最終選別を無事終えた妖夢は華日の案内で狭霧山を訪れていた。ここは華日に剣術を教えた育手、元水柱の鱗滝左近次が住んでいる場所だ。ここで彼の弟子達は修行を積み、立派な鬼殺の剣士へと成長する。
「ただいま戻りました! 鱗滝さん!」
「……! 華日か……!」
山の中にある家屋に入ると、赤い天狗の面をつけた老人がいた。彼は華日の顔を見ると、深い深く彼女を抱きしめた。
「よく…………生きて戻った……!」
「……はい!」
彼は過去に、最終選別に送り出した10人以上の弟子を残さず鬼に殺されていた。きっと今回も、華日の無事を願っていたに違いない。心配で心配で、夜も眠れなかったはずだ。面の下の表情はわからないが、上擦った声から涙を堪えているのが伝わってくる。それを察してか華日の瞳からも涙が零れた。
「……そちらは?」
「あ、この子は──」
一通り再会を喜びあった後、鱗滝は二人の再会を静かに見守っていた妖夢に気がついた。華日が鬼から命を助けてもらったこと、ここまで行動を共にしていたこと、そしてあの異形の鬼が厄除の面を付けた子供達を狙っていたことも包み隠さず全て話した。
「そうか……あの時捕らえた鬼が……ならばあの子達が死んでしまったのは、儂の責任……すまない……すまない……!」
「鱗滝さん……」
弟子達の死の原因が自分にあると知り、鱗滝は自責の念に苛まれる。その様子に妖夢はかける言葉が見つからなかった。何を言っても、気休めにしかならないとわかるからだ。そんな彼に手を差し伸べたのは華日だった。
「すまない華日……儂が厄除の面など渡したばかりに、お前まで危険に晒してしまった」
「……謝らないでください。私思うんです、このお面が私と妖夢ちゃんを引き合わせてくれたんだって。それに鱗滝さんが私達のことを想ってくれてるのも知ってますから。きっと死んじゃった子達も、鱗滝さんのせいだなんて思ってないですよ」
(なにこの子……めっちゃいい子じゃん、可愛いし。結婚したい)
鱗滝と華日が泣いて抱き合っている中、妖夢は何やら不純なことを考えていた。前世でオタクだった時の血が騒ぎ出したのだが、ここはグッと堪えて二人を見守る。
「魂魄殿……華日を救っていただいたこと、この鱗滝左近次……育手として心より感謝申し上げる」
「……! あ、頭を上げてください! 別に大したことはしてないですから」
ひとしきり泣いた後、鱗滝は妖夢に向かって膝をつき頭を地面につける勢いで深々と頭を下げた。その行為に妖夢は慌てて止めようとするが、鱗滝はそれでも頭をあげようとしなかった。
「貴方がいなければ儂は弟子をまた一人失い、その原因を知ることもなかった、悔やむことすら出来なかった……本当に、なんと礼を言えばいいのか」
鱗滝は存外頑固で、妖夢が頭を上げて欲しいと何度言っても感謝を述べ続けた。そんなやり取りを何回か続け、気がつけば日が暮れてしまっていた。とりあえずその日は軽く食事を済ませた後すぐに就寝し、そして翌日。何か礼をしたいという鱗滝の提案により、妖夢とついでに華日は彼からとある指導を受けることになる。
「遅い! もっと速く、雷よりも速く走れ! そして更に呼吸の密度を上げるのだ!」
『はい!!』
それは全集中の呼吸“常中”の訓練。四六時中、全集中の呼吸を使用し続ける、朝も昼も夜も寝ている間も。これができるのとできないことでは天と地ほどの差が出る、現柱や上位の隊士は皆これを習得しているのだ。
「し……死んじゃう……肺痛い耳痛い心臓痛い……!」
「休むな華日! 呼吸とは即ち肺だ! 肺が貧弱だからすぐに息切れをする! 妖夢お前もだ!」
「よ、容赦ねぇな……鱗滝さん」
華日を救ってもらった礼という名目で指導を受けているのだが、華日は元より妖夢にも鱗滝は厳しく指導を行った。甘やかしていては指導にならないので当然と言えば当然だが、「もっとこう手心とか?」……と、思わずにはいられない。
「この山は極端に空気が薄い! 少ない酸素を限界まで取り込むのだ!」
全速力で山を登り、降り、そしてまた登り、降り……これを朝から晩まで繰り返した。少しも速度を緩めることは許されず、ただひたすら限界の向こう側に到達するまで走り続けた。
そして数日後、だいぶ体力もついてきた二人に鱗滝はとある物を渡した。片手では持ちきれないほどの大きな瓢箪だ。
