賢者の石と黒髪の騎士   作:krn

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第三章:グリフィンドール塔へ

 

ダンブルドア先生の歓迎のスピーチが終わり、大広間は美味しそうな匂いに包まれた。

 

目の前には山盛りのローストビーフや香ばしいポテト、色とりどりのパイが並び、新入生たちの瞳はキラキラと輝いている。

 

「すごいわ、カリン。こんなにたくさんの料理、初めて見るかも!」

 

すぐ横から落ちてきた声に、わずかに肩が引き寄せられる。

 

顔を向ければ、彼女の瞳が料理よりも輝いていた。

頬をほんのり赤くして、まっすぐこちらを見ている。

 

「……子どもみたい」

 

呆れたように言ったつもりだったが、少しだけ口元が緩んだ。

 

ふと気配を感じて顔を上げると、向かいの上級生たちと目が合う。

赤毛の双子が何かを囁き合い、こちらを見てにやりと笑った。

 

――まるで、何か面白いものでも見つけたみたいに。

 

(……なんなの、いったい)

 

わずかに眉を寄せて視線を外す。

 

食事の間中、ハーマイオニーは楽しそうにホグワーツの授業や寮のことを語っていた。知っていることを、思いつくまま並べていくように。

 

カリンはそれを、ただ聞いている。

 

ときどき相槌を打ち、短く返すだけ。

それでも彼女の話が途切れることはなかった。

 

ふと、ハーマイオニーがカリンの皿を覗き込む。

 

「カリン、このパイも食べてみて。すごく美味しいの」

 

言うが早いか、自分の皿から一切れ取り分けて、カリンの皿にのせる。

 

「……はいはい」

 

断る理由もないので、そのまま口に運ぶ。

 

「おいおい、もう一学期分は仲良くなってないか、お前ら」

 

それを見ていたフレッドが、ロースト・チキンの骨を指揮棒のように振りながら言う。

 

「同じ寮なんだから当然でしょう」

 

ハーマイオニーが即答する。

 

「今日が初日だぞ」とジョージが笑い、隣のリー・ジョーダンが吹き出した。

 

カリンは何のことか分からず、黙ってパイを噛んだ。

 

やがて食事が終わり、大広間に温かなざわめきが満ちる中、パーシー・ウィーズリーが立ち上がって声を上げた。

 

「新入生の諸君、こちらへ!」

 

グリフィンドールの新入生たちが立ち上がる。

カリンもそれに倣って腰を上げようとした、そのとき。

 

「カリン、一緒に行きましょう!」

 

声と同時に、袖口がそっと引かれた。

 

視線が、自然とそこに落ちる。

 

掴まれている袖。

その先にある、小さな指。

 

――少しだけ、力がこもっている。

 

顔を上げると、ハーマイオニーがこちらを見ていた。

ほんのわずかに、不安そうな目。

 

一瞬だけ、動きが止まる。

 

「……ん、行こっか」

 

少しだけ遅れて、返事が出た。

立ち上がると、自然と距離が近くなる。

 

袖を引かれたまま、一歩。

そのまま、並んで歩き出す。

 

***

 

動く肖像画、勝手に方向を変える階段、話しかけてくる壁の絵画たち。

異国の魔法の世界は、目に映るものすべてが新鮮で、時に混乱すら誘うものだった。

 

だが、その中で——

 

カリンの意識は、どうしても隣に引き寄せられていた。

 

ハーマイオニーは何かを見つけてはカリンに語りかけ、階段が動くたびに小さく体を寄せる。

 

驚いた拍子に、肩が触れる。

ほんの一瞬、手の甲がかすめる。

 

すぐに離れる距離。

 

その距離感は珍しく、日本ではあまりなかった。

けれど、避けるほどでもない。そのまま並んで歩く。

 

「……ほんとに、迷子になりそう」

 

階段の天辺で、ハーマイオニーが苦笑する。

 

カリンは一瞬だけ周囲を見回し、

 

「……まあ、迷うかもね」

 

と、短く返した。

 

「ええっ、やっぱり?」

 

「さあ。ついていけば、そのうち着くでしょ」

 

軽く肩をすくめる。

 

それだけのやり取りなのに、隣から小さく笑う気配が落ちてきた。

 

「ありがとう、カリン」

 

「何が」

 

「分からないけど、なんとなく」

 

意味の分からない礼だった。

カリンは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。

 

やがて、一行は大きな肖像画の前で立ち止まった。

絹のようなピンクのドレスをまとった太ったレディが描かれている。

 

「さあ、ついたぞ。ここがグリフィンドール塔の入り口だ」

 

パーシーの声に、太ったレディが「合言葉は?」と尋ねる。

 

「カプート・ドラコニス」

 

そう唱えた瞬間、肖像画が軋んで開き、丸い通路が現れた。

 

その先にあったのは、深紅と金色で彩られた、まるで物語の中のような空間だった。

 

暖炉がパチパチと火を灯し、大きなソファが居心地よさげに並んでいる。

 

「ここが……談話室……?」

 

ハーマイオニーの声が小さく震える。

 

「ねぇ、私たち、ここで毎日過ごすのね!」

 

そう言って、彼女がカリンの腕を掴んだ。

 

ふわり、と熱が伝わる。

 

反射的に視線が落ちる。

 

触れている場所。指の形。わずかな圧。

 

一瞬だけ、意識がそこに留まる。

 

「……みたいだね」

 

短く返す。

 

それ以上は言えなかった。

触れている感覚が、思ったより離れなかったからだ。

 

***

 

