「『
「石岡と蓮だ!」
「天才対元天才!」
「どっちが勝つと思う?」
「流石に石岡だろ」
「まぁなぁ……他のやつとは違って実力の方は折り紙つきだし」
「この前もなんかの賞獲ってたろ」
「それに比べて……」
「つっても蓮斜陽の孫だぞ?」
「初速だけじゃん」
「その初速も出せないクリエイターがどんだけいると思ってんだよ」
「お前出した?」
「無理。でも、下手になってく一方のアイツよりは上手いぞ」
「昔の蓮より下手なくせにな」
声が聞こえる。
ただでさえ学園長にちょっかい掛けられている俺という存在は良いゴシップのネタなのだ。
そんな奴がこんな騒ぎを起こせばどうなるのか、そんなの言われずとも知れていた。
「いやー、大人気だね。重。どこ歩いててもキミの話キミの話。どこまでいってもキミの話ばっかりさ」
「……お前、こういうときくらい空気読んで来ないとかできないわけ?」
工事が終わって、使用許可の降りたアトリエに籠り絵を描いていると柊が俺の肩の上から顔を出した。ふわりと花の香りが微かに香る。
「いやさ、ボクはその現場がどういう風に動いたのか知らないけど。一年生の間でも話題沸騰だぜ?」
「……そっちにまで話いってんのか」
そりゃそうだろうけど。なんて思いながらキャンバスに色を重ねる。テーマは『風化』。物が壊れていく諸行無常感を色を塗り重ねることで表すことができないかと考えた末の作品だ。この手の「破滅」をテーマにした作品は数多く存在していて、練習に事欠かない。
「で、その『
「…………」
俺は口を噤む。そう簡単に勝てたら苦労しない。
「あれ?勝てそうにないんだ?」
「アイツは今実績を出してる俺らの代でも優秀な画家の卵だぞ。依頼までこなして、名前をあげてる」
性格はカスで、俺に突っかかってくる嫌なやつであったとしても、実力は本物だ。熱情だけで変えられないだけの差が、乗り越えられないだけの高さの壁が、俺たちの間にはある。
「対して俺は一時的に話題になってもてはやされたが今となっては人気もない落ち目の画家擬きだ。とてもじゃないけど勝てるだなんて言えないね」
「へぇ、ならなんでそんな勝負受けたわけ?」
柊は興味深そうだ。その反応が悪意のある物じゃないことはなんとなくわかる。
「……ただの薄っぺらい正義感だよ」
自覚はある。ただの薄っぺらい正義感。売り言葉に買い言葉であんなことを言った俺は別に言葉自体に後悔はしていない。
俺は今まで散々馬鹿にされてきたし、もう十分だと思うほど貶されてきた。腹が立つことだってあった。怒りに苛まれて今すぐに殴りかかってやろうかと考えたことだってある。
でも、耐えてきた。全員実力で黙らせないと俺が俺でなくなってしまう気がしてならなかったから。我慢してきた。
しかし、彼女は違う。
ずっと、こんな俺のことを励まし続けてくれてきた彼女が馬鹿にされるのは違う。彼女は俺なんかとは違って、たくさんの人にその才能を待ち望まれている存在なんだから。
俺なんかとは違うのだから。
俺なんかの味方に立ち続けてくれた彼女が馬鹿にされるのは、我慢ならなかった。
別に友達でもない、ただのクラスメイト。
別段普段から仲がいいわけでもない、そんな関係性。きっと、卒業したり、いや、クラス替えなんかがあったりしようものならすぐさま疎遠になってしまうような関係性なんだろう。
でも、彼女が傷つけられるのは違うと、思ってしまった。
たったそれだけの小さなエゴで、薄っぺらくて吐き気すら催してしまいそうなほどどうしようもない正義感だ。
ただ、それだけのために俺は声を上げたのだ。きっと、八つ当たりを正当化するためだけの、薄っぺらい正義感だった。
「……へぇ、そんなにその馬鹿にされたって女の子のことが大事なんだ?」
「は?全然違うけど…… 」
「どうだか。キミの表情を伺うのも慣れてきたボクから言わせてもらうと随分と好んでるみたいだけどねー」
どこか面白くなさそうに柊はそう言った。頬を膨らませながらフンっと顔を背ける。腕組みをしつつ、右手の人差し指がトントンと一定のリズムで腕を打っていた。
「さぞかし可愛い女の子なんでしょうね!」
「なんなんだよ……意味わからん……」
機嫌が悪くなったよくわからない奴のことは放っておいて絵を描くことに集中しようとキャンバスに視線を投げかける。
……集中力が切れたのか、さっきまではいい感じに描けていたと思っていた絵がどことなくつまらない物に見えた。なんだか色合いが雑で、パースも崩れている。
これじゃあ、また負けてしまう。
「チッ」
自然に舌打ちが出ていた。ムスッとした顔のまま失敗したキャンバスをどかして新品のキャンバスを取り出す。シュリンクと呼ばれるビニールをカッターで切り込みを入れてから指で引き裂き、それをゴミ箱に突っ込んだ。
「あれ?今のやめちゃうの?」
「あれじゃダメだ。完璧じゃない。失敗作じゃ石岡には勝てない」
真っ白なキャンバスに向き合う。何がダメだった? パースも色も描いてる間はよく出来ていた。なら俯瞰の視点から考えるべきなのか? それともテーマから違うのか? 今俺が描かなきゃいけないものはなんだ?
