「夜蛾先生、少しいいですか」
京都校との交流戦を終えた千奈は、自身の後見人である授業終わりの夜蛾に声をかけた。勤勉で素行が良い千奈は、夏油たちの中で優等生として扱われており、夜蛾は想像力が働いた頭で心配へと指針が振り切れた。
「どうした千奈。悟と傑にイジメられているのか?」
「夜蛾先生、いじめっ子は悟だけです」
「ざけんな、やってねぇよ」
休み時間に入った途端、三人に誘われたトランプを断って、教壇の夜蛾の元へ来たというのに疑われた五条は夏油に中指を立てている。視界に入らなかったことにした夜蛾は、千奈の申し出に頷いて廊下へと出た。立て込んでいるのだろうと、気遣いで通した職員室で千奈を座らせ、自身も腰掛ける。千奈は一言二言で済ませるつもりだったのだが、まぁいいかと本題を持ち出した。
「来月いっぱい、休学したいんです」
「ど、どうしてだ?! やっぱりイジメられているんじゃないかっ?!」
慌てる夜蛾はしどろもどろになって、理由を決め付けてくるので、首を横に振った千奈はどう言えば納得するか思案した。何かしたいことがある訳ではないし、予定がある訳でもない。夜蛾は見たところ、きちんとした理由がなければ、休学を許さないだろう。
──星漿体の護衛任務に参加したくない、なんて言えない。
単なる生徒が機密情報を事前に知っているのは、大きな問題となる。良い理由が思い付かず、返答を後回しにして更なる申し出をした。本命よりも大きい願い事を先に言うと、上手くいくとも言うし。どちらも通すつもりだが。
「昇級の件もお断りしたくて」
「何があったッ?!」
両肩を掴んでくる夜蛾の気迫は凄まじく、鉄面皮とも言われた千奈の目を少し見開かせた。先日の交流会にて、あまりに目立ちすぎた千奈の功績は、格上へとの戦闘に無傷で勝利したことから、昇級の話が来るだろうと踏んでいた。案の定、京都校の教員から推薦が来ていると話し、どうして断るのかと尋ねてくる。生徒や呪術師にとって、昇級は任務への大きなモチベーションとなるだろう。しかし、千奈には然程興味のない話だ。
「どうしたんだ! 呪術師を辞めたいのか?!」
「そういう訳では……」
「確かに同級生に特級が二人、反転術式の使い手がいるのは、劣等感を覚えるかもしれない……だが、お前はこれからだ!」
「いえ、その……」
「それに学生が二級になるなんて、凄いことなんだぞ! もっと使い熟したら、一級にだってなれる……! お前は一生懸命に頑張れる、伸び代がある子だ! あんな問題児たちに悩まされるなッ!」
一年ほど前の歌姫の散髪失恋コールを思い出した千奈は、スン、と真顔になった。元より真顔が基本なので気付かれることなく、夜蛾は千奈を変な方向へ励ましていく。
確かに弱い自覚はあるが、そこまで悩んではいない。対抗心などではなく、夏油を止められるようになりたいだけだ。
聞いた限りだと夜蛾の目から見て、特級は目標の指針としては千奈には厳しいらしい。夏油を止めるとなれば、せめて一級にはならないとダメだろう。タダでさえ、私の術式は弱いし。
全く違うことを考え込む千奈に、的外れな悩みを拾い取った夜蛾は、もう一度考え直せと引き止めてくる。説得を聞いているうちに、呪術師が減るのを危惧しているのではなく、二年生から真面目な生徒を失うのを恐れているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「……先生、落ち着いてください」
「落ち着いていられるかっ! ……もしかして、反抗期か?!」
話し合いにならないと思い、千奈はひとまず職員室を後にした。しかし、説得に返事を貰えなかった夜蛾はショックだったようで、戻ってきた教室まで説得の嵐だった。
「いいか、悟たちに憧れるな、千奈はそのままでいるんだぞ!」
「そういう話じゃなくて……」
「じゃあ、本当にイジメられていないんだな?」
「イジメられてません」
「言いにくいなら、個別で聞くぞ……?」
「もう伝えました」
「不良にはなるなッ!」
「話聞いてました?」
別の学年の授業が始まるまで張り付かれた千奈は、心配そうにしている夜蛾を廊下まで見送った。その頃には一部始終を夏油たちに撮影されていたのだが、千奈は静かに自習が行われている教室の席に着き、ぽつりと懺悔した。
