「ハァ……!ハァ……!」
モエカを背負って必死に逃げる。アンリが必死に獅子の足止めを試みるが、獅子は意に介せず俺たちを追いかけるばかりだった。
「ニィ……!」
勢いよく飛び跳ねた獅子が俺たちへ目がけて拳を振り下ろす。俺たちは寸でのところでかわすことができたが、振り下ろされた拳は地面を大きく穿っていた。アレに当たっていてはタダでは済まなかっただろう。当たっていたらどうなったか、想像するだけでも恐ろしい。
「そらそらァ!!!逃げるだけじゃつまらンぞォ!!!」
獅子が腕に纏ったイナズマをジャベリンのように放つ。獅子は俺たちの反応を楽しんでいるのか、わざと外すように、バチバチと弾ける稲光が頭や体を掠めていく。
「さぁ、そろそろ仕留めるか…!」
獅子が右腕に強力なイナズマを纏わせる。獅子は逃げる俺の背中……モエカに狙いを定めると、猛烈な勢いで迫ってきた。
2mは優に超えるであろう巨躯が俺たちに迫ってくる。
絶体絶命、そう思った時だった。
「くぅ……!」
「なに……!?」
獅子が驚いたような声を出す。思わず立ち止まって振り返ると、モエカが張ったバリアに獅子の攻撃が塞がれていた。
「ハッ!まだ戦う意志が残っていたかッ!」
「わたしだって……戦える……!」
モエカが俺の背中から跳び下りる。そうして杖を構えると、俺たちに向かって言い放った。
「ネメアの獅子はわたしが受け止める……!みんな、走って!」
「走ってって……!バカ、誰を相手にしてるか分かってるのか!?」
「いいから!!!わたしだってやれるんだから…!」
叫ぶアンリを背に、モエカが震える脚で獅子と相対する。獅子はなんら構えを崩すことなく鋭い眼差しをモエカに向けている。
「くっ……!こうなったら……!」
アンリが周囲に炎の壁を作り出す。俺たちを空間転移の魔法で移動させるつもりらしい。
「ハッ!!!愚かな!!!」
獅子がそう叫ぶと、辺りの空気がビリビリと張りつめるような鋭いオーラに包まれた。
「なっ……!?空間転移ができない……!?」
……間違いない。この場は獅子に支配されたのだ。獅子のフィールドではいかなる小細工も通用しない。ゴウと放った獅子の衝撃波に、俺たちは囚われたのだ。
「負け犬が何でオレから逃げられると思ってるんだ?まったくバカな奴だな……!」
不気味な笑みを浮かべた獅子がジリジリと近付いてくる。まるで狩りを楽しんでいるかのようだ。
「アズマくん!アンリさん!早く!早くしないとわたしたち全員アイツにやられちゃうよっ!!!」
「ッ……!クソっ……!アズマッ!行くぞ!!!」
「ア、アンリ……!」
走りだしたアンリを追って、俺はモエカに背を向けて走り出した。
必死に走った。息も絶え絶えになり、肺が裂けるとも思った。俺はモエカを一人置いて、情けなくも逃げ出したのだ。
……ああ、俺のせいだ。俺が獅子を討とうなどと言い出したばかりに、モエカを危険な目に遭わせることになった。モエカは腰が抜ける程怯えながらも、勇気を振り絞って、たった一人で獅子と戦おうとしている。それなのに俺は……。
「俺は……」
思わず足を止める。俺はどうするべきか悩んだ。俺はモエカを一人置いて逃げるのか?仮にも俺は勇者の名を与った戦士だ。その俺が逃げるというのか?
「………けない……」
言葉が漏れる。
「そんな訳ない……。俺は………勇者だ………」
自分を鼓舞するように呟く。
「俺は………逃げる訳にはいかない……!仲間を置いて逃げるだなんて……!」
止めた足を返して、俺は再び走り出した。
「くそっ……!待ってろモエカ……!」
必死に走る。足は震えて今にも転びそうになるが、その度に体に鞭を打って、転びそうになる体を支える。
足がガクガクと震えて言う事を聞かない。どうして走れているか分からない程に膝が震えている。それでも俺は走った。
怖い。どうしようもなく怖い。やっぱりまた逃げるかという考えが、ちらちらと頭の中をよぎる。だけど、逃げたくないという思いが、それを上回る勢いで強くなっていく。
モエカの背中が見えてきた。杖で身体を支えていて、獅子の前で今にも倒れようとしている。
……俺がモエカを助ける……!俺が……!
