創作学園へようこそ!   作:波間こうど

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微睡みに揺蕩い胸を張る。

 

「……おや」

 

 朝一番、守衛さんと入れ替わるようにして学園に通勤する。学校に通勤するというのもなんだか語感が悪いので通学すると言った方がいいのだろうか。

 

 学園長という立場である私、舞島卑弥呼は、誰よりも早く学校に来て、誰よりも早く生徒たちが創作活動に勤しめるように門を開いておく必要があると考えているからだ。この学園に、朝からやってきてひたすら創作に打ち込む彼らのことを邪魔したくない一心で、毎日のルーティーンにしているこの行動は、学園長に就任してから十年。最早ライフワークの一環になっていた。

 

 時刻は朝五時。日の出よりも少しばかり早い時間に、私は門を開いた。

 つまり、現在、私以外が構内にいるということはありえないはずだ。しかし、アトリエ棟の一室に明かりが点いている。

 

「灯りが付いていますね?」

 

 昨夜門を閉めた時には電灯を全て消したはずですが。消し忘れてしまったのか、それとも野良猫か野鳥辺りが悪戯でつけたのか。

 

「アトリエ棟の方に向かいましょうか」

 

 足を運ぶ。この手の電子トラブルも増えてきた。そろそろ野生動物が入らないようにアトリエ棟辺りについても一新しようか。

 しかし、私が学生の頃から使用していたアトリエ棟を建て直すのは憚られる。……職権濫用かもしれないが、思い出のたくさん詰まった場所だ。一日中篭って粘土や、石なんかの素材と刃物を持ち寄って削り続けた日々。そこに友人がやってきて食べるサンドイッチが格別に美味しかった昼下がり。

 

『またぶっ通しでしてたの? お昼食べてないでしょ。作ってきたから食べよ? 卑弥呼』

 

 それらは心の中に閉まっているけれど、それを映像で思い出すことができなくなるのは名残惜しい。せめて、もう少し、もう少しこのまま残しておきたい。

 

 彼女と過ごしたあの時間が、形として残るこの場所を。

 

「灯りがついているのは……廊下じゃなくて部屋?」

 

 アトリエ棟までやってきてから、その違和感に気づいた。廊下や階段の電気がついていることは稀にではあるがあることだ。接触の不具合であったり、学内の……というか山に住んでる野生動物がつけたりすることはあるが、部屋の中はそうはいかない。

 部屋の灯りをつけるスイッチは部屋の中にあり、基本的に部屋の鍵を持っているのはアトリエの所有者だけだからだ。

 

「部屋は……重くんの部屋ですか」

 

 これで本人が来ているという線は消えた。あの子は絵画にかける情熱は凄まじいが、規則違反をするような子ではない。今までどれだけ周囲の視線に晒されようと、どれだけ蓮斜陽の孫というプレッシャー(・・・・・・・・・・・・・・)に押しつぶされそうになろうとも、時間だけはきちんと守ってきた子だ。彼が校則を破るなんてことは考えられない。

 

「……これで不審者が入り込んでいました。なんてことになったら笑えませんね」

 

 私は創世学園学園長。舞島卑弥呼。

 

 この学園の生徒の安全を、守る義務がある。

 

 ガサガサとドア一枚隔てた向こう側で物音が聞こえた。

 

 ……確実に、誰かが、いる。

 

 踏み出せ、舞島卑弥呼……! 勇気を出すのだ、舞島卑弥呼……! 学園の平和を守るために、私が、対処しなくてはいけないのだ……!

 

 ドアノブに手をかけた。心臓は早鐘のように鳴っているが、構ってなんていられない。

 

「誰ですか……! 警察を呼びますよ……!」

「おー、お前ほっぺたまでプニプニじゃん。どうなってんの?意味わかんないんだけど……スキンケアとかそういうレベルじゃなくない? バグ?」

 

 ドアを思いっきり開けると、そこには眠っている柊さんのほっぺたを突きながら「おー」なんて声を上げている重くんがいた。脳が状況を処理することができなくて固まってしまう。

 