俺が描きたい『勝つための絵』ってなんだ?
俺は負けられないのだ。もう二度と、絵で負けられない。
そのためには勝つことができる絵を描くしかない。俺が石岡に勝つことができる傑作を作り上げるしかない。
何なら勝てる? どうすればアイツの絵を超えられる? ジャンルは? 得意ジャンルなら勝てるのか? むしろあいつの苦手ジャンルに押し込めば勝てるのか? どうすればいい? どうすれば勝てる絵を描ける? どうすれば俺ら勝てる? 人に負けない絵を描ける? 負けない絵を描ける? 石岡に負けずに済む? 誰かに恥をかかされずにすむ? プライドを捻じ折られず済む?
思考の海に浸りながら考える。
勝つための絵。
負けない絵。
それを描かなければ俺に明日なんてないんだ。
顎に手を置いて、思考の海へ潜る。
深く、深く、深く──。
誰も手の届かない場所にまで──。
「よし!」
パンッ! と柊が手を叩いた。コイツの突拍子もない行動にはもはや慣れてきていたので急な物音にも驚かない。なんのつもりだよ、とジロリと目を向ける。
「ボクとデートをしよう!」
「……はぁ?」
訂正。コイツの突拍子もない言動に慣れるのはまだまだ先になりそうだ。頭のおかしなことを言い出した柊に言葉を投げかける。
「何言ってんのお前。どっかで頭ぶつけてきたのか? ……いや、元からおかしかったか。それにしてもボケるにはまだ早くないか?」
「君がボクのことをどう思っているのかは後で問いただすとして……デートだよデート! 知らないの?」
「知ってるから頭がおかしいのかって言ってるんだよ」
デート。
年頃の……いや、年頃じゃなくても良いが、男女のカップルが買い物なりなんなりしながらキャッキャウフフするイベントだ。愛を育むだとかなんとか。俺の人生に本当に関係のないイベントではあるが、一応知っている。
ここの
「俺ら両方男だろうが」
「全く、重くんは遅れてるねぇ……! イマドキは男の子同士で行っても、女の子同士で行ってもいいのさ!」
「それに俺たちはカップルじゃない」
「兄妹でデートに行くって人もいるしね。二人で出かけることをデートって言うんだからボクと君がカップルであろうがなかろうが関係ないのさ! そんなこと考えてたら禿げがくるよ。頭皮に悪いって!」
あぁ言えばこう言う柊にイラついて振り返る。そのニヤついた顔が本気でイラついた。
「俺には時間がないんだよ!! お前と遊んでる暇はねぇ!!」
椅子から立ち上がる。今の俺に余裕はない。石岡に負けるわけにはいかない。いや、実力ならアイツに勝てるわけないけど、ここまで馬鹿にされて負けるわけにはいかない。もう二度と。
もう二度と、俺は絵で負けるわけには──。
「へぇ……そんなこと言っても良いのかな?」
柊が携帯をタップしながらニヤリと笑い、そしてすぅっと息を吸い込んだかと思うと、その小鳥が囀るような声である文を読み上げた。
「『めんどくさいのに絡まれてる』『俺は男が好きなのか……いや、違う。ノーマル、俺はノーマル』『なんでめんどくさい女ばっかり俺の周りには集まるんだよ』『サモトラケのニケってどんな顔してたのかな。さぞ美人なんだろうな…… 胸でかいし──」
その言葉一つ一つに何故だか覚えがあった。俺の耳に馴染む、やけに聞き覚えのある言葉。
ここ最近、俺がSNSで発信した何の意味も持たない言葉、イライラを少し呟くだけの捌け口、そこで吐き出された毒にも薬にもならない言葉たちだった。
「鍵アカにしたろうがテメェ!」
「ふふん、鍵をかけたぐらいでボクが見れなくなったって思ってるなら、そのメディアリテラシーを鍛え直すところから始めるべきだね! キミは!」
柊に向けて椅子を投げる。それをひょいと避けてニヤリと柊は笑った。
非公開にしたのにも関わらずなんで見れてるんだコイツ……! あの十数個のフォロワーのどれかがコイツなのか……!?
