金剛のバスケ+10cm 作:藤原わさび
コート上の情報は多い。
相手の顔色。汗の量。ポジショニング。ボールが跳ねる音。ゴールまでの距離。
───そのような様々な情報を脳内で処理をして次の行動を決める。
「相手の意識から完全に外れる
見えない。こんな無法をあの『キセキの世代』が居る帝光でやられては対策など不可能。これに関しては悩みに悩み抜いた。
『見てから超反応をする「神速のインパルス」』
『意識から外して見えなくする「視線誘導」』
まさに、特効ともいえる天敵だった。実際にそれで小早川セナに金剛阿含は敗北を味わっている。幾ら努力を重ねようが物理的に不可能なことをすることはできない。
「───だが、そもそも『神速のインパルス』が見えないと反応できないってのは、正しいことなのか?」
実際に原作ではそうだった。作中のキャラが実際にそう言っている。否定材料は確かに多い。
だがそれは、『神速のインパルス』が『見えなくては反応できない』とイコールではない。
「確かに泥門デビルバッツと神龍寺ナーガとの対決で、小早川セナによる死角からの攻撃に対処できず阿含は倒された。
その時に泥門のトレーナー兼スカウトマンの
……
アメフトでの超至近距離によるぶつかり合い。だからこそ、ヘルメットに隠された阿含の死角を狙うことができた。
だがそれはバスケットボールという、相手と一定の距離を取り続けることが当たり前のスポーツでも、同じように言えるのだろうか?
「既存のルールは全て捨てろ。可能と不可能をもう一度再設定しろ。目の前にある条件をリスト化し、その壁を取り払え───」
◇◇◇◇◇
「……一体、どうやって…………」
98対105→101対105
帝光のタイムアウトにより60秒の休憩となる。帝光中にとってそれほど衝撃的なことだった。当人である黒子は試合でここまで完璧に対応されたのは、生まれて初めてのことだった。
「クククッ、テメーに教えてやる義理はねェがなァ?気分がいいから教えてやるよ。カスザコ」
上機嫌な阿含はその種を明かす。
「テメーの影の薄さと、それを補強する鬱陶しい視線誘導には手こずったが、別にテメーの存在が丸ごとコートから消えたわけじゃねえ。視覚で認識し辛くなってるってだけだ」
当たり前の事実。だが、その当然の事実を再確認することで答えが見えた。それこそが俺が黒子に対する唯一の突破口。
「お前が隠せるのはその姿だけでそれ以外のものは隠せねえ。つまりは、───テメーの足音。
「──っ!?」
音を失くす。
だが、当然、黒子も意識していなかったわけじゃない。相手の意識から外れるなら物音を消すのは基本も基本だ。
「テメーが特別な歩法を身に付けていようがなんだろうが、俺の超反応と速力に反応しようと動く時点で、ザコのテメーからすれば無理な動きだ。足音を完全に消すなんざできるわけがねえ」
「で、でも、この会場のどれだけの人の声が反響していると思っているんですか?……まさか、君は聞き取り能力まで人より卓越しているとでも……?」
両チームからの声援や掛け声は試合中に溢れかえるものだ。そして観客も普段の大会よりも遥かに多い全国大会。
それこそ人気モデルにして『キセキの世代』である、『黄瀬涼太』の晴れ舞台のため、近年の全国大会よりも集客数は数倍に昇り、席が空いているところが少ないくらいだった。
