コドクを喰らわば   作:肩たたき

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第一話『輪廻開始』-2

 

 神宮寺になる前の結奈は、どこにでもいる可愛らしい女の子だった。妹は姉である私の不出来さを笑わず、むしろ手を引いて色んなところに連れて行ってくれた。そのお返しのように私は結奈のためならと、名前も言葉も覚えたし普通の姉になろうとした。しかし、賢い彼女には普通でないことは見抜かれていたようだった。

 いつからかは分からないが、不可解なものを見る目を向けられた記憶がある。

 

「お前、イジメられてたんだって?」

 

 結奈から逃げて数日後、デリカシーのない五条の言葉に、瞬きをしてからペンを止める。報告書を作成していた手の震えを誤魔化し、そっとペンを手元に置いた。

 

「うん」

「へぇー、どんな風に?」

「……結奈から聞いたの?」

「そーだけど」

「……そう」

「で、どんな感じだったんだよ」

 

 知ってどうするんだろうか。同じことをするとすれば、面倒そうだ。チラと顔を見ても、好奇心に近い敵意はなかった。結奈はどういうつもりで話したのだろう。幼少期から小学校卒業まで、私はどう過ごしていたように見えただろう。沸き立つ疑問に頬杖をついて考えてみても、億劫すぎて思い出したくもない。思い返すなんて、人嫌いが加速するだけの行いだ。

 

「……いろいろ?」

「んだよ、それ」

「興味ないから、あんまり覚えてない」

「はぁー?」

 

 気持ちのいい話ではない。五条にサディスティックの傾向はなかった筈だ。気遣うような人柄でもないし、仲も良くない。

 

「……結奈は私のことなんて?」

「頭おかしいイジメられ女だってさ」

「……そう」

 

 妥当な評価に頷き、ペンを再び手にする。忘れないうちに書いてしまわないと。昔からぼんやりしていると、結奈にはよく叱られていたっけ。

 戸が開く音に反射で顔が上がる。教室に戻ってきた夏油と家入は、五条と千奈という珍しい組み合わせに首を傾げた。

 

「悟が久島に絡むなんて珍しい。なにを話してたんだ?」

「コイツ、昔イジメられてたんだってさ」

 

 デリケートな話に固まる一般の出二人に、千奈は報告書に顔を戻す。こうなったら書き切って逃げよう。

 

「何がキッカケでやられてたんだよ」

「おい、悟。そういう話は……」

「流石に引く」

 

 擁護してくれる二人に対して、過去の自分を振り返る。確か話さないままでいた。今思えば口数が少ないことも、親睦を深めるに至らなかった原因のように思える。

 

「……私の頭がおかしいから」

「聞いてきたやつまんまかよ」

「あの子が言ってたなら、間違いない」

「あの子って、神宮寺?」

「うん、いい子」

 

 どうにかしようとも思わなかったから、キッカケも内容も興味はない。千奈がやり直したいのは高専時代のみで、それ以上の過去はどうでもいい。結奈が生きているならそれでいい。こういうところが異常なのだろうか。普通にならないと嫌われるなら、今回は無理そうだ。もっと学ぶ必要がある。

 

「……あんまりいい子とは思えないな」

 

 夏油の言葉にペンが止まる。そんな印象を持たれていただなんて。結奈を殺されないためにも、好印象であるに越したことはない。

 

「いい子だよ。私の面倒を見てくれたし……。ただ私が憎いだけだと思う。だから、仲良くしてほしいというか……」

 

 三人の注目を集めていることに視線が下がり、震えた声が尻すぼみになっていく。だから妹を殺さないで、と続けそうになり、グ、と口を閉ざしてしまう。ストレスで胃に穴が開きそうだ。

 

「なに、神宮寺になんかしたの?」

「してないけど……」

「じゃあなんで恨まれてんだよ」

「……わかんない。けど、私の所為だと思う」

 

 五条の舌打ちと呆れた様子の三人に胸がひりつく。上手くいかなかったことに、つい俯いてしまう。本当に良い子なんだけれど、どうしたら良かったんだろう。弁明できるエピソードを考え、千奈は口を再び開いた。

