一人、飲み屋で蒸留酒を煽る。ここ、知恵と魔法の町アングラは、かつて俺が暗黒神を倒すために出発した都市である。今では落ちぶれて、志高く出発したこの町で安い酒を煽るだけの人間になってしまっているが。
今では勇者という名前は見る影もない。あるのは勇者だった人間が、その日に稼いだ金で安い酒を煽るという惨めな姿だけだ。
「んぐっ…!」
ウォッカを一気に飲み干す。胃に沁みた快楽物質が全身を巡って脳みそを麻痺させていく。実に気持ちが良い。
「よう、にいちゃん」
「んぁ…?」
不意に声をかけられた。混迷する意識を相手に向ける。うまく認識できないが、どうやら俺に話しかけたことは間違いないそうだ。
「お前、アズマだろ。あの勇者様がどうしてこんなところにいンだ?」
「ンなことどうだっていーだろ……。俺だってこうして酒に逃げたくなるんだよ……。っくそ……。ノイエめ……」
「へへっ。なんか事情がありそうだな。暗黒神討伐がうまくいかねえってンなら、一回カミサマに相談してみたらどうだ?」
「むぅ……。カミサマか……」
適当に代金を払って外に出る。俺は男に言われた通り、カミサマのお告げを聞きに神殿へと向かった。いわゆる神託ってやつだ。
「えーと、アングラの神様って誰だっけ……」
ふわふわする頭でこの地で祀っている神様の名前を思い出す。当然ながら酷く酔った頭では思い出すこともできず、まぁいいかとふらふらする足取りで俺は神殿へと向かっていった。途中何回か吐くなどしたが、特に問題もなく、俺はアングラの神殿へ向かうことができた。
☆
傍らに寂しく佇む天使の像を見る。きれいに彫られた天使の像は何を見守っているのだろうか。アングラのカミサマに仕える天使だったりするのだろうか?
そんなことを思いながら神殿の中に入っていく。夜も遅いこともあって神官やシスターはいないようだ。まあ、その方が都合が良いのだけど。
神殿の中を進んでいく。僅かに入る月明かりが神殿の道を照らす。不規則に反響する俺の足音が神殿の中に響く。
そうして、しばらく神殿の中を進んでいくと、ひと際大きな聖像が俺の前に姿を表した。アングラが祀る主神、アンリ・マンユだ。
「アンリ・マンユ……」
俺のいた世界でもその名前を聞いたことがある。ゾロアスター教に記される悪神、その神の名だ。
ふらふらとその前に歩み寄り、乱暴に膝をつく。
「ああ、アングラをお守りになる大いなる神、アンリ・マンユよ。どうか哀れな勇者の悩みをお聞きくださあい……」
跪いて悪神に救いを求める。俺はこれからどうすればいいのかと、救われる為の手をいたずらに差し出した。
救いを求めたその時、ふと、俺の前に何やら熱のようなものを感じた。
熱……?いったい何が……?
聖像が光り始める。突然の出来事に俺の頭が混乱する。
「なっ……」
その時、光が形を成し、ヒトのようなものが姿を現した。
燃えるような深紅の長髪、その背後にある一対の大蛇、紅と金の鎧に身を包んだ女神の姿……。聖像をかたどった、アンリ・マンユが、俺の前に姿を現したのだ。
「あ……アンリ、マンユ……様……?」
「然り。民の願いに応えて、今、降臨した」
ほ、本当に神が降臨するとは……。ちょっと酔い覚ましのついでにからかいに来たつもりだったのだが……。これでは俺の調子も狂ってしまう。現に酔いも覚めてしまった。
「迷える勇者よ。お前の願いを聞かせてみよ。アンラの民であるお前の願いを聞き届ける為に、我は降臨したのだ」
「お、俺は……」
どうしよう。願いというか悩みはあるのだけど、わざわざ神に相談する程のものでもないというか……。いたずらに呼び出してしまったことをじわじわと後悔し始めてくる。
「何か迷いがあるのではないのか?人間よ。何ゆえ私を呼び出したのだ?」
「………」
思わず固まってしまう。アンリ・マンユの疑いの目は侮蔑に変わり、やがて大きなため息を吐いた。
「愚かな人間よ……。道に迷っておるのであろう?私は見てきたのだ、人間よ。何を迷う必要があるのだ?」
アンリが説く。
「お前は今、迷っているのだ。過ちに満ちたこの世界、迷えるお前は何もせずにただ燻ぶってばかりいる。道端に色を失った枯れた花を見るがいい。それが今のお前の姿なのだ」
「………」
そう言ってアンリはどこからか枯れた花を差し出した。アンリはそれが俺の姿なのだという。
「進むのだ。そして、答えを見つけよ。まだ見ぬしるべがお前なの中に広がっている事を、お前はまだ気付いていない。そこへたどり着くために、お前の誇り以外のものはすべて捨てよ。だから、立ち上がるのだ!」
「アンリ様……」
アンリが力強く俺の手を掴み、立ち上がらせた。
「進め、人間よ。いつの日か、お前の生きる意味が見つかる時が来る。過去のしがらみを捨て、前へと進むのだ。お前の見る未来の為に、私が共に行こう!」
アンリが強く俺の手を握り、宣言した。
俺の中で光が広がる。俺はいったい何を迷っていたのだろう?俺は何故往くべき道を何故見失っていたのだろう?俺は、本当はアンリに導かれるためにここに来たのではないか?
地を踏む足は力で満ちている。及び腰で重かった俺の身体は羽のように軽い。俺は生まれ変わったように、心も体も晴れやかに感じた。
俺はアンリの瞳を見た。その眼は希望で満ちているようだった。
「決意がついたようだな、人間」
「ああ……。おかげで、心の中にあった黒いもやが晴れたようだ……!」
「ふん、それでこそ、私の見込んだ人間よ。さあ、共に行こうか!行き先はダーディアンだ!」