──魔神。
人間の感情を蓄積した物体が意思と魔力を宿した状態。つまりは付喪神のような存在である。
しかし、たとえ魔神として覚醒したとしても、それによって獲得した意思と魔力を維持するためには、継続的に人間の感情を摂取しなければならない。
そのために魔神が取る手段こそ、『人間との契約』である。契約を結ぶことによって、魔神側は契約者の感情を餌とし、契約者側は魔神が感情を変換して生み出す『魔力』を扱えるようになる。
──────────────────
「──つまりナギサちゃんは今、魔神と契約してる状態ってことだね!」
「はぇ〜⋯⋯」
「魔神⋯⋯」
「⋯⋯」
橘さんの合格が確定した後、俺達三人は揃って鵺の説明を聞いていた。伊達メガネを身につけ、得意げに説明をする彼女は終始楽しそうである。
「⋯⋯」
ちらりと隣を窺う限り、先程俺を部屋の隅に避難させてくれた金髪少女も、魔神という存在については知らない様子だった。というか、流れで俺も彼女も合格してるんだよな。なんかいまいち実感が⋯⋯先輩にも会えてないし。
「にしても、ナギサちゃんの契約してる魔神、めっちゃ強そうだったね!魔力量もすごそう!ねぇねぇ、どこであんなの捕まえたの!?」
「っ⋯⋯え、えっと⋯⋯っ」
「あァやばいナギサちゃんが死にそう!?!?」
お前らが殺そうとしたんだろ。
⋯⋯正確には殺そうとしたのは神威とやらなのだが、当の本人はつまらなそうに⋯⋯いや、殺意を纏った瞳でずっとこちらを睨みつけている。怖い。
「どっ、どどどどどうしよう!?!?このままじゃナギサちゃんが死んじゃう!?」
「そいつが死んだら野良になった魔神が出てくるな。契約者を失った魔神は無力に等しい。さっきよりも楽に殺せる」
「え待って?その子ってもうウチに加入してるんだよね?このまま死んだらウチの信用が落ちるんじゃない?」
「それは問題ない。まだ正式な書類を交わしていないしな。こちらに責任を問うのは無理筋だろう」
──くっそこいつらマジで橘さんを気にもせず好き勝手言いやがってぇ〜⋯⋯ッ
この場にまともな人間が俺と橘さん以外にいないことにようやく気がついた俺は、隣の橘さんを気遣うように小声で話しかける。
「あの、橘さん。本当に大丈夫ですか?もしかして、さっきの戦闘で怪我とか⋯⋯」
「い、いえ。そういうわけではないんです⋯⋯ただ、さっきから少し体調が悪くて⋯⋯」
声は掠れ、顔色も悪い。心配するなというのは無理な話だった。いったい、彼女はどうして──
「──『魔力酔い』だ」
俺の思考を引き裂くように言い放ったのは、スーツ姿の男性、クロックだった。
「魔神と契約したての人間にはよくある事だ。身体が魔力になれておらず、拒否反応として体調不良を引き起こしているのさ⋯⋯橘さん、魔神と契約したのはいつ頃かな?」
「えっ、と⋯⋯一週間くらい前、です⋯⋯」
「⋯⋯才能、か」
橘さんの言葉を聞いて、クロック以外の人達も多少驚いたような反応を見せる。恐らく、今の橘さんは契約一週間にしては安定している方なのだろう。
⋯⋯まぁ、俺としては特に驚きはない。何せあの橘ナギサなのだ。
「えっと、ナギサちゃん⋯⋯?一応雫の許可は取れたんだけど、改めて魔神と話したくて⋯⋯あっ!もちろん日を改めてね!?」
おずおずと言った様子で話を切り出す鵺。最初『改めて』とか言い出した時には正気を疑ったが、一応彼女も橘さんを心配してはいるらしい⋯⋯まぁ実際部屋もぐちゃぐちゃだし、そういう意味でも今から改めてというのはやはり現実的ではないだろう。
