テイルズオブレジェンディア~melnes~《本編完結》 作:舞@目標はのんびり更新
その少年は孤児だという。両親の顔も知らず、住む場所もなく、当てのない旅をしているのだと。そうしてこの地に……張っていたはずの結界をすり抜け、水の民の隠れ住まう村に流れ着いた。
当然だが、村の大人たちは侵入者を警戒をしていた。何せこの村では、4000年ぶりに水の民の指導者となるメルネスが産まれたのだ。
子供とはいえ陸の民。だが子供だから殺すには忍びない。ならばと手を挙げたのは、メルネスの姉だった。両親を亡くしたばかりの姉妹は、同年代の子供と暮らすことを選んだ。
勿論大人達も警戒は続けた。だがその子供は一切の怪しい素振りを見せず、よく働き、メルネスとその姉と非常に親しい間柄となった。だがその関係性もメルネスが滄我の力を受け入れ、覚醒すれば終わるはずだった。
だというのに、メルネスは滄我を受け入れず倒れてしまった。
そして、村はとある軍勢に襲われた。
セネルはヴァーツラフのことを知らない。かつて住まわせてもらっていた水の民の村が襲われて、その時初めてシャーリィが陸の民の軍勢に狙われていたことを知った。
だが、ヴァーツラフの方は違ったらしい。ヴァーツラフが今際の際に放った言葉。あの時はそれどころではなく、あのジェイでさえ追求しなかった。セネル自身も大切な女性を喪った悲しみから立ち直ることが出来ず……とうとう、シャーリィがメルネスとして覚醒してしまった。
「……クソッ」
陸の民は滄我の恩恵を奪われた。それでもセネルはシャーリィを説得するつもりでいた。だがウィルに強引に手を引かれ、ジェイに促され、ウェルテスまでおめおめと逃げ帰ってきてしまった。
幸いにもオートマタはウェルテスの内部にまで入ってくるつもりはないらしい。しかし爪術が突然使えなくなった人達で、街は混乱していた。モーゼスは部下の面倒を見なければいけず、ウィルとジェイはマダム・ミュゼットに報告に行ってしまう。後でウィルの家で落ち合うと言っていたが、セネルはノーマやクロエを置いて街の外れまで……墓地まで来てしまった。
「……俺は、本当に無力だ。昔の友人だけじゃなく、シャーリィまで止められないなんて」
ステラが答えることはもうない。彼女は既に海に還り、残るはセネルが無理を言って建ててもらった墓石。だけれど、セネルは墓石に語り掛けることを止められなかった。
記憶の中の彼女はただ無言でセネルを見つめるのみ。物言いたげな視線を向けられても、セネルは謝罪しか出来ない。
ふとセネルの背後で、気配がひとつ揺らめく。昔馴染みの気配だが、セネルは視線すら向けることをしない。
互いに無言の時間が続き……、先に根負けしたのは彼女の方だった。
「……あの」
おずおずと、申し訳なさそうな声。人間相手には高飛車なことが多い彼女にしては珍しい。どうやら相手は、セネルの素性に気付いたらしい。仕方なしに、セネルも口を開いた。
「……どうして、ここにいる」
彼らの時間感覚からしても、相当な年月が経っている。セネルの外見も変わっているし、気付かれるとは思っていなかった。ましてや追いかけてくるなんて。
「貴方様に、お願いがあって……」
「俺に?」
衝動的に、セネルは地面を殴りつけた。
「俺は、何も出来なかったのに……!」
現界すらままならないセルシウスに攫われる程、弱くなってしまった。かつての力は戻らず、脆弱な肉体に縛られ、目の前で大切な人を見送るしかできない、無力な人間に。
ガドリアの騎士が水の民を襲ったのはきっかけに過ぎない。水の民が陸の民を敵視していることを、セネルはよく知っていた。セネルがステラたちと暮らせていたのは、子供だからと目こぼしされていたから。それだって期限付きで、ヴァーツラフ軍の所為で有耶無耶にされただけ。
セネル・クーリッジにとって、シャーリィ・フェンネスは妹なのだ。妹と戦えるわけがない。水の民とも戦いたくない。彼らの事情も理解していても、セネルは水の民を……陸の民も、敵視できない。
「……メル、」
「その名で呼ぶな!」
絶叫に近い声に、気配が怯む。しかしセネルは構わずに喚いた。
「俺にその力はない! 俺はただの人間だ!」
「も、申し訳……」
「俺に構うな、さっさと行け!」
「っ……」
気配が消える。本当にどこかに行ったのだろう。だがそれでも、セネルは墓前から動くことが出来なかった。
「……俺はもう、何もしない方がいいのかな」
良かれと思った行動だった。だがその結果同朋は怒り狂い、村は焼かれ、大切な人は死に、妹も犠牲になった。全て、セネルの迂闊な行動が原因だ。
何故だか灯台に行かなければいけないという衝動に駆られるまで、セネルは動くことすら出来ず、己の愚かさにずっと自嘲するしかなかった。
歩くのすら億劫で、セネルが灯台に到着するまでもかなり時間を要してしまった。既にウィルたちは先行し、灯台の内部を探索しているのだろう。この先はセネルも知らない場所だ。重い体を引きずり、目についた昇降機倒れ込むようにして乗り込んだ。