「重くん……?」

「……あれ、学園長の幻覚が見える」

「幻覚ではなく本人ですよ。何してるんですか、貴方」

「はは〜ん? さては俺疲れてるな? まぁ、ほとんど二十四時間くらい寝てないしな……無理もないか」

 

 いつもよりも砕けた口調で私の言葉に返答する彼のことを見ながらため息をつく。どうやら不審者は重くんだったらしい。

 

「重君の生活習慣には少し物申したいところもありますが……まぁ、いいでしょう。今日はどういった……」

 

 そこで、足元で転がっている柊さんを見つけた。むにゃむにゃと夢見心地に体を丸めながら、男子用の制服を体に掛けられるような形で眠っている。柊さんは男子用の制服ではなく女子用の制服を着用していたはずだから、この制服の上着は彼のものではないことになる。

 

 つまりなんだ……事後?

「…………重くん。ここはラブホテルではありませんが?」

「あれ? 学園長の口から出るわけない言葉が聞こえたな……絶対幻じゃん」

「いえ、私は幻覚ではなく……」

「幻ならいっか! 夜中に絵を描いてたことがバレたら怒られるもんね」

 

 胡座をかいたままヘラヘラと笑う彼の目元には濃い隈ができていた。普段も隈程度なら拵えているが、普段よりも幾分か濃いその隈から彼の言葉が嘘ではないということがわかる。

 

「幻なら丁度いいし、言っとこっかな」

 

 ゆらりと立ち上がった重くんが妙に座った視線をこちらに向けた。そしてふらふらとおぼつかない足取りで私へと向かってくる。

 

「先生」

「……へ?」

 

 幻だから丁度いいなんてことがあるのだろうか?そんなもの存在するのだろうか?もし仮にそんなものが存在するのであれば、それは幻じゃなければ言えないようなことなのではないだろうか。

 これは、つまりあれだろうか。

 もしかして、もしかするのだろうか。

 いや、今までこの子の二倍近い年齢まで生きてきたが、恋愛経験と呼べるものに乏しい身として、大きな言葉を口にするのも憚られるのだが……もしかしなくとも、アレだろうか?

 こ、こういうときの経験が本当に少ないのだけど、「先生のこと好きだったんです」というやつか? 夢だと思うから言えるみたいな。そういうやつか?え、ちょっ、困る。私は貴方が小学生の頃から貴方のことを知っているのだ、今更恋愛感情なんて……。

 

「先生…… 」

「ちょ、重くん。落ち着きましょう。まだ間に合います。まだ取り返しがつきますから……! ね? ほら、近づくのやめましょう……?」

 

 アトリエ一部屋おおよそ六畳一間。随分と狭い部屋になっている。だから、後退りなんてして逃げようとすると、すぐに壁に退路を断たれることになってしまった。逃げ場をなくして顔を上げると、すぐそこに重くんの顔が。

 ……気が付かなかったけど、もう、身長は抜かれているのか。目つきが悪いのもきっと親に似たのだろう。普段から見てるから気づかなかったけど、彼はもう、立派に男の子なんだ。

 

「ねぇ、先生」

「……は、はい」

「次の『画会(セラヴュー)』。俺に手を上げなくてもいいからね」

「教師と生徒の関係ではありますが…… ! 君がそう言うなら……はい?」

「え? 教師と生徒だから『画会(セラヴュー)』審査する側とされる側に別れるんじゃないの?」

 

 きょとんとした顔で重くんが首を傾げた。その顔が本当に何を言っているんだ? と言わんばかりにもう一段階深く傾げられる。

 

「『画会(セラヴュー)』の件ですか?それはまぁ、贔屓はしませんが……」

「よかった〜! これで先生に贔屓とかされたら溜まったもんじゃないからさ!」

 

 バンバン! と肩を強く叩かれながら彼の顔に笑みが浮かべられていることに気づいた。

 

「贔屓しなくてもいいよ、絶対に俺に上げさせるから」

 

 こんな風に、強い言葉を使う彼をいつぶりに見ただろうか。

 こんな風に、笑う彼をいつぶりに見ただろうか。

 

「次の画会で、先生が構ってあげるべき蓮重を見せてあげるよ。全員黙らせて……絶対……」

 

 こんなに少年のように笑う彼のことを見たのは、いつぶりだ?