「ナギサちゃんも今日はもう限界だと思うし、詳しい話はまた後日──」
「い、いえ⋯⋯っ!私は大丈夫です!」
「⋯⋯⋯⋯え?」
しかし予想に反して、待ったをかけたのは満身創痍の橘さんだった。彼女はふらつきながらも立ち上がり、緊張を滲ませた様子で半歩下がると、片手を胸の前でぎゅっと握る。
「──っ」
──瞬間、空気が揺らぐ。
「──ッ!?離れろ鵺ッ!!」
信じられない反応速度で、神威が鵺を庇うように前に出る。
「大丈夫です⋯⋯!今度はちゃんと、私が制御しますから⋯⋯っ」
橘さんは両目を閉じて集中しているが、先程と違い苦しげな様子は無い。彼女のそばで、先程も見た鮮烈なデザインが徐々に形を成していく。それはまるで、キラキラと輝く煙が集まっていくよう。
数秒経ったそこには、抜群の存在感を放つ金甲冑がはっきりと視認できるようになっていた。
「⋯⋯嬢ちゃん、ホント勇気あるよなぁ」
「⋯⋯ヴィクトリア、さっきはごめんなさい」
「謝る事じゃないだろ、嬢ちゃんは契約者なんだぜ?もっと威張り散らしてもいいんだ、そうだろ?」
⋯⋯この場にいる人間は、恐らくその誰もが息苦しさを感じていたが、二人の間には少し気まずい空気が漂っているようだった。
「⋯⋯うん。じゃあ、一つだけ」
「お?やっぱこいつら皆殺しに──」
「──とりあえず、一緒に謝ってくれる?」
「⋯⋯は?」
橘さんの言葉に、ヴィクトリアが心底理解できないという表情を浮かべる。
「⋯⋯嬢ちゃん、勘弁してくれ」
「大丈夫、私も一緒だよ」
「いやいやッ!よく考えてくれよ嬢ちゃん!!記念すべき第一回目の命令が、本当にそんなんでいいのか!?」
「私は契約者なんでしょ?お願いヴィクトリア」
「⋯⋯⋯⋯」
──謝罪。
それが、橘さんが体調不良を押してまで魔神を呼び出した理由なのだろうか。彼女が律儀な人間であるというのは俺も元々知っていたつもりだが⋯⋯
「⋯⋯」
──今自分達が置かれているような非日常ですらいつもと寸分変わらぬ律儀さを発揮する彼女は、どこか歪にも思えた。
「⋯⋯はぁ、分かったよ。そんな目で見ないでくれ」
「ヴィクトリア⋯⋯!」
橘さんの言葉にずっと渋い顔をしていた魔神だったが、しかし橘さんが根気よく続けた説得が功を奏してか、最終的にはため息とともに彼女の言葉を受け入れた様子だった。
不貞腐れたような魔神と、彼の言葉に目を輝かせる橘さん⋯⋯なんか、不良に手を焼く母親みたいだな。
何はともあれ、改心したらしい魔神は鵺達の方に向き直ると、なんか微妙な角度で甲冑の頭を下げ──
「──雑魚共相手にムキになって、どーもすんませんした」
⋯⋯そう、言い放った。
「な、ちょっ⋯⋯ヴィクトリア!?」
律儀に一緒に頭を下げていた橘さんが驚愕したようにヴィクトリアを見やる。かわいそう。
⋯⋯彼女の表情には多少の怒りも含まれていたが、やはりそこには悲しみの方が見て取れた。
「⋯⋯仕方ないだろ嬢ちゃん、オレサマは何も後悔してないんだ。反省の言葉も出てこねぇよ」
「ヴィクトリア⋯⋯」
気落ちした様子の契約者に対して、魔神はバツが悪そうに零す。
「⋯⋯ヴィクトリア。私、合格したよ」
橘さんはそれでも、顔を上げ魔神に状況を説明した。
「⋯⋯ああ、見てたさ」
魔神は怪訝そうにしながらも、特に驚いたりはしていない。口振りからして、姿が消えている状態でも周囲の状況を感知できるのかもしれない。
「えっと⋯⋯これからよろしくね、ヴィクトリア⋯⋯?」
「⋯⋯フン」