明らかに体力が落ちている。シャーリィが受けた傷が痛むという理由もあるが、それだけではない。
昇降機が止まる頃には、息苦しさが軽減された。閉じていた瞼を開き、ようやくセネルはここが遺跡船の地下空間だということに気付いた。
「……ここ、は」
何故だか懐かしい気がする。しかしセネルはこの地に足を踏み入れたことはおろか、存在すら知らなかった。だから気のせいのはずなのに、間違いなくセネルはこの地を……正確にはこの空間に満ちるモノを知っている。呼吸する毎に四肢に力が満ちていく。爪術を奪われてからの不調は、あっという間に吹き飛んだ。
「……まさか」
その可能性に気付いた瞬間、セネルは駆け出した。
「そういう……こと、か……」
遺跡船という巨大な箱舟の内部には、海が広がっていた。それも普段から眺める荒れ狂ったものではない。非常に穏やかで、静かなもの。心地よい波音も相まって眠りたくなるのを叱咤し、セネルは焚火の音がする方へと歩いていった。
「キュッポ! ピッポ、ポッポも」
「セネルさんだキュ!」
「セネルさんも、ここに来たんだキュ?」
そこには野営地の準備をしているモフモフ族と、倒れ込むようにして眠っているウィルやクロエたちもいた。
「ああ……皆は」
「皆、疲れたって言って眠ってしまったんだキュ」
「びっくりしたキュ」
「……そうか」
ただの疲労ならいい。望海の祭壇からここまで怒涛の連続だったから、休める時には休むべきだ。
「じゃあ、皆はもう少し休ませといてくれ。……俺は、周りを見て回ってくる」
未開の地となったこの空間にも、どこからか入り込んだ魔物が棲みついている。モフモフ族は戦えないし、ウィルたちは見張りを立てることも出来ないくらい疲労している。ならセネルが索敵をするしかない。そんな建前でセネルはキャンプ地を離れた。
昇降機を挟んだ反対側の砂浜までそう距離はないが、丘陵となっている為様子は伺い知れない。
「……だとしても、もう俺には関係のない事だ」
自分に言い聞かせるように、セネルは呟いた。
何故シャーリィは陸の民を滅ぼそうとしているのか。
何故水の民は陸の民を恨むようになってしまったのか。
そもそも遺跡船とは何なのだろうか。滄我とは。
技術と歴史の断絶した陸の民は知る由もないことで、状況を改善する為にもウィルたちは“彼女”の導きに従うしかない。
2日目からはセネルも加わり地下空間……静の大地と呼ぶことにした場所を探索していく。
「もし大沈下が起きたら、大陸全部が海に消えちゃうのかな。あたしらは陸がなきゃ生きていけない。沈められたら、お手上げだよ~」
水の民の悲願は「大沈下」を起こし、陸の民を粛清すること。長年虐げられた水の民の憎悪は、陸の民全員に向けられていた。
「あの塔みたいなんが、光跡翼か?」
「でしょうね。光跡翼こそ敵の秘密兵器の正体です」
ジェイの台詞に、セネルは唇を噛みしめた。敵という呼称に嫌悪を覚えたからだ。
セネルはどうしても水の民側の思考に寄ってしまう。かつての立場もあるから、水の民と敵対することは選べない。かといって陸の民も憎めない、あまりにも中途半端な立場。
「大沈下を引き起こす装置か」
「リッちゃん、本気なのかな?」
「とにかく。敵の目的がはっきりしたのは収穫です。今まではそれすら、曖昧でしたからね」
「……ジェイにとって、水の民は敵なのか?」
「現状を正確に認識すると、そうなりませんか?」
セネルを、ジェイは見つめ返した。そこに激情はなく、ただ淡々と事実を述べただけなのだとセネルを突き放す。
「……皆も、本当にシャーリィが大沈下を起こすと思っているのか?」
ぐるりと視線を巡らせる。
「それは……」
恐る恐るクロエが口を開くが、それ以上の言葉はなかった。
それが、答えだ。
「シャーリィは、虫一匹殺せない性格なんだ。大陸を沈めて人類を滅ぼすなんてそんな大それたこと、できるわけがないんだよ」
それを決断させてしまったのが、友人を殺された怒り。だから、シャーリィが悪いわけではないというのに。
「……俺の言っていること、信じられないのか」
「何を根拠に、信じればいいんですか。妹だからですか? 貴方に決別を宣言しているのに」
「ジェイ!」
「ジェー坊!」
「兄妹ごっこの時期は、とっくに終わってるんだ!」
クロエとモーゼスの制止も聞かず、ジェイは続けた。
「だから何だ! 確かに血は繋がってない、けど俺とシャーリィは家族だ! 家族を信じて何が悪い!」
「ジェー坊! 物にはいい方ってもんがあるじゃろが!」
「言葉を選んでる場合じゃないでしょう。大沈下が起こってもいいんですか?」
努めて、セネルは深呼吸をした。
「……なら、大沈下が起きなければいいのか?」
「出来るんですか、そんなこと」
「シャーリィを説得する」
「セネル、それは……」
セネルの決断に、ウィルは言葉を濁した。確かにそれは理想論だ。だが現状、水の民は対話すら拒んでいる。例えシャーリィと対面できたとしても、耳を傾けてくれるかどうかすら怪しい。
「あら?」
ずっとにこにこと笑って成り行きを見守っていたグリューネが、そこでようやく声を上げた。
