「ん、ぅ……」
不明瞭な自分の声が耳に届き、沈んでいた意識が浮かび上がるように目を覚ます。
……いつの間にか、眠ってたみたいだ。
何度か瞬きを繰り返す内に、ぼやけていた視界が鮮明になる。目に映るのは見覚えのある風景、いつもわんこと昼休みをすごしている階段から見ている景色だ。
なんでこんな場所で、居眠りなんて……。まだ微睡みから覚めきっていない思考で、前後の記憶を呼び起こそうとするけれど。
「にゃーちゃんおはよ。すやすやだったねぇ」
それより早く、真横から耳を撫でるように柔らかい声が響いてきた。
いつもより抑え目のトーンだったけど、わんこの声だ。
やけに近い距離から聞こえた声、それに息遣いまで感じる錯覚を覚え、首を僅かに動かしてーー私は自分の上体が、わんこに寄り掛かる形で支えられていることに気付いた。
想像以上にすぐ近くにあったわんこの横顔。穏やかな流し目が呆けた顔の私を映し、長く伸びる茶髪は今日もポニーテールに結わえられて。そしてその上には勿論、今日も犬耳が生えている。
いつも通りの光景を目に捉え、脳が理解し。時間差でじわじわと上昇した体温が、頬を一気に熱くさせる。
「ぅあっ、ごめんわんこ……!」
「んふふ、いえいえ~」
慌てて飛び退くように体を起こした私に、わんこはほのぼのとした笑顔で緩い返事を返してくる。
声や息遣いを近くに感じたのは錯覚でも何でもなかった訳だ。高身長のわんこの方が、私より座高も若干高い。つまり寄り掛かっていた私の猫耳が、ちょうどわんこの口元近くに置かれていたのだ。
「起こしてくれて良かったのに……ずっと体預けちゃって、重かったでしょ」
「全然へーきっ、にゃーちゃん軽いもん。……あ、でも猫耳はちょとくすぐったかったかな」
「う……本当ごめん」
位置的に猫耳でわんこの頬をくすぐってしまってたことは想像に難くない。諸々迷惑をかけてしまった申し訳なさにしゅんとしていると「冗談だよ~」とのんびりした声が隣から聞こえてきた。
「にゃーちゃんがよく眠れたなら、わたしも嬉しいよ。でも珍しいね、この時間にうたた寝なんて」
「んー……昨日寝るの遅かったからかな。レシピ動画いろいろ見てたら、止まらなくなっちゃって」
「あはは、にゃーちゃんらしいね」
ふにゃっと笑うわんこを横目で眺めながら、また少し瞼が重くなるのを感じる。
気を抜くと、そのまま体も倒れてしまいそうだ。
まだ午後の授業もあるのに……。
「にゃーちゃん、まだ眠い?」
「……かも」
「そっかぁ……じゃあ、はいっ!」
「えっ、ちょっ、わっ」
わんこの言葉に応えた、次の瞬間。
横から伸びた手が私の体を容易く拐い、呆気なくバランスを崩されて。
隣に座るわんこの方へ、倒れるように横たえられる。
横を向いて寝るような体勢を取らされ、同時に私の首を柔らかな弾力が受け止める。
……その正体がわんこの太ももだと気付くまでに、さほど時間は掛からなかった。
「何、これ……?」
「もちろん、膝枕だよ!」
恥ずかしげもなく答えるわんこの声と、頬に感じるもちっとした肌の感触。
膝枕という、まるで特別な間柄であることを象徴するかのような行為。それをわんこにされてしまっている自分。
少しずつ脳が状況を理解するのに比例して、急激に体温が上がる感覚を覚える。
「あ、にゃーちゃんのほっぺ今ちょっと熱くなった」
「~~~っ!」
声にならない声で恥ずかしさを訴えながら、頬をわんこの太ももから離すように上を向く。
……豊満なバストに隠れ半分ほどしか見えないが、当のわんこはまるで何でないかのようにほのぼのとした笑顔でこちらを見下ろしていた。
「ちょっ、起こしてよわんこ……!」
「だーめ、ちゃんと休まないとだよ」
笑顔こそ穏やかだが、その実有無を言わせない圧のようなものがその言葉には込められていて。
姿勢も中途半端で、起きるに起きられない。否応なくわんこの言葉に従わざるを得ない現状を理解する。
「お昼休みが終わる時間には、ちゃんと起こしてあげるから。気にせずゆっくり寝ちゃっていいんだよ」
諦めるように脱力したことが伝わったのか、わんこの声がどこか満足げに聞こえてきた。
自分の太もも、それもストッキングも履いていない生足に私を乗せることに、何の抵抗も抱いていないのだろうか。相変わらずわんこの無用心さは心配になるレベルだ。
片や私は、頬に密着するわんこの素肌の感触に情けないほどどぎまぎしている。上昇する体温が、心臓の鼓動が、触れ合う肌を通してわんこに気付かれてしまわないか気が気じゃない。
こんなの眠るどころか逆効果でしかないんじゃないか……そう、始めの内は思っていたのだけど。
「あ、床に当たってるところ冷たいかな。わたしの膝掛け敷いてみる?」
「んー……じゃあ、使う……」
「ふふ、もう声もとろんってしちゃってるね」
ものの数分もしない内に、瞼が開き切らなくなってきて。
うとうとと微睡み始めた意識の最中、わんこの声が子守唄のように猫耳に響く。
「にゃーちゃん、ほんとに寝ちゃいそうだねぇ」
「ん…………」
口から漏れる返事が、どんどん曖昧になってくる。
横になっただけで、こんなに睡魔が襲ってくるとは思わなかったし。
それ以上に、わんこの前でここまで無防備な姿を晒せる自分自身に心の中で驚いていた。
ただ眠気に勝てなかったというだけじゃない。わんこの声が、温もりが心地良いから、こんなにも体の力を抜ける。何も考えず、体を預けられている。
わんこだからこそ恥ずかしくて、わんこだからこそ安心して。相反するはずのどちらが私の本心なのだろうなんて、眠りかけの頭でおかしな問答を考えてしまう。
それとも、どちらも私の本心。なのかな。
「お疲れさま。ゆっくり休んでいいからね」
猫耳の付け根に、そっと指が添えられて。
私の頭を包むように、わんこの手のひらが上から下へと動く。
同い年の相手に頭を撫でられるなんて、普段の私なら羞恥心でどうにかなっていたと思うけど。
微睡みの中、労うようにかけられる言葉があまりに心地よくて。
「おやすみ、にゃーちゃん」
そっと囁く、わんこの声を聞きながら。
私の意識は、静かに夢の中へと落ちて行くのだった。