「それに息を吹きこんでみろ。ひと吹きで破裂させることができたら合格だ」
「……はい!?」
案の定、華日は口を開けて聞き返した。当然だろう、とても息だけで破裂させられる大きさでは無いし、そもそも普通の瓢箪よりも頑丈にできているようだ。
「……スゥ〜〜……ンンン〜〜〜!!」
まずは妖夢が思いっきり空気を吸い込み、瓢箪に息を吐きこんだ。限界まで吹き続けると瓢箪は僅かにひび割れたが、そこで息が途切れ妖夢は瓢箪から口を離した。
「ハァ……ハァ……ハァ……ちょ……これ……無理じゃない?」
「すごいよ妖夢ちゃん! 瓢箪にひびが入ってるよ」
妖夢でも瓢箪にひびを入れるだけで精一杯。新米隊士としては破格の水準だが、鬼と戦うには常中を身につけるのは必要不可欠。新人だからなどという言い訳は通用しない。
それから妖夢と華日はひたすら走り込み、息止め、肺と体力を鍛えるための特訓を毎日行った。そして3日後には……
「スゥ……ンン〜〜!!」
──パン!!
「わ……割れた!? 割れた割れた! さっすが妖夢ちゃん!!」
「ふふん、もっと褒めろ」
見事巨大な瓢箪を一息で破裂させることに成功した。それしてもこの女、初対面ではある程度距離を置く割に一度仲良くなれば本性を表す。今も華日にもっと褒めろとドヤ顔で要求している。
「よ〜し! 私も負けていられないぞ!」
妖夢が成功させたことで対抗心が出たのか、華日も今まで以上に鍛錬に励んだ。しかし10日が経っても華日は瓢箪を破裂されることができないでいた。
「華日、もうそろそろ休みなよ。死んじゃうよ?」
「まだ……まだまだ……!!」
夕暮れ時、3つ先の山から休憩なしで走ってきた華日は地面に倒れ、激しく呼吸していた。付き合っていた妖夢もさすがにバテており、その辺の岩の上に腰掛けている。周囲は木で囲まれており、夕日の光があまり入ってこないので薄暗い。
「私……ダメなのかな?」
「え?」
「いくらやっても……妖夢ちゃんに追いつける気がしないの。諦めたくないのに……もうやめたいって思っちゃう……」
暗がりの中で、華日の目から涙が零れたのが見えた。溜まっていたものを吐き出すように、ボロボロと涙が溢れてくる。口元をギュッとつむって声が出ないようにしているが、それが逆に心を抉るようだった。
「昔ね……近所に住んでたおばさんが鬼に殺されちゃって、町の人達皆怖がってた……だから私が鬼をやっつけて、もう鬼なんていないから安心してって言ってあげたいと思った……だから鬼殺隊に入ったの」
「……そうなんだ」
「でも……こんなところで折れる私なんか、鬼を倒せるわけない……!!」
妖夢は言葉が出てこなかった。華日は立派だ、自分以外の人のために命を危険に晒してまで鬼狩りを志している。自分の命を守るための強さが欲しくて剣士になった妖夢がその覚悟に水を刺さるはずがない。
「メソメソするな! 見苦しい!」
「え?」
その時だ、妖夢の背後から声が聞こえた。振り替えると狐の面をつけた少年が一人、いつの間にかそこに立っていた。いつからそこにいたのか、妖夢も華日も全く気づかなかった。
「鬼殺隊の剣士になったのならば……弱音など吐くな! 鬼の頸を斬ることだけを考えろ!」
「華日……知り合い?」
「ううん、知らない」
妖夢も華日も少年のことを知らなかった。しかし彼がつけている面は厄除の面だ。鱗滝の弟子なのだろうか? お面で顔を隠しているので表情はわからない。
「そこのお前、刃を持て!」
「私……? ッッ……!?」
少年は妖夢を指差すと刀を抜くように指示した。困惑する妖夢に、少年はお構い無しだと言うように襲いかかってきた。咄嗟に刀を抜き、妖夢は少年の刃を受け止めた。
(この感じ……)
「やるな!」
少年の攻撃を受け止めた妖夢はある違和感を覚えた。しかしそれが確証に変わる前に少年は次の攻撃を仕掛けてくる。
「水の呼吸……壱ノ型!」
「……!?」
交差する腕から繰り出される斬撃を間一髪で避け、妖夢は背後に飛んだ。全集中の呼吸を使い、更には水の呼吸の技まで繰り出してきた。この少年は只者ではない、妖夢も華日もそれを完全に理解した。
(なんだかわからないけど……本気でやらなきゃやられる……!)