そんなファンの女子達が黄色い声を挙げて応援をしているこの状況は、普段の大会よりも遥かに様々な音で溢れている。
それほど多くの雑音が入り乱れる中で、シューズのスキール音を聞き分けるなどとても現実的ではない。
「できなくはねえだろうが……クククッ、そんなことをする必要もねえよ。何のために『ゾーン』に入ったと思ってんだ?」
「『ゾーン』に……?」
疑問符を頭の中に浮かべる黒子だったが、近くで二人の会話を聞いていた赤司が驚愕したように眼を見開いた。
「まさか……『ゾーン』状態の
「なッ……!?」
『ゾーン』に入ると処理能力が向上し、コート外の無駄な情報を全てカットする。そして必要な情報だけが手に入るようになる。
雑念に景色の色まで、不要だと認識したものは全て除外されてプレーに没入する状態。これこそが、『ゾーン』に入ったものだけが見える世界。
「一切の雑音が消えれば、そこの坊っちゃんの間合いを目で測りながらでも、聴覚でテメーの動きを捕捉するのは不可能じゃねえ。
俺を止めようとすればするほど、テメーの音は俺の耳から逃れる
笑いながらベンチへ下がっていく阿含を、帝光メンバーは化け物のように見送るしかない。
そして今の言葉により、阿含が『ゾーン』に入ったのはまぐれなどではないことも理解する。つまり、これからどれだけタイムアウトを取り集中力を切らせようとしても、阿含の調子は決して崩れない。
その絶望的な状況に誰も口を開くものはいなかった。
◇◇◇◇◇
別に特別おかしなことではなかった。
「人類の0.1秒の反応速度を超えたのは、陸上のクラウチングスタートだ。
『神速のインパルス』は五感で受け取った情報を即座に神経に伝えることこそが肝であって、別に視認するってことへ無駄にこだわる必要なんざこれっぽっちもねえ」
何故、セナが阿含の超反応を搔い潜れたかと言えば、音を出す必要がなくただ腕を回すだけでよかったからに他ならない。
「体重が乗った動きをすれば、どんだけ足音を消そうが必ず音が出る。それでも、捕捉できるのはだいたい半径2mくらいだろうが、全力で動いてなけりゃあ、『神速のインパルス』なら余裕で回避可能ってわけだ」
もしこれで黒子に身体能力があれば、ある程度の速度を保ちながら接近することもできただろうが、黒子にはそんな身体能力は持ち合わせていない。
「問題があるとすりゃあ、金剛阿含が『ゾーン』に入ることが可能なのかどうかだが。クククッ……なら、何も問題はねえな」
◇◇◇◇◇
そこからは、さらに手に負えなくなった。
黒子という阿含の天敵が意味を失くしたため、阿含の突破力が跳ね上がったのだ。そしてその煽りを受けたのは───黄瀬だった。
「(クソッ!赤司っちとのダブルチームでも突破される……!しかも、これ見よがしに俺の方にばかりに……ッ!
黒子っちのカバーも
今まで阿含にただ1人だけ優位を取れていた黒子の存在も、『ゾーン』に入り突破された以上は、その強みも今は完全に無い。今はそれぞれの帝光の選手の地力が試されるとき。
だからこそ、黄瀬が狙われ続けた。
もちろん、コピーをするバスケのスタイルのため、当然のように黄瀬のディフェンスは巧い。だが、それを何でもないかのように一瞬で切り返して抜き去る阿含が異常なのだ。
「(死角からのバックチップを狙おうとしても、『ゾーン』の超反応は生半可な動きは察知される!
