賢者の石と黒髪の騎士   作:krn

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第五章:魔法薬学授業

 

秋が深まるにつれて、ホグワーツの石造りの校舎はいっそう冷たさを増していった。

 

なかでも地下の教室は別格だった。

 

分厚い石壁には朝から湿り気を帯びた冷気がまとわりつき、壁際の棚に並んだ無数の薬瓶や乾燥薬草が、ランプの火に照らされて鈍く光っている。

 

煮詰めた薬草の匂いと鉱石の粉の匂いが混ざり合った空気は、ひやりとしているのに妙に重かった。

 

そんな教室での魔法薬学の授業は、カリンにとって少しだけ特別だった。

 

スネイプの声は冷たく、視線は刃物のようで、教室に立つだけで生徒たちを縮こまらせる。けれど、その教えの芯はぶれない。

 

薬草の組み合わせ、鉱石の精製手順、月の満ち欠けに合わせた調合の時期――そうした細かな規則が絡み合って、一つの魔法薬が形になる。

 

その繊細な“型”は、どこか陰陽道の作法にも似ていた。

 

式を組み、流れを整え、力を定める。

扱うものが違うだけで、根の部分ではそう遠くない気がする。

 

だから嫌いではなかった。

 

「今日の課題は眠り薬だ」

 

スネイプの低い声が、教室の空気を静かに切った。

 

「基礎となるレシピは配布してある通り。だが、手順と分量を誤れば効果は変質する。二人一組で調合に取りかかれ。――組む相手は、各自で決めろ」

 

その言葉を皮切りに、教室がそわそわと動き出す。

 

カリンが顔を上げるより先に、隣から声がした。

 

「……一緒にやりましょう、カリン」

 

振り向けば、ハーマイオニーがすでにこちらを見ていた。

まっすぐな瞳はいつも通り意志が強い。

 

けれど今日は、その奥にほんの少しだけ、やわらかな色が混じっている気がした。

 

「うん。そうしよっか」

 

そう返すと、ハーマイオニーは小さく息をついて、わずかに口元を緩めた。

 

***

 

「……始め」

 

スネイプの号令と同時に、教室中で一斉に手が動いた。

 

まな板の上で薬草が刻まれ、金属器具がかすかな音を立てる。

鍋の底を火が舐め、淡い湯気が立ちのぼった。

 

その隣で、ハーマイオニーは早速、教科書通りに手順をなぞっていた。量りを正確に使い、寸分の迷いもなく薬草を刻んでいくその姿は、魔法使いというよりも職人のようだった。

 

(相変わらず、几帳面すぎ)

 

カリンはちらりと横目で彼女を見た。

ハーマイオニーの柔らかな癖毛が、ふとした拍子に頬へとかかる。

 

真剣な表情。軽く噛んだ唇。

 

無意識に視線が止まっていたことに気づき、すぐに自分の手元へ戻す。

 

さて、とカリンは指先で乾燥した根をつまむ。

 

このレシピ——正直、効能が薄い気がする。

〈眠り薬〉という触れ込みだが、材料の組み合わせがどうにも淡泊だ。

 

陰陽道では、薬草や鉱物の“気”の流れを重んじる。

何をどう混ぜるかだけではなく、どこで力を交わらせ、どこで鎮めるか。そのほうが、薬の性質は素直にまとまる。

 

(……少しだけ、変えてみるか)

 

鍋の上でわずかに材料の順番を組み替えた。

火加減もほんの少し落とす。材料同士の気配がぶつからないように、静かに馴染ませていく。

 

右手に持った杖を鍋へ向け、式を書くようにごく小さく魔力を流した。

 

淡かった香りが、そこでわずかに深く変わる。

 

「カリン」

 

すぐ横から、はっきりした声が落ちてきた。

 

見ると、ハーマイオニーが目を見開いてこちらを覗き込んでいた。驚きと興味が綺麗に混ざった目だった。

 

「今、レシピと違うことをしたでしょう」

 

「あー……うん。ちょっとだけ」

 

「ちょっとって……順番も火加減も違ったわ。どうして?」

 

身を乗り出すように問われて、カリンは一瞬だけ言葉に詰まる。

 

「西洋の教科書だと、材料の効能と手順を分けて考えることが多いけど、日本だともう少し流れで見るんだよ」

 