「滄我ちゃんが、わたくし達のこと読んでるみたいねぇ」
グリューネが指し示す先は、キャンプ地とは反対側の砂浜。
凪いだ海の上に佇んでいたのは、長い髪をたなびかせる、神秘的な装いの女性だった。
「……アンタが、ここの滄我か」
真っ先に口火を切ったのはセネルだった。セネルには確信があってのことだったが、他の面々からすれば俄かに信じられないことだったらしい。
「はい、マーテルとお呼びください。あなたがたの祖先、この箱舟で外の星からやって来た方々は、私のことをそう呼びました」
乱暴な物言いを滄我……マーテルは受け流す。それどころかセネルを愛しい人を見るような目で見つめ、微笑んだ。
「……ということは、陸の民の方が別の星からやって来たんだな」
ジェイたちは水の民がやって来て、陸の民との競争に負けたと思っているようだが真実は違う。陸の民の方が、この星にやって来たのだ。
「セネルさん、それは……」
「ええ、そうです。貴方たちの祖先が、外の星からやってきた移民です」
静かに、マーテルは語り始めた。
「煌髪人からすれば、我々は侵略者。母星に住めなくなった移民達は安住の地を求めていましたが、煌髪人は我ら受け入れることはありませんでした。争いは幾年にも及び、劣勢となった煌髪人は箱舟……つまりこの船を奪取したことによって戦争は終わりました。そして煌髪人はこの船で国を築き、移民も最大の戦力を奪われたことにより技術面の後退を余儀なくされたのです。……ですが約4000年前、我々への怒りを忘れていなかった煌髪人たちは、この船に遺されていた武装を用い、大陸を沈めました」
そして水の民は遺跡船の上で文明を、元創王国を成立させ遺跡船を陸の民の目から隠したのだ。しかし15年前、待ち望まれていたメルネスが産まれたことで状況が変わった。
「彼らは今王宮で、光跡翼を発動する準備をしています。今度こそ、大陸を全て沈めるために」
「……つまり、貴女は大沈下を止めて欲しいのか?」
ウィルの質問を、マーテルは肯定する。
「私はこれ以上の争いを、人々の嘆きを、怒れる海を見たくないのです。……なので、誓いをたてていただけませんか?」
「……誓い、ですか」
「ええ。私はここから離れることが出来ません。なので貴方達に力をお貸しします。その代わり、大沈下を止めていただきたいのです」
「……それって、まさか聖爪術ってこと?」
水の民の凶行を止めるということは、マーテルの加護の範囲外に出るということ。それでは爪術を使うことが出来ない。しかしここで契約を結べば、少なくとも抗うことは出来る。
皆が色めき立つが、そこに小さな影が割り込んだ。
「ちょっと待ちなさいいよ! さっきから黙ってずっと聞いてたら、好き勝手言って……!」
飛び出してきたのは、髪の毛が魚の尾のようになっている人型の魔物だ。
人語を操る魔物は明らかにこちらに敵意を持っている。しかしすぐに飛び掛かるようなことをせず、マーテルを指さした。
「勝手に被害者ぶるんじゃないわよ! そもそもアンタら陸の民がメルネス様を殺したのが、そもそもの始まりなんだから!」
「……どういう事だ」
先を促したのはセネルだ。魔物はセネルの顔を見て泣きそうなくらい顔を歪めて、深呼吸をしてから話し出した。
「……空からこの船が落ちてきたとき、水の民の意見も二分されたの。だからまず、メルネス様が水の民の代表としてこの船の代表に会いに行った。……けれど、メルネス様は帰ってこなかった! だからラタトスク様は怒って、陸の民との全面戦争を宣言したのよ!」
「ちょ、ちょっと待つんじゃ! そもそもワレ、何なんじゃ?」
魔物使いであるモーゼスは、目の前の存在がただの魔物でないことを一目で見抜いた。しかしそれで正体が分かるわけもなく、人語を喋るならと混乱しながらも尋ねる。
「……そうよね。そもそもアンタら、アタシらの事知りもしないもんね。アタシはアクア、ラタトスク様……アンタらの言う滄我にお仕えするエイト・センチュリオンの一角よ。言っとくけど、こんな紛い者とラタトスク様を一緒にしないでよね」
小柄な体躯をふんぞり返らせて、アクアはマーテルを睨みつける。
「紛い者って……」
「知らないとでも思ったの? 野蛮な陸の民はメルネス様を殺して、核まで粉々に砕いた挙句に真似しようとした。そうして出来たのがコイツよ」
マーテルが誕生したのは二種族間の対立が決定的になったずっと後。マーテルが生まれる前の知識は陸の民からの一方的なものに過ぎない。そして創造主を慮り陸の民に寄り添う。だから、一方的な物言いになってしまったのだろう。
「それにね、陸の民は水の民を大勢捕まえて、兵器の動力にして、大陸を創ったのよ!」
アクアの言葉に、誰もが言葉を失った。
初め、この星に陸地はなかった。水の民は陸地を必要としない種族だ。海の中で、静かに暮らしていた。
だが空からやって来た移民達には大地が必要だった。だから大陸を創った。その原料となったのが、反抗的な原住民。
つまり陸の民は、水の民の犠牲の上で生きているのだ。
「そんな、我々の祖先が……」