……いや、それどころか俺をスクリーン代わりに利用されて、俺が赤司っちの足を引っ張る結果になってる……!)」
『神速のインパルス』と『
そのどちらも持たない黄瀬に二人の戦いに交ざれというのが無茶な話なのだが、黄瀬からすれば自分は足手まとい以外の何ものでもない。
そして黄瀬を抜き去りゴール前まで来ると、阿含は紫原とのマッチアップになる。阿含はボールを両手で持ち、先程と同じく再び3Pラインで飛んでシュート体勢となった。
「チィ……!3Pシュートなんてもう打たせてやるかよ……!」
滑らかなドリブルからのシュートで、あの紫原が反応に遅れてしまい点を奪われたのだ。
黒子を攻略してから、今まで全くしてこなかった紫原の意表を突いた3Pシュートを見事に決められ、最悪な形での終わりに帝光の士気は下がる。
これはコーチの真田の判断が間違っていたわけではない。黒子はこの試合で阿含とやりあうための要だ。黒子を対策されれば今の均衡は崩れて一方的な試合進行になる。
それは絶対に防がなければならなかった。
「タイミングが良くなかった……いや、金剛阿含が見抜いた理由を告げなければ、あそこまで雰囲気が落ち込むことはなかった。それも計算してのことだとすれば、実に恐ろしいな……」
それこそ赤司の言葉がなければ、選手も未だに引き摺っていたかもしれない。真田はキャプテンの頼もしさに感謝をする。
だが、今までの対決で一番金剛阿含に対して気が立っているだろう選手が帝光には居る。
阿含の動きの一挙手一投足を見過ごさないかのように、紫原は集中力を高めて完璧にブロックするために跳ぶ。
自分の広範囲ディフェンスを不意打ちとはいえ、見事に潜り抜けられた紫原はプライドが刺激され、苛立ちが最高潮になっていた。
「クククッ、だろうな。テメーならそうすると思ったぜ。カスノッポ」
「何……ッ───クソが!」
すると、シュート体勢からノールックパスで荻原に渡す。いつものパターンだと察して紫原がブロックに再び飛ぶ。
「この程度で出し抜けるとか思ってんじゃねえよ!!」
「うおっ……!スゲーな……あそこから間に合うのかよ。それじゃあ……これならどうだッ!」
「…………はあッ!?」
紫原の驚愕も無理はない。
雑魚だと思っていた萩原がボールを右手に持ちかえて、ゴールに向かって思い切りぶん投げたのだ。
「まさか、青峰君の『
桃井が眼を見開いて驚愕する。そこまでの能力はないと分析していたのに、ここにきての予想外の行動。紫原もその打ち出されるボールの速さと予想外の動きに思考が停止した。
───それこそが、
「バーカ。あの曲芸シュートをそいつができるわけねえだろ」
そう言いながら、その豪速球をゴールの下へ回り込んだ阿含が、『神速のインパルス』で反応し綺麗に空中でキャッチすると、そのままゴールに叩き込んだ。
101対105→103対105
「──クソッ!」
紫原が嵌められたのだと理解して床に足を打ち付ける。
「クククッ、俺に真似されたことで他にもできるヤツがいてもおかしくねえとでも考えたか?あの曲芸野郎がテメーらのチームに居たことで、簡単に引っ掛かってくれて楽なもんだぜ。ハッハッハッハ!」
「こいつぅ……ッ!」
あの紫原が試合中に相手選手に向かって凄んだ顔を見せている。そこにいつもの冷めた表情でプレーをする紫原はいなかった。それを横目で見ながらもそそくさと移動する荻原。
「……まあ、今のは完全に俺が適当にぶん投げたボールへ反応した阿含がスゲーんだけどさ……お前はいちいち俺を下げないと点を取れないのか?」
「ハッ、ならあの曲芸シュートでも身に付けるんだな」
「いやいや、できるわけがないだろあんなの。俺がやったらふざけてるんじゃねえって、監督やみんなに言われるのがオチだっての」
話しながら守備に付く二人。阿含のほぼワンマンチームの中で、唯一シュートを打っている荻原と阿含には、ハイタッチをするような仲ではないがそこには確かな連帯感があった。
明確な実力差がありながらも、あの高慢な阿含から一定の信頼を寄せられているなど、どんなことをすればそんな風な関係性になれるのか、黒子にはサッパリ分からない。
自分の技術を完封されてピンチであるにも拘わらず、黒子は思わず笑顔を浮かべてしまう。
「荻原君。君は本当にすごい選手です」
◇◇◇◇◇
それから帝光ボールになるも動きが鈍い。緑間の徹底マークにより3Pシュートを狙うのも楽ではない上に、そちらにばかり集中していると今度は阿含に間合いに入られる。
帝光は攻めあぐねていた。
「クソッ!俺が足を引っ張っちまってる……!」
黄瀬は第3Qまで、青峰と阿含とのマッチアップのヘルプとして参戦するだけだったのが、その青峰が下がったことで今は黄瀬が阿含の運動量に着いていく役目をしていた。
──だからこそ、黄瀬は自分と二人の間にある明確な差に苦悩をしていた。
「……単純なスピードじゃあ追い付けない!赤司っちとのコンビでなんとかやれてるけど、PGの赤司っちはマンマークはできないから俺がやるしかないのに……!簡単に剥がされてフリーにされる!」
全力でも追い付けない。さらには、このままいけばすぐにガス欠だ。攻め方を変えなければならない。
「中学で禁止されているゾーンディフェンスさえできれば話は変わってくるのに……!赤司っちも黒子っちもヘルプでしか駆け付けられない……!」
中学はマンツーマンディフェンスが強く推奨されており、ゾーンディフェンスは禁止されている。この制約さえなければまだ方法があるが、金剛阿含という怪物を止めるには黄瀬だけではどうしようもない。
「
身体能力で劣り、『ゾーン』という常人では影さえも踏めぬ領域に辿り着いた天才が相手ならば、今までの不可能を可能にしなければならない。
身体能力の性能で劣っているのなら、別の突破口を生み出すしかない──ッ!