女子寮の階段を上がり、部屋の扉を開ける。

 

五つ並ぶベッド。

そのうちの二つに、それぞれのトランクが置かれていた。

 

「カリン、見て! 私たち、隣同士よ!」

 

弾む声。

 

「……ほんとだ」

 

カリンは一拍遅れて視線を向ける。

 

ハーマイオニーはそのまま、嬉しそうに笑った。

 

「嬉しいわ、カリンと同じ部屋で」

 

まっすぐな瞳。カリンはふい、と顔を逸らす。

 

「……だね」

 

短くそれだけを言い、隣のベッドを見る。

 

距離は、ほんの数歩。

手を伸ばせば届く程度。

 

「……近いね」

 

無意識に、そんな言葉が零れた。

 

「そうね」

 

ハーマイオニーは気にした様子もなく頷き、そのまま荷物を整理し始める。

 

カリンもトランクへ手を伸ばし、黙って荷解きを始めた。

 

けれど、手元だけが妙に落ち着かない。

 

胸の奥で、小さく息を吐いた。

 


 

 

幕間:グリフィンドール塔の夜(ハーマイオニー・サイド)

 

女子寮の部屋は、石造りの壁に囲まれ、ランプのオレンジ色の灯りが静かに揺れていた。

ベッドには深紅の天蓋がふわりと垂れている。

 

同室の子たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で、パジャマのまま跳ねたり、おしゃべりに花を咲かせたりしている。

 

誰かが笑えば、別の誰かもつられて笑い声を上げ、部屋全体が温かい音に包まれていた。

 

そんな中、ハーマイオニー・グレンジャーは、ひとり違う波の中にいた。表面上は笑っていても、ふと視線を逸らすたび、目が吸い寄せられるように向かう先があった。

 

──あの子。

 

鏡の前で、寝間着の襟をそっと整える後ろ姿。

短く切りそろえられた黒髪が首筋に沿って滑り、ランプの灯りに鈍く光を返す。

 

ツキヨミ・カリン。

 

「寝ちゃうの? カリン」

 

自然に声が出た。

会話というより、何かを引き止めるような響きで。

 

カリンは、眠たげな顔で振り返る。

 

「うん。明日、また慌ただしくなりそうだし、先に横になるね」

 

穏やかな声。

 

「……じゃあ、おやすみなさい」

 

「うん。おやすみ、ハーマイオニー」

 

そのままベッドに潜り込む背中を、目で追う。

 

視線だけが、なかなか外れなかった。

 

***

 

天蓋の向こうで、赤い布がゆっくり揺れている。

部屋の灯りがひとつ、またひとつと落ちていく。

 

ベッドに入ったものの、すぐには眠れなかった。

 

今日の出来事が、次から次へと頭の中を駆けていく。

 

組み分け帽子の声。グリフィンドールの歓声。初めて見た談話室の暖炉。

 

——そして、隣にいた黒髪の横顔。

 

ふと、隣に耳を傾ける。

規則正しい寝息が聞こえた。

 

もう眠っている。

 

(……早いわね)

 

小さく苦笑して、天蓋を見上げる。

 

明日から授業が始まる。

覚えなければならないことが山ほどある。

教科書はもう三回読んだけれど、実技は別だ。

 

それに——

 

あの子の使う「氣」のことも、もっと聞きたい。

 

同じ寮で、同じ部屋で、隣のベッド。

聞く機会はいくらでもある。

 

そう思ったら、少しだけ安心した。

 

目を閉じる。

 

今度は、眠れそうだった。

 

***

 

朝の光が石造りの窓から差し込み、赤い天蓋のカーテンをやわらかく染めていた。

 

ハーマイオニーは、ゆっくりと目を覚ます。

まだぼんやりとした意識のまま、視線が隣へ流れる。

 

閉じられた瞳。

すうすうと穏やかな寝息。

少しだけ力の抜けた口元。

 

気づけば、しばらくそのまま見ていた。

 

――長くなりすぎたことに、あとから気づく。

 

はっとして視線を逸らし、ベッドから起き上がる。

 

気を取り直して身支度をすまし談話室に降りると、

朝の淡い光の中、カリンがソファにもたれて欠伸をしていた。

 

「……おはよう、カリン」

 

「あー……おはよ、ハーマイオニー。よく眠れた?」

 

「ええ。たぶん……」

 

それだけの会話。

けれど、その短い言葉のやり取りだけで、どこか空気が和らいだ。

 

***

 

階段を下って大広間へ向かう途中、事件は起きた。

 

前を歩く上級生たちがふざけ合って押し合い、その拍子にひとりがバランスを崩してこちらへ――

 

声が出るより先に、肩を引かれていた。

 

身体が傾く前に、引き寄せられる。

 

一拍。

 

「ごめん!」

 

ぶつかりかけた生徒が慌てて去っていく。

 

「……だいじょうぶ?」

 

すぐ近くで、低く落ちる声。

 

視線を上げる。

近すぎる距離で、目が合う。

 

なぜか逸らせず、言葉もでない。

 

「あ……うん。ありがとう」

 

「ん」

 

それだけ返して、カリンはもう前を向いている。

 

さっきと同じ歩幅。同じ距離。

まるで何も起きなかったかのように。

 

——なのに。

 

肩を引かれた感触だけが、しばらく残っていた。

 

(……反射神経がいいのね)

 

そう結論づけて、隣に並び直す。

 

それ以上は考えなかった。

考える理由も、なかったから。

 

それでも、隣にいることが、なぜか少し落ち着かなかった。

 

 

 

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