──死とは唐突なものだ。
彼女はまさかその日、自分が死ぬとは夢にも思っていなかった。そんな発想にすら至らなかった。中学校からの帰り道、いつも通りの通学路。カバンにつけたアニメグッズをいじりながら工事現場の横を通り過ぎようとしていた。趣味と言えるようなものはアニメやゲームのみ。そんな平凡な中学生だった彼女が、自分の死を意識することなどなかったのだ。
「危ない……!!」
どこからかそんな声が聞こえてきた。なにかの気配を感じ、パッと上を見上げる。迫ってくるクレーン車、響く悲鳴、激しい轟音。彼女の意識はそこで潰えた。何が起こったのかもわからず、恐怖を覚える間もなく、クレーン車に押し潰される形で彼女は短い一生を終えたのだった。
「う〜ん…………ん?」
そして次に彼女が目を覚ましたのは薄暗い小屋? のような建物の中だった。自分が生きていることへの驚き、見知らぬ場所への不安。何がなんだかわからず、彼女は混乱した。
(あ、あれ……? 私……生きてるの?)
ベタな方法だが試しに顔面をペチペチと叩いてみる。確かに触っている感触がするし、なんならほんのり痛みも感じる。死後の世界でも痛みを感じる、ということでもない限り、自分は生きているということだ。
「あ! お父さんお母さん! 起きたよ赤ちゃん!」
「あら〜、随分静かに起きる子ね。気づかなかったわ」
「誰に似たんだろうな」
気づけば5歳くらいの女の子、そしてその両親と思われる夫婦が彼女を見下ろしていた。まるで赤子を見るかのような、満面の笑みをこちらに向けてくる。
(え……? え……? 誰この人達!? ていうか、赤ちゃん……?)
その時、彼女は違和感に気づいた。自分を見下ろす家族がやけに大きく見えるのだ。そしてここはどこか、あなた達は誰なのか聞こうにも上手く声が出せなかった。
「あぅ……! あぁ……!」
「お喋りしてるよ! 可愛いね!」
(なにこれなにこれ!? 声が出ない……!? なんで……!?)
疑惑が確信へと変わると、彼女は絶句した。どういうことかはさっぱりだが、どうやら自分は赤ん坊になってしまっているのだと理解する。転生、というやつだろうか。アニメや漫画では腐るほどある設定だが、自分が体験することになるとは夢にも思わなかった。ともかく彼女は生まれ変わったのだ。新しい家族の元で、彼女は第二の人生を歩むこととなる。
♦♦♦♦♦
彼女が転生したのはどうやら明治時代の末期らしい。令和の世に生まれ、数多の便利な機械や娯楽に囲まれて育った彼女にとって、明治時代の暮らしは不便極まりなかったが、人間というものは存外適応能力が高いもので、成長するに従って徐々にこの時代の暮らしに慣れてきていた。
そんな彼女が、腰を抜かす程驚いた出来事が二つある。まず一つ目、これは彼女が一人で歩ける年齢になり、初めて鏡を見た時のことだった。
「魂魄……妖夢?」
鏡で見た自分の姿は、幼くはあるものの東方projectに登場する魂魄妖夢そのものだった。銀色の髪、それよりやや暗い色の瞳、そして親の趣味によって髪型はボブカット、黒いカチューシャをつけている。どう見ても魂魄妖夢だ。
(私、妖夢ちゃんになっちゃったの!? てことは、ここは幻想郷!?)
前世で彼女は東方projectのファンだった。グッズも沢山持っていたし、同人誌の即売会などにも足を運んでいた。両親が自身に妖夢と名付けた時は偶然かと思ったが、どうやら彼女は魂魄妖夢に転生したようなのだ。
(で、でも妖怪とか見たことないし……幽々子様もいないし……どど、どうなってるの!?)
しかしこの世界自体は幻想郷ではなく、現実の日本の明治時代に思える。生活や道具などは前世で習った通りだし、何より幻想郷ならば妖怪の類がいるはずだ。そして彼女自身、見た目こそ妖夢だが特殊な能力や剣技が使える訳でもなく、至って普通の女の子だった。総合的に判断してここは幻想郷ではなく前世よりも昔の日本、そして自分は見た目だけ魂魄妖夢として転生したのだと結論付けた。
──しかし、その考えは間違っていたかもしれないと思わされる事件が起きた。これが二つ目の出来事、それは彼女が6歳になろうかという時に起きた。
(……なんだろう?)