「……いえ、でも納得が出来ます。自らを水の民と呼ぶ煌髪人が何故陸地に拘るのか……ようやく納得しました」
「成程な……静の大地や滄我砲は元創王国の遺跡ではなく、遺跡船の母体となった白くて四角い船の施設……そして滄我砲は煌髪人の命をエネルギー源としている」
「ええ、光跡翼がメルネスの命を代償とするのも確定的でしょう」
「あ、確かに仲間の命を犠牲にする装置なんて、わざわざ作らないもんね」
「そうよ、だからラタトスク様はずっと怒ったまま。海が荒れてるのもその所為なの」
「っちゅうことはつまり、ワイらのご先祖が来んかったら、何も起こらなかったんか……?」
今までウィルたちは水の民が突然の暴挙に出たとしか考えられなかった。何せ都合の悪いことはあえて伝承せず、残っていた記録も大沈下でほとんどが海の底だ。だから何故水の民が陸の民を恨んでいるのかも皆目見当が付いていなかった。
だがここにきて、立場が逆転した。本当の加害者は陸の民で、水の民が恨むのも当然のことをしでかしていた。
「……だったら、何だってんだよ」
大きく、セネルは地面を踏み鳴らす。
「水の民とか陸の民とか関係ない、シャーリィは俺の妹だ。それの何が悪いってんだよ!」
セネルとシャーリィの血は繋がっていない。種族すら違う。そんなの今更の話で、シャーリィを大切に思っている気持ちに嘘偽りはない。
「俺が……俺が、シャーリィを説得する。大沈下なんて馬鹿げてるって。それの何が悪いんだ?」
だが、セネルの言葉に同意する者は誰もいない。皆俯いて、セネルの視線を避けるだけ。
それが、答え。
シャーリィを説得できるわけがないと、水の民と陸の民が和解できるわけがないと、皆そう思っているのだ。
「……そうかよ」
目の前が真っ暗になったかのようだ。誰もセネルの言葉に共感しようとしてくれない。それが悔しくて、大きく息を吐いた。
「ああ、そうかよ!」
そして、次に来たのが絶望。
かつてのセネルの思いは届かなく、今回も無碍にされた。
所詮はその程度なのだと。セネルの望んだ道が訪れるわけがないと嘲笑われているかのようで。
「セネル!?」
「クーリッジ!?」
居てもたってもいられず、セネルは歩き出した。
驚きの声が上がるが、止める人はいない。
唯一、躊躇しながらもクロエが後を追いかけた。
「あ……」
思わず、アクアはセネルの背中に手を伸ばしかけた。だが追い縋ることは出来ず、そっと手を下ろす。
それから、あえて小さな体で胸を張った。
「フン、何を今更ショック受けてるの。今まで被害者面してたクセに、実は加害者側だったんだから滑稽ね」
そう言い残し、アクアは姿を消した。
静かな空間の中、波の音だけが聞こえる。
地上の、荒れ狂った海は心をざわつかせるだけだけど、ここは違う。静かで、セネルの知る海とは別物だけれども、かささくれ立った心を落ち着かせてくれる。
ずっと、ステラの悲しげな、恨めしそうな顔が脳裏から離れない。何をしても、ステラが笑いかけてくれることは、もうないのだ。何せ、ステラはセネルのせいで死んだようなものだから。
「……ステラ、どうすればいい?」
訊ねたところで返答が来るわけがない。けれどその沈黙は、ステラがセネルを恨んでいるからのような気がしてならない。
本当なら今すぐにでもシャーリィのところに駆け付けたい。しかしセネルの爪術は失われ、水の民の妨害を突破することが出来ない。
「……もう、いっその事」
このまま無に返ってしまえば。
そんな甘美な誘惑さえ過ぎる。それは星に対する裏切りだ。しかし今のセネルにとって、ステラの遺志よりも重いものはない。
彼らはセネルを見限った。ならセネルが気にする必要もない。このままステラに殉じるくらい、赦されるはずだ。
ならばと踵を返したところで、息を切らせたクロエがやって来た。
「クーリッジ!」
「クロエ、どうして……?」
どうやらわざわざ追いかけてきたらしい。
「……クーリッジ。お前、何を思い詰めている?」
「別、に」
我ながら白々しい答えに、内心で自嘲する。当然ながら、クロエにもお見通しだ。
「なあ、クーリッジ。悩みがあるなら、私に相談してくれ。お節介だってことは分かってる。でも私だって、お前が苦しんでいるのを見ているだけなのは……辛い」
そう声を絞り出すクロエは本当に苦しそうで。
「……俺、は」
だがセネルには、全てを打ち明ける勇気を待ち合わせていない。だから、口を噤むしかない。
「クーリッジ……」
「………」
けれど同時に吐き出して楽になりたいという欲があるのも事実。そんな浅ましさに、まだ星に未練があるのかと息を吐く。
クロエだけが追いかけてきてくれた。まだ理解してくれようと、少なくとも努力してくれる人がいる。たったそれだけの事なのに、とても嬉しかった。
だから、言えることだけでも言ってしまいたいと、欲が出た。
「俺は……子供だからという理由で、俺はマウリッツさんに特別に許されて、水の民の村で世話になっていたんだ」
セネルに親と呼べる存在はいない。世界に独りで、目が覚めてからずっと放浪の旅をしていた。
