透かされてしまってるんだろう。

 なんて、それこそ恥ずかしくて聞ける訳は無いのだけど。

 

 ぼーっと思考を彷徨わせていた私の横に、わんこがすっと腰を下ろす。

 なんだかんだで、ようやく二人して昼食時の定位置に着いた。と思ったのだけど。

 

「あっ……お弁当、教室に置いてきちゃった!」

 

 わんこが発した声に、危うくずっこけそうになってしまった。

 

「えぇ……うっかりにも程があるでしょ」

 

「えへへ、早くにゃーちゃんに会いたくて頭がいっぱいだったのかなぁ」

 

「それでお弁当忘れたら本末転倒だから……もう、待っててるから取ってきな」

 

「はーい! ありがとね、にゃーちゃんっ!」

 

 元気な声を残して階段を駆け降りていくわんこの後ろ姿を見送りながら、思わずやれやれとため息を吐く。

 わんこが居なくなった途端、嘘みたいに踊り場は静寂に包まれて。

 一息つくと同時に、今さらのように体の火照りを実感して、パーカーも脱いでしまう。

 あれだけ赤面させられてりゃ、そりゃ体温も上がるだろう。なんて考えながらパーカーを畳もうとして、ふと手が止まった。

 

 わんこの匂いが、少しだけ残ってる。

 あれだけの時間背後から抱きつかれてたんだから、当然といえば当然なんだけど。

 ほのかに甘い、シャンプーか柔軟剤の香り。上手く形容は出来ないけど、鼻を抜けるだけでなんとなく頬が綻ぶような、柔らかさを感じる匂い。

 いつも傍にあるのが当たり前になっていた、わんこの匂い。

 今わんこはそこに居ないのに、匂いだけが自分の手の中に収まっているのがなんだか不思議で。

 

 同時に私の中に、小さな小さな出来心が芽生えてしまって。

 

 

 

「…………何してんだろ、私」

 

 パーカーに、わんこの匂いの中に、そっと顔を埋めながら呟く。

 こんな姿、わんこ本人には到底見せられない。というか自分でもちょっと引いてるくらいだ。

 分かっているのに止められない。この匂いから離れたくないと、どこかで思ってしまっているから。 

 

 こんなに柔らかくて、優しい匂いなのに。わんこの匂いというだけで、落ち着くどころかドキドキが止まらない。

 それでも恋しさのようなものを覚えてしまうのは、わんこと会えていなかったこの土日のせいなんだろうか。

 ……どうしてこうも、惹かれてしまうんだろう。胸が高鳴ってしまうんだろう。

 

 ずっと、わんこの隣に居るのに。

 私の中で育っていくのは、わんこに明かせない感情ばかりだ。

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