テイルズオブレジェンディア~melnes~《本編完結》   作:舞@目標はのんびり更新

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クロエ編 モーゼス編

「クロエ……お前……」

「お前を傷つけた私に、最早戻れる場所はないな」

腹部を刺された。痛みで視界が黒く染まる。

「お蔭で、覚悟を決められた。ありがとう、クーリッジ」

「ふざけるな……そんな、ありがとうが、あるかよ……! クロエは、大切な……仲間、だろ……だから、行くな……!」

「その言葉を素直に受け取れれば、良かったのにな」

クロエの背中を見送るしかない中、セネルは歯を食い縛った。

このままでは出血多量で死ぬだろうと、冷静にセネルは判断する。だが致命傷ではないので、手当が早ければ回復するはずだ。覚悟を決めたと言ったくせに見逃すような真似をしているのだから、まだ間に合う、はずだ。

「行くな、クロエ……」

「心地良いはずの言葉が、今は全て痛みになるんだ……」

「クロエ……行くな……!」

 

雨が降っていて良かった。お蔭で血が流されたように見える。

そっと安堵の息を漏らし……セネルは体の力を抜いた。

 

 

 

 

 

 

「もう動かないでください!」

アクアの叫びが、水晶の森の静寂を破る。

「ほら、陸の民の姿にも成れてないじゃないですか! ヒトでいう大怪我を負ったんですよ!?」

「だから……どうした」

銀色の彼は、全身を激痛に苛まれながらも立ち上がる。

核を傷つけられたわけではない。しかし黒い霧を纏った刃は毒となり、肉の器を食い破った。結果、彼は今までになく大きなダメージを受けた。

「この程度……かつて核を砕かれたときに比べたら……」

「そんな時と比べないでくださいよ! それに、貴方様の核は小石並しか残ってないんですから……今度こそ消滅しちゃいます!」

「だから何だ。負傷は、私が動かない理由にはならない」

「ですけど……!」

まるで泣きそうなくらいにアクアは顔を歪ませる。

身を案じてくれているのは理解している。だが、それでも彼は行かなければならない理由がある。

「……あいつを、放っておくわけにはいかないんだ」

それは、星の守護者ではなく個としての言葉。

かつての彼は、唯一の同胞とその配下以外に意識を傾けることは殆どなかった。下位種である人を慈しみこそしたが、根底にあるのは無関心と、ある種の傲慢だ。だからこそ来訪者たちも受け入れようとしたのだろう。

だが、彼は変わった。個を愛し個を憎み、全を愛すことを学んだ。それが果たして良いことなのか、アクアには分からない。

「メルネス様」

かつて拒否された名を、あえて呼ぶ。

アクアの主人の愚行により、彼は名を失った。だが新たな名を持ち、矜持はむしろ強まった。今も身を犠牲にしながら、星とヒトを守ろうとするくらいに。

「……ここまで運んでくれたことには、感謝する」

彼が、傍らのネルフェスに触れる。

マナが結晶化した鉱石は、彼も所持していた。しかしそれは、ラタトスクの怒りに呑まれた今代のメルネスと水の民の長を助ける為に全て消費してしまった。残るは、水晶の森の奥にあるこの塊のみ。だからこれを貰い受けるしかない。

「俺は、行く。行かなくちゃいけないんだ」

ネルフェスを用い、陸の民の姿を模る。以前は中身まで似せていたのだが、今は外側しか真似る余力しか残されていない。

「ん?」

ふとメルネスは顔を上げた。

生き物の気配がしたような気がしたのだが、そこには何もいない。

「どうかしましたか?」

「いや、気の所為だ」

メルネスが文字通り姿を消すと、アクアもそれに続いた。

 

物陰に諸事情によりマスクドSと名乗る不審者が隠れていたことに、彼らはついぞ気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

クロエが行方不明になった。そしてクロエを探しに向かったセネルの姿もない。

クロエがいたという墓地には、争った跡があった。クロエは恐らくだが親の仇であるオルコットを討つため、迷いの森へ向かったのだろう。しかしセネルはの行方は分からないまま、ウィルたちはクロエを追い迷いの森へ向かった。