「モエカアアアアアアアああああああああああああ!!!」
「あ、アズマくん…!?」
剣を抜いて振りかぶり、獅子に向けて光線を放つ。それは真っ直ぐと進み、獅子の眼前に捉えた。
「くだらん……」
獅子は露を払うように腕を薙ぐと、光線を片腕で消し去った。
「さっさと逃げてればよかったものを……。わざわざ戻ってきたというのか?」
「ああ、そうさ!オマエをぶっ倒しになっ!!!」
「このオレを?ハッ!!恐怖で頭がおかしくなったかッ!?」
震える手足に力を込めて切っ先を獅子に向ける。獅子は何ら臆することなく、鋭い眼差しを俺に向けている。
「仲間を捨てて逃げるようなクズがオレに勝てるとでも思っているのか……?オレも舐められたものだなァ……!」
ゴウと殺気立った獅子の覇気が辺りを支配する。思わず怯みそうになるが、無い勇気を必死に振り絞って獅子を睨み返す。
「足が震えているぞ…?」
「ッ……!」
次の瞬間、獅子が勢いよく俺との距離を詰めてきた。
「ッ……!!!」
一瞬だった。獅子の巨躯が俺の目の前にある。
冗長ともいえる獅子の右腕が飛んでくる。俺は、痛みも感じる間もなく殴り飛ばされてしまった。
「ぐッ……!があぁぁぁっ……!」
ボディーブローのようにじわじわと痛みが襲い掛かってくる。獅子が威圧するように俺に歩み寄ってくる。
「くっ……そぉっ……!」
痛みがひどくてうまく立ち上がれない。痛みでもがいている間にも、獅子はじわじわとにじり寄ってきている。
「馬鹿な奴よ」
口元を歪ませて片足を上げる。俺を踏み潰すつもりだ。丸太のように太い足が俺の頭上を捉える。
遠くで淡い光が灯る。モエカが呪文を唱えているらしい。
「勇ましく戻ってきたことは褒めてやる。だが、無意味だったな」
ドン!
「……?」
「モエカ……!だァっ!!!」
剣を薙いで獅子を怯ませる。モエカの攻撃もそうだが、やはり獅子の身体には傷の一つも付けられない。獅子の纏う衣服や鎧には傷つけられるのだが、獅子の身体にはまったく効果がない。毛の一本でさえ切り落とせないのだ。
女の声と見てくれなのに、8尺を超える程の巨躯とその威圧感、ドスの効いた低い声、そしてその圧倒的な覇気は恐怖を覚えさせ、俺に十分な力を出させなかった。
それでも俺は戦わなければならない。戦わなければ、俺もモエカもコイツに殺されるだけだ。
立ち上がり、獅子と相対する。
侮蔑するように、エメラルドの瞳が俺を捉える。
……怖い。しかし、戦わなければならない。この恐怖を、俺は乗り越えなければならない。
獅子の剛腕と剣が交わる。獅子の纏う革の鎧を剣が切り裂く。しかし、そんなことも獅子は意に介さず、愉し気に笑いながら俺を攻めている。
攻めるも硬く、守るに難し。獅子の爪は剣を弾き、俺の鎧をバターのように裂いてくる。対する獅子の身には傷一つつかず、傷つくことも恐れぬ圧倒的な攻めは俺の身体と精神力を確実に削ってくる。
「ぐっ……!」
鋭い痛みと共に血が流れる。獅子の爪から迸る鮮血は俺を切った時のものだ。
革の鎧と衣服に血が滲み、地面へと垂れていく。
焦りと焦燥、血が流れていくことによる集中の乱れと、獅子への恐怖のせいで思考がうまく回らない。
視界が滲んでいく。呼吸は乱れ、足元がおぼつかなくなる。
「さあ、これで終わりか?呆気なかったな、人間」
エメラルドに輝く瞳が俺を見下ろす。……俺はモエカを救えなかった。もはや一矢報いる気力さえ残っていない。俺は静かに目を閉じるしかなかった。
俺の冒険はここで終わるのか……。あきらめにも似たような感情が俺を支配した。