 

「俺が一番になってやる」

 

 ふわり、身体の力が抜けるように重くんが倒れた。地面に顔から行くように倒れて満足に受け身も取れていない。大きな音を立てて彼が地面に倒れる。

 

「重くん!?」

 

 急いで近づいて彼のことを抱き抱える。すると耳元で規則的な寝息が聞こえた。どうやら眠ってしまったらしい。

 

「……貴方がそう言うなんて、どんな絵が書けたんですか」

 

 常に自分に自信がなくて。

 天才と言われた過去を呪う少年。

 そんな彼が自信を持って勝利を宣言するような絵画。それは一体……。

 

 布を掛けられた絵画を見る。

 きっとそこに詰まっているのは、天才蓮重。その半生であると、納得してしまう。

 

「……これは本番が楽しみですね」

 

 創作家として、胸が高鳴る。こんなにも楽しみな戦いは久しぶりだ。

 

 なんといったって私の一番のお気に入り(・・・・・・・・・・)が暴れる日になるのだから。

 

 ……それはそれとしてこの子は女心がわかってないのでその辺りについても指導していこうと思う。本当に、私じゃなかったら訴えられているんだからね。聞いてるの? 重くん。

 

 

 

  × × × × ×

 

 

 

 夢を見ている。

 遠い夢。

 本当に遠い過去を見ている。

 その頃の俺はまだまだガキで。……いや、筆理さんみたいに大人じゃないから、今だって十分ガキなのかもしれないけど。

 あの頃はもっと、うんとガキで。

 

『お爺ちゃんのこと絶対に超えるから!』

 

 そんな夢みたいなことを平然と口にしてたんだ。

 そんな過去のことを思い出す。

 水面を揺蕩うように揺れる心地いい記憶の中で。

 俺は微睡(まどろ)みの中で、そんな夢を見る。

 

 

 

  × × × × ×

 

 

 

「重、重。そろそろ起きなよ」

 

 体を揺らされる感覚を受けて目を開いた。耳に届く声は今日一日で嫌というほど聞いたが故に聞き慣れた声だ。目を開くと琥珀色の双眸と視線がかち合う。

 

「んん……」

「あ、起きた」

「柊……?」

「おはよう重。記憶はある?」

「記憶……?」

 

 痛む体をストレッチで伸ばしながら柊の質問の意味を考えてみた。確か俺たちは夜中に学校に侵入して、柊の小説を読んで絵を描いて……。それからどうしたんだっけ……?

 

 ……なんか理事長にえげつない非礼を重ねた気がする。これは何の記憶なのだろうか。

 

「……なんかすっごい失礼をかました様な気がする。これは夢……?」

「夢見悪かったんだ? ボクは幸せな夢を見てた気がするよ」

 

 寝転んだままできるストレッチを終わらせてから、体を起こして痛む体を動かす。バキボキと体が鳴るのは、アトリエの地面で眠ってしまっていたからだ。血流が巡らなくてカチカチに固まってしまったのだろう。腰や背中、首なんかを鳴らしてから立ち上がる。

 柊はもう既に着替えまで済ませて購買で買ってきたであろうパンを咥えていた。座っている足元には菓子パンの袋が三つと紙パックの野菜ジュースが二つ潰されて並んでいる。

 食いすぎだと思うような量の食事も朝から平常運転だ。

 

「朝からどんだけ食うんだよ……」

「食べるでしょ、全然。むしろキミみたいに食べないとかありえないんだけど」

「流石に飯は食うよ……購買行く時間があったらだけど……」

 

 そう言って欠伸を大きく漏らした。頭をかきながらボーッと布がかけられた絵画を見る。

 随分久しぶりに楽しんで絵を描いた。

 完成した後の記憶がほとんどないからそのまま寝てしまったのだろう。

 電気を消した記憶がないがバレていないだろうか?今は朝の光が鏡から差し込む光量だけで部屋が見渡せるが、夜はそうもいかない。柊に促されるまま絵を描く前に電気をつけたというのは記憶している。

 

「柊電気消した?」

「んーん、ボクじゃないよ」

「……じゃあ誰が電気消したわけ?」

「ん」

 