 

「……結奈はお父さんとお母さんが大好きで……口下手な私の代わりに話してくれたし、沢山のこと教えてくれて……」

 

 夏油の後ろをよく付いて回り、心底楽しそうな笑みを浮かべていた彼女は、他の誰にも見向きもしなかった。千奈は羨ましい気持ちと妬ましさで、板挟みにされつつも、締め括りに相応しい真実を語る。過去の結奈は、再会後に私のことを姉と一度も呼んではくれなかった。姉妹であることをひた隠しにした彼女が声を掛けてきた時、千奈は涙が出そうになるほど嬉しかったのに、彼女の目的は夏油の連絡先だった。

 

「……一途で優しい、いい子」

 

 違和感なんて抱く余裕もない。だって、彼女はただひたすらに夏油に惚れ込んだのだろう。だから多少のことも可愛いというやつだ。全くもって理解できないけれど、恋ってきっとそういうものなんだろう。結奈が夢中になるのだから、素敵なものに違いない。

 

「……メッチャ喋るじゃん」

「シスコンってやつ?」

「久島が自分から話し出すなんて……」

 

 驚愕する面々に首を傾げる。話したいことがあったから話しただけなのに、そんなに驚かれるいわれはない。何か口走ったかと考えるも、やはり言葉通りの結奈しか、千奈の中に存在しない。

 

「妹のことが好きなんだね」

 

 微笑ましそうな夏油に虫唾が走る。まるで人間みたいと言いたげな彼は、両親の笑顔を彷彿とさせていた。立ってしまった鳥肌を摩り、俯いて頷く。この結奈への好意を夏油に渡せたら、妹は死なずに済んだのだろうか。

 

「……うん、家族のことは大好き」

 

 父と母、妹に囲まれた誕生日は、とても幸福だった。誰も私を責めず、認めてくれる三人が生まれたことを祝ってくれるだなんて、私には有り余るものだ。懐かしいものに顔の緊張が解け、口角が上がる。野花が咲くように千奈の口から小さな笑いが溢れた。

 またしても流れる沈黙に、三人を見上げて小首を傾げる。また何かおかしなことをしてしまっただろうか。

 

「笑えんのかよお前!」

「笑ったとこ初めて見た……」

「悟渾身の変顔にはピクリともしなかったのに」

「それ言わなくてもいいだろ!」

 

 数日前、五条がいつも綺麗な顔をしているのに盛大に崩していたのは、足が痒いのかと思っていたが、そうではなかったようだ。あまりに三人の前で笑わなかったので、笑わないものだと思われていたらしい。確かに他人の前では笑った試しはない。いつから笑うことを忘れていたんだろう。

 千奈は逡巡した後、両頬に手を添えて口角を吊り上げてみる。先程のような笑顔にはなれず、夏油の手前それもそうかと独り言ちた。恨んでも憎んでもいない。けれど、もうまともに目を見ることは叶わないだろう。あの細い目が死ぬほど恐ろしい。

 

「……笑った方がいい?」

「そりゃあ……そうでしょ」

「うん、そっちの方が可愛いよ」

「別にどっちでもいいんじゃね?」

 

 最後に答えてくれた五条に、二人の咎める視線が刺さる。そうか、笑った方が良いのか。緊張が解れれば、笑い合えることが出来るだろうか。

 不安を覚えた千奈は、深呼吸を繰り返して震える足を隠すように足先同士を絡ませた。きっと大丈夫。もっと結奈を売り込んで、彼女を殺させはしない。

 

「……がんばる」

 

 決意の方向は笑顔についてだと思った三人を前に、私は拳を作って意気込んだ。結奈のことを好きになって貰えば、あの惨劇は起こらないだろう。もうたった一人の家族を、私は二度と失いたくない。だからこそ、刺し違えても妹を殺させはしないことを再度固く決意した。

 

 

  *  *  *

 

 

「結奈! 結奈ぁッ!」

 