鵺がにこやかに話しかけるも、魔神は改めて敵意と警戒を滲ませるだけだった。
「えーっと⋯⋯ヴィクトリア、聞きたいことが、あるんだけど⋯⋯」
「⋯⋯」
「ヴィクトリア、答えてあげて。これはきっと、私がこの組織に加入するためにも必要なことだよ」
「⋯⋯チッ」
橘さんの粘り強い説得の結果、舌打ちとともにようやく魔神の了承が取れたらしい。彼の視線が鵺を捉える。魔神は宙に浮いているのに加え、その体長は優に二メートルを超えている。そんな金甲冑が、小学生にすら見える背丈の鵺を見下ろすというのは、中々に中々な絵面だった⋯⋯
「質問をドーゾ」
態度わるっ⋯⋯
「⋯⋯私達が聞きたいのは、ヴィクトリアの元々の姿⋯⋯そして持ち主がキミに注いだ感情についてだよ」
「⋯⋯」
「『どんな物に、どんな感情が蓄積して生まれたか』⋯⋯魔神においてこれはすごく重要なことなんだ。特に蓄積した感情は、内面の構成要素そのもの⋯⋯精神を形作っているパーツなんだよ」
「⋯⋯⋯⋯」
「今のヴィクトリアは金甲冑の姿をしているけど、たぶん元の物体が甲冑なわけじゃないよね?キミの魔力量は正直規格外だし、魔力を用いた変化で人型を維持することだってできるはず⋯⋯そうでしょ?」
すらすらと言葉を続ける鵺に対して、しかし魔神は沈黙を貫いていた。しかし、その姿は先程までの不貞腐れた様子ではなく、自らの情報をどこまで開示すべきか考えているような、どこか真剣な表情に見える(表情と言っても甲冑姿だが)。
「⋯⋯あの、ヴィクトリア?」
「⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯えっと、答えてくれないとリーダー権限で不合格にしちゃうぞ〜⋯⋯なんちゃって⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯うぅ、しずく〜⋯⋯っ!」
⋯⋯なんだこの空気。
「──橘さん」
無視されまくって半泣きになっていた鵺に助け舟を出したのは、スーツ姿の男性⋯⋯クロックだった。彼は魔神ではなく、その隣の橘さんへと冷たい視線を向ける。
「は、はい⋯⋯!えっと、出会った時ヴィクトリアは⋯⋯ランプの姿を、してました」
「⋯⋯」
「⋯⋯ランプ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「はい、煌びやかで派手なランプ⋯⋯これだと、ヴィクトリアは『ランプの魔神』ってことに──」
「──待て待て嬢ちゃん!あれは擬態してただけって説明しただろ?ド派手なランプには、誰しも興味を示すもんなんだよ!生前読んだ本に書いてあったんだ!!」
好き勝手考察されるのに堪えきれなくなったのか、ヴィクトリアが大声を上げて反論する⋯⋯ん?生前⋯⋯?
「は?お前、今なんて言った⋯⋯?」
「あっ、やべっ⋯⋯まあいいか、こんくらい⋯⋯」
部屋に広がる動揺で自らの失言を悟ったらしいヴィクトリアは慌てて口を抑えたが、しかし直ぐに面倒くさくなったのか、勢いよく立ち上がった。
「──いいかッ!?よく聞けお前ら!随分好き勝手言ってくれてたが、オレサマは道具なんかじゃないんだよッ!!」
勢いのままにヴィクトリアは手を大きく広げ、酷く感情的に告げた。
「──オレサマは、元人間なんだ」
「⋯⋯は?」
──魔神というのは、感情が蓄積し意思を獲得した『物』である。
だとするならば、『元人間の魔神』なんて存在は、果たして存在し得るのだろうか?