 

その先で見たのは、倒れ伏すオルコットと黒い霧に呑まれたクロエ。

 

「私は……私だって……敵討ちなんて……!」

「クロエさん、剣を収めてください! きちんと自分の気持ちと向き合ってください。自分の中のキライな部分から、目を背けてはいけないんです。立ち向かうことを諦めて、楽な道に逃げ込んでも、今この瞬間しか救われないんですよ」

「お父さんが罪を犯したのは知っています! それでも、それでも! 私にとっては、たったひとりの大切な、大切なお父さんなんです!」

シャーリィと、オルコットの娘が何とかクロエを説得しようと試みる。クロエの表情はとても辛そうで、とても望んで復讐を果たす姿には見えない。

 

「思い出して! 父様が殺されたときを! 母様が殺されたときを!」

黒い霧は幼いクロエの姿を模して、仇を討てと叫び続ける。

「惑わされては駄目。あの声は貴女を傷つけるんだから!」

 

「わたし、嫌いな自分から目を背けて、いっぱい後悔をしました。お兄ちゃんや皆にたくさん迷惑をかけました。そんな私の姿を、クロエさんは知ってるはずです」

「惑わされてはいけない。痛みを誘う言葉は、跳ねのけるのよ!」

「私は……私は、敵討ちなんて……」

「迷うことなんてないの。憎むべき相手を殺しなさい!」

幼いクロエの甘言に、クロエは首を振る。

そしてとうとう、

「私は……始めから敵討ちなど望んではいなかった!」

自らの心の闇に剣を突き立てた。

「貴女が私を否定するの? 私は貴女なのに」

闇からすれば信じられないのだろう。心の闇に打ち勝つ人間が出てくるなんて想定外のはずだ。

「許さない、許さないわ! 消えてしまえばいい、私を否定する貴女なんか!」

だから黒いクロエも、今までの魔物と同じように襲い掛かってきた。

 

今回、霧が模したのはクロエだ。戦い方もクロエを模倣している。今までのウィルやノーマは後衛型で、何とか距離を詰め隙を作り、ブレス系爪術で仕留めるという戦法が取れた。しかしその作戦が取れない上に、前衛を務めるセネルがいない。辛うじてクロエが引き付けジェイとモーゼスが援護をするが、ダーククロエの剣戟を捌ききれない。オルコットはエルザを守るので精一杯で、そもそも手負いなので戦力外。

人間とは違い痛みに怯まず、出血もなく急所も不鮮明な魔物が相手。対してこちらは前線が1人欠けている状態。ブレス系爪術は足止めにもならない。

だがクロエが圧し負ける前に、何かが飛来した。

「なっ!?」

それは棒状の何かだった。それをダーククロエが剣で弾いた瞬間、魔物の絶叫が轟く。

「今のは……」

しかしそれが何か確認する前に、空気に溶けるようにして消えてしまう。

「悪い、遅くなった!」

「お兄ちゃん!?」

「クーリッジ!?」

一拍遅れ、セネルがクロエの隣に並んだ。クロエに刺されたはずの傷は見当たらず、動きに支障がある様子もないことにクロエは秘かに安堵した。

「遅いんですよ!」

「今までどこにいたのよ~!?」

「説明は後だ!」

拳を握りしめ、セネルはクロエに視線をほんの数瞬向ける。それだけで、クロエにはセネルの意図が分かるような気がした。

「畳みかけるぞ!」

「……ああ、任せてくれ!」

クロエはセネルを刺した。にも関わらず背中を預けてくれる。そのことが嬉しいのと同時に虚しくもあった。

 

セネルはクロエを女性として見ていない。共に戦う仲間としては唯一無二だろう。だがクロエの想いが成就することは……永遠にないのだ。

 

 

 

 

 

 

シャーリィの説得でクロエは遺跡船に残ることを決めた。セネルではそうはいかなかっただろう。こうしてシャーリィが率直に意見を言える相手が出来たことが、セネルには嬉しかった。