 抱きかかえて肩を揺すられた彼女からは血が流れるだけで、瞼が開けられることはない。信じられなくて何度も声をかけても、再会してからそうであったように、結奈からの返事はなかった。腕の中で命を失っていく彼女の腹からは血が溢れ、止められることが出来ない。昔のように微笑んでくれることもなく、幸せにもなれずに亡くなるなんてあんまりだ。

 結奈の血のように、涙が止まらない。いっそ代わってやれたら、どんなによかったか。痛いだろう、寒いだろう、苦しいだろう。なんて可哀想なんだ。私がこうなるんなら、それでいい。可愛くて大好きな結奈だけには、こんなことになってほしくなかった。

 姉妹のその様を、夏油はどういう心境で眺めていたか分からない。あの目が、今も恐ろしい。

 

──ジリリリリリリリリリッ!

 

 けたたましいアラームに飛び起き、目覚まし時計を叩く。鮮明な悪夢は過去に強く引っ張られて作られたものだった。ぐっしょりと汗をかいているのに、寒気が止まらない。クシュン、とクシャミをかいた鼻を啜り、両腕を摩った。

 時間は朝の七時だ。授業まで二時間ほど時間があるが、朝のルーティンとしてこの時間に起きるようにしている。家入からは早く起きるから良いが、寝坊した時は煩くなりそうと苦言を呈されていた。未だ無遅刻無欠席を保持しているので、やんわりとで済んでいる。目覚まし以降で千奈が慌ただしくすることもない。

 のそのそとパーカーを着て部屋を出る。歯磨きセットとタオル片手に流しへと向かった。そこで歯磨きと顔を洗い、タオルに顔を埋めて少し深呼吸をする。

 真っ白なタオルは血に汚れていなければ、血の匂いひとつとしてない。大丈夫、結奈は生きている。

 

「うわ……」

 

 鈴のような声に顔を上げ、私は下唇を噛みながらその方向を見た。険しい顔をした彼女は、同じように歯磨きセットとタオルを片手に朝の支度に来ていた。

 

「……おはよう」

「……おはようございます……」

 

 不機嫌そうな結奈は、二つ隣を開けた蛇口を捻る。ここでの用事はもう済んでしまっている。チラと盗み見た結奈は話す気はないとばかりに、荒い動作で歯ブラシを口に含んだ。

 シャコシャコ、と聞こえる音も心なしか荒々しい。嫌われているという事実に胸が痛み、居心地が悪くなっていく。昔のように手を引っ張って欲しいわけではない。笑い合いたいだけなのにな。

 

「この前はごめんね」

 

 結奈からの返事はない。伝えるだけ伝えた私は、道具全てを持って部屋へと戻ることにした。穏やかに話すには、結奈の怒りの原因をきちんと知る必要がある。それに、大量に汗をかいている今、匂いを嗅がれたくない。呼び止めてくれると僅かな期待を裏切られた足取りを、いつも通りになるよう努めた。結奈はもう夏油にアプローチを仕掛けているのは知っている。連絡先を聞き出しに来ないのは、今回は本人から直接知れたようだ。

 過去よりも進展があることに手応えを感じて、落ちていた気分が上がっていく。結奈について話したのが効いたのだろう。

 

──もっと話そう、結奈のこと。

 

 愛しい妹のことなら、笑って話せる。笑顔の練習も兼ねて、千奈は拳を握りしめた。

 

「なぁ! 神宮寺の話、聞き飽きたんだけど!」

 

 叫んで文句を言う五条に、私は首を傾げた。はて、同じ内容を話した覚えはない。ただ昔の出来事を順々に話していっただけだ。根を上げた五条に引き続き、家入も苦言を呈してきた。

 

「ほんとほんと。マジで神宮寺の話しかしないじゃん。他にないの?」

「結奈が予防注射した時に……」

「違うエピソードじゃなくて、テーマがずっと同じなんだよ」

 