「夜蛾先生、壊しちゃった……」
動画の最後が三人の爆笑によって締め括られたのは言うまでもない。
「それで、なにお願いしたんだよ」
一頻り笑われた後、夏油と揃って机を寄せてきた五条の言葉に、千奈は一線に口を閉じた。家入に至っては千奈の机と向き合うように机を持ってきており、いつの間にか四人の机で長方形が作られ、見合うような形となっていた。
自習をしようと机に広げた教科書とノート類は、悉く三人に没収されていき、代わりに四人の机の真ん中に菓子類が置かれていった。夜蛾が目を離した瞬間にこれでは、不良になったと誤解されそうで面倒だ。
「食べないから退けて」
「もうこうなったら共犯っしょ」
「そうそう。ほら、太るんだろう? お食べ」
「ガリガリで傷だらけだし、呪霊みたいだよな」
むしろ千奈の机に集結されたそれらに、真顔になってしまう。普段と変わらないのだろうが、不機嫌寄りの真顔だ。なんで絡まれてるんだろう。個人戦の前日、私は夏油に対して大嫌いと言った筈だ。単純な好奇心だろうか。
「で、なに話したの」
繰り返される質問に時間を戻してやろうかと思えど、十五秒前では時すでに遅し。夜蛾を見送っている。それに戻せば呪力残存量で五条に気付かれるだろう。そちらの方がややこしそうだ。悩んだ末、観念した千奈はポケットティッシュを手元に置いて、スナック菓子を摘んだ。
「昇級したくないって話した」
「ハァッ?!」
「あと、来月休学したい」
「ハァァアァアアアアアッ?!」
「うるさい」
三人が席を立ち上がって叫び、千奈は眉を顰めた。そんなに驚くことじゃないだろう。十年前の呪術界には呪術師が休職するのは割とよくあった。任務一つ当たりの羽振りも良いし、数年くらい休む者はザラにいる。高専では珍しいかもしれないが、生徒の人数が少ないだけで三十人ほどいれば、十人ほどは休学しているのではなかろうか。なんでだと騒ぎ立てる三人は、理解できないと遠回しに叫び、千奈に理由を尋ねた。こんなにまで興味を持たれているとは思えなく、千奈は理由を捻り出すために考えていく。ああ、一つ有効的な時間の使い方があった。
「……夜蛾先生には秘密だけど、身軽な時にちょっと調べておきたいことがあって。二級以上は目立つから」
「調べておきたいことって……?」
──伏黒甚爾はどこで関わってくるのか。
本命はやはり言えなく、千奈は未来で調べた事柄を思い出し、三人に気になる点を話すことにした。学生が調べるには丁度いいか。
「……前に一年生たち三人と夏油で受けた任務、覚えてる? 森林の化物屋敷」
「あ、うん。確か三等級の任務で、呪霊は数体出てきた……」
「計八体。蠍や蜂、百足とかの虫型の呪霊ばかり、しかいなかった」
「それが何か……?」
「他七体は小型なのに、大型の呪霊は一体だけ。ソイツは赤ん坊に蠍みたいな鋏が付いてた」
千奈の話に前のめりになって聞いていた三人の間に、沈黙と緊張が走る。呪霊の出現場所も謎である。森林全体という話だったが、一番外に出現しそうな大型呪霊が狭い家の中にいた。他の小型呪霊は、出口のない場所で身を潜めるように過ごし、獲物を待ち構えていた。
「呪霊たちの統率が取れているように見えたんだけど、本当は呪霊同士で争ってたんじゃないかって」
「おい、呪霊同士は戦うことないだろ。そんな頭ないし」
「うん。頭はないのに奇襲を仕掛けてきて、そこを呪霊たちに襲われた。小型呪霊は身軽ですばしっこい、屋根裏や軒下に隠れやすそうな奴らばかり。代わりに大型呪霊は一撃が強力だけど、動きが遅かった」
任務中に覚えた違和感で千奈は動かなかった。ただ呪詛師か人間が操ってるようには見えなかったからだ。しかし、違和感を後押しする事があった。
「家の中は荒れきっていて、経年劣化してる。なのに外観はそこまで崩れていなくて、内と外をきちんと隔ててた。そもそも、負の念が溜まりやすいって、あそこは人里離れてたし、目印もないのに心霊スポットなんて不自然だし、噂が広がったとしても、一箇所にいる呪霊の数が多すぎる」