セネルはいつまでシャーリィの隣に留まることが出来るのか分からない。陸の民とのこともあるし、交友関係が広がるのは悪いことではない。ただ少し寂しいだけで。

 

「お兄ちゃん起きて、もう朝だよ」

いつものようにシャーリィはセネルの家を訪れる。

「今日はエルザさんの様子を見に行くって約束してた、でしょ? もう……わたし、先に言っちゃうよ。噴水広場で待ってるから、すぐ来てね」

そんな声をぼんやりと聞いて、セネルは薄く目を開けた。

睡眠の心地よさを知ることが出来たのはステラとシャーリィのお蔭だ。それまでのセネルは睡眠に必要性を感じていなかった。睡眠どころか食事も頓着していなかった。それが姉妹と暮らすうちに、睡眠と食事に重きを置くようになってしまった。今ではこうして起こしてくれるまで惰眠を貪る日を繰り返している。

「……よし」

だから、気付かれなかったはずだ。セネルが受けた傷は治癒術を受けても完治していない事に。

表面は塞いた。しかし毒は抜けきらず、今もセネルを苛んでいる。だがこれを治す時間はない。まだ黒い霧の後始末が残っているのだ。噴水広場で待たせているシャーリィの為にも、セネルは急ぎ街を出た。

 

 

 

 

 

 

食事にも睡眠にも意味を見出だせなかった。

ただ存在を維持するのに必要となってしまったから、栄養を摂取し体を休めていた。束の間行動を共にしていた子供が何か言っていたが、気にも留めなかった。

 

だから今、セネルがパンを焼いているのは実に奇妙なことだ。

燃料とするためなら、小麦をそのまま取り込んだ方が手取り早い。にも関わらず粉にして練って発酵させてと手間暇ばかりかけている。

「おっすセネセネ、パン分けて」

そしてこんな道楽を求める仲間たちも現れた。

「ノーマ……またか」

パンの匂いに釣られてノーマが突撃してくるのも、もう両手の数では足りない程だ。それも時間帯に関係なくやって来る。

「セネセネのパン美味しいのが悪い。それにさ、最近セネセネってば」

ノーマは山と積まれているトーストやバーガー、ベーグルに目を向けた。

「けっこーパン焼いてんじゃん。消費すんの手伝ってあげてんの」

とても1人分とは思えない量なのに、パン釜はまだまだ稼働中。生地だって発酵中のものがまだ保存庫にあるのだ。

「手伝って貰わなくても、食べ切れる」

「本当に? セネセネって大食いってわけじゃないでしょ」

むしろ運動量と年齢を考えると小食の部類ではなかっただろうか。下手をするとクロエの方が食べている印象さえある。だから、作り置きでもないのにこんなにパンを焼いているのはおかしい。

言外の指摘に身が強張るも、すぐに呆れた声を出した。

「最近、食べるようにしてるんだよ。誰かさんもタカりに来るし」

誰か、というところをノーマは意図的に無視した。

「確かにセネセネ、以前に比べたら食べるようになったよね」

むしろ運動量としては、シャーリィを助ける為に遺跡船を駆け巡っていた時の方が多いような気もするが。最近はダクトもほぼ網羅し、遺跡船を無駄に歩き回ることは減ったはずだ。