 つまりは結奈の話だけではいけないようだ。難しいな、と思っても、聞いてくれないならこれ以上話すことはない。千奈は視線を横にズラして、考える素振りを見せた。私なんかの話より、結奈の話の方が楽しいだろう。三人とそもそも話したいことなどない。

 

「…………」

「だぁああ! またダンマリかよ! このコミュ障!」

「……話すことないし」

「極端すぎない?」

「久島の話はなんかないの?」

 

 頬杖を突いて尋ねてくる家入に小首を傾げた。そもそも私は面白いと感じることは滅多になく、記憶に残る様な話も少ない。暗い話ばかりを記憶として残しているような女の昔話など、聞いてもつまらないだろう。

 考え込む千奈に呆れた様子の一同の内、五条が「そーいや」と話を切り替えた。有難いと思っていたのも束の間、再び千奈に白羽の矢が立つ。

 

「なんで生き別れてんだよ、お前ら」

 

 一巡目はなんて答えたっけ。いや、これが初めてだ。

 千奈は僅かに眉を上げつつ、過去の変化に安堵した。結奈の話を少しばかりしたからだろうか。確か前回は姉妹だとこの段階では、知られていなかった筈だ。大きな進歩に千奈は話が流れる前に口を開いた。

 

「……結奈が十一才の時、あの子が神宮寺家の一家相伝の術式を継いだから、一人だけ連れて行かれた」

 結奈が小学校六年生の時のこと、和服の大人たちに無理やり連れて行かれた。両親は怒りに震えていたが、何やら吹き込まれた途端に諦めてしまい、二人に抱き締められたのを覚えている。私は結奈の行方を探したが、しばらくして呪術に精通した家に連れて行かれたというのを耳にした。

 

「私がここに来たのは、また会えるかもと思ったから」

 

 高専にいるとは予想しておらず、実際の再会は少し早くなったけれど。そういえば、千奈にお盆帰りする予定はないのだが、結奈は神宮寺家に帰ったのだっけ。両親のような人に優しくされていると良い。

 

「……結局、シスコン話じゃねぇか」

「悟が聞いたんだろう」

「神宮寺の話ばっかだけど、両親のことは? 同じくらい好きだってのに、あんま話さないよね」

 

 家入の言葉に千奈は眉を顰めてしまった。それに気付いた三人から視線を逸らし、どう答えようかと考えている合間にチャイムと共に夜蛾が教室に入ってくる。胡散した話題に千奈は目線を落として、引き出しから教科書とノートを取り出した。

 両親についても特に話すことはない。

 更新されない話題に魅力を感じなかった。

 

 

[newpage]

 

 

「夏油先輩、ほんとカッコいい……っ」

 

 心地良い黄色い声に千奈は、後輩たちの先導を切って任務に当たった。甘い声を上げる結奈に絡まれる夏油と、七海、灰原は千奈の少し後ろを歩いている。都会といっても森林の多い都市は、勾配が多く残っており、人が集まることもあって人知れず負の感情が溜まりやすいようだ。千奈は極力後ろを振り向かないようにして、会話には参加せず、任務に集中することにした。

 

「どんな女性がタイプなんですか?」

「うーん……好きな子がタイプかな」

「ロマンチストで素敵ですっ」

「ありがとう」

 

 苦手な部類の会話内容だったらしく、結奈の同級生である七海は千奈に追い付くと、盛大な溜め息を洩らした。七海に付いてきて宥める同じく一年生である灰原は、気さくな性格らしく千奈に声を掛けた。

 

「久島先輩と神宮寺って姉妹なんですよね?」

「……うん」

「今は喧嘩でもしているんですか?」

「おい……」

 

 灰原の質問を咎める七海は、初日の様子と結奈の口降りから気を遣っているらしく、千奈は少し悩んだ。この場合の気遣いに礼はいらないだろう。

 

「喧嘩……はしてない。でも、恨まれてるみたい」

「……何かしちゃった系ですか?」

「おい、灰原」

「……たぶん私の所為」

 

 できることなら許されたい。口にはせず胸にしまった内容を悟ったらしい二人は、気不味そうにしており、七海が灰原を小突いて責めた。

 