「じゃ、明日十時に中央駅前の噴水に集合ね! 遅れたりボイコットしたりバックれたり来なかったりしたらボクが手ずからこれをコピーして学園中に配り歩くから!」
柊が俺のSNSのコピーを「号外!ごうがーい!」と配り歩いている様が脳裏をよぎった。
……コイツならやる。絶対にやる。わざわざ絵画科の方にまで足を運んで号外を配る。足の踏み場もないほどに号外を配るし、なんなら俺の顔写真とかも付ける。絶対にやる。
「ゴミカスが……ぶち殺してやる……!」
「あはは! また明日! じゃあね!」
明確な殺意を持ちながら拳を握ると、一も二もなく柊が俺のアトリエを飛び出した。疾風迅雷もかくや、という勢いで飛び出し、廊下を爆走する柊の背中がどんどん小さくなり、曲がり角に消えた。健脚……!
あいつの背中が消えていくのを見送ったその瞬間、携帯がポケットの中で震える。そこで携帯ががいつの間にか通知がオンになっていることに気がついた。苛立ちをそのままに立ち上げてみると見覚えのないアイコンからのスタンプ連打。
名前はスズリ……柊だ。
「あんの野郎……」
『ちゃんと明日来ないと本当に撒き散らすからね!』
可愛らしいウサギがウインクするスタンプが送られてきていた。どうやらアイツは俺のことをイライラさせることにおいては右に出ることのない存在であるらしい。
「よーし。データのコピーをアイツが取ってるならそのデータ消し飛ばしてから殺す。絶対に殺す……!」
俺は殺意を込めて、夜空を見上げた。
そんな俺のことを哀れむように梟の鳴き声が夜闇に悲しげに響いていた。
× × × × ×
来る翌日、時刻は九時四十五分。
俺は普段なら時間ギリギリにつくところを十分な余裕を持って早く、指定された中央駅前の噴水に到着した。普段の俺ならあり得ないであろうことに内心俺も驚いている。
それだけ脅されているという事実が俺の中で大きなものであるということだろうか。
噴水の前に辿り着く、柊は俺よりも早く到着していたようで、駅に着いた段階でメッセージアプリには「遅刻したら晒す」という脅迫のメッセージが届いていた。怖すぎないか? アイツ絶対この方法で人を脅したことあるって。
辺りを見渡すと柊の姿はすぐに確認できた。携帯を鏡代わりにしながら前髪をいじっている。
まだこちらには気づいていないようだ。
「おい」
「あ! 重くんやっと来た! え〜! 時間ぴったりじゃなくてちゃんと時間前に来て、キミも楽しみだったんじゃんか…………………は?」
「なんだテメェ。なんで脅されて来た俺がそんな顔されなくちゃいけねぇんだよ」
柊に近づいて声を掛ける。すると俺の声に即座に反応した柊がこちらを嬉しそうに見て……そして固まった。その視線が俺の頭から靴の先までを凝視してからもう一度俺の瞳で止まる。
「あり得ない」
体をプルプルと振るわせながら柊はそう言った。うが〜!と両拳を振り上げる。情緒不安定過ぎない? こいつ。
「ありえなーい!」
「何がだよ」
「なんでデートなのに制服なの⁉折角のデートだよ⁉」
「デートじゃねぇんだわ。脅迫を告白だと思ってるなら差し支えてるから死んでくれ」
プンスコと怒りを表すように、「ボク、怒り心頭でーす!」とでも言わんばかりに柊が詰め寄ってくる。その姿はあざとさの塊だった。お前男だよね? 男の子の要素捨て去ってない?