「流れ?」

 

「薬草も鉱石も、それぞれ少しずつ気配が違うから。強いもの同士をぶつけると効き目は出るけど、眠り薬なら、自然に沈むように落ちたほうがきれいなんだよね」

 

自分でも驚くくらいスラスラと口が動いた。

たぶん、熱心に聞いてくれるからだ。

 

「……それって、陰陽道の考え方?」

 

目が合った。

 

まっすぐな瞳が、ランプの火を映して小さく揺れている。

カリンはほんの一拍固まり、それから誤魔化すように視線を落とした。

 

「……まあ、そんな感じ」

 

するとハーマイオニーは、すぐに自分の鍋へ目を戻した。

けれどその動きは、さっきまでより少し慎重だった。

 

しばらくして、彼女の手元にわずかな迷いを感じた。

 

視線を落とすと、刻んだ薬草の大きさにばらつきがある。

煮込みの色も、どこか落ち着かない。

 

(あー……これじゃ、効き目が拡がらないな)

 

「その材料、もう少し細かく切ったほうがいいよ。煮え方にムラが出てる」

 

「えっ」

 

「あと、混ぜるのは反時計回りに三回。そっちの方が流れが揃う」

 

ハーマイオニーはすぐに頷き、木べらを持ち直した。

 

「こう?」

 

「うん、そう。もう少しゆっくり」

 

真剣な顔で言われた通りに鍋をかき混ぜるその横顔に、カリンはなぜか視線を外しそびれる。

 

熱心に理解しようとしている顔。

少し寄せられた眉。何かを掴もうとするまっすぐさ。

 

「……ありがとう、カリン」

 

不意に向けられた声に、はっとする。

 

「わかりやすいわ」

 

「そりゃ、どうも」

 

短く返して自分の鍋に向き直る。

 

鍋の中で、泡がひとつ静かに弾けた。

 

***

 

授業の終盤。

スネイプは教室をゆっくりと巡りながら、生徒たちの鍋をひとつひとつ覗き込み、冷酷な声で評価を下していた。

 

「ロングボトム、それは一体何を作っているつもりかね?吐瀉物か?」

「パーキンソン、色が全く違う。教科書をきちんと読んでいるのかね?」

 

冷えた声が教室の空気をいっそう凍らせていく。

生徒たちは息をひそめ、鍋の中身から目を逸らす者すらいた。

 

やがて、黒いローブの裾がカリンたちの机の前で止まった。

 

彼の視線が鍋の中を覗き込むと、その顔がわずかに動いた。

他の生徒の薬が濁り、泡立ち、分離している中で、カリンの鍋の中身は異彩を放っていた。

 

澄んだ琥珀色に光る液体が、とろりと均一に揺れている。

魔法薬とは思えないほどに整ったそれは、静かに光を湛えていた。

 

スネイプは眉をひそめる。

 

「……ツキヨミ。これは?」

 

「指定された『眠り薬』です」

 

カリンは落ち着いた声で答えた。

言葉は丁寧だが、どこか肩の力が抜けた口調。

 

「材料の性質を考慮して、レシピの配合を少し変更し、材料の持つ効果を最大限に引き出すように工夫しました」

 

スネイプは言葉を返さず、鍋の中の薬をじっと見つめた。

 

空気がぴんと張り詰め、教室全体が一瞬、静まり返る。

 

やがて、彼はわずかに口元を吊り上げる。

それは、スネイプという男にしては極めて珍しい表情だった。

 

「……なるほど。手順を無視した点は看過できんが……」

 

低く、よく通る声が教室に響いた。

 

「だが、発想力と結果には目を見張るものがある。今回は……特別に減点はしないでおこう」

 

教室にざわめきが広がった。

 

ロンは口を開けたまま目を丸くし、ハリーが驚いたように眉を上げる。ネビルは肩を落として鍋を見つめたまま、ため息をついていた。

 

カリンは軽く頭を下げ、そのまま片付けに取りかかった。

 

***

 

授業が終わり、生徒たちが地下室の薄暗い通路をぞろぞろと出ていく中、スネイプの声が静かに響いた。

 

「ツキヨミ。少し残れ」

 

カリンの肩がぴくりと揺れる。

 