「俺、妹がいるんですけど……何かお力になれたらなぁって……」

 

 申しなさげに話す灰原に、千奈は瞬きをしてしまう。これは助力しようとしているのだろう。一巡目には分かり得なかった事柄に、千奈は自分の愚かさに目を細める。私は、普通とは違いすぎる。姉妹間もそうあっておかしくない。

 だから、結奈の言っていた通り、私の所為だ。

 

「分からない……なんでか分からないから……」

 

 理由を聞くにも聞けるような状態ではない。心底恨まれてしまっては、私からではどうしようもない。理由を知りたいが、教えてくれるだろうか。その理由は私なんかに如何にかできるものだろうか。自信の代わりに陰鬱な思考ばかりが募って仕方ない。振り返った先の結奈は、嬉しそうに歯に噛んでおり、十年ぶりの光景から千奈は目を逸らした。世界から愛されるべき相手に、嫌われてしまったことが心苦しい。気まずい空気の中、千奈は何気なく二人に「ごめん」と謝った。

 

「夏油先輩って、私の理想像っていうかぁ、完璧なんですよね」

 

 不出来な姉でごめんね。

 気まずくしてしまった意識だけはあり、千奈は四人から離れるために早歩きで、またも先導していった。

 

『あーあ、意気地なし』

 

 過去に結奈に言われた言葉が頭の中で反響する。下唇を噛んだ千奈は、その後に続く言葉を今も待っていた。

 

『私がいなくちゃ、お姉ちゃんはダメだねっ』

 

──口癖だったのにな。

 

 痛む胸に目をキツく瞑り、先行し過ぎだと夏油の静止する声に歩調を弛めた。振り返った先の夏油と結奈を目にした視界が僅かに揺らぐ。結奈の一番で、完璧な人。かつては私が一番で、不完全だった。居場所を奪われた嫉妬と疑問ばかりが浮かんでは、恐怖に塗り替えられていく。

 

──そんなに好かれてて、なんで殺したの?

 

 未来のことは聞けない。異常に見られては、結奈に益々嫌われてしまうだろう。千奈は少し待ってから普段の歩調に戻して、目的地まで普段通り規則正しく足を動かした。血と汗が滲む手のひらすら憎らしい。

 

「ここだね」

 

 見覚えのある場所に物憂げに千奈は見上げ、僅かに眉を顰める。目を閉じて眉間を揉み、いつもの無表情に戻した千奈は補助監督の言葉を振り返った。広範囲に呪霊が徘徊、特にとある建物を中心として活動している。その建物というのは、倒壊こそしていないが年季の入った古民家で、工事が行われることなく手付かずの森林と共にある。

 地元でも心霊スポットとされているが、ここ最近は肝試しに行った数名が帰ってこないという。よくある発見パターンだ。

 

「なんだか、こわいですね……」

 

 背後の声に千奈は武器を取り出し、浅く息を吐いて一歩踏み出した。夏油は既に特級であるし、滅多なことがなければ、誰も欠けることはない。多少の無理をしても大事なければ、死んだってやり直せる。私は今日、自分を鍛える為にここに来たのだ。

 

「……開けるよ」

 

 家の戸に手をかけた千奈は、ゆっくりと横へ開いていく。一直線に駆け抜けてくる、飛び出てきた小さな呪霊に、千奈は下から小刀を突き刺し、片膝をついて頭を左へと避けた。魚型の小さな呪霊は腹から尾っぽまで二つに切り裂かれ、地面をのたうち回った後、やがて消滅した。以前はこれに顔を傷付けられたのだっけ。

 

「怪我はない?」

「あ、ああ。私が先導しようか?」

 

 夏油の申し出に千奈は少し考えた後、首を横に振った。もし完全な安全策を取るなら、夏油の呪霊操縦呪法による使役した呪霊による殲滅で済む。家に呪霊たちを放ち、そこから出てきたもののみを五人で叩けば良い。しかし、それでは任務の意図と私の目的からは少しばかり逸れる。