「私服一着も持ってないの!?」
「寝起きのままの格好で来て良いのならそうしてやったけど? パジャマがご所望か? それも学校のジャージだけど」
「私服持ってないじゃん!」
俺が嘲笑うように制服かジャージの二択を提示してやるとせっかくセットしてきたのであろう髪を振り乱しながら柊が奇声を上げた。なんなんだコイツ。
「ホラ! ボクの服見てよ!」
髪の毛を耳にかけながらそう言った柊の言葉を受けて、改めて柊に目線を落とす。
白いワンピースが主体のコーディネートだった。ロングスカート然とした蝶と花の刺繍があしらわれたワンピースに、大きめの肩掛けポーチ。髪の毛はいつものハーフツインではなく完全に下ろされていて、普段よりどこかお嬢様というような様子が見て取れる。髪の掛けられた右耳にはキラリと瞳と同じ琥珀色の石がついたピアスだかイヤリングだかが主張していた。
どう見ても女子にしか見えない。というかこれが女子じゃないとか詐欺の一種だろとも思う。
「何かいうことはない?」
「……制服じゃない?ってことぐらいしか……。それと、お前男名乗るのやめれば?詐欺罪が適応されるぞ」
「キミにデリカシーとデート経験がないことと、モテないことがわかった」
ハン! と鼻を鳴らした柊が携帯を取り出して何やら画面をタップする。そして眉を少し不満そうに押し曲げてから、バッとこちらに視線を向けた。
「………まず、服屋に行きます」
「は? いいって。さっさと目的の場所に行けよ。時間ないって言ってるだろうが」
「いいやダメだね! ボクの横をそんな格好で歩いていたらどうしようもなく殺意が芽生えてつい号外をこの一帯にばら撒いてしまうよ」
大きめのカバンからちらりと拡大コピーされたA4サイズほどの印刷用紙が見える。束になっているそれがどう見ても数百枚程度ありそうな分厚さなのが一目で見て取れた。文字は見えないがそれが何かなんてことは察しが付く。
「なんで印刷してきてんだテメェマジでぶっ飛ばすぞ……?」
「君への抑止力はちゃんと用意しておかないとね。手綱とも言う」
「お前はいつか刺される」
俺の言葉を無視して柊が俺の手を取った。そして軽やかにローファーを鳴らしながら笑って振り返る。
「ほら、早く行くよ!」
柊の軽快なステップにつられて、俺も足を前に踏み出した。
× × × × ×
「……」
「君、目付き直しな〜?」
店を出た瞬間、柊が心配するような声色で俺にそう言った。その声には少しばかりの同情が滲んでいる。
「お店入ってからずっと店員さんに監視されてたじゃん。ヤベェ奴だって思われてたよあれ」
「うるせぇよ……」
「ボク、完全に騙されてる可愛い乙女だと思われてたもんね。君が着替えてる時に店員さんから「もし何かあれば相談してくださいね……!」って言われたよ? ほら、これ連絡先」
「その店員お前のこと狙ってるから気をつけた方がいいぞ。あと、何が可愛い乙女だ。外見詐欺野郎が」
店から離れながら柊の言葉を適当に返す。服は買ったものをそのまま着させられていて、着てきた制服は用意してもらった紙袋の中に畳んでしまわれていた。私服なんて普段着ることがないのでなんだかこう、ゴワゴワすると言うか、居心地が悪い。
「ふふん、まぁね。処世術だよ。可愛い方が何かとうまくいくからね」
「あっそ。おい、腕に絡みつくな。歩きにくい。視線を集める」
「いやでーす。逃がさないためにしてるからね」
「俺が逃げても俺の尊厳がぶち壊されるだろうが」
まぁね、とヘラヘラ笑うこの顔をぶん殴ってやりたかったが、さぞスッキリするであろうことと引き換えに俺の社会的なあれそれがぶち壊れてしまうのでNGだ。クソ過ぎだろマジで。
「で、結局何の用なんだよ」
「え? 用なんてないよ」
「は?」
俺の疑問に対して柊がきょとんとした顔でこちらを見た。その光景に俺もつい固まってしまう。じゃあお前何のために俺のことを呼び出したんだよ。
「買い物に付き合って欲しいだけ! 行こ!」
柊の白い歯が光る。笑顔の柊が俺の手を引いて走り出した。
そこからは特に語ることがある訳でもない。柊に無理矢理連れ出されるようにして色んな場所を転々としたということくらいだ。
「は? ポップコーン食べないで映画見るとかあり得ないから」
それは今流行りであるという映画であったり。
「この漫画おすすめだよ。風景の描き込みすごいんだから! で、この小説は風景とかの描写が……あ、こっちは描写の練習に使った画集で……」
本屋であったり。
「ねぇ、お腹空かない? は? ポップコーンはご飯じゃないから。LL一人で食べてた? あんなの前菜にもならないよ?」
買い食いであったり。
「カラオケ行こう! 歌分かんない? ならボクが生ライブしてあげるから感謝するといいよ!」
カラオケであったりした。
おおよその中高生が娯楽として楽しむような場所の数々。荷物持ちのような話し相手のような曖昧な立ち位置のまま振り回されること数時間。時刻はあっという間にお昼になってしまった。
「そろそろお腹すくね。お昼どうする?ボクオススメのイチオシ中華とかどうかな?」
「は? まだ食うの?」
「重くんって中華いける? 辛いのとかあるけど」
「俺の話聞けよ」
どうやら胃袋にブラックホールを詰め込んでいるらしい柊の言動にため息をついてしまう。
コイツ隙あらば何かしら食べてんだけど。胃袋どうなってんだよ。バグってんのか?