隣でハーマイオニーが振り返った。

何か言いたげな顔だったが、ここで口を挟める相手ではないと分かっているのか、不安そうな目だけをこちらに向ける。

 

「大丈夫。先行ってて」

 

軽く手を振ると、ハーマイオニーは少しだけ躊躇してから、小さく頷いて教室を出た。

 

(……やっぱり説教かな)

 

気まずさを紛らわすように息をつきながら、カリンは教室の奥へと足を向ける。

 

部屋の片隅、薬棚に囲まれた空間で、スネイプは何かの器具を片付けながら、ふとカリンに目を向けた。

 

「貴様のあの調合方法……どこで学んだ?」

 

カリンは少し考えたあと、素直に答える。

 

「陰陽道です。万物の『気』の流れを読む考え方で、魔法薬も結局は魔力の流れを整えるものですから」

 

その答えに、スネイプの目がわずかに細まった。

 

「……ツキヨミ」

 

低く呟くような声。

ほんの一瞬だけ、何かを思い出すような間があった。

 

「なるほど。それであの調合か」

 

視線が再び鍋へと落ちる。

 

「手順を外してなお成立させるか。理屈が通っている以上、偶然ではないな」

 

カリンは小さく肩をすくめる。

 

「材料の性質をそのまま使っただけです」

 

「“だけ”で済ませるには、出来すぎているがな」

 

スネイプは鼻で短く息を吐いた。

 

「貴様の魔法は、西洋式の枠に収まっていない。……面白い。

……それにしても、スリザリンに入らなかったとはなんとも不可解だ」

 

カリンは少しだけ口元を引き結んだ。

 

「グリフィンドールのほうが、なんとなく居心地がよかったので」

 

スネイプはそれを“皮肉”と取ったのか、鼻で笑った。

 

「貴様の調合は独創的だ。だが単なる思いつきではない。理にかなっている。感覚でやっているのなら、それは“勘”ではなく――魔法構築の才だ」

 

言葉の端に、珍しく評価の色が混じっていた。

 

「放課後、研究室に来い。座学だけでは身につかん技術を教えてやろう。本気で力を求めるなら、だが」

 

その言葉に、思考が一瞬止まる。

 

(……スネイプ先生が、わざわざ?)

 

冷徹で有名な教授からの、まさかの申し出。

魔法の深淵に触れる機会が、こんなにも唐突にやってくるとは思わなかった。

 

けれど、すぐには頷けなかった。

 

頭の隅に、さっきまでの授業の余韻が引っかかった。

隣から向けられた真剣な視線が、なぜか妙に残っている。

 

けれど、それが何なのかは自分でもうまく掴めない。

 

「……ありがとうございます」

 

考えをまとめきれないまま、カリンはそう言った。

 

「少し、考えさせてください」

 

スネイプは意外そうに眉を動かしたが、すぐに鼻を鳴らした。

 

「好きにしろ。だが機会はそう何度も待ってはやらん」

 

「肝に銘じます」

 

「もう行け」

 

***

 

地下教室を出ると、少し離れた通路の先でハーマイオニーが待っていた。

姿を見つけるなり、彼女はほっとしたように小走りで近づいてくる。

 

「カリン、大丈夫だった? 叱られたり……?」

 

「んー、逆。ちょっとだけ褒められた」

 

軽く肩をすくめて答えると、ハーマイオニーは意外そうに目を瞬かせ、それから微笑んだ。

 

「そう……なら、よかったわ」

 

その言葉を聞いて、胸の奥の引っかかりが少しだけほどけた気がした。

 

「……じゃあ、図書館行こうか」

 

「えぇ!」

 

自然と並んで歩き出す。

歩くたびに肩が触れそうで触れない距離。

 

いつもの距離だった。

 

***

 

放課後の図書館は、人気がまばらだ。

重たく閉ざされた魔法書の背表紙が並ぶ棚の間には、静寂だけが満ちていた。

 

(……落ち着くな)

 

この場所は好きだった。

言葉少なに本をめくる音だけが支配する空間。

誰も大きな声を出さず、「静かでいること」が当然とされる、淡い敬意に満ちた雰囲気。

 

冷たい石壁の匂いと、紙とインクの香りが、日本での自分を少しだけ思い出させてくれる気がした。

 

「こっちの机、どうかしら?」

 