 

「……偵察用の呪霊は出せる? 狭い場所だと攻撃を避けにくい」

「できるけど……倒さなくていいのか?」

「今回の人数配置、夏油は補助を意図してるんだと思う。私たちは後輩たちのサポート役。夏油の術式は大人数をカバーするのにも適してるから……あと、……なに?」

 

 茫然とする四人の視線に気付き、千奈は首を傾げる。注目を注がれている居心地の悪さに内心身構えるが、夏油が苦笑いを浮かべて首を横に振った。

 

「いや、家族のこと以外でそんなに喋るの、初めて見たから」

「……ダメ?」

「ううん、良いことだよ。続けて?」

 

 微笑まれたことで視線の一つが睨みに変わるのを視界の端で捉えつつ、千奈は俯いて話を続ける。次からは気を付けよう。

 

「……大きな呪霊を出されると、狭いだろうから逆に身動きが取れなくなる。土地勘は向こうにあるから、小回りできなくなるのは避けたい。だから、偵察か護衛に特化した小さめの呪霊が良い」

「分かった。他には?」

「進む順番だけど……私、七海、灰原、結奈、夏油の並びで、夏油は全員が見渡せる位置でカバーしてほしい」

「りょーかい、隊長」

「……」

 

 おちゃらける夏油に口を閉じる。千奈は答えることはせず、他三人をチラと見てから古民家の方へ向き直った。強くなった成果を見せる場所だ。気合いを入れていこう。

 踏み入った古民家は相変わらず瓦礫だらけで、独特のカビの臭いが充満している。加えて埃っぽく、家具や剥がれかけた壁や床で足場は軋みやすかった。極力物音を立てないよう、忍び足で進む中、偵察用に先頭を行かせていた呪霊が、その場で赤に発色して旋回し出した。

 

「来るよ、気を付けて」

 

 夏油の声に全員に緊張が走り、千奈は小刀を握り直す。

 大抵の隊列において、基本的な順番の鉄則というものがある。特に登山では、リーダーは最後尾、サブリーダーが先頭、初心者は最後尾に近い位置と相場が決まっている。リーダーは全員のペース配分や隊列が崩れていないかを確認しながら進み、先頭はコースを間違えないようサブリーダーに任せる。二番目は一番体力のないメンバーとなり、最後尾につれ体力のあるメンバーとなる。しかし、戦闘においては変わってくる。

 列の中腹はもちろん安全だが、リーダーに近付けば近付くほど、安全となっている。もちろんサブリーダーの近くも安全ではあるが、リーダーほどの安全性は保証できない。前方からの敵襲の確率が高い分、後尾のカバーにはあまり手を回せないだろう。最後尾はすでに仲間が前を進んでいるということもあり、回り込まれていない限りは攻撃を受けることはない。

 つまり、一番危険なのは、奇襲と接敵をしやすい、先頭だ。

 天井から降ってきた百足型の呪霊を前進して避けた千奈は、穴だらけの軋む廊下に転がって受け身を取った。すぐさま立ち上がると同時にナイフを投げ、百足の足を一本壁に打ち付けておく。中心を狙ったのだが、動きが素早い。壁を張って再び天井裏へと逃げようとする、全長二メートルほどの呪霊に、千奈は僅かに眉を顰めた。

 

「久島!」

「無事……」

「ッ先輩、後ろ!」

 

 七海の声に振り返った先で、巨大な肉塊が振り下ろされる。咄嗟に小刀で往なしたが、刀身の短さと廊下の狭さが仇となって、左肩を掠めた。ジュ、と焼き溶ける音と共に走る激痛に、内心舌打ちを打つ。追撃が来ないうちにしゃがんだ状態で飛び退き、脇下で辛うじてぶら下がっている袖が邪魔になり、引きちぎった。隊列に戻ることができたが、奇襲での分断をされた後、本命の大型呪霊の登場はタイミングが悪い。また同じ手口を使われては面倒だ。

 