そして水の民の村に迷い込んだ。大人の姿だったら殺されていただろう。けれどセネルの外見は10歳前後の子供。ステラに庇われたのもあり、マウリッツの温情で許された。
そこで、セネルはひとりの人間を愛してしまった。
「ステラと、シャーリィと暮らしている間は……少なくとも俺の周りは平穏だったよ。……シャーリィが託宣の儀を受けるまでは」
陸の民だからと、セネルは同行を許されなかった。
けれど今なら分かる。シャーリィは、滄我の……ラタトスクの意思を拒絶したのだ。
「儀式に失敗し、昏睡状態となったシャーリィを救うために、俺とステラは村を守る結界の外へ出た。どんな病気も治すという鉱石を探すために」
「それで……?」
「鉱石を手に入れて、シャーリィは助かった。だが俺達は、後をつけられていた。村に入るところを、ヴァーツラフ軍に見られてしまったんだ」
そして、村は焼け討ちにされた。セネルはシャーリィを守りながら逃亡し、ステラは2人を逃がすため囮となった。
「村が襲撃されたのも、ステラが死んだのも、シャーリィが今の状態になったのも、元を正せば全て俺の所為だ」
「クーリッジ、その考え方は違う!」
「違わない! 俺がちゃんとしていれば、こんな事にはならなかったはずだ!」
村の外に出ていなければ。
あの鉱石をすぐに渡していれば。
シャーリィが狙われていることに気付いていれば。
ステラに、出会っていなければ。
少なくとも、ステラは笑って暮らせていたはずなのだ。
けれどステラはセネルと出会ったことで、明るいはずの未来が閉ざされてしまった。
「……シャーリィは、それを知っているのか?」
「話してない」
「ずっと、黙っているつもりだったのか?」
「ステラと約束したからな」
何故かステラは聡かった。セネルが隠していたことに気付いていたのに、知らないフリをしてくれていた。その上で、水舞の儀式を約束してくれた。
そんなステラに、妹を託されたのだ。
「約束は、守らないと」
約束は、契約は絶対だ。破るわけにはいかない。
「それにな、ステラは俺の所為で死んだんだ。3年間、俺が助けに来るのをずっと待っていたはずなのに」
だからセネルは、ステラとの約束通りシャーリィを守らなければならない。それが、セネルの贖罪。例えその先に破滅が待っていようとも、セネルは約束に殉じるつもりだ。
そうすれば、記憶の中のステラは笑ってくれるだろうから。
だというのにクロエはセネルの胸倉を掴み、頬を平手で打った。
「っ」
痛みは左程ない。それよりも驚きの方が勝る。
「クーリッジ……お前という奴は……」
「いきなり何するんだ!」
「バカ!」
「何だと!?」
そして、この暴言。最早意味が分からない。
「お前が、自分のことをまるで分かってないからだ!」
「自分のことって、何だよ!?」
「お前は自分の気持ちを誤魔化している! ステラさんを選んだなんて、ただの言い訳だ!」
「ふざけるな! お前に俺の何が分かるんだよ!」
もう一発。
避けようと思えば避けられたはずなのに、何故かセネルは動くことが出来なかった。
「見損なうな! 分かるに決まっているだろう!」
「クロエ……?」
「以前だったらいざ知らず、今の私には分かるんだ! そう……嫌になるくらいな……!」
「クロエ……」
肩を震わせるクロエの方が何故か辛そうで、逆にセネルの方が戸惑ってしまう。
「クーリッジ、お前のやるべきことは、たったひとつだ。今すぐシャーリィと会い、全て打ち明けるがいい」
「全てって……」
「全てだ! お前の気持ちも、過去も、包み隠さずシャーリィに伝えろ!」
「そんな事……」
「出来ないのか、意気地なし」
「何だと?」
「お前はシャーリィと向かい合うことから逃げているだけじゃないか! お前にとってシャーリィが、それっぽっちの存在なはずないだろ! 違うか、セネル!」
「違わない! 分かってるよそんな事は!」
今のセネルには、シャーリィが全てだ。ステラの為にも、シャーリィを守らなければいけない。そんな事は分かっている。
だけれど、セネル・クーリッジには。
「けど……俺には力が、ないんだ……!」
かつての権能を失い、只人に成り下がった身体は、かつての友人に会うことすら叶わなかった。宛もなく彷徨い続けながら回復を図っても、かつて力のには程遠くて。
だからシャーリィに会うことも叶わないと、心のどこかで諦めてしまっていた。
「私たちがいる!」
「クロエ……」
「1人では無理でも、2人なら、3人なら、7人なら出来るかもしれないだろ! 諦めるな、私達を頼れ!」
「そんな事……」
ずっとひとりで戦ってきた。誰も頼れずにシャーリィを守り続け、それで一度は愛想を尽かされた。にも関わらずシャーリィの奪還に協力してくれた人達。セネルにとってはそれで充分だというのに。
「頼って……いいのか?」
「いいに決まってる! 少なくとも私は、協力する」
不意に、セネルは笑いだしたくなった。
決してセネルの第一印象は良いものではなかっただろう。けれどここまで心を砕いてくれている。それがとても嬉しかった。
「……ありがとう、クロエ」