少年の実力を見て、手加減している場合でないと判断した妖夢は反撃に出る。酸素を大量に吸い込み、全身に力を込め跳躍した。
「風の呼吸……伍ノ型!」
空中から振り下ろされる斬撃。風の呼吸の技は刀を振るう時に起こる突風により、広範囲への攻撃を可能としている。それに対し少年はすぐさま型を切り替えた。
参ノ型
(避けた……!?)
妖夢の風による攻撃と斬撃、それらを全て少年は紙一重で避けてきた。そして流れるように反撃に転じてくる。少年は妖夢が今まで戦ってきたどんな鬼よりも強い、それは確実だった。
「まだだ……もっと打ち込んでこい!」
「望むところ!」
二人の攻防は一進一退、どちらも全く譲らない互角の斬り合いだ。それを華日はただ見つめるしか無かった。
(速い……目で追うので精一杯……!)
二人と自分とでは大きな実力差がある。動きを目で追うのでやっとで、どちらがどのように斬り結んでいるのか理解するのも追いつかない。
「今はただ見てて、あの2人の戦いを」
「え!? あ、あなたは?」
「私は真菰。あっちは錆兎っていうの」
いつの間にか華日の横にいた少女。彼女もまた狐の面を頭の横につけており、可愛らしい顔をしていた。少女──真菰は華日に自己紹介をすると、目線で二人の戦いの方を示した。今は余計なことは考えず、あの戦いを見ていて、と。
「風の呼吸……肆の型!」
「……!?」
妖夢の下から上に押し上げる斬撃により、錆兎の刀が手元を離れ地面に突き刺さった。妖夢が刀を鞘に収めると、錆兎は軽く笑いながら刀を拾いに行った。
「見事だ」
それだけ言うと錆兎は踵を返してどこかへと歩いていく。去り際、彼は小さい声で妖夢に礼を言った。
「ありがとう」
「……?」
何に礼を言われたのかわからず、妖夢は首を傾げた。しかし、錆兎から感じた妙な違和感。そして藤襲山で戦った異形の鬼が言っていたことが頭をよぎる。
『俺をこんなところに閉じ込めた鱗滝……アイツの弟子は全員殺してやった、10人以上だ! 印象に残ってるのは獅子色の髪の餓鬼と女の餓鬼、アイツらは強かったな!』
(獅子色の髪……女……)
そういう事か、と妖夢は納得した。錆兎も真菰も、今まで沢山見てきた霊魂達と気配が近い。つまり、彼らは既にこの世にはいない。あの山で鬼に殺されてしまっていたのだ。
「後は任せるぞ、真菰」
「うん」
妖夢はあえて錆兎に何も言わなかった。恐らく本人達もわかっているだろう、その上で自分達の前に現れた。ならば、何も言うことは無い。
「努力はどれだけしても足りない。鬼の頸を斬れるまで、諦めずに何度でも努力しろって錆兎が言ってた。私も手伝うから、頑張ろう」
「……真菰ちゃん」
それから妖夢と華日は、真菰と共に修練に励んだ。時折錆兎も手伝いにやってきて、妖夢や華日と手合わせを行った。華日は挫けそうになっても何度も何度も立ち上がり、そして1週間後……
「スゥ〜〜。…………ンンンン!!!」
華日は瓢箪に力いっぱい息を吹き込んだ。最初はビクともしなかったが、死ぬ直前まで空気を送り続けると、瓢箪は勢いよく破裂してバラバラに散っていった。
「おめでとう、やったね華日」
「割れた──!! うわ──ん!!」
真菰に祝福の言葉を送られ、華日は涙を流して喜んだ。真菰に抱きつき号泣している。そんな様子を、妖夢は横から眺めてこれまた号泣していた。
「尊い……! カメラ欲しい……!」
「ど、どうしたの妖夢ちゃん!?」
「なんでもない! ただのオタクの発作だから気にしないで!」
「う、うん?」
何はともあれ、妖夢と華日は無事に全集中の呼吸・常中を習得するに至った。そして次の日、二人の鬼殺隊としての初任務がやってきた。
「俺は鋼鐵塚という者……魂魄妖夢の刀を打たせてもらった」
「ど、どうも……」
その日、ついに妖夢の日輪刀が届いた。華日の物は3日前に届いていたので少し遅れた形になる。編笠に風鈴を付けた出で立ちに、妖夢は少し戸惑った。
「これが日輪刀……俺が丹精込めて打った刀だ。折ることは絶対に許さん」
(何この人……ひょっとこのお面してる、変態?)