「だろ?」

「……だとしても、流石に多過ぎない?」

「そうか?」

だが今のセネルにはこれでも足りないくらいなのだ。何せ摂取した片っ端からエネルギーに変換するので。

「そうだってば。……あ~も~、やっぱりこういうのは性に合わん! いい、セネセネ!」

セネルを指差し、ノーマが言おうとしたところで、タイミング悪くウィルがやって来た。

「セネル、今日はいたか」

「……ウィルっち、タイミング悪~い」

「むっ……」

「ウィル、せっかくだから食パンでもいるか?」

「有り難い……これで少しはハリエットの料理もマシになる」

具材が美味しくなくともパンが美味しいなら、少しはマシに食べられると信じたい。いくら親とはいえ、愛娘の料理を完食するのはとても辛いのだ。

すぐにセネルが食パン一斤の準備をすると、ノーマがむくれた。

「ちょっと~セネセネ、あたしの時と対応違くない?」

「日頃の行いだな」

「胸に手を当てて考えてみろ」

セネルに指摘され、ノーマは実際に自分の胸に手を当てて、

「……うん、な~んも問題ない!」

そう言い張った。

「………」

「………」

全く悪びれない態度に、セネルとウィルは顔を見合わせ肩を竦めるしかない。

「それで、どうかしたのか?」

「ああ。セネル、最近単独で魔物退治に出かけてるだろ?」

「それが、どうかしたのか?」

現在、陸の民は爪術を失っている。更に魔物が凶暴化しているのもあり、戦えるのはセネルたちしかいない。その為、何故か保安官のような扱いになっているウィルやセネルに負担がかかっている。

それでなくとも、セネルは最近街にいないことが多い。どうやら街の外で自発的に魔物を狩っているらしい。

「今度から討伐に行くときは1人で行くな。俺かクロエ、モーゼスでもいい。絶対に誰か連れて行け」

「俺1人でも大丈夫だぞ」

「お前の実力を疑っているわけではない。……だがセネル、酷い顔色だぞ」

「そ~そ~、あたしもそれ言いたかったの!」

「そうか?」

疲れている自覚はある。だがそれを肯定するわけにはいかない。セネルは、彼らを巻き込みたくないのだ。言ってしまえば、仲間たちはきっと親身になって協力しようとしてくるから。

 

 

結局、ウィルとセネルはパンをお土産に家を追い出されてしまった。

「あっちゃー、作戦失敗か……。ウィルっち、どーすんの?」

何故かセネルの言葉は説得力があるように思えて、2人して流されてしまった。我に返ったのはセネルの家を出てからだ。

「……しばらく、俺とジェイでセネルの監督をしようと思う。すまないがノーマも」

「オッケー、クーと一緒に見とくね」

「頼む」

隠しきれるわけがないのに。

頼ることも頼られることも覚えたようだけれど、1人で突っ走るところは変わりはなくて。結局肝心なことは抱え込んだまま。

 

ウィルたちだって、セネルの力になりたいのに。

 

「っと」

「うえっ」

また地震だ。津波こそ起きていないのだが、こうも頻発するのはおかしい。崖崩れや、火事の心配もある。

「……なーんか、地震も慣れちゃったね」

「俺は街を回ってくるが……」

この作業も何度繰り返していることか。始めはセネルに手伝ってもらっていたが、今ではウィル1人で行っている。

「……ノーマ、今、何か言ったか?」

誰かの、呻き声が聞こえた気がした。

「な~んも。つか、ウィルっちじゃないのね」

どうやらノーマも聞いたらしい。

2人は顔を見合わせ、それから示し合わせたように後方の家を見た。そう、セネルの自宅だ。

「……セネセネ?」

「ノーマ!」

ウィルの声に弾かれるようにして、ノーマは閉めたばかりの扉を開けた。

「セネセネ……っ!?」

ノーマが家に飛び込んだ時、既にセネルはキッチンの傍で座り込んでいた。

「セネル!?」

「……何だよ、騒々しい」

床にはせっかく焼きあがったばかりのパンが散らかっている。どうやら地震で落ちてしまったらしい。しゃがんでいたのは、パンを拾う為なのだろう。

「あ、いや~……」

「何にもないなら、いいんだ」

どうやら杞憂だったらしい。ひとまず安心し、改めてセネルの家を出た。

 

2人が家を出た後も暫くセネルは蹲ったまま動くことが出来なかったのだが……残念ながら気付くことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

モーゼスは山賊である。

今まで道行く人から金品を巻き上げ、溜めこんできた。無駄な殺しや薬、人身売買こそしなかったが、相応に罪を重ねている。

状況が変わったのは、聖爪術を求めシャーリィを攫ってからだ。ギートと殺し合いをしたくなかったモーゼスは、活路を聖爪術に求め、メルネスであるシャーリィを捕らえた。しかし、同じくシャーリィを求めるヴァーツラフ軍に襲撃され、家族を率いて命からがら逃げ出した。そして、ヴァーツラフへの報復の為、セネル達に協力することにした。