ヒトの心は変わる、変えられる。例えいがみ合っていたとしても、いつかは分かり合える。勿論その逆もあるけれど、良い方に変えることが出来る。そんな希望を垣間見た。
「俺、やってみるよ」
一度だけ、静かな海へと視線を向ける。
「……どんなに足掻いても、過去と寄り添うことは出来ない」
嬉しかったことも、悲しかったことも、全て背負い未来へ向かうしかない。そんなこと、分かり切っていたはずだったのに。
「今を生きる以上、前に向かって進むしかないというのに」
情けなさ過ぎて、笑ってしまいたい。
「……俺は、未来を繋いでもいいのかな?」
「クーリッジ?」
「ステラ、俺シャーリィのところに行くから……待っててくれ」
記憶の中のステラが、ようやく微笑んでくれた……ような気がした。
セネルとクロエが戻ってくると、アクアとマーテルの姿は既になかった。しかし様子は伺っているのだろう、気配を感じる。
「……皆。俺にシャーリィと話す機会をくれないか? もう1度だけ、シャーリィを説得したい」
「……それで、説得できなかったらどうするつもりなんです」
最も早くショックから立ち直ったのは案の定ジェイだ。既に折り合いをつけているようだ。クロエも、セネルを追いかけるという一念がなければ、まだ立ち直れていなかったかもしれない。
「もし……そうなったら……」
シャーリィを説得できなければ。
大沈下を起こせるのはメルネスであるシャーリィだけ。だから被害を最小限なするなら、シャーリィを殺せばいい。
だけど、方便でもセネルはそう言うことが出来ない。何せ、セネルはシャーリィの兄なので嘘でも言えないし、一度口にした約束を破るわけにもいかない。
「……正直なところ、俺はシャーリィを殺せない」
それだけは譲れない。明らかにジェイが落胆した表情を見せた。だから何か言う前に、セネルは続ける。
「でも、多分説得に失敗したら……俺は殺されると思う」
シャーリィはセネルとの絶縁を宣言したが、それが本心からかは分からない。元々優しい子だから、陸の民への情もある。水の民もそれを分かっているから、この中で1番に狙われるとしたら、セネルだ。特にワルターは、セネルを憎んでいると言っても過言ではない。間違いなく待ち構えているだろうし、セネルを躊躇なく殺しに来るだろう。
セネルが死ねば、シャーリィはもう後戻りできなくなる。そうなればメルネスとして、すぐにでも大沈下を引き起こすだろう。
「そうなった時、俺がシャーリィを道連れにする」
セネルに出来るのは、殉じることくらい。これがセネルの精一杯だ。
「出来るんですか?」
「やるさ」
「……本気、なのか?」
「シャーリィが大沈下を起こして陸の民を大勢殺すくらいなら、シャーリィを止めて俺も死ぬ」
シャーリィをひとりにはさせない。セネルはステラと同じ場所には行けないけれど、シャーリィならステラに会えるだろう。
「……正直俺は、過去の確執に興味はない。大陸に思い入れもないし、遺跡船も来たばかりだ」
かつての来訪者は来歴を忘れ、この星を席巻するようになった。それが一概に悪いことだと、セネルは思えない。確かにかつて陸の民は水の民を迫害し、現在も兵器に転用しようとしている。けれどそれは結局極一部の者なのだ。セネルとて水の民から石を投げられたこともあるし、陸の民から施しを受けたこともある。
「水の民が陸の民を恨むのも当然だし、謝っても意味のないことだと思う。でも、今までがそうだからって未来もそうだと決まってるわけじゃない」
恨みを忘れろ、受け入れろだなんて口が裂けても言えない。だがいずれは手を取り合えると信じたい。
「それも大沈下が起きたら理解しあうことは永遠に出来なくなる」
陸の民は空に戻る手段を失った。ならこの星で生きていくしかないのだ。そして争いはどこかで止めないといけない。だからまずは共生は無理でも、共存から始めたい。
「だから俺は、大沈下を止めたい。……皆も、思想は違うけどこの思いだけは同じはずだ」
大陸に思い入れがあろうとなかろうと、例え陸の民がかつての加害者の末裔だとしても、大沈下を許すわけにはいかない。そこは共通認識のはずだ。
「だから、ウィル。頼みがある」
「何だ」
「俺がメルネス殺害に成功したら、その罪は俺ひとりのものにしてくれ」
「なっ」
ただでさえ水の民は陸の民を恨んでいるのだ。ましてや陸の民が住まうウェルテスは今、包囲されている。もし水の民の最高指導者が殺害されたとなれば、報復に虐殺が起きてもおかしくない。
「俺は、メルネスの義兄という立場を利用してメルネスを誑かし、水の民を利用しようとした。そんな俺の凶行を、陸の民が止めるとか、筋書きはなんでもいい。俺を貶めていいから、俺の首で水の民を鎮めてほしい」
「セネル、それは……」
「無責任だとは分かってるけれど、後を頼めるのはウィルしかいない」
セネルは、休戦協定を結んでほしいと頼んだのだ。自分の首を使って、水の民との諍いを収めてほしいと。