鋼鐵塚のあまりにヘンテコな出で立ちに思わずにツッコミたくなるが、よく考えたら鱗滝も天狗の面をしているので、特に何も言わなかった。それはそれとして初対面でここまで言ってくるか? とは思うが。
「さぁさぁ、刀を抜いてみな。日輪刀は別名“色変わりの刀”と言ってなぁ、持ち主によって色が変わるのさぁ」
「……へぇ」
「確かお前は風の呼吸の使い手だったか。だとしたら緑色になるかもしれんな……なぁ鱗滝」
「ああ」
日輪刀は持ち主に適した呼吸によって色が変わる。華日は水の呼吸の適正色、水色だった。妖夢は風の呼吸の使い手なので、この場合緑色が好ましい。
「これは……白? だとしたら霞か?」
「いや、白よりも緑がかっている……この色の刀は……儂も見たことがない」
「鱗滝さんでも見たことがない色……? じゃあ、妖夢ちゃんには何の呼吸が合ってるんでしょうか?」
「それも儂にはわからん……もしかすると、鬼殺隊の歴史上でも初の色変わりかもしれんな」
妖夢の日輪刀は白にやや緑が混ざったような、不思議な色になった。こんな色は鱗滝でも見たことがない、華日と鋼鐵塚も首を傾げている。
「キ────ッッ!! 俺は美しい緑色の刀身が見れると思ったのによ!! 役立たずめ!!」
「ワガママだな!? もういい大人でしょ、落ち着いてください!」
「黙れ! この恨み……どう落とし前をつけてもらおうか!?」
妖夢と鋼鐵塚が取っ組み合ってる中、華日の肩に鎹烏が止まった。華日の烏ではなく、妖夢の烏だ。
「指令が出たわよ。2人とも、ここから北にある町に向かいなさい」
「妖夢ちゃんの烏ちゃん……てことはもしかして?」
「ええ、鬼狩りとしての最初の仕事よ。その町では行方不明になった町人が干からびた死体で発見される事件が多発してるそうよ。心して臨みなさい」
「聞いた!? 初任務だよ、それも共同任務! 妖夢ちゃん!」
烏から初任務の指令を聞き、妖夢の方を見る華日。すると妖夢は既に鋼鐵塚の間合いから抜け出しおり、任務内容を聞くと親指を自分の顔に向けて宣言した。
「そういうコトなら〜〜! オレに任せとけ!」
「え……? 急にどうしたの妖夢ちゃん?」
「あ……いや、任務とかなんかカッコイイし……ちょっとカッコつけたかった……みたいな」
渾身のカッコつけが滑ってしまい、妖夢は顔を真っ赤にした。そんなやり取りを終え、妖夢と華日は隊服に着替えて羽織を身に纏う。妖夢は緑色、華日は水色の羽織だ。
「気をつけて行け、初任務とはいえ異能を使う鬼と遭遇する可能性もある。お前達の武運を祈っている」
「はい! 行ってきます、鱗滝さん!」
二人は身支度を終えると、鱗滝に見送られて狭霧山を後にした。華日は鱗滝の姿が見えなくなる直前まで手を振っている。そこで妖夢はとあることを思い出し、足早に鱗滝の元へ戻ると耳元で囁いた。
「錆兎と真菰から『ありがとう、鱗滝さんが大好きです』って言付かってます」
「……!」
「それじゃ、お元気で!」
それだけ言うと、妖夢は華日を追いかけて行った。死んだ弟子達からの伝言、普通なら信じられないだろうが、妖夢の言葉には説得力があった。鱗滝は妖夢と華日、そして錆兎と真菰……死んでしまった弟子達に向けても感謝の涙を流し、妖夢の背中に深々と頭を下げるのだった。