そして現在。山賊達は遺跡船唯一の街であるウェルテスの灯台前広場を根城にしている。

かつてのアジトはヴァーツラフ軍に荒らされ、魔物が入り込むようになってしまった。その魔物も凶暴化しており、対抗できるのはモーゼスのみ。モーゼスが留守にしている間に魔物に襲われたら目も当てられない。なら防衛線の張れるウェルテスに留まっている方が良い。

とはいえ、街の住民が良い顔をするわけがない。何せ何度も苦しめられてきた山賊が、同じ街に居座るのだ。いくら緊急事態だったとはいえ、そう簡単に許せるわけがない。

だが住民の懸念を他所に、山賊たちは非常にお行儀が良かった。暴れるどころか礼儀正しい。恐喝もなく、物品も値下げ交渉はするが常識の範囲内。ヴァーツラフ軍との戦争と、水の民との和解で山賊の首領が恩赦を賜ったのも大きいだろう。徐々に、山賊はウェルテスの住民に受け入れられていった。

今となっては手先の器用な者は道具や家の修理を請け負い、力自慢は街と港を結ぶ道を整備したりしている。依頼があれば傭兵紛いのことまでしていた。

 

その日もモーゼスは、魔物退治に繰り出していた。

ギートに胸を張れる漢になる。その為にも手っ取り早いのは経験を重ねることだと、モーゼスは考えている。元々頭を使うのは苦手なのだ。

 

そこで出会ったのは、水の民の青年だ。……少なくとも外見上は。

「何じゃワレ」

「ハッ、答える義理があるかよ」

たがモーゼスは、彼が只者ではないとその野性的な勘で瞬時に見抜いていた。

まるで光跡翼で、シャーリィと相対した時のようなプレッシャーを、肌で感じ取る。だがそれに怯むことなく、己を鼓舞する為に雄叫びを上げた。

「なら、喋りたくなるようしちょる!」

「まるで悪役の台詞だな」

「誰がじゃ!」

青年も剣を抜く。

 

「モーゼス、何してるんだ?」

 

一触触発の中、聞き覚えのある声が響いた。

「おうセの字、丁度いいところに」

モーゼスの視線が青年から背後のセネルへと移る。

「この怪しいのをふん縛ってやるからのう!」

「怪しいって……誰のことだ?」

「誰って、そこの……」

モーゼスが視線を戻すも、しかしそこには誰もいない。

「……とうとう幻覚でも見たのか」

「とうとうとは何じゃ!」

肩を竦めるセネルは、しかし次には真面目な顔でモーゼスを見据える。

「最近、魔物が凶暴化してるんだ。モーゼスも気をつけろよ」

「魔物如き、ワイの手にかかれば屁でもないわ!」

「はいはい」

モーゼスの雄叫びを耳を押さえて流し、セネルは踵を返したところで……星が震えた。

「どうしたんじゃ、セの字」

蹲ってしまったセネルに、モーゼスが駆け寄った。しかしセネルに返答をする余裕はない。

喉を掻きむしりたい。いっそのこと心臓を抉り出せたらどんなに楽だろう。そんな衝動を堪える為、二の腕に爪を立て唇を噛みしめる。

ゆっくりと息を吐き何とか気分を落ち着かせ、ようやく声を絞り出した。

「……何でも、ない」

「何でもないこたぁなかろうが」

鈍い鈍いと言われるモーゼスだが、セネルが苦しんでいることくらいは分かる。

「言え、家族じゃろうが」

真剣な眼差しを、セネルは笑い飛ばすことが出来ない。だけれども、苦痛も泣き言も漏らすつもりはない。他ならぬセネル自身が選んだ道なのだ。

だからセネルは、はぐらかすしかない。

「……大丈夫だって」

「セの字!」

胸倉を掴もうとするモーゼスの手を弾く。

「本当に、大丈夫なんだ」

それから少しわざとらしい口調で、肩を竦めてみせる。

「モーゼスに手伝って貰ったら、余計酷くなりそうだし」

「何じゃと!?」

「だから気にしないでくれ」

ほんの少しだけ、言葉に力を込めて。根が単純なモーゼスには、これがよく効く。

「……なら、いいんしゃが」

案の定あっさりと、モーゼスは引き下がった。

 