取り出した携帯で検索した内容を、千奈は三人に見せた。覗き込む三人の目には、『蠱毒の術』というページが開かれている。有名な呪物となる代物は、古代中国においての呪術であり、製造方法は簡単な部類に区分された。動物を使用した呪術の一種で、蛇、蛙、百足などの百虫を同じ容器に飼育し共食いをさせ、勝ち残った神霊となるものを祀る。この毒を食事に混ぜて食わせることで、さまざまな効果があるとされるが、毒に当たれば一定期間の後に死に至るとされている。
小さな古民家で多すぎる呪霊と、その種類、何より蟲に変化しつつある赤ん坊の姿が異様だった。
「あの家、蠱毒の術が行われてる最中だったんじゃないかなって」
赤ん坊があと七体の呪霊を殺していれば、術は完成していただろう。十一年後に分かることだが、蠱毒の術を行なっていたのは、呪詛師数名によるものだった。気になって単独での調査をし、再び蠱毒の術を行う数名を捕らえたのは千奈だ。 成果物である呪霊は捕らえることができず、数日後に対面することとなったのだが。
その最中、千奈は夏油の死亡を耳にした。
「呪霊でやっていたとすると、呪詛師が介入してると思う。本来、場に属する呪霊を捕まえて、無理やり押し込めていたなら、暴れ回って争い合わせやすい」
全員が読み終わったところで携帯を閉じた千奈はポケットに仕舞いながら、ふぅ、と息を吐いた。
「あくまで憶測を出ないけど、気になって」
何度も高専時代のことを思い返しては、後悔を抱き続けた結果の違和感と成果だ。考えすぎと言われればそうなのだが、あの時ばかりは勘が当たって、今この過去にいる。蠱毒の術に辿り着かなければ、私は今頃どうしていたのだろうか。いや、どちらにしろ。
黙り込む三人に小首を傾げた千奈は、片眉だけを器用に上げ、なんとなくポケットティッシュに手を置いた。疑り深すぎると一蹴されるだろうか。焦って呆然と眺めていれば、五条がバッと顔を上げた。
「クソ面白そーじゃん……」
「え」
目を輝かせる五条から、その隣にいる家入へと視線をずらす。同じように輝かんばかりの瞳を持つ彼女は、顎に手を置いて考え事をしている様子だ。そこから隣席の夏油を見ると、バッチリと目が合った。見覚えのある目の色に、無言で席を立った千奈の肩を、容赦なく夏油は引っ掴んだ。
「酷いな、私たちも混ぜてよ」
真実を混ぜたハッタリほど、人を騙しやすくなる。真実を混ぜすぎたと後悔した時にはもう遅く、五条の手前やはり術式を展開することはできず、四人での調査が決まってしまった。
* * *
五条たちの協力のもと、なんとかもぎ取った一ヶ月の休学に、三級を保った千奈は盤星教について補助監督や窓たちに聞き込みをしていた。知り合いがそこの信者であると聞いた千奈は、興味があると話を持ちかけ、会うこととなった。
今日の夕方にとあるファミレスに呼び出され、中年女性と中年男性が腰掛ける向かいの席に着いた。一人で来ると聞いていたが、同じく盤星教の信者らしく、夏油に似た笑みを浮かべている。普段着でやって来た千奈に、二人は愛想よく資料を幾つか差し出してきた。
「久島さんは呪術師なんだそうだね」
「……はい」
「なんでも高専に通っているとか。凄いわね」
「私は秀でていません」
「あぁ、特級が二人いるんだっけ? でも呪術師でない我々からしてみたら、君もいずれ天元様に仕えるかもしれない人だよ。中には分を弁えない無礼な人もいるけど……君はそうではなさそうだ」
「……」
曖昧に小首を傾げて頷いておく。手元の冊子に目を落とし、その内容に目を細める。天元の素晴らしさや救いとなることを指している。不老に興味はないが、大切な人がそうなるのは好ましいかもしれない。信者からすれば、それは烏滸がましいものなのだろうけれど。
「……何故、天元様は不老であらせられるのでしょうか」
「天に立つ、たいへん素晴らしい方だからです。中には星漿体が必要だと称える愚か者たちもいるが……そんなものは不純物だ」
「……不純物?」
不穏な言葉選びに首を傾げて訝しんだ。
天元を想うなら、星漿体との同化には賛成する筈だろう。
「そう、地上の子供だ。同化なんぞしたら、天元様が穢れてしまう」
──……あぁ。
この笑顔の人たちが、天内理子を殺すんだ。