最早諦めすらも滲んだような表情で柊に強制されるように腕を組まれて目的地にまで連れていかれる。携帯のナビには何やら中華専門店とかなんとかって文字が見えた。
流石に満漢全席とか一人でいかないよな……? いやでもコイツならあり得るな……と今後の俺の胃袋の圧迫に震えていると、道端の喫煙スペースで煙草
を吸っている若い男女数人のグループが視界に映った。
髪を染め、ピアスを開けて、大きな声で笑いながら煙草を吸う姿はとてもではないけど相容れないものを感じてしまう。ああいったタイプの人間が俺はどうも苦手らしい。
彼らを見ているとそのうちの一人とばっちり目が合った。咄嗟に視線を外す。
「あ?」
男の低い声が俺たちのところにまで届いた。大股で一歩二歩と俺たちに近づいてくる。
「や」
「え? ゲッ……」
手を振りながら笑顔で近づいてくるそして俺たちの進行方向を遮断するように立つと手をひらひらと振る。その顔を見て柊が俺の見たことのない表情の崩し方をした。
それは「嫌な奴にあった」というような表情で。
「おいおいおいおい」
短くマッシュに整えられた髪はツーブロックになっているらしく、耳にはいくつものピアスが見える。背が高く、痩せ型の体系で、指にはいくつもの指輪をしていて、柄シャツにジーパン。なんとも分かりやすくチャラついた見た目だった。猫のような瞳がチラリと俺たちを上から見つめる。口からタバコを離して煙を吐くと頭にハテナでも浮かべながらそう言い放った。
「鈴里。お前何してんの?」
「……スズリ?」
スズリ。すずり、鈴里。
柊のことであることは疑いようもなかった。お前の知り合い?と言うように視線を向けてみると死ぬほど苦々しい顔を、それこそ芋虫を口の中で、奥歯ですり潰したんじゃないかとでも言うほど苦々しく顔を歪めた柊の顔があった。知り合いであることは確定らしい。っぽい。多分。
「何?お前の知り合い?」
「何?筆の知り合い?」
俺と向こうのお姉さんが言葉を口にしたのは同じタイミングだった。よく見ればマッシュのお兄さんの後ろに髪をピンクのメッシュで鮮やかに染めた女の人が立っていた。いわゆる病みメイクと呼ばれるような目が大きくなって、なんかキラキラしているメイクをしている。……ラメ? を顔につけた女性だ。ゴスロリ調の服装を見に纏い、可愛らしい格好ではあるが、その実身長はお兄さんに迫るものがある。厚底のヒールを履いているのだろうけど、それを抜き
にしても百七十は下らないだろう。
彼女と二人して柊たちの顔を見ていると「ぐぬぬ」と唸った後、嫌そうな顔を隠そうともしないで柊は口を開いた。声色は少し震えている。
「………今日はライブじゃなかったの」
「ライブだよ。この近くのクアトロアートって箱。リハは終わったから飯食いに来てんの」
俺たちの疑問を無視して会話を続ける二人。砕けた口調なところを察するに知り合いなのは確かだろうが……。
「この人誰なんだよ」
もう一度、今度は柊が巻き付いている腕を無理に動かして尋ねてみた。説明することすらも嫌そうな柊が一度顔を上げて俺を見てから少し顔を顰めて。
「
「どーも。筆理お姉ちゃんでーす」
紹介した。それを受けて柊の姉と呼ばれた人物が俺の前で嬉しそうに手を振る。
柊の姉、つまり、生物学上は女性。姉……? 姉……?
「柊の姉……暴君の?」
「鈴里、お前どんな紹介したの?」
「別に。姉ちゃんのやったことについてしか言ってないよ」
「ハハハ!どれのこと言ってんだ!」
柊の姉が高笑いしてゲラゲラと声を上げる。どれのことってどれ言ってもヤバいってことかよ。他にどんなバケモノエピソードがあるんだよ。
というかコイツら本当に性別詐称してないのか……? 本当は逆だったりしないか……? 柊姉が兄で柊が妹じゃないのか……? 人を騙してばっかりじゃねぇかコイツら……。詐欺師の家系か何かですか?