もう何度、この手を使っただろう。その度にセネルは罪悪感に苛まれる。モーゼスだけではない。シャーリィ、クロエ、ウィル、ノーマ、ジェイですら、心配してくれているのに。

 

「……やはり、潮時か」

「何か言ったかセの字」

「何でもない」

分かってはいるのに、それでもと浅ましくも願ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

その日、シャーリィはおかしな夢を見た。

 

目の前に誰かいる。

男性か女性かも分からない。子供か、老人か。そもそも陸の民なのか水の民なのか。何もかもが分からない。けれども、シャーリィはその人のことを確実に知っている。

「シャーリィ・フェンネス」

その声も、シャーリィは数え切れないくらい聞いたことがある。

「俺は、祭壇で待っている」

彼は、それしか言わなかった。

 

 

 

最近、セネルの様子がおかしい。

「やはり、そう思うか」

シャーリィが相談相手に選んだのはクロエだ。

セネルのことをシャーリィの次に想っているのは、間違いなくクロエだ。その間柄に嫉妬がないと言えば嘘になるが、それでも2人は友人だ。

「ってことはクロエも?」

「ああ。……最近、思い悩んでいるような気がしてならないんだ」

仲間たちといるとよく笑うし、怒る。けれどふとした瞬間、険しい顔を見せる。そして、酷く疲れた様子を見ることが多くなった。

それでも、尋ねると曖昧に微笑んではぐらかされてしまう。ずっと、その繰り返し。決して胸の内を打ち明けようとはしてくれない。それが酷くもどかしくて、悲しかった。

「ねえクロエ、ちょっと聞いてくれる?」

「ん、何だ?」

「私ね、お兄ちゃんと初めて会ったとき……実は、怖かったの」

マウリッツから聞かされていた陸の民が突然目の前に現れた、からではない。

当時のセネルは無機質と例えるのに相応しいくらい、表情が全くなかった。

言葉遣いも大人びていて、浮き世離れしていて。

「ずっと表情が変わらなくて、お人形なんじゃないかって思ったくらい」

瞬きすらしていたか怪しいくらいで。呼吸していることを知って、驚いたことすらある。

「夜なんて、お兄ちゃんいつ寝てるのか分からないくらいずっと起きてて。初めてお兄ちゃんの寝顔を見たとき、感動しちゃったなぁ」

「それは……今のクーリッジからだと、想像できないな」

今の寝坊助お兄ちゃんからは想像できない姿だと言おうとして、クロエは思い直した。

「そういえば、シャーリィを助ける為に遺跡船を回っていたときも、クーリッジはあまり眠ろうとしなかったな」

「うん、お姉ちゃんがいなくなってから、またお兄ちゃんは眠らなくなった。追っ手を警戒していたからだと思う。だから、お兄ちゃんが安心して眠っていられるんだと思うと嬉しいの」