ドス黒い何かが胸の内に溢れていく。手にしている冊子が、途端に気色の悪いものに感じてきた。千奈は握り潰しそうになるのを堪え、息を整えて肩の力を抜く。信者全体がこの色なら、暗殺まで踏み込んでも不思議ではない。コイツらの介入がなければ、伏黒甚爾に仲間は壊滅されず、結奈も生きていたかもしれない。間接的にコイツらが殺したんだ。千奈は席を立ち上がり、向こうの席へと手を伸ばした。
「顔色が悪いけど、大丈夫かい?」
グラスと大人二名が倒れ、悲鳴が聞こえる前の穏やかなファミレスにて、俯いて深呼吸を繰り返す千奈は、小さく頷いた。目の前の二人を殴った感触が残る震えた拳を、左手で強く握り締めていた。
入会手続きに入りそうになったところで、話を持ち帰ることにした千奈は、ぼんやりとした足取りで喫茶店へと立ち寄った。一人でこんなところに来るのは初めてで、記憶の頼りに従い、メニュー表で飲み物を頼む。目深に被っていたキャップ帽を外し、テーブルに置いて背凭れに身体を預けた。
──動機も規模も、盤星教しか思い当たらない。
伏黒甚爾は禪院家から家出した男だ。強力な天与呪縛を持ち、呪具入れに呪霊を使役している。
興味のなかった未然の事件に足を突っ込んだのは確かだが、起こっていなければ調べにくい。もっと探りを入れるには、信者たちからの信用が足らない。天内理子の護衛任務は、残り三週間後だ。
「……結奈はどうしてあそこにいたんだろ」
天元の暮らす場所へと続く通路で、結奈は現れた。満身創痍のところにタイミングよく現れた彼女は、甚爾に倒されずに千奈へと攻撃を加えた。
結奈の目的と憎しみの重さに耐えきれず、瞼を閉じた千奈は一足遅く、向かいの席に誰かに座られた。物音に目を開ければ、学生服の夏油が座っている。驚きのあまり固まる千奈に夏油は肩をすくめ、やぁ、と手のひらを振るう。
「……なんで」
「窓から見えたから」
指差された窓からは光が差しており、一番奥の席に座った千奈を捉える程の大きさではない。目立つ席を避けたのに目敏い、という言葉が浮かぶが、店員に持って来られた飲み物に口を付けて、黙ることを選んだ。さり気なくテーブルに出していた冊子の上に、キャップ帽を移動させて被せ、手元に引き寄せておく。
「幽霊屋敷の調査中だった?」
「手詰まり」
「……それは?」
「……宗教勧誘」
「ばんせ……何コレ」
勝手に引ったくる夏油から取り返そうとしたが、向こう側に持ってかれてしまい、千奈は渋々諦めた。興味なさげなのに読む夏油の覗く首筋から目を逸らし、グラスのストローを口に含む。
今回、休学中の私は天内理子の護衛には付かない筈だ。上手くいけば、この一周だけで時間遡行は終わる。夏油には結奈を殺す動機がないのだから、私は天内理子に関わるべきではない。
夏油たちがどうなろうが、私には関係ないんだ。天内理子が死のうと、結奈が無事ならそれで。
「……もし、助けられるかもしれない人がいたら、夏油は助ける?」
「……助ける以外あるの?」
「一番助けたい人が、それによって危険に晒されるかもしれない時は?」
尊いものを守るために夏油は呪術師の道を選んだ。道を逸れる人の言葉とは、とても思えないものだ。今の夏油と過去の夏油は、この質問に同じように答えるのだろうか。
「どっちも助けられるなら、助けるよ」
夏油の言葉にキツく目を閉じた千奈は、腑に落ちてしまった心に下唇を噛んだ。意気地なしだな。
「……夏油は凄いね」
「……風邪でも引いてるの?」
顔を覗いてくる夏油に千奈は首を横に振って、真顔に戻して外方を向いた。嫉妬と恐怖と尊敬を抱きつつある自分を憎み、この時間では出会ってすらいない天内理子へ千奈は人知れず懺悔した。
──……ごめんね。
* * *
天内理子が死亡した。
暗い顔をする夏油と五条の二人に声を掛けず、千奈は復帰して早々、体育館のサンドバッグを殴り付ける。額の汗をリストバンドで拭い、顔を上げた先の夏油に千奈はピタリと動きを止めた。自然な動作で自身の荷物へと向き直り、中からヘアタオルを取り出す。それで汗を拭おうとした瞬間、千奈の背中が壁に叩きつけられていた。
「っゔ……」
あまりの衝撃に呻き、胸ぐらを掴んでくる夏油と目を合わす。血走った細い目が疑いを持って、こちらを見下ろしてきていた。初めて向けられる目付きに、全てを悟って肩の力が抜ける。