そんな詐欺師姉は俺のことをしばらく舐めるように見てから煙草をこちらに向けた。
「君が噂の蓮重くん? 鈴里の彼氏だっけ?」
「違います」
それだけは耐え難い屈辱だったので否定しておく。ほとんど侮辱罪だろ。
「速攻否定するじゃん! ウケる!」
「で、柊の姉は分かりましたけど……そこの人は?」
柊姉の後ろからひょこひょこと顔を出しているゴスロリ調の女性について尋ねた。
「ウチのベーシストだよ。アタシらバンド組んでんの。ガールズバンド」
「どーもー。ベーシストのツキナです。ヨロ」
マスクをしたゴスロリチックな服を着たお姉さんがヒラヒラと手を振る。こちらに興味はありそうだが、なんというか、猫でも見ているような視線だ。ペットを見ているような視線というように表現する方がいいのだろうか? どことなく居心地が悪い。
「ところで、ぶっちゃけた話、鈴里は文句ない物件だと思うぜ?アタシと違って可愛いし、メイク上手いし、身内に優しいから尽くしてくれるし……君からして嫌なところはちんちんついてることくらいじゃね?」
「はぁ……」
それが一番の問題では? と思わなくもないが愛は性別を超えるらしいし、そこら辺に突っ込むのも野暮だろう。
俺がいらないですという顔をしているのが分からないのか柊姉がニマニマしたままこちらを見る。
「どうよ。いるってんなら持って帰ってくれてもいいけど?」
確かに、まぁ、男性である部分を差し引けば彼女の言っていることというのはとりわけ極端にズレてもいないのだろう。柊はほとんど好き勝手するし、暴君の血筋ではあるのだけど、良い奴でもあるのだろうことは分かっていた。いや、俺にとっていい所はないんだけど。コイツの悪い噂とか聞いたことないし……。
しかし、柊の姉の言う以上に右腕に引っ付いているこいつにダメなところが多いことも分かっている。というか、そっちの方が俺的には覚えがある。
「今貴女が言わなかったそれ以外の部分についても文句がありますけどね」
「なんだよく分かってんねー!」
柊姉は嬉しそうに笑うと、俺の背中を二回、強く叩いた。よろける俺を気遣うそぶりも見せず、腕組みをしたままウンウンと頭を振る。
「めんどくさいし、拗ねるし、ダルいし、嫉妬するし……そこら辺も可愛いけどうざいよな!」
なんか知らない柊のこと話してる……? なにそのちょっと可愛い女子みたいなの……俺の知らない子ですね……。
「いや、その辺りは知らないですけど…… 貴女に似て強引なところとかですかね?」
「お、いいねぇ……生意気なガキは好きだぜ?」
さっきからずっと嬉しそうな柊姉に少し仕返しでもするつもりでそう言うも、彼女はさらに嬉しそうに破顔すると、肩を組むように俺に近づいた。
彼女の言うところの生意気なガキである俺の頬を突きながら色付きサングラスの奥の瞳をニヤニヤと向けてくる。それにキャンキャンと吠える柊。耳元で叫ばないで欲しい。
「重くんに近づくなッ!」
「で、君たち今から昼飯? まだなら奢るけど。どうする? 来る?」
「絶対に嫌!」
ここまで柊が(食べ物のことで)拒否するのも珍しい。というか俺がどんな言葉で返してもヘラヘラしているコイツがここまで拒絶反応を示すのも珍しい。というべきか……。
正直、心躍っている俺がいる。
「いいだろ。奢ってくれるってんだから。奢ってもらおうぜ」
「なんで重くんは姉ちゃんの味方するの!?」
「いや、お前の敵ってだけで柊姉と飯が食いたいわけではないけど」
「お前正直だな」
ケラケラ笑う柊姉は随分と失礼なことをかましたつもりなのだがあまり怒っている様子はなかった。まぁ、自分にも他人にも甘いタイプなのだろうことは見てて伝わってくるが。
「鈴里が反抗期でお姉ちゃん寂しいよ……」
「余計なお世話過ぎる」
「全く思ってない泣き真似するじゃん」
「あ、どうだ?鈴里、重も連れてライブ見に来るか?」
「……………………………… 」
「?」
その言葉に柊が固まった。少しだけ考え込むように俺の腕を固定したまま眉を顰める。ここまで毛嫌いしている姉の発言に乗る意味あんのか?