しかしそれはウィルの一存で決められるものではないし……少なくともこれからの事はセネルひとりの責任ではない。それに今の指示は、上に立つ者の視点だ。シャーリィを第一に考え、それ以外を鑑みていなかった今までの言動とはかけ離れたもの。あっさりと首を使って死後も辱めろと言えることにも、ウィルは混乱してしまう。
「……本気、なのか?」
「俺の我儘を通すんだ、命くらい賭けるさ」
あっさりと言い放ったセネルの頭部に、すぐさまウィルは拳骨を落とした。
「っで!」
「自惚れるな、お前1人に全てを負わせるわけがないだろう」
確かめるために、ウィルは一同を見回す。
「そ~そ~、水臭いぞ~」
「よう分からんが、セの字だけにいい顔させてたまるかい!」
「ええ、僕たちだって責任から逃げるつもりはありませんから」
「……クーリッジ、私達は一蓮托生だ。決して、クーリッジを1人にはさせない」
「皆……」
セネルは目を丸くした。
自分の態度が決して褒められたものでないことは理解している。だから歓迎されることはあっても、反論されるとは思っていなかった。戦犯という罪をセネル1人で被ると言っているのに、好き好んで共犯になる必要はないはずだ。
「……どうして」
「いいか、セネル。独りで突っ走るな。……俺たちも、いるんだ」
ウィルから何度も言われている言葉だが、今日程沁みることはなかった。
セネルは、常に独りだった。かつて共に過ごした同胞に声は届かず、独りでいるしかなかった。
だけれど今、セネルの前には同志がいる。それがとても心強く、温かい。
「……ありがとう」
とても小さな声だが、周囲が静かなこともありそれは全員に届いた。
「改めて頼む。俺とシャーリィが話す時間が欲しい」
「セの字ィィ!」
何故かモーゼスがセネルに抱き着いてきた。
「きっと嬢ちゃん、説得しようや! ワイも手伝うちゃる!」
「は、離れろ!」
思わずモーゼスをを振りほどいてしまったのは悪くないだろう。
「ジェイも、それでいいか?」
この中でセネルと最も険悪だったのは、言い換えれば最も冷静だったのはジェイだ。ジェイの納得が得られないなら、シャーリィを説得する時間すら貰えない。
「……あーあ、せっかくセネルさん抜きの作戦を考えてたのに」
だがジェイは、わざとらしくそっぽを向いて、肩を竦めてみせた。
「これでまた、一からやり直しですよ」
「ジェイちゃん、良かったわね」
しかし微笑みながらグリューネが言うから、その強がりはすぐに発覚してしまう。
「ジェイ、色々心配かけてすまなかった。……これからも、よろしく頼む」
「……遠慮はしませんからね」
ジェイに手を差し出すと、渋々だがジェイも手を伸ばしてくれて。
「おお……男同士が確執を経て、和解の握手を……」
「うおおっ! 何て感動的な光景じゃあ!」
「……邪魔されたと」
だが割って入ってきたモーゼスの所為で握手することは叶わなかった。
「何ですか貴方。お呼びじゃないんですけど」
「全くだ」
「クカカ! 照れんな!」
「照れてない!」
「照れてません!」
声がユニゾンして、自然と笑い声が起きる。
胸に生まれた温もりを噛みしめるよう、セネルは目を伏せた。
静の大地の探索中、チームワークは最悪だった。魔物との戦いで足を引っ張ることこそなかったが、いがみ合っていた。だがここに来てようやく、思いがひとつになった。そしてセネルの我儘の為に協力してくれるという。
「……仲間、か」
遺跡船にやって来てから今まで、肩を並べて戦ってきた。けれどそれは利害が一致し同じ方向を見ていただけ。言うなれば只の同行者で、煩わしいだけだった。
だけれども、今は共に戦ってくれることがとても心強い。ずっと独りで戦うしかなかったセネルに、初めて仲間というものを教えてくれた。
だから、今なら未来を考えられる。
シャーリィを助け、大沈下を止めた先。この星の行く末を。
「……マーテル、見てるんだろ?」
静かに語り掛けると、マーテルが姿を現す。
「俺たちに、力を貸してくれ」
「はい。貴方達の覚悟、見せてもらいました。……それに」
意味ありげに、マーテルはセネルを見つめる。セネルもまた、マーテルを見つめ返した。
「まあ、2人共そっくりねぇ」
「またまたグー姉さん、全然似てないでしょ」
「そうかしら?」
「……まさかセの字、実は女だったりせんよな?」
「この身体見て、もう一度言えるか?」
流石にセネルも苦言を呈した。マリントルーパーという職業柄、体にフィットしたボディスーツを着用している。どう見ても女性らしい柔らかさは皆無だ。
「モーゼスさん、目が腐ってるんですか?」
「何言ってるのモーすけ」
「流石に無理があるんじゃないか、シャンドル」
「……医者に、行った方がいいのではないか?」
散々な言われようにモーゼスが憤慨するが、それも当然の扱いだろう。
そっとセネルは胸を撫で下ろした。勿論セネルとマーテルの外見的特徴の共通点は見つからない。だがグリューネに言われてしまうのも仕方ないだろう。マーテルはメルネスの核から生まれた精霊、言うなれば身内。ならセネルと似通うのも当然だ。
「お前はセネルに、ずっと騙されていたのだ」
蜃気楼の宮殿の玉座の前でマウリッツが言い放った言葉は、セネルにとっても信じ難いことだった。
