──男が倒れ臥している。
奇妙な色の空と、緑の海洋めいた地平線が何処までも広がるような異界の最果て。
溢れんばかりに漲っていた
大きな力同士の衝突によって周囲は悉く殲滅し尽くされ、文字通り戦場跡の有様だった。
この破壊をもたらしたのは男を含めた二人の存在に因るものだったが、死に体となったそれが辛うじて命を繋いでいるのは、単にとどめを刺される迄の空隙に恵まれたからに過ぎなかった。
襤褸屑のように転がった男の傍らに、立ち尽くす影がある。
爆心地となった焦げ跡に佇むのは、穢れ無き光を放つ鎧を纏う、一人の女である。
鏡の如く磨かれた甲冑は眩い光条を散らして、兜を着けていない頭から流れる金糸の如き髪が、荒れ果てた風景の中で一際の輝きを放っていた。嘗てはその強大さと威厳を醸していた男のローブと仮面は、最早黒く焼け爛れて見る影もないが、女の鎧は擦り傷一つ無く、その晒された顔立ちのように美しいままだ。
すらりと伸びた長躯は戦士の理想を体現し、鎖帷子を盛り上げる豊かな双丘は、その内に秘めた強靭さと生命力を誇示している。
「......」
鋭利な輪郭を描く女戦士の美貌は、黄金色の長い睫毛に縁取られた碧眼が冷厳なる色を宿していなければ、美の化身として崇められたとしても不思議はない。 しかし、その眼差しには決して友好的でない視線だけが男の顔に向けられている。
鈍い光沢を纏った得物が煌めいて......ぞぶり、と音がした。
朦朧とした男の意識が、最後に与えられた痛みによって強引に引き延ばされ、そして失われていく。
女の握る剣が胸を貫いたと分かっても、零れ落ちていく生命を押し留めることなどできない。
幾星霜もの歳月を経て再構築させつつあった身体の内側で、何かが砕け、崩れ、千切れ、消え去っていくのが分かった。
死だ。自分は死ぬのだ。
漸く訪れた終焉を前にした男は、何故か晴れやかな気分だった。
永劫とも思える時の果てで見出した唯一つの望みすら果たせず、総てを喪う無念さはある。
だがそれ以上に、今まで己の心を焼き焦がしてきた妄執が遂に潰えるという清々しさの方が勝っているのだった。
生への執着より解放された安寧とした気分に包まれて、男は意識を失った。
『ほう......我が手を下す迄も無かったか』
何処からか響いた重々しい声。まるで地の底から聞こえてくるかのような陰鬱なものだ。
おどろおどろしい暗緑の空──虚空の彼方が歪むようにねじ曲げられて、“目玉”が顕れる。
それは不定形のあぶくのようでもあり、のたうつ触手めいた脈動でもあった。玉虫色の入滅する虹彩は幾重にも渦を巻き、名状しがたき様相を露にしている。悍ましい異形の視線は、やがて一人の女を捉えたようだった。
『此奴は長年我に仕えて来たが、愚かにも裏切りの徒となって造反を企てておった。しかし汝であれば、或いは......』
◇◇◇
「......」
最初に、冷たさがあった。
全身を凍土に曝しているような不快感......芯の凍てつくような感覚が襲う。次いで、酷い頭痛と全身の痺れ、それに激しい動悸。
それらが一緒くたになって、意識を無理矢理叩き起こしているようだった。
生まれ持った肉の身体を棄て、高位の力で以て練り上げた竜種にも匹敵する身体をいとも容易く貫いた竜殺しの剣の感覚が、既に味わった鋭い痛みを想起させる。
(......?)
どうなっている、と口に出そうとしても舌が動かない。全身が石像になってしまったかのように固まっており、鉛を流し込まれたように思考は鈍化していく。
睡魔に飲まれる直前に薄い意識を保つようなもので、気を抜くと直ぐにでも闇の底に沈んでしまいそうだった。
指一本動かせない現状では、目蓋を開ける事さえ億劫になってしまうだろう。
白昼夢でも見ているのかと、突拍子のない考えが脳裏を過った。
死ぬ間際の走馬灯にしては無味乾燥に過ぎ、明確に魂の砕け散る感覚を味わいながら死んでいった身としては釈然としないものがあった。
生命の霊魂を手玉のように操る術を持つ存在なぞ大して珍しくも無いが、何処ぞのデイドラ公が、惨めな裏切り者のドラゴンプリーストを存在ごと貶めようと考えたとでもいうのだろうか? だとすれば余りにも悪趣味が過ぎるというものだ。
そもそもにして死後の世界や運命を司る神格が存在するのならば、何故こんな面倒臭い手順を踏んでまで一個人を弄んでいるのか理解に苦しむところだ。
......じっとしていると、目覚めた意識は再び泥のような微睡みの中に沈み込みそうになる。
心地好い安らぎが手を引いている。このまま再び眠り込んでしまえば、どんなにか素晴らしい心持ちになれる事だろうか。
一度浮かんだ感覚が、再び奇妙な覚醒として知覚出来る保証は無いのだが、それでも尚それを望むだけの理由もあった。
(総てを
結局、野望を達する事も出来ずに終わるのだろうと諦観と共に受け入れていた筈なのに、いざその時が来たならばこうして未練を抱いているというのは可笑しなものだと思う。
しかし、それも当然の事なのだろう。
自ら選んだ道とはいえ、やはり生き汚い性分を捨て去る事は出来なかったのだから。
あの死闘の末に己自身の未来が全て閉ざされたのだと悟った時には、確かに何もかもがどうでもよくなったはずだった。それなのにこうして蘇り、過去の出来事を振り返る余裕が生まれるや否や、こう思う自分がいるのだ。
もっと生きていて良かったのではないかと。
決して短いとは言えない人生の中で積み重ねてきたあらゆる物を失ってしまう事が惜しかったのではないか。
そんな詮無い疑問ばかりが思い浮かぶのだ。
もし違う選択をしていれば、今頃どうなっていたのかと思うことが無いと言えば嘘になる。
仮に生き延びた所で待っているのは苦難の道であり、平穏とは程遠いものだったかもしれない。
しかしだからといって今を受け入れられるかどうかといえば話は別なのだ。
一度は全てを諦めたつもりでいただけに尚更そう感じるのかもしれない。
「......ぁ」
死ぬのならばさっさとしろ、と叫んだ筈の口からは言葉にもならない呻き声が漏れるばかりだった。
───まさか自分だけが特別だとでも? 奴は最初の...最初のドラゴンボーンだった