「──ありえない」
魔神の宣言に最も早く反応したのは、やはりというかなんというか神威だった。彼は射殺さんばかりに鋭い瞳で魔神を睨みつける。
「下手な嘘をつくな、魔神」
「嘘じゃねぇよ。オレサマはたしかに元人間だ。記憶もちゃんとある」
「⋯⋯持ち主の感情と記憶が混じっているだけじゃないのか?」
「いや、確実にこれはオレサマの記憶だ。間違いない」
確信を持った様子の魔神に対して、再度室内が沈黙で包まれる⋯⋯正直、俺は未だに魔神とやらに対する理解が足りていないため困惑するばかりだが、鵺達も微妙な表情をしていることからヴィクトリアは魔神の中でも例外なのだろうか。
「うーん。人間が魔神になるなんて、前例はないけどなぁ⋯⋯」
困った様子の鵺が首を傾げる。
「⋯⋯オレサマは生前から、魔力と密接な人生を送っていた。その影響かもな」
疑われ続ける状況が気に食わなかったのか、魔神が新たに情報を開示する。
「え?生前から魔力を⋯⋯?」
「これ以上は言わない」
しかし、掘り下げようとした鵺の言葉はあえなく一刀両断されてしまった。
「ふーん⋯⋯?」
再度黙り込んでしまった魔神を観察しながら、数秒顎に手を当て考え込んでいた鵺は⋯⋯
「まぁいいか。おっけー!」
急に可愛らしい笑顔でサムズアップを決めてきた。
「おい鵺ッ!」
「私達は別に魔神の専門家じゃないし、いちばん詳しい雫は今いないし、これ以上考えても仕方ないでしょ?一旦次に進もうよ」
案の定噛み付く神威に対しても、鵺は飄々とした様子で受け流す。
「⋯⋯」
⋯⋯あくまで直感的な想像でしかないのだが、この魔神が『例外』だと確定した瞬間、鵺の好奇心が抑えきれなくなってしまったのではないだろうか⋯⋯?
今の鵺は瞳を輝かせ、言ってしまえばものすごく楽しそうだった。
「とりあえず合格っことで!ナギサちゃんだけじゃなくて、アカネくんと
「あっ、はい⋯⋯」
鵺は興奮した様子のままこちらを振り向く⋯⋯喜ぶべき場面なのだろうが、あまりに非日常なことが起こりすぎて、つい生返事を返してしまった。
「アカネ君は雫の推薦⋯⋯というかもうあの子が勝手に採用してるし、ヒビキちゃんには前からスカウトのお誘いをしてたから〜⋯⋯」
「⋯⋯スカウト?」
鵺が書類を確認しながら零した予想外の言葉に、思わず疑問が口に出てしまう。
「そう!実は、ヒビキちゃんには今までも何回か仕事をお願いしてたんだ。彼女、フリーの傭兵だから」
「傭兵⋯⋯!?」
マジかよ。俺と同い年くらいなのに⋯⋯
先程の戦闘中落ち着いていたのも、彼女にとっては慣れた環境だったから、なのだろうか⋯⋯
ちらりと横目に窺うも、ヒビキという名前らしいパンクロック少女は無表情のまま、この短時間だけで数多く起きた非日常にも特に心動かされていない様子だった。その手元には、やはり歪な武器が握られている。
「ところで、なんでヴィクトリアはうちに来たの?見た感じ、アルバイトに応募したのはナギサちゃんじゃなくてヴィクトリアの考えだよね?」
「え、えっと⋯⋯」
「⋯⋯まあな」
橘さんは気まずそうに言い淀むが、魔神の方は少し考え、それからはっきりと答えた。
「探してるヤツがいるんだ。ここならその情報が得られるかもと、そう思った」
「あぁ、探偵事務所を名乗ってるからってこと?それならお役に立てちゃうかもな。でも、それってヴィクトリアが生きてた時代の人を──」
「──ソイツは人間じゃなかった。そして、オレサマの家族を殺した」
「⋯⋯」
鵺の疑問を引き裂くように告げられたヴィクトリアの言葉は、重い沈黙をその場に落とした。
「──必ず見つけ出す⋯⋯どんな手を使ってでもな」
その言葉は、やはり酷く人間的なものに聞こえるのだった。