「大丈夫ですか?!」

「動ける。それより、百足の方を優先して。アイツの方が厄介」

「は、はい!」

「前にいる大型呪霊、強酸みたいなのでコーティングされてるけど、呪具は溶けないみたい。衣服と皮膚は溶ける。ここで距離を詰められたら逃げ場がない。夏油、呪霊で時間稼ぎをお願い」

「分かった……!」

 

 言いつつ千奈は横っ面から飛び出てきた三十センチほどの蜂に、左腕で顔を狙ってきた顎を防いだ。一の腕に食らい付く蜂の頭を斬り捨て、針が刺される前に下腹部から分断しておく。

 魚に百足に蜂と来た、何かしらの由来有り気な呪霊たちに千奈は、夏油の呪霊を相手する大型呪霊を見据えた。蠍の腕のようなものを振り回す、異形の赤ん坊にも見えるそれに、無意識に溜め息を吐いた。高専卒業後にここに来ることがあったが、この場所事態が呪いそのものだ。真相を知っている分、腹の虫は心地良いものではない。

 

──時間を戻す儀式に利用したけど。

 

 左腕を気遣う三人に平気だと返した千奈は、蠍の赤子がおしゃぶりのように呪霊を咥えるのを眺めた。

 

 結論から言って、この任務は無事に終わった。

 千奈以外は軽傷で済み、帰還したところで左腕を家入に診てもらっている最中だ。独特の匂いを放つ治療室で、左腕だけが曝け出されている。骨張っている肩の皮膚が一部溶けて血が滲み、一の腕には歯形がくっきりと残り、その他諸々、左腕に怪我が集中している。今回、狭い場所での交戦となったために、左腕を咄嗟の盾にしていた結果だろう。家入はどうやったらこうなるのだと、文句を言いつつも溶けた皮膚から治療してくれた。

 

「特級サマは何やってたんだよ……」

「……仕方ない」

 

 夏油から一番離れていたのも、先頭を買って出たのも千奈だ。口を挟んだことが珍しかったのか、家入は目を瞬かせる。傷が塞がったものの、痛々しい痕の残る肩を家入は綿紗と包帯で覆い隠していく。噛み跡なども同じで、切り傷や青痣もそれぞれ湿布などで左腕の素肌を隠し、家入に渡された衣服を受け取った。

 

「んじゃ、一応一年たちの方も診てくるから」

 

 分厚いカーテン向こうへと消えていき、扉の閉まる音が室内に響く。結奈たち一年生は、軽傷で済んだことから、それぞれ自分たちで治療をしたらしい。結奈は絆創膏で足りる、ほぼ無傷だ。

 千奈は下着姿からTシャツに首を通したところで、怒られた記憶を思い出した。確か、もっと自分を大事にしろだのなんだの。よく思い出せず、大したことではないのだろうと、右腕を袖に通そうとした時、扉が開く音がした。

 

「硝子、いるかい……って、いないのか。久島もいないし」

「……夏油?」

「久島? 怪我は……」

 

 三十分前に聞いた声に訊ねれば、聞き返されてそのままこちらへと気配が近付き、躊躇なくカーテンが開かれた。細い目を見開く夏油とカッチリ目が合ったが、その視線がすぐ下の素肌へと向けられる。

 

「ちょっ?! ご、ごめん!」

 

 勢いよくカーテンが閉められ、荒い足音が遠去かる。かと思いきや、近付いてきては遠くへ向かった。何往復かしているようだ。無意味な行動に口を引き伸ばした千奈は、気付かれぬように深呼吸を繰り返して、冷や汗を誤魔化していく。まだ目が合うと、蛇に睨まれた気分になってしまう。格好が格好だけに、無防備なのも呪具が手元にないのも頂けない。夏油相手には貞操というより、生命の危機をどうにも感じるのだ。

 

「ほんと、ごめんッ」

「……平気」

 

 右腕を通したところで左腕に取り掛かる。痛みはまだ残る腕は、特に肩が内側から傷んだ。しばらくは腕を上げられないかもしれない。任務はそれまでお預けなので、ランニングなどで補おうか。