 菓子パンを頬張りながら柊が小さな一枚のメモ用紙を寄越した。なんの紙かわからないそれを受け取ってみるとメモ用紙じゃなくて、折り畳まれた紙らしい。

 

「なにこれ……」

「ボクが起きたとき重のおでこに貼ってあった」

「怖すぎるだろ……」

 

 恐る恐る紙を開いてみる。四つ折りにされた紙を開き切ると、そこには何やら文字が書かれているようだった。達筆で書かれたその文字を解読していく。

 

『随分気持ちよさそうに眠っていたので起こさないでおきますが、アトリエはホテルではありませんよ。重くんは授業が終わった後学園長室まで来るように。電気は消しておきますが、それなりの罰は覚悟しておくこと』

 

「見覚えある字だと思ったらさぁ!」

「あ、やっぱり学園長先生なんだ」

「やっぱりってなんだ!」

「さっき購買行くときに「よく眠れましたか? 床固かったでしょう」って言われたから」

「それで学園長じゃねぇならそれはもうエスパーだろ!」

 

 どかっと座り込みながら頭を掻く。ため息が漏れた。

 

「はぁー……もー……アトリエ没収とかないか……?」

「そのときはボクが抗議してあげるよ」

「お前一人の抗議で何が変わ……あぁ、総代だっけ」

「まぁ、一般的な学生よりは権限あるらしいしね」

 

 詳しく知らないけど。とパンをまた口に咥えながら柊は言った。おい、咥えながら話すな。行儀が悪いなコイツ。

 この学園においては創作の世界の中の生徒会のようにそれなりの権力が与えられている。まぁ、権力というよりは優越という方が正しいのかもしれないけど。衆議院か?

 

「総代になったことないからどの程度あるかわかんねぇな」

「あ、やっぱり重が総代じゃないんだ」

「……俺は実技二位だよ」

 

 別にそれは自慢でもなんでもなく、ただの事実だ。

 というか、入試を次席で突破したのにも関わらずここまで落ちぶれている生徒こそ珍しい。

 例年の先輩方や、他の学科なんかなら入試で次席を取った人間は皆もれなく優秀な成績をとっているものなのだ。

 

 つまり、俺は歴史上でも類を見ないレベルの落ちこぼれといことだ。

 

「ふーん。じゃあそんなキミがなんでそんなに落ちこぼれって扱い受けてんの?」

「……」

 

 本来なら、それは話さなくていいことだと思う。

 過去の話で、柊には関係のない話だ。

 

「……スランプだよ」

 

 だけど、昨日の小説の礼として、話すことにした。これからは無二の相棒という扱いになるわけだから、隠し事をしているのも気が引けるというのも理由の一つだ。

 

「スランプ? あの?」

「どの話してんのかわかんないけど多分その」

 

 まぁ、スランプなんて一種類しかないけど。

 

「へぇ……でも、たくさん描いてはいるみたいじゃん」

 

 アトリエの中にある絵の数々を見ながら柊はジュゾッと音を立てながらパックの牛乳を吸った。汚ねぇよ。

 

「……昔の方が描いてたし、昔の方が上手かった」

 

 事実として、過去のことを話す。

 この学園の誰もが知っていて、この学園の誰もが嘲笑うような、そんな事件。

 俺の無知と傲慢が呼び寄せた事件のことだ。

 

「この画会ってのは、俺にとって特別なものなんだ」

 

 三年前に起きた、一つの事件。俺がこの校舎が、長い廊下が嫌いな理由。

 

「俺はこの学年で唯一、この『画会(セラヴュー)』ってシステムで負けたことのある男だ」

 

 ただの事実として、俺はこの学園における唯一の負け犬、滑稽で無様な存在なのである。

 年に一度あるかないかレベルのお祭り扱いされるそれを、俺は当事者として経験したことがあるただ一人の男なのである。

 

「俺は中一の時、俺の代の総代に『画会(セラヴュー)』で負けてる」

 

 遥か過去に感じてしまうけどほんの数年前、同じ場所で俺は彼女(・・)に敗北した。俺から勝負を挑んだ訳ではないけど、その戦いは必然で、それ故に避けることのできないものだったと思う。

