祈月と真人が見始めたのは,スパイ映画だった。
冒頭から敵地への潜入、
敵に見つかっての銃撃戦、
現地調達したバイクでの追走劇。
──そして仲間の一人が捕まる急展開。
セリフが分からなくても充分楽しめた。
だが。
1時間経過し,映画が半分ほど進み,
バカデカジェラートも食べ終えた頃。
途中で入ってきた右斜め後ろの若者たちが,
大声で話し始めた。
それはどんどんヒートアップしていく。
祈月(うるさいなぁ…)
眉をひそめ、
その若者たちを始末しようと立ち上がった時。
右隣に座っていた真人の姿が,ふっと消えていた。
真人「君たち,マナーは守ろうね」
低く落ち着いた真人の声。
すでに、若者たちの真後ろに回り込んでいた。
そして、肩に「ポン」と軽く手を添える。
その瞬間。
クシャッ、と音もなく。
若者たちの身体が、指サイズにまで圧縮され。
真人の掌の中へ吸い込まれるように収まった。
……叫ぶ暇も、恐怖する暇もなく。
だが、照明は落とされており、館内の席もガラガラ。
加えて真人は呪霊,一般人からは不可視。
誰ひとり気づかない。
真人「ねぇ,祈月〜〜」
真人の、甘えたような,
祈月にしか聞こえない声が木霊する。
真人「やっぱりさ,空港着いた時から思ってたんだけど…
イタリアの人間の魂,日本人のと大分違うよ」
「なんかこう……伸びがあるっていうか?
弄っても反発があるし、跳ね返りが強い。
弾力っていうのかな」
祈月「へぇ……生活圏の違いとか,魂にも影響あるんだ…」
そう言って,真人の方に歩み寄る祈月。
真人は手の中の“サンプル”を見せながら、
好奇心の滲む声をあげる。
真人「ここの,他の奴らの魂,弄っちゃおうかな。
せっかくの暗所で,気づかれにくいしさ」
「映画もさ,今,作戦会議パートだから,さっぱりだし。
ボスとの対決シーンまで,時間ありそうだしね」
本来、真人は,作戦会議パートや,恋愛パートといった
会話劇を,興味深く楽しむ。
人間の行動原理を読み解くには、
言葉と感情の交錯は格好の材料だ。
だが、今回はイタリア語のみ。字幕もなし。
言葉がわからない以上,
楽しめるのはどうしてもアクションパートのみになる。
祈月「だね〜。じゃああたしも付き合おっかな、
真人の魂観察」
祈月もノータイムで便乗。
スクリーンの光だけがゆらゆらと揺れ、
客席の誰も気づかないまま。
次なる“標本”を求め、
真人は客席の間をすいすいと歩き出す。
その動きは滑らかで、わくわくした足取り。
祈月もすぐその後ろを、ふわりとついていく。
真人「よし、この辺にしよ」
スクリーンの中央に近いブロック、
そこに座る、白髪まじりの中年男性の後頭部を眺めながら、真人は立ち止まる。
その指先が、すっ…と男性の後頭部に当てられる。
真人「……うん、やっぱり弾力あるなぁ。
しかもこの人、仕事でストレスためてるタイプだね〜。
魂の表層がざらついてる」
ぐいっと魂を押す。
真人にだけ,魂の繊維がミチミチと歪む音が聞こえる。
真人「でも、この“歪み”、イタリア人独特だなぁ。
表面上は明るく取り繕ってるけど、
根本の芯がぶれないんだよね。
なんというか、陽気な分だけ、粘り強い?」
祈月「……ねぇ真人、それ見えてるの?」
興味津々といった顔で覗き込む祈月。
祈月には“魂”は見えない。
祈月「魂の視認って、生得的な感覚なの?
それとも、術式のオプション?」
真人「ん〜〜両方?」
答えながら、
男性の魂を興味深げに引き伸ばす真人。
それに連動し,男性の肉体がミチミチと変形する。
祈月「いいなぁ〜……真人,見える分、楽しそうで」
真人「ふふっ、でもさ──」
そこまで言いかけて、真人の手がふっと止まる。
真人「……あ、あそこの人、
たぶん昨日なにか大きい後悔したな。
魂の一部がまだぐしゃって潰れてる」
祈月「え、ほんと?
ねぇねぇ,どんな風に“潰れてる”の?」
真人「んーとね……色で言うと、煤けたオリーブ色。
内側だけ固まって、皮膜だけが熱持ってる感じ」
祈月「それ、めっちゃ具体的じゃん……」
祈月の瞳がきらりと光る。
それは、羨望でもあり、探究でもあり
——なにより,好奇心。
だがここで,シアターから爆発音。
ふと,スクリーンを見ると。
主人公とボスとの戦いは,とっくに始まっていた。
真人「っと,ちょっと夢中になりすぎたかな」
祈月「あ,ほんとだ。もうラスボス戦」
真人は,証拠隠滅のように,
先程まで触っていた男性の魂をクシャッと縮め。
"ストック"にし,掌へと収めた。
真人「見始めた以上,クライマックスは見ないとね〜」
祈月「だね。前半だけじゃ,さすがに」
ふたりは、何事もなかったように自分の席へ戻り。
ぺたんと座り,映画鑑賞に戻る。
だが,
シアター内からは,確かに複数人の姿が,
音もなく消滅していた。
誰にも,気づかれることはなく。