それは4つ上の姉と共に川に水を汲みに行った時のことだった。川の反対側の森の中に白く、ぼんやりと光る何かを見た。それは移動するでもなく、ただその場を揺らめいている。
「妖夢? どうしたの?」
「……あれ、森の中に白いのが」
「白いの?」
姉に聞かれると、彼女は白い光を指さした。姉は目を細めて森の中に視線を移す、ところがどれだけ探しても白いものなど見つけられず、首を傾げて疑問符を浮かべた。
「白いのなんてどこにもないよ?」
「え? でもあそこに……」
「もー、妖夢ってばまた変なこと言って。ほら、もう帰るよ。お父さんとお母さんが心配しちゃう」
姉はクスリと笑うと、彼女の頭を撫で腕を引いた。姉には彼女の見た白いものは見えていなかった。見間違いかな? とその時は思ったが、それ以降彼女は同じような白い光を何度も目撃した。その度に家族に報告するが、帰ってくる答えは変わらなかった。
日を追う事にその光の正体がわかってきた。あれは死者の魂、あの世へ行けずこの世をさまよっている亡霊だ。半人半霊の魂魄妖夢に転生したからなのか、彼女は死者の魂をぼんやりながら視認することができるのだ。
読み取れるのはある程度の感情のみで、姿形はわからない。大抵はゆくあてもなくこの世界をさまよっているのだが、ある土地や人物、物に深い思い入れがある魂はそこに留まるようだ。この能力を知った時もまた、彼女は腰を抜かして驚いたものだ。
何はともあれ彼女はこの時代に適応し、気づけば12歳になっていた。この頃になるとすっかり生活にも慣れ、植木職人である父親の仕事を手伝うようになっていた。前世の記憶はまだ残っているものの、今はこのお父さんとお母さん、そしてお姉ちゃんが家族だと思うようになり、幸せな暮らしを手に入れていたのだ。
──だが、運命は再び動き出した。それはある冬の日の出来事だった。この日も彼女は父親と共に街へ出て、仕事の手伝いをしていた。降り積もる雪を踏みしめながらの帰り道、彼女は嫌な予感を覚えていた。全身に鳥肌が立ち、正体不明の吐き気がする。そんな状態で父親におぶられながら、辺りがすっかり暗くなる頃に家に到着した。
「ただいまー!」
「……」
父親の声に返答はない。いつものなら16になってもまだまだ親離れしきれていない姉が「おかえりー」と言いながら飛び出てくるのだが。
「……あれ? 母さん! 彦乃! いないのか!?」
妻と娘の名を呼ぶもやはり返答はない。どこかへ出かけたのか? いや、こんな雪の降る夜に外へ出ることはないだろう。だとしたら二人は一体どこへ?
「なんだ? まだ家族がいたのか?」
「……!?」
不意に背後から声が聞こえ、振り返る。いつの間にか玄関にやや大柄の男性が立っていた。暗くてよく見えないが、何か棒のようなものを齧りながらこちらをじっと見ている。数秒困惑していると、少しだけ雲が晴れ月明かりが差し込んできた。その明かりに照らされて男の正体が顕になる。
「ひっ……!」
「ば……化け物ッ!?」
彼女は思わず後ずさった。それは人間ではなく、目玉が四つある異形の怪物だった。齧っていた棒のようなものは、人間の腕だったのだ。人喰いの化け物、妖怪、鬼。少なくとも決して分かり合うことなど出来ないだろうということを一瞬の内に理解した。
「つ、……妻と娘をどこにやった!?」
「んん? へへへ……ここだよ、ここ」
怪物はニヤニヤと腹を叩いた。そして齧っていた腕をこちらに放り投げてくる。それだけで、ここで何が起きたのか理解するのは簡単だった。
「その腕は子供の方のだ。俺は優しいから返してやる、有難く思え」
「あ……あ……」
腕が震える、脳が理解を拒む、しかし理解してしまう。あまりの恐怖に彼女は言葉を発することも動くことも出来なかった。怒りや悲しみの感情すら湧いてこない、頭の中にあるのは「死」という1文字のみだ。
「妖夢……逃げなさい」
「……え?」
「早く! できるだけ遠くに逃げるんだ!」
父親はそう言うと立てかけてあった斧を手に取り、決死の形相で怪物へと向かっていく。そして頭目掛けて斧を振り下ろすが、怪物はあまりに硬かった。斧をくらっても全くの無傷なのだ。
「鬼にそんなもんが通じるかよ。俺は何人も喰ってきたんだ、並の頑丈さじゃないぜ?」
言いながら怪物は床に落ちた斧を拾い上げ、父親の頭と胴体を切り離した。全く抵抗もできず、儚い彼は命を落としたのだ。その場には怪物と彼女一人だけが残された。
「子供でも女は栄養価が高いからな。今日は運のいい日だ」
近づいてくる怪物に、彼女は逃げることも抗うことも出来ずに呆然と座り込んでいた。一度目の人生は唐突に終わりを迎えた。だからこそ、奇跡的に掴み取ったこの第二の人生は幸せになりたいと、そう願っていたのに……それも破壊されてしまった。
