朝。
朽ちかけた倉庫の裏手。
鉄骨の隙間から漏れる光が、床に淡く差し込んでいた。
真人は倉庫の壁にもたれた体勢で,座ったまま眠っていた。
祈月は、その真人の胸にもたれたまま、すぅすぅと寝息を立てていた。
まるで、昨夜の逃走劇も、何もなかったかのように。
──先に目を覚ましたのは、真人だった。
ぼんやりと、目の前に広がる光景を眺めた。
自分の胸に頬を寄せるようにして眠っている,
ウサ耳が生えた白茶の髪の呪霊。
小さく上下するその呼吸は安定していて。
お互い,自己紹介すらまだなのに,
「信頼されている」ような気配すらあった。
真人(……やっぱり,コイツの魂,俺の魂とガッチリ噛み合ってるんだよな…)
理由もないのに助けに来て、呪力を全放出して、
自分がボロボロになるのも構わず走って。
祈月のそんな行動の裏に、損得勘定は一切なかった。
それは、思いつきの暴走——いや,きっとそれはない。
──あの時点で、魂同士が,もう引かれ合っていた。
その時,祈月が、もぞっと動いた。
ゆっくりと、薄いまぶたが開く。
祈月「ふぁ…ねむ…」
真人「おはよ、魂の片割れちゃん」
祈月「んー……」
祈月は寝ぼけ眼で返事をした。
ふと,身体に全く痛みがないことに気づく。
昨夜,あれだけの逃走劇でボロボロになったのに。
祈月「傷…なにもない,痛くない……真人、…これ,治してくれたの??」
真人「やったよ〜。脚も肩も,全身の細かい傷も。一瞬⭐︎」
祈月「うわあ……ありがと……最高……」
一度まばたきをして、視線が合う。
それから、ふと。
真人「…ん??てか今、“真人”って言った?
俺、名乗ったっけ?」
祈月「あーー、昨日のアイツ……追いかけてきた袈裟のヤツがそう呼んでた…から…」
真人「……うっわ、アイツ経由とか最悪」
思わず眉をひそめる真人。
昨夜自分を裏切った"夏油"…もとい羂索から名前が漏れているとわかって、嫌な感触が背を這う。
祈月「でも……いい名前だと思うよ」
祈月がぽそりとそう言った。
その声音には、どこかあたたかさが滲んでいて。
まるで、壊れかけの何かをそっと撫でてくるようだった。
真人は一瞬だけ言葉に詰まり、それから視線をそらすように言った。
真人「ふーん…」
少し拗ねたように鼻を鳴らす真人。
自分で名乗れなかったのが気に入らなかったのか、
彼は言葉を続ける。
真人「じゃあ、君は何て名前?」
祈月「あたしは祈月。
人が月を畏怖して,自己投影する感情から生まれた呪い。」
真人「祈月……“月”か。だとすると、
花御と同じく、精霊に近い感じかな?」
祈月「“花御”??」
真人「俺の仲間だったやつだよ」
真人はどこか懐かしむような口調で語り出した。
真人「大地の呪いの漏瑚と、森の呪いの花御と、海の呪いの陀艮と、人の呪いの俺。俺たちで“呪いの時代”を作ろうとしてたんだ」
「……って言っても、昨日の戦いで花御は死んだし、
漏瑚も宿儺に挑んで殺された。
陀艮は……分からないけど、もしかしたら,もういないかもな」
そう言った真人の口調には、どこか曖昧さが残っていた。
実際、真人は陀艮の死を“見て”いないし,
誰かから聞いてもいない。
五条悟封印戦における花御の死は,
漏瑚から直接聞いて知った。
漏瑚については、
自ら虎杖のもとへ向かい,
指を飲ませて宿儺を起こしに行ったと知っている。
そして,漏瑚が渋谷をマグマに沈めながら宿儺と戦っているところを見た。
そして直後、宿儺は別の場所に現れ,魔虚羅と戦い。
──その後,宿儺の器である虎杖とは真人自身が戦った。
その事実から、真人は,漏瑚の死も容易に察することができた。
だが、陀艮だけは違う。
真人は、陀艮がどこで誰と戦っていたのかすら知らない。
それに、遠く離れた場所で仲間の魂が消滅したからといって、それを感知できるような能力は真人にはない。
真人「だから、断言はできないけどさ…
陀艮,生きてたらいいんだけど」
祈月は、その場に固まった。
胸の奥に、冷たい水が流れ込むような感覚。
真人が当たり前のように語る「仲間の死」が、
何よりも痛かった。
無意識に、真人の手をぎゅっと握っていた。
真人「まあ、でも。漏瑚たちも覚悟してのことだったからさ」
真人はそれ以上感情を乱すことなく言う。
「それにさ,五条悟封印したんだよ,俺たち」
祈月「え!?あの五条悟を!?」
真人「そ,"獄門疆"でね⭐︎
…あ〜,でもアレ……夏油(羂索)の作戦だったんだよな…
……今思えば,封印完了した時点で,アイツ殺しとくべきだったな……
……ほら,俺のこと吸ってた袈裟のヤツだよ」
祈月「うっわ,…アイツ軍師ポジだったんだ…
めっちゃイヤな策士じゃん……裏切り者の……」
あの羂索が,真人のかつての仲間,それも軍師ポジだった。
その事実は,祈月にとって,
五条悟が封印されたという事実よりも衝撃的で。
不協和音を奏でながら,心に煙を撒き散らしていた。
…真人は,この,微妙な空気になった話を切り上げ。
当然の疑問を口にした。
真人「ま,それよりもさ。君だよ。
君さ,そもそも俺たちの仲間じゃなかったのに、
昨日なんで渋谷に来てたの?」
「.....あそこ、呪力飽和でやばいってわかるじゃん。
強者だらけで死ぬ確率高いのに」
祈月「──あー……」
祈月は、一度だけ息をついた。
「実は、死のうと思ってた」
倉庫の中が、静かになった。
真人も、それ以上は何も言わず、ただ祈月の横顔を見ていた。
祈月「.....あたし、ずっとひとりでさ」
「他の呪霊は言葉も通じないし、術師は敵ばっかりだし、話しかけてくる奴は利用しようとしてくるだけだったし」
「もう、めんどくさくて。寝てるのが一番だった」
「でも、それすら疲れてきて.....寝てても虚無だし......じゃあ、いっそ死ぬかって」
祈月は、あくまで淡々と、事実を語るように言った。
祈月「昨日の渋谷、"死にに行く”にはちょうどいい場所だったんだよね」
「強い奴なら、サクッと殺してくれるかなって」
「でも、本当は...ずっと、誰かに呼んでほしくてさ」
真人はそこまで聞き,少しだけ、頬をかいた。
「へえ......」
「じゃあさ、俺が助けられたって思ってたの、ちょっと違うんだな」
祈月は、くすっと笑った。
「うん。多分ね、あたしが"助けた"んじゃなくて.......」
「"魂が惹かれた”だけなんだと思う」
その言葉に、真人の目がゆっくりと細くなった。
「.....同じだ」
「俺も昨日、吸収されてる時...
魂が勝手に叫んでた。"生きたい”って」
祈月は少し照れくさそうに、目をそらした。
「…..じゃあ、聞こえたんだ、魂の声が」
「"あたしを、呼んで”って誰かに言ってたあたしが、
真人の"生きたい”に呼ばれた」
真人は笑った。
「じゃあ......俺たち、"お互いに呼んだ”ってことで」