「なっ……涼太!?」
黄瀬にパスを出した赤司が驚愕の声を出す。それは阿含の間合いの外で行うパスワークではない。黄瀬はガッチリとボールを掴み取り阿含の間合いに自ら入り込む。
「ハッ!今さらこの俺とやるつもりか?黄瀬クンよぉ。クククッ、才能の違いってヤツを教えてやる」
つまり、ボールを掴んでのゴール前で阿含との1on1。黄瀬はここで阿含に勝負を挑んだ。
「お、おいおいっ!あの阿含相手に今さら1on1とか正気か!?」
「なあ、ここって勝負に出る場面じゃなくないか……?」
観客席から戸惑いと驚愕の声が飛ぶ。この大事な場面で黄瀬の暴走。帝光ベンチも血の気を引く。
「(まさか、負け続けたことできーちゃんの我慢の限界に……!?)」
桃井も予想だにしない展開に目を白黒させながら、最悪のパターンを計算する。今の状況で冷静さを失えば待っているのは敗北だ。
「フゥー…………──フッ!」
フロントチェンジにレッグスルー、ビハインド・ザ・バックと、次々に細かくドリブルを繰り返す。
「テメーのお遊びに付き合ってやる義理はねえんだがなァ?おいおい、───もう取っちまうぞ?」
「涼太ッ!」
阿含は決して黄瀬を舐めていたわけではない。もちろん、黄瀬の実力では
つまり、これは黄瀬の心を完全にへし折り無力化するための一手だった。青峰は身体的な理由で脱落させて、黄瀬は精神的な理由で脱落させる。
それができてようやく一安心といったところだった。勝つまで油断も慢心もしない。99%勝てても1%で負けるのだから油断などできるわけがない。
赤司の焦った声が響く中で、阿含の左手がボールに伸ばされる────が、その目測が大きく外れた。
「あ゛……?」
「───金剛っちが考えている通り、俺は『キセキの世代』の中で一番弱いっす……まあ、黒子っちっていう例外が居るんですけど」
黄瀬はそんな風に笑いながら
「でも、それも今日で返上させて貰う……!」
体勢が崩れた阿含の上からシュートを放ちネットを揺らした。
103対105→103対107
そのありえない光景に阿含は石のように固まる。この試合でおそらく初めて阿含の目が驚愕で見開かれた。今までしていた計算から明確に大きく外れたような、そんな顔だ。
「(ありえねえ……どうして中学の今で完成しやがるッ!?)」
体勢を崩した阿含を見下ろしながら、黄瀬は得意気に笑う。
「金剛っちでも、今の俺なら少しは焦るんじゃないっスか?」
黄瀬から感じる圧力が明確に上がる。その理由は何故かなど問い
『キセキの世代』の誰が最強なのかの論争で、そこに黄瀬の名前が必ず上がる最大の理由。
────『
黄瀬涼太の才能が開花した。