 

──着替えを見られたのが結奈だったら…。

 

「……夏油」

「な、なに?」

「女子の裸見るの、初めて?」

「初めてに決まってるだろ!」

 

 何やら声を荒げる夏油に、疑問符を浮かべる。

 そんなに全否定するような質問だっただろうか。よく分からないな、とは口に出さず、Tシャツに着替えた左手で何度も拳を作って、調子を確かめる。

 

「私のだから別にいいけど、結奈のだったら怒ってた」

 

 だから訊いたと理由を話しつつ、長袖のジャージに腕を通して首元まで引き上げる。ついでに靴を脱いだ千奈は、ベッドの上でそのままスカートのチャックを外した。パサ、という音がヤケに響き、適当にベッドに放っておく。

 

「また妹の話……。いや、誰であっても、というか自分のことなら尚更怒るべきというか……」

「私のは減るもんじゃない」

 

 下に履いている半ズボンとタイツも脱ぎ、代わりのジャージのズボンに足を突っ込んだ。気が利いたことに、家入は白い靴下も渡してくれていたので、それを履いて靴を履き直す。

 

「そういう話じゃなくて……大事にするべきって話だろう」

「……大事にするってなにを?」

 

 脱いだものを畳む千奈は、つい会話に乗ってしまい、内心で気分ではないのにと自分を責めた。今は貰った休憩時間を有効に使うべきだった。報告書は夏油たちの方で行ってくれるということなので、食事を摂りながら勉強でもしようと思っていたのに。

 

「両親から貰った大事な身体だろう?」

「……結奈のもそうだよ」

 

 それを傷付けて殺める夏油が言うのか。こちらの返答に、そういうことじゃないと、反論してくる夏油だったが、千奈はいまいち理解ができない。

 

「だから、同じくらい大事にしないとダメだって言っているんだ」

「私と結奈が並び立てる訳ない」

「そりゃあ、久島の方が強いけど……」

「違う……っ」

 

──あぁ、馬鹿。やめておけ。

 

 荒げてしまった声に自分でも驚き、千奈は口元を覆い隠した。私は並び立てなければ、強くもなんかない。だって、結奈は一家相伝の術式を持つ、凄い子でいつも私の世話をしてくれる、私に世界を教えてくれた子だ。

 

「あんな素晴らしい子の隣に並び立つなんて……それに……」

 

──隣に選ばれたのは夏油だ。

 

 嫉妬か吐き気かで揺れる頭を抑え、ベッドに再び腰掛ける。頭が割れるように痛い。気分が悪い。

 こういう時、口下手で無口な私の代わりに、両親に伝えてくれたのは他ならない結奈だ。嫌われたという事実が体調を後押しするように、脈拍を急かして言うことを聞いてくれない。

 畳み終わった制服を握り締め、結奈とお揃いだと少しでも思っていた自分が憎らしい。結奈の方は夏油とお揃いだとでも思っているのだろう。

 分厚いカーテンを開けた先の夏油と目が合う。数メートル先にいる夏油は、気まずそうに視線を逸らすので、千奈はその隙に脱いだ制服を片手に扉へと近付いた。まだひりつく左腕で扉を開けようとした瞬間、夏油の手が割って入ってきて、代わりに開けられる。馬鹿、やめとけ。黙れ。

 

「夏油……」

「……なに?」

 

──どうして結奈を殺したの?

 

「……結奈のこと、好き?」

 

 彼女を嫌わないで、とは流石に言えない。

 迷惑をかけてしまった相手に報われてほしいだけなんだ。あんなに必死に夏油に恋しているのに、殺されるなんてあんまりだ。

 

「……久島に言うのは違うだろ」

「……そうだね」

 

 扉の隙間を軽く蹴って広くしたところを擦り抜ける。千奈は扉を夏油が閉めるのを見てから、廊下を歩き出した。あの様子では私よりも結奈への好意は劣っている。あと数ヶ月となる結奈の余命に、千奈は顔を歪めた。

 

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