 

 彼女のサクセスストーリーの第一歩で、俺の転落人生の一章目。

 

「画会で負けてペナルティはない。元はと言えば芸術に上も下もないからだ。ここで競われるのはただ、どんな作品を描いてきたのかという一点に過ぎない」

 

 大衆にどちらの方が受ける作品なのか、どれだけ大衆を魅了する作品が描けるのか。

 それだけでしかないのだ。それを娯楽の一種として競い合わせ、さらなる向上を目指させる。

 それがこの学園の特徴の一つ。絵画科においては『画会(セラヴュー)』という訳である。

 

「その戦いに俺は負けた。別にペナルティなんてねぇよ。まぁ、負けた作家ってのは評判が少し落ちるのと……呪いが発動することくらいか」

「呪い?」

 

 柊が首を傾げた。

 その反応も無理はない。これは「呪い」という言葉で誤魔化されたジンクスでしかないから。

 

「『画会(セラヴュー)』で負けた人間はスランプになる」

 

 それはそういうものであるというジンクスだ。過去の歴史の中で多くの勝負が行われてきた。

 

 それは『画会(セラヴュー)』だけに関わらず、様々な形式で、様々な部門で、それぞれの魂をかけて行われている。

 

 そして、記録に残っているどの敗者も必ず大きなスランプに直面することになっているのだ。これはただの一人も例外はない。

 

 これが、この学園で誰もこの手の勝負を行わない理由だ。

 

 芸術なんて表現の世界で勝敗を決めるのだ。それは主観による良し悪しにしかなりえない。

 

 ともすれば二分の一の確率で「呪い」なんて呼ばれる不確かなことでスランプになってしまう可能性まである。よっぽどのっぴきならない理由がなければやりたくなんてないだろう。

 

 例にもれず、俺もスランプに陥った。ここ数年、描き続けてきたものの、大した評価は得られず、堕ちた天才だとか不名誉なあだ名で呼ばれることもしばしば……。

 それもつい昨夜までの話であるが。

 

「じゃ、もう関係ないね」

 

 柊がスカートを翻しながら人差し指俺の絵に向けた。

 昨夜、俺がたった一晩で描き上げた渾身の絵画。

 俺が自信を持って描いた、誰にも負けない絵画だ。

 

「キミはもう、この学園で一番絵が上手い。バケモノだ!」

 

 柊のいう言葉は正しい。俺はつい昨日まで、いや本当のところを正すのであるならば、つい数時間前までスランプに陥っていた、この学園において下から数えた方が早い落ちこぼれだったのだろうそれは真理で、俺も正しいというように思う。

 

 だけど、それもすべてひっくり返った。まず間違いなく俺が一番上手い画家だ。

 

「……まぁね」

 

 俺は本当にいつぶりかわからない、自信のこもった声でそう返した。

 

 

 

  × × × × ×

 

 

 

 ……遅刻した日、教室に入るの謎に緊張するのは俺だけなのだろうか。普段から目立つ方じゃないのにこのときばかりは目立つことを避けられないからだろうか。

 

 そもそも、今回は学園長が俺のことを呼び出したからなので、そもそも俺が悪いのかといわれると難しいところがあるよね。これ俺が悪いのか?

 しかも学園長も何言ってんのかわかんないこと言ってたしね。勘違いさせる言動が何とかかんとか言ってたけどなに

 

 今回は遅刻と言っても一限も始まってないからそこまで大それたものではないが、ホームルームは終わってしまっているだろう。

 ドアを開ける。クラス中の視線が俺に突き刺さった。まぁ、遅刻したら逃げたと思われるのも無理はない。少しクラスの声がざわつくのが分かる。

 

「……レン」

「え? どうかした?」

 

 教室に着くと、椰子馬が俺のところまでやってきて裾を握った。心配そうな瞳が俺を捉えて離さない。

 

「……今日」

「? あぁ、そういうことか」

 

 今日の放課後は待ちに待った『画会(セラヴュー)』だ。

 

 ゴシップのネタとしてここ最近の昼休みの話題の窓だったこともあって、多くの生徒が知っているこのイベントの当事者である俺のことが心配になるのは無理もないかもしれない。柊……は多分勝つだろうからなんかどうでもいいけど、俺の数少ない学園での知り合い……椰子馬辺りが勝負の土俵に立たされたら俺はおそらく結構心配する。