彼女に迫ってくる怪物の腕、思考することすら出来なかった彼女の頭の中に……とある言葉が浮かんできた。
──死にたくない。
瞬間、彼女は斧を手に取り怪物に振りかざした。しかし大の大人の力ですら傷一つ付けられなかったのだ、ひ弱な少女にどうこうできるものでは無い。怪物はそう思ったが、瞬きする間に怪物の腕は切り離された。
「……は?」
怪物は切断された腕にゆっくり目をやった。自身の腕が切られたのが信じられないのか、目を丸くして切断面を見ている。しかし徐々に痛みが来たのか、叫びながら彼女を睨みつけた。
「て、てめぇ……! よくもォ!」
「ああああああああぁぁぁ!!!」
彼女は意を決して怪物に襲いかかった。絶叫しながら何度も何度も斧を怪物に振りかざし、全身がバラバラになるまで切り続けた。どれくらい経ったのか、気づけば辺りは血の海になっていた。正気に戻った彼女は呆然と怪物の死体を眺めている。
「糞が糞が糞が……!! この俺が、こんなガキに……!!」
「……!?」
しかし怪物はまだ生きていたのだ。全身がバラバラになっているにも関わらず、身体は接合され動いている。信じられない、生物としての回復速度を逸脱している。
「許さねぇ、グチャグチャに殺したあとに喰ってやるよ!!」
「あ……」
もう逃げる力も反撃する力も残っていなかった。前世で死んだ時の記憶が走馬灯のように彼女の脳内に流れてきている。二度目の死、本来経験するはずのないそれをまだ人生経験の浅い彼女は受け入れることなどできなかった。
「風の呼吸 参ノ型……!」
──
その時、突然突風が吹いた。次の瞬間には怪物の首が宙に飛んでいて、目の前にはさっきまではいなかったはずの男が立っている。白髪で、顔にいくつもの傷がある男。手に持っている刀で怪物の首を切ったのか、そもそもこの男は誰なのか。そんな疑問が浮かんでくる。
「おい、お前生きてんのかァ?」
こちらを覗き込んで聞いてくる男。しかし口がパクパクと動くのみでまともに答えられない。男はハッとして頭を搔くと、荒れた家の中を見渡した。
「こんな目にあえば無理もねェか。悪かったな、間に合わなくてよォ」
乱暴に頭を撫でられると、溜まっていたものが溢れ出すかのように彼女は泣きじゃくった。家族を失った、厳しくも優しかった両親も、ずっと自分を気にかけてくれた姉も、もうこの世にはいないのだ。
しばらく泣きじゃくっていると、周りに黒子装束を身にまとった人達がいることに気がついた。彼らはどうやら事件の後処理をしているらしく、その中の一人が彼女に話しかけてきた。
「もう大丈夫だから、安全なところで休もう。ほら」
そう言って優しく手を取ってくれた。家族を失った12歳の少女を労わろうとする、慈悲深い人なのだろう。しかし、彼女はその手を振り払い家の外に飛び出した。そして白髪の彼を見つけると、その手にしがみついた。
「私に……戦い方を教えてください」
「あァ?」
無茶なことを言っているのはわかっているが、それでも懸命に頼み込む。面食らったような顔をしていた彼は、困ったように頭を掻き毟ると冷たく言い放った。
「家族の敵討ちをするつもりかァ? てめぇみてぇなチビ、すぐに鬼に殺されるだけだ。そんなこと家族だって望んじゃいねェはずだろォ?」
「違います……私はもう死にたくない……死ぬために強くなるんじゃない、生きるために強くなりたいんです!」
「……!?」
その言葉に男は驚いた。今まで、鬼に家族を殺され復讐を誓った者は数多くいる。しかしその殆どが食い殺されてしまった、だからこの少女を同じ道に進ませる訳にはいかないのだ。
しかし少女は言ってのけた、生きるために強くなりたいと。その言葉に驚き、少し考えた後彼は紙にメモを書いて彼女に手渡した。そこには簡単な地形のみの地図が書いてある。
「……ここから南東の方角に山がある、そこに住んでる男を訪ねろ。俺の師匠だ、不死川実弥に言われて来たと言えば世話してくれるだろうよォ」
それだけ言って彼は背を向けた。もう用はないと思ったのかその場を後にしようとするが、少し歩くと立ち止まりこちらを振り返ってきた。
「お前、名前はァ?」
「……妖夢。……魂魄妖夢です!」
それだけ聞くと不死川は背を向けて今度こそ立ち去って行った。彼の背中を見送り、彼女は決意を固めた。まだ恐怖は残っている、叫びたい、逃げ出したい。それでも強くならなければならない、生きるために。
この瞬間、彼女の……魂魄妖夢に転生した少女の鬼狩りとしての人生が幕を開けたのだった。