「……そうだな」

一度寝るとなかなか起きないのは、その反動かもしれない。そう思えば可愛いものがある。いや矢張り今のセネルは寝すぎだ。

「でね、今のお兄ちゃん……私が最初に会ったときにも戻っちゃったみたいだなって思ったんだけど……」

表情はよく変わるし寝汚いから起こすのが毎朝大変だけれども。

「まるで、グリューネさんみたいだな、とも思っちゃって」

グリューネのように浮き世離れしているわけではない。どこか世界と一線を引いているような、まるで別次元から世界を睥睨しているような、そんな気がしてならないのだ。

「……そういえば、クーリッジはシャーリィと会う前から旅をしていたと聞いているが」

「うん、でもお兄ちゃん、昔の事何も話してくれないし……」

出身国は。両親は。そもそも爪術士とはいえ、幼い身でひとり旅ができるものだろうか。

どうして、セネルは水の民の村に迷い込んでしまったのか。何も、セネルは教えてくれない。

「お兄ちゃんはきっと、色んなことに疲れてたんだと思う」

それこそ世界の全てに絶望するくらいの何かが、あったはずなのに。それらを全て飲み込み、セネルは前を向いている。

「だから……昔のお兄ちゃんに戻ったみたいで、ちょっと嫌なの。もちろん、昔みたく笑わないわけじゃないけど……」

「今のクーリッジの様子がおかしいのがその過去に由来するものなのかもしれない、ということだな」

「うん……」

「可能性があるとすれば……クルザンド王統国か」

ヴァーツラフの格闘術はセネルと同じ型。流派はセネルのファミリーネームを冠していた。これが無関係であるはずがない。

しかしクロエの出身である聖ガドリア王国も、このウェルテスを裏から庇護する源聖レクサリア皇国もつい最近まで戦争をしていた敵国。情報はなかなか集まらないだろう。

 

ふとシャーリィは、セネルが怖いとステラに泣きついたことを思い出した。狭い家だ、セネルにも聞こえていただろうに当の本人は全く気にした素振りを見せなかった。

それに対しステラは、

「……ヒトの勉強をしている真っ最中、か」

「何だそれは?」

「お姉ちゃんがね、言ってたの」

しかしヒトでなかったら一体、何だというのだろう。まさか魔物じゃあるまいし。

2人で唸っていると、そこにジェイがやって来た。

「こんにちは、少しよろしいですか?」

「こんにちは、ジェイさん」

「ジェイか、どうかしたのか?」

「実はシャーリィさんにお尋ねしたいことがありまして」

「私に、ですか?」

「はい。実は近頃、水の民の剣士の目撃情報が増えてまして」

探るような視線に、シャーリィは申し訳なさそうに俯いた。

「……私のところにも問い合わせが来てますが、該当者はいないんです」

正体不明の、水の民の剣士の目撃情報が上がり始めたのは1カ月近く前のことだ。

最も多いのは魔物に教われたところを助けてもらったというもので、決して悪い評判ではない。それでも素性も何も分からないので、警戒せざるを得ないのだ。そもそも水の民はテルクェスが使えるので、陸の民の武器を使いたがらない風潮があるというのに。

「オウ、嬢ちゃん。ちょっくら疑問があるんじゃが」

次にやって来たのはモーゼスだ。

「へぇ、モーゼスさんでも疑問を持つことがあるんですね」

「おう!」

単純だと揶揄されたのにも気付かず、モーゼスは胸を張った。

「はぁ……まあいいでしょう。それで どうしたんです?」

「おっと、そうじゃった。剣を使う水の民と会うたんじゃが、一体何者なんじゃと思うての」

「シャンドルもか」

「何がじゃ」

「ついさっき、同じことをジェイさんから聞かれたので」

「ジェー坊も会ったんか」

「いえ僕は……って、待ってください。モーゼスさん、貴方会ったんですか!?」

まさかのところからの目撃情報に思わず声を荒げてしまった。

「そうじゃが……」

「どんな人でした? 背格好は? 特徴的な外見的要素は? どこで見たんですか?」

詰め寄られ、浴びせられる矢継ぎ早の質問にモーゼスの忍耐はあっという間に限界を超えた。

「そんなに聞かれても答えられんわ!」

モーゼスに払い除けられ、ようやく落ち着いたジェイは軽く咳払いをした。

「コホン、失礼しました。モーゼスさんでも答えられるようしないといけませんね」

「ジェー坊?」

「それで、モーゼスさん。その人は本当に水の民でしたか?」

「そうは見えたけどのぅ……金髪じゃったし」

「あの、服装は……水の民の服を着てましたか?」

次はシャーリィからの質問だ。

水の民はゆったりとした青系統の服を好む。しかしモーゼスは首を振った。

「そういや、着とらんかった」

「テルクェスも、使ってなかったんですよね?」

「戦う前に、姿を消したんじゃ。このモーゼス様に、恐れをなしたっちゅうわけじゃな!」

クロエとジェイの溜息が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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