「セネル・クーリッジは、ヴァーツラフの手下だったのだ!」
それは、セネルが水の民の村に流れ着くよりもずっと前のこと。
ほんの一カ月程、遊学中だというとある国の王族に気に入られて護衛紛いのことをしていたことがある。何故高貴な人物が他国で、しかも1人で盗賊に襲われるようなことになっていたのか。今となっては分からないし興味もない。あの頃のセネルは他者に対しての情が、今よりも更に希薄だったのだ。乞われて格闘技を教えるようになっても、国に来てほしいと懇願されても、靡くことはなかった。
その王子とはそれっきり。彼がどこの国の生まれなのかも覚えていないし、その後どうなったのかも知らない。
だから、繋がらなかった。
「クーリッジ流格闘術……ヴァーツラフ軍で正式採用されている戦闘術……無関係とはいわせないぞ」
既に忘却の彼方に過ぎ去っていたことを、ようやく思い出した。あの時の子供は、助けるのが遅れたため左目の部分に傷を負っていた事を。
セネルは今まで気付かなかったが、彼は最期に思い至ったのだろう。たった一カ月の間だけ師と仰いだ子供が、敵となっていた事に。
起動してしまった光跡翼を、セネルは見つめることしか出来なかった。
せっかく手の届く場所まで来れたというのに、またシャーリィは遠くへ行ってしまった。マウリッツが語ったことも事実なのだろう、セネルは否定する材料を持ち合わせていない。どうやってシャーリィを説得すればいいのか、途方に暮れてしまう。
そんなセネルの背中を、ジェイが軽く叩いた。
「落ち込んでいる場合じゃないですよ、セネルさん。そんな暇があったら、光跡翼へ乗り込む手段を考えるんです」
「嬢ちゃんの本音は、大沈下なんぞやりとうないんじゃからのぅ」
「そうとも! あそこにいるのは、志を同じくする私たちの仲間だからな!」
「それが大沈下を止めるってことだしね!」
「……だが」
口々に励まされるも、ウィルだけは鉄拳をセネルにお見舞いした。
「いてっ!」
「力を託された責任は、全うできなかったからな。これはその制裁だ」
「それに、ヴァーツラフ軍との関係も教えてほしかったですけどね」
「……それは、仕方ないだろ。俺だって知らなかったんだから」
戦い方が同じ理由が偶然なわけがない。セネルは忘れていた。だがヴァーツラフは覚えていた。セネルにとっては気にも留めない程度の出来事だったのに、ヴァーツラフにとっては文字通り人生を変えたものだったようだ。
当時は無関心なことが多すぎた、というのは言い訳にしかならない。だが例えセネルがヴァーツラフのことを覚えていたとしても、あの後ヴァーツラフに従ったとしても、破綻していたに違いない。
僅かに息を吐いて、もう顔も覚えていない少年を悼む。赦すことが出来ない敵とはいえ、かつて面倒を見ていたことは事実。だから、これで決別とする。
過去はどう足掻いても替えられない。ならば未来をより良いものにするしかない。
マウリッツは生涯、その日のことを忘れられないだろう。
数千年に及ぶ水の民の悲願がようやく成就するはずだったその日。だが陸の民と共に陸地を海に還す計画は、他ならぬメルネスによって拒絶された。
だが滄我は素養がないにも関わらずマウリッツに力を授けてくれた。姿が醜く変質してしまっても、これで光跡翼が発動できるならそれで良い。まずは邪魔をする陸の民を排除してから、事にかかることにした。
そんなマウリッツに殴り掛かったのは、憎き陸の民。メルネスを唆し甘言で惑わす子供。
大陸にあるとある湖のほとりの集落に張った結界をすり抜けてきたときから、マウリッツはその子供をずっと気にかけていた。
けれどマウリッツの警戒を他所に、セネルは水の民に馴染んでいった。何事にも無関心だった子供が、メルネスやステラと笑い合う。その光景を見て、マウリッツはセネルに対して警戒を解いたが……危惧は続いた。この少年がメルネスを唆し、水の民の悲願を邪魔建てしてしまうのではないか、と。
そうしたら案の定だ。優しすぎるシャーリィは、大沈下を拒否した。だからマウリッツは、大切な同朋の命を……シャーリィを友と呼ぶ少女を犠牲にせざるを得なかった。
そうまでしてようやくメルネスが覚醒したというのに、セネルがまだ邪魔をする。
「いい加減にしろ、ラタトスク!」
忌々しいヒトの叫びが、マウリッツの意識を引き戻した。
滄我を受け入れ、滄我と繋がったマウリッツはその時確かに滄我の声を聞いたのだ。
『お前まさか……いや、そんなはずは……!』
喚く滄我から流れ込むのは驚愕、悔恨、そして僅かな親愛。
「恨むなとも、許せとも言えない。だが、前を見ろ! お前の怒りの先にあるのは、星の破滅だ!」
セネルの声は耳朶ではなく、直接脳を震わせる。
『何故、陸の民の味方をする! 貴様を殺した者の末裔だぞ!』
「俺は、今を生きる者たちに未来を託すと決めたんだ! だからラタトスク、お前も決めろ。このまま殉じるか、抗うか」
そこで滄我と引き剝がされたマウリッツは、彼らのやり取りの意味を最後まで聞き届けることが出来なかった。