「天内理子が盤星教に狙われてるのを知ってたんじゃないのか……?」
「……ッ」
『夏油たちが護衛するって聞いて、安心してた』
用意していた理由が口から出て来ず、クシャリと歪んだ顔で夏油を見つめ返した。身体が震えそうなほど、怖い相手に歪んだ視界で睨み返す。
前回の命日から数日経った今も、結奈は誰にも殺されなかった。それに安堵している自分が一番大嫌い。目的は果たしたのに、どうしてこんなに苦しいんだ。
至近距離の細い目が、心臓を鷲掴んで握り潰していく。気持ち悪い、大嫌い。怖い。
──やっぱり、私が理由で結奈は殺されたんだ。
「……救いたかった。私も、救いたかった……っ」
冷たい涙が流れ、頬を伝っていく。力なく手を離す夏油は、数歩後ろへ下がると、踵を返して体育館から消えていった。一人残された千奈はその場に座り込み、汗を拭くためのタオルに顔を埋めた。
「お前らが微妙な仲なのは分かっているんだが……この任務を引き受けてくれないか?」
呼び出された職員室で夜蛾に渡された任務内容に、千奈は合同任務相手に資料から顔を上げた。自身の名前の横に結奈の名前が表記されている。どういうことかと待っていれば、夜蛾が話を進めた。
「他に人手が無くてな……。悪いが頼まれてくれないか?」
「……神宮寺さんは?」
「構わないと言っている」
夜蛾の言葉に嘘はなさそうだ。千奈はしばらく考えた後、結奈よりも夏油と気不味い仲だったため、二つ返事で任務に了承した。
* * *
頭が割れるように痛い。
実際割れているのだろう頭を押さえ、振り返った千奈は、岩を再び振り上げた結奈を目にした。任務中に起こった、あり得ない強襲に目を見開く。
今度は額から抉るように殴り付けられ、地面へと転がる。時間遡行をして回避しようと、痙攣する身体で思ったが、馬乗りになって血塗れの岩を持ち上げた結奈に、千奈は全身の力を抜いた。
怨恨の籠った瞳で見下ろしてくる姿が、どこかの細い目を彷彿とさせたのだ。
──ここに夏油はいない。大丈夫。
目を閉じた千奈は、頭部への追撃を甘んじて受け止めた。
──……全部、終わる。
千奈は一瞬前までの激痛に呻き、頭を抑えてその場に蹲った。点滅する視界が眩しく、重たい瞼をこじ開けて、白に近い薄桃色の花吹雪を認めた。
「……ぅそ……」
桜の木の下での記念撮影と、口に広がっていた鉄の味の消失に、千奈は何度目かの絶望を味わった。
* * *
過去に戻ったということは、結奈が夏油に殺されたということだ。理由は分からないが、共通点は千奈に結奈が手を上げている。夏油には完全に疑われた訳だし、夏油に結奈を殺す理由なんてなかった筈だ。
どうして、と頭を悩ませる中での自己紹介なんてどうでもよく、適当に言って終わらせた。
思考を巡らせている内に寮部屋に通され、自由時間を言い渡される。家入の誘いを断り、部屋に引き篭もった千奈は、長さも元通りの髪をたなびかせ、ノートとペンを食らいついた机に出した。
「天内理子、死亡……数日後、私も死んで……結奈も夏油に殺され、時間が戻った……」
ループの発動条件は夏油による結奈の殺害だ。
発動される時間内での殺害ならば、別の理由で結奈が殺された可能性がある。あの後すぐか、十年経つ前に殺害されたことになる。今となっては未然の事件は調べようがない。千奈は思い付くがまま、歩き回った部屋にあるコンセントを引っこ抜き、ドアノブに引っ掛けた。
「……」
軽率だが、一番早い確かめ方だ。
汗ばんで震える手でコードを首に這わせ、深呼吸を繰り返して目を閉じる。私の死はループとは関係がない。あくまで夏油が結奈を殺害したかどうかだ。そうだ、結奈がこれで死なないなら、良いことじゃないか。
「……ッ」
生々しい首の折れる音が部屋の中で響いた。
暖かな春の日差しと、視界を邪魔する桜吹雪に激しく咳き込んで、絶え絶えの息を整える。心配して背中を摩ってくる家入と、こちらへ靴先を向ける二人分の黒いズボン。とても顔を上げられず、千奈は俯いたまま、冷や汗を地面に吸わせた。
──私の死は関係がない……。
最終手段を早速打ち砕かれた千奈は、とても記念撮影に笑顔を残せなかった。