「……何時からどこで」
「へぇ。珍しいじゃん」
「別に。姉ちゃんは嫌だけど、バンドはカッコいいし。
「いい機会ってなに?」
できれば早く帰りたいんだけど、という言葉を伝えるも「黙ってって」と柊に遮られる。なんなんだよ。ほんとに。
「あ? ……あ~ね?」
俺よりも早く状況を理解したらしい柊姉が新しい煙草に火を着けながら今日一番面白そうにニヤリと笑う。その視線は生々しく、やけに生ぬるい。
「ひゅ〜。愛されてるなぁ、
「うるさい!」
「で、飯はどこにする?」
「姉ちゃんと飯は食いたくない!」
グイッと腕を引かれて柊が歩き出す。後ろから柊姉の「十八時からクアトロアートな〜」という間延びした声が聞こえてくるも、それすらも無視して柊は直進していった。
曲がり角を曲がり、お互いの姿が見えなくなったあたりでくるりと方向転換をすると、柊は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね、変なのに絡まれて」
「お前に絡まれてるし、今更だよ」
「そこは可愛いお前とデートできてるんだから気にしないとかって返してよ」
「お前何言ってんの? 酔ってる? 正常な判断力失ってんのか?」
正気か? 酔ってる? と尋ねると柊がムスッとした顔をした。
「酔ってなんかないけど? 良いじゃん。別に少しくらい夢見たってさ」
「どこが夢なのか分からないけどアルコールは怖いんだぞ」
画家としては素晴らしい功績を残したヴィンセント・ヴァン・ゴッホもアブサンと呼ばれるアルコール度数の高く、幻覚作用のある酒の影響で自身の耳を切り落としているのだ。自分の許容量を把握して嗜まなければいけないのがアルコールというものなのである。
画家にはアルコールや薬物に走る人間が多く、そのせいもあって絵画史では必ず触れられるコンテンツだ。テスト範囲でも多くの割合を占めることがあるほど重要な単元なのである。
というか、俺たちは未成年なんだからアルコールを摂取すること自体がダメなんだけども。
「あ、重くんなりに気遣った発言だったんだ……なら気遣い方間違えてると思う……」
柊が嬉しいとも悲しいとも取れない微妙な顔で俺のことを見るとそう言った。どうやら俺の気遣いは間違えているらしい。
「というか柊姉に絡まれるくらい別になんともないって。正直ああいうのには慣れたもんだよ」
「え?そうなの?」
「お前とか石岡で随分慣れてる」
「おぉ……キンパツと同等に置かれてることも含めて喜ぶべきなのか悲しむべきなのか……どんな顔したらいいんだ? 笑えばいいと思う?」
石岡と同じ扱いされてることは恥じた方がいいと思う。
馬鹿な会話をしながら歩く。道なりに歩くこと数分。柊の目的地のお店にまで辿り着いた。
「ここが目的のお店ね!」
「ほんとに中華じゃないか」
案内されたのは中華専門店だった。入り口の作りからしても値段がしそうに見える。朱に彩られた門に扉、白い壁に赤と金で装飾された店内の色合いは燃え盛る中華の歴史を感じさせる。
少し煤けたように黒ずんでいるのもこの街で長らく営業を続けてきたからこそのものなのだろう。そこには長い歴史を感じさせた。
「あいや二名様アルね。こちらくるヨロシ」
「はーい!」
店員に促されるようにして柊と店の中へと入り窓際の席に腰をかける。すると座ってすぐ、机を挟んで反対側の柊が身を乗り出してきた。近いな?
「……ねぇ、ほんとに中華の専門店の人ってアルって語尾につけるんだね……!」
「は? ……あぁ、あれってスタンダードなわけ?」
だからお前目をキラキラさせてたわけね。柊からしてみればあるあるを体験した、みたいな感じだったのだろう。俺は全く分からないけど。
「え? 中華娘の出てくる作品とか読んだことないわけ? 漫画とかラノベとかでよく出てくるじゃん」
「漫画読まないからわかんないな……ところでラノベって何?」
その俺の一言はきっと迂闊だったのだと思う。柊が椅子があわや倒れるんじゃないかという勢いで立ち上がった。そして口をぱくぱくさせ、目を白黒させる。そして大きな声で叫んだ。
「ラノベを知らないの!?」
「知らないけど……何? これ俺が悪いの?」
周りの人にめっちゃ見られてるし恥ずかしいからやめろと告げてみるも、柊の耳には届いていないようだ。そんなに驚くこと?