ハーマイオニーが、小声で問いかけてくる。

窓辺からは離れているが、落ち着いた隅の席だった。

 

「うん。ちょうどいい」

 

カリンはうなずいて椅子に腰かけた。

隣ではすでに彼女が教科書や羽根ペン、インク壺をきちんと並べている。

 

「まずは呪文学の宿題からね。動詞の活用と呪文の分類、ちゃんと整理しておいたほうがいいわ」

 

「了解」

 

そう返しながらも、視線を横に向ける。

 

集中しているときのハーマイオニーは、少しだけ唇に力が入る。

羽根ペンを持つ指先は細く、でも迷いがない。

ときどき小さく眉を寄せ、納得するとすぐにほどける。

 

しばらく見続けたことに気づいて慌てて視線を落とす。

 

けれど一度意識してしまうと、隣の気配がやけに近く感じられた。

紙とインクの匂いに混じって、どこか清潔な香りがかすかに残る。

 

気をそらすように、自分のノートを取り出す。

黒革の表紙をした、使い込まれた一冊だった。

 

そこには独学で整理した陰陽道の基礎が記されている。

 

式神の召喚構図、符術の展開、魔力の流れの簡略図。

頭の中にあるものを、手で確かめるための記録だ。

 

ぱら、とページをめくった音に、隣の気配が動いた。

 

「それ……この前の変身術のときに言っていたもの?」

 

「うん。ごく基本的なやつだけど」

 

軽く答えながら、彼女にも見えるようにノートを傾ける。

 

「見てもいいの?」

 

ハーマイオニーの瞳が、ぱっと明るくなる。

 

「もちろん。ただ、ちょっとわかりにくいかも」

 

「そんなの、ぜんぜん構わないわ。すごく興味あるもの」

 

そう言うと、彼女はためらいもなく椅子を引き寄せ、ノートを覗き込んだ。

 

一気に距離が縮まり、肩と肩が触れる。

 

(……近い)

 

思わず背筋がわずかに伸びる。

けれどハーマイオニーは、そんなことには気づいていないらしい。

 

「これは……術式の中心に魔力を集めて、外側へ循環させる仕組み?」

 

「そう。こうすると、術の安定性が上がるんだよ。杖の魔法でも似てるところはあると思う」

 

「本当に合理的ね……」

 

ハーマイオニーが真剣な顔でノートに見入っている。

その横顔が視界の端に映るが、カリンは構わず説明を続けた。

 

ふと、棚の影を通りかかったマダム・ピンスが、こちらをちらと見た。

 

何か注意するのかと思ったが、二人の様子をひと目見ただけで、何も言わずに通り過ぎていった。

 

「……ねえ、カリン」

 

「ん?」

 

「こうして一緒に勉強できるの、いいわね」

 

視線を上げると、ハーマイオニーは少しだけ照れたように笑っていた。

 

「わたし、今までこういうふうに何かを見せ合うのって、あんまりなかったの」

 

その声には、わずかな寂しさが混じっていた。

 

胸の奥に、さっきとは違う感覚が残る。

 

「……まあ、ひとりでやるよりは楽かも」

 

ぽつりと出たのは、それだけだった。

もう少し別の言い方があった気もしたが、うまく形にならない。

 

それでもハーマイオニーは、その答えにふわりと目を細めた。

 

「ふふ。それならよかった」

 

その笑い方に、カリンはわずかに視線を逸らす。

落ち着かず、頬のあたりを少しかく。

 

そのとき、図書館の奥で鐘が鳴った。閉館が近いことを告げる音だった。

 

「もうそんな時間。そろそろ行かなきゃ」

 

ハーマイオニーがノートから目を上げる。

 

「そうだね」

 

カリンも席を立ち、並んで図書室を出る。

足音が二人分、石畳に静かに重なった。

 

しばらく無言で歩いていると、不意にハーマイオニーが口を開いた。

 

「ねえ、明日の放課後も……もし時間があったら、一緒に勉強しない?」

 

カリンは一瞬だけ目を瞬く。

けれど次には、もう頷いていた。

 

「……いいよ」

 

それだけ返すと、ハーマイオニーは少しだけ嬉しそうに笑った。

 

誰もいない廊下に、ふたり分の足音だけが響いていた。

 

 

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