 

 ……心配するだって。自分のことで精一杯だった癖に随分と余裕が出てきたな、なんて少し笑ってしまう。

 

「大丈夫だよ。今回の絵には自信がある」

「え?」

「俺の絵で今までで一番いい作品が描けたから、あんまり心配しなくて大丈夫だよ」

 

 椰子馬と視線を合わせてそう告げた。

 正直、負ける気がしなかった。それは多分、相手が石岡だからとか、今回の絵に自信があるとか、そういうことじゃない。

 虚勢でも胸を張らなくちゃいけないって、創作家ならそうするべきだって、教わったから。

 

 ……いや、今回に関しては俺の絵が一番いいから負ける気がしないのが大きな理由……というか割合としてほとんどを占めている気がするけど。

 

 俺の言葉に椰子馬が心配そうに袖をギュッと握った。どうやらまだ心配しているらしい。どれだけ信用がないんだ、俺は。

 

「なんだ、負け犬は慰めてもらう準備でもしてんのか?」

「……今日も調子がよさそうだな?よく眠れた?」

 

 朝の教室なんて、誰が来てもおかしくない。

 だから、石岡が来てもなんとも思わなかった。……これで動揺したりしたらカッコ悪すぎるってだけなんだけどね。

 

「快眠だね!なんたって負ける気がしないからさぁ! 不安も何もなかったんだよな!」

「そっか。そりゃ良かったじゃん」

 

 そりゃ前日に絵画をぐちゃぐちゃにまでしたら負ける要素がないだろう。そのことを俺が告発しないとも思っているコイツの考えは正しい。今までの俺なら泣き寝入りをしていただろう。

 ……それが今までの俺ならだが。

 

「俺も快眠だね。つい寝過ぎてギリギリになっちゃったくらいだ」

「……は?」

 

 石岡の顔に初めて曇りの表情が陰った。

 

「……お前は絵を出せない。いつまでその冷静さが保てるかな?」

「いつまでって……」

 

 人通りが増えてきた。同級生たちが俺たちの様子を眺めている。動向が気になるようだ。なら、教えてあげる必要があるかな。

今の俺は無敵で、誰にも絵で負ける気がしないんだってことを。

 

「画会が終わっても続くだろ。俺の作品が一番いいからな」

「……は?」

「そっちこそ、もう二度と俺に話しかけられないんだ。今のうちにお得意のダル絡みしておいた方がいいぜ?」

 

 クラス中にザワつきが走る。いつも卑屈な、下手くそ蓮重が、自信満々に、この学年きっての天才に啖呵を切った。

 これはきっと、ほかのクラスメイトからしてみればあり得ない変化なのだろうと考えられる。

 まぁ、だから何なんだということなんだけどね。

 

「お前……」

「どうした? 緊張でもしてきた?」

 

 気丈に振舞う。俺の絵が一番すごいのだと、俺の絵が誰よりも優れているのだと自信を持って胸を張る。

 それが出来る人間が、それをすることが出来る人間が創作家(アーティスト)として大成する人間だと思うから。

 

 あ、これは言っておかなければいけないな。と、一つとあることを思い出した。石岡から視線を外して椰子馬に振り返る。

 

「椰子馬。さっきも言ったけど、敢えてもう一回言うな」

 

 胸を張る。

 自分の描いた作品に、胸を張るのだ。

 自分の子に自信を持てない親はダメだから。

 自分の絵に愛情を持って接することができないのは、創作家として二流だから。

 

 何度だって、言ってやるのだ。

 

「負ける気がしないね」

「……そ、そこまでは言ってなかったと思うけど」

「そうだっけ?」

 

 それも構わない。俺の言う言葉は変わらないから。

 

「じゃあ、そこまで言おうかな」

 

 教師が教師に入ってくる。クラスメイト達もそれに合わせて席に着いた。こちらのことを気にするような視線がいくつも突き刺さる。チラチラと俺に突き刺さった視線は、俺の変貌について探っているようにも思えた。

 

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