「ラノベってなんだよ」
「ライトノベルだよ! 一般常識でしょ!?」
「そんなこと言われても……なにそれ。ノベルってことは小説?」
「はぁー! そのレベル!? いいよ! ボクが説明してあげよう!」
声の勢いを落とすことなく高らかに手を上げた柊が歌うように説明を始めた。ペラペラとよく回るものだと柊の説明を聞いているとなんとなく件の「ラノベ」なるものがなんなのかがわかってくる。
つまるところ漫画とかと同じようなジャンルの、美少女のキャラ絵がついてるタイプの小説作品のことだ。たまにクラスのやつが言っていたような気もするアレらのことだろう。そういえば椰子馬が読んでた気もする。詳しくは覚えてないけど。
「なるほど、いわゆるオタク文学ってやつ?」
「そうだけどそうじゃないね! 一昔前まではいわゆるオタクの文学、根暗で引きこもりでどうしようもない被差別対象の人間が読む文学であるという風に蔑まれていたけど!」
「いや、そこまでは言ってないけど」
どんだけ卑屈なんだオタクくんは。……コイツオタクくんでいいのか? オタクちゃん?
「最近はオタクなんてそこら辺探せば見つかるくらいメジャーだからね! 子どもから大人まで楽しめる楽しく読めるもの! それがライトノベルだよ!」
ズビシッ! と俺の方を指差した柊を無視して呼び出しベルを押す。店内に案内してくれた店員さんがタッチパネル式のハンディを持ちながら来てくれたのでメニューで目ぼしいものを注文していく。
「熱弁ありがとう。あ、すみません。これとこれください……あ、小籠包も追加で頼んでもいいですか?」
「ボクのその熱弁を聞き流して注文するな。あ、お姉さん小籠包二つでお願いします!それから餃子と、カニ釜と、中華そば、それから天津飯と…… あ、
「どんだけ食うんだよ……フードファイター志望か?」
「これくらい普通だよ」
「ハイヨー。注文繰り返すアルネ、よく聞くヨロシ」
注文を繰り返す彼女の言葉を聞きながら頼んだメニューを確認する。俺たちが頼んだ料理はきちんと入力できいるようだ。……にしても柊の食う量多くない?
「以上で大丈夫です!」
柊が元気な声で注文を確定させると店員さんは丁寧に頭を下げて厨房へと引っ込んでいった。
そして暖簾が鎮まらないうちに料理を持って出てくる。
「お待せしたアル」
「一つも待ってないけど……」
柊は店員さんからお皿を受け取ると、柊はお礼もそこそこに手を合わせた。そんなにお腹減ってたの?さっきめっちゃ食ってたじゃん。
「いただきまーす!」
「……いただきます」
満面の笑みで手を合わせる柊に合わせて俺も手を合わせる。
小籠包を口に含むと口の中一体に中の知るが漏れだした。それをよく咀嚼して一気に呑み込む。
「うま」
あまりのおいしさに声が出てしまった。しばらくの間、俺も柊も話さないモグモグタイムが続く。
「ん……重くんって中華結構食べる感じ?」
「いや、こんな本格的な店は初めてだな」
小籠包を飲み下して質問に答える。すると、目の前の柊が急に体をくねらせ始めた。頬に手を当てて、耳まで赤く染まってしまっている。顔が赤いのは普通に料理バクバク口に運んでたからだろうけど。
「また、ハジメテ貰っちゃったね……」
「気持ち悪い言い方すんな。……というか、またってなんだ。お前に何もあげた覚えねぇよ」
「はぁ? 失礼な。キミのハジメテのお友達だろう?」
「俺らって友達なの? つか、友達ってなに? なんのメリットがあってなんの……?」
「本当に友達がいないやつのセリフ全部言うじゃん……キミってば悲しい奴なんだな……」
勝手に哀れんだ柊は顔を隠すようにしてヨヨヨと泣くふりをし始めるが、ここまででめんどくさいコイツに慣れてきた俺はコイツの対応に慣れてきた。こういうときは無視に限るんだよな。
「シカトは良くないと思うなぁ」
「冷めるからさっさと食え」
「ちぇ〜……」
柊が中華そばを啜る音を聞きながら外を見た。街並みには色んな色が当たり前のように映えていて。そこで人が生活している息遣いを感じる。
子どもが丁度良さそうな長さの棒を振り回しながら駆け抜けて行くのが見えた。その後ろを幾人かが追い駆ける。
人の営みが映る。
古びた看板、薄くなった張り紙、伸びた雑草、汚れたタイルの床。
普段ならなんとも思わない景色が広がっている。
普段通りの日常。人生が、そこで色濃く流れてる。いつの日か、セピア色の中に塗れてしまいそうな記憶。
「……いつもならなんとも思わないんだろうな」
「? なんか言った?」
「なんでもない。口にソースついてるぞ、早よ食い切れ」
「ボクは味わって食べるタイプなの」
柊が口いっぱいに肉まん(これはいつの間に追加注文したのだろうか?)を頬張るの見て、もう一度外に視線をやった。
カラスが何かを啄んで飛んでいった。