二回目、いや、三回目は、最初と全く同じ人生を歩むことにした。未だ混乱の残る頭だったが、幸いにも表情の乏しい自分には、そつなくこなすことができた。体をあまり鍛えず、術式の縛りも碌なのがない状態で、誰とも仲を深めることもせず、時間を浪費するだけの人生を食い潰す。
星漿体が射殺される直前、天内理子に飛び付いて銃弾を避けさせたが、二発目が彼女の頭を貫き、その後の数発が私に降り注いだ。
四回目は夏油たちに嫌われるよう、彼らを避け続けた。結奈との接触も断ち、問題の一ヶ月を休学して、借りたホテルで一人過ごす。残り一日となった休学に、高専に戻ってきたところを背中からナイフで刺されたので、時間遡行で攻撃を避け、振り返って結奈の手首を捕まえた。泣きじゃくる彼女に、千奈は全身の力が抜け落ち、胸元を数回刺されるのを許した。隣に勢いよく横たわる結奈に、悲鳴を上げたのを覚えている。
五回目は夏油たちに好かれるよう、積極的に話しかけた。以前、煙たがられてしまった結奈の話だけでなく、日々の些細なことやどうでもいいことを沢山口にした。下の名前でいつの間にか呼ばれるようになり、夏油と結奈との仲を取り持とうと、結奈に夏油の様々な情報を一方的に送った。好きなものや嫌いなもの、誕生日などを教え、応援していると直接口にした。
星漿体の護衛にはやはり参加したくなかったので、任務には力量不足を訴えて不参加とさせてもらい、数日間を耐え忍んだ。夏油たちにしつこく誘われたものの、千奈は拒否し続けた。何度も人の死なんて見たくない。
天内理子の死から一ヶ月後、朝の身支度中に流しに頭を叩きつけられ、意識を失っている内に結奈が殺されていた。治療室で首を吊ったので、その先はない。
六回目は入学式の教室案内中に抜け出し、鳴り響く踏切に飛び込んだ。
七回目は結奈に積極的に関わり、二人きりの任務中にて思いの丈を打つけている途中、首を絞められてしまい、それを受け入れた。
「はい、チーズ!」
八回目の桜吹雪の下、千奈は曖昧に微笑んで入学式を迎えた。
* * *
まだ窓の外で桜の散る季節、邪魔な髪の毛が鬱陶しく、後ろへ一つ結びにした千奈は、机をくっ付けてきている家入にポツリと呟いた。
「髪、切りたい」
「え、マジ? せっかくのサラツヤなのに」
「家入もでしょ」
入学してから一週間、すでに家入の趣味趣向はある程度把握している。息が合う、と親しげにしてくる彼女は、椅子から立ち上がると、千奈の髪の毛を解き、香るシャンプーの匂いに鼻をスン、と鳴らした。「何のシャンプー?」と聞いてくる家入に、「なんか、イチゴの」と答えておく。何回目かの人生で知ったことだが、正確に答える必要なんて、この世にはあまりないようだ。
「なんで切るの? 好きな人とかできた?」
「……すぐ恋愛させようとする」
「私はこれが初めてだけど」
毎回毎回、髪の相談をすれば初恋、黙って切れば失恋だと囃し立てる。ム、とした顔で咎めるのをやめ、一回目と同じ理由を千奈は口にしようとして、またそれもやめた。
「最愛の人にフラれ続けてるから」
「えっ?! マジ?!」
結奈のことを示唆した千奈は、不機嫌顔で肘を突いて外方を向く。騒ぐ家入を無視していると、またタイミングが悪いことに、教室の扉が開けられた。不機嫌顔のままで迎えられた夏油と五条は、片方同じように睨み返してくる。
「クズども! 千奈、ガチ恋してんだってさ!」
「マジでッ?!」
「うわ、意外だな」
面倒くさいと前面に出しても、誰だどんな奴だと騒がれる。怪訝な顔をいくら深めても引かない三人に、千奈は何のこともなさげに嘘を吐いた。
「嘘だよ」
「嘘かよ!」
「髪が邪魔だから切りたいだけ」
即座に反応する五条から、ふい、と先程と同じ外方を向かせて逃げる。未だ残る恐怖や嫌悪感はどうしようもない。だって、繰り返すたびに夏油は結奈を。
「……お勧めの髪型とかある?」
家入に尋ねた千奈は、持って来られた雑誌を適当に捲り、三人一致で支持されたモデルの頭を数枚撮った。普通を学んできたと実感できるほど、呆気なく三人に馴染めた千奈は、やはり自分を呪ってしまう。
──疲れたなぁ……。
カメラのシャッター音とフラッシュを消し、ついでにもう住んでいない電話番号の登録を消しておく。この番号は二度と鳴らない。
「なに? 着拒?」
「家電消した」
「えっなんかコワ」
理由を話さない千奈に、三人は顔を見合わせるだけで済ませ、雑誌のお菓子コーナーを開き、物珍しいものに目移りをさせていく。年相応の子どもらしい反応に、疲労が付いて回る千奈には眩しく、また外方を向いてやり過ごした。
* * *
効率の良い鍛え方を覚えてきたこともあり、一年次で四級から二級となった千奈は、怪我を負った任務に内心気落ちしていた。完全に油断が招いた結果に、心がささくれてしまう。交流会を控えた日の今日は、骨折をした日じゃないか。件の任務と内容が違っていたので、完全に失念していた。少々の油断も招き、千奈は額に血をこびり付かせた状態で、苛立ちのままに教室の扉を開けた。
「どうしたんだ?! その傷!」
「任務。家入しらない?」
今回は教室には夏油だけだったようだ。
席から立ち上がり、出入り口を塞いでこちらの様子を見てくる夏油越しの隙間に、千奈は顔を傾けて中を覗く。やはり夏油だけの教室に踵を返そうとしたところ、右肩と顎を掴まれて上を向かせられた。
「他に怪我は?」
わざわざ目を合わせてくる夏油に、思わず一歩下がり、大きな手のひらが離れていく。冷や汗を背中に伝わせた千奈は、夏油の質問になんとか頷いてみせた。
「……右腕、ちょっと捻った」
「見せて」
躊躇なく袖を捲ってくる夏油の好きにさせ、千奈は密かに数字を数え始める。夏油と比べれば、細すぎる手首は簡単にへし折れることだろう。特級の彼からすれば、二級なんて赤子のようなものだ。……来年までに追い付かないと。
「腫れてるね……。保健室まで送るよ」
同じような状況で何度もこの廊下を歩いたことがある。夏油は必ずと言っていいほど、こうして保健室まで連れて行き、時には治療をしてくれた。結奈には冷たいのに、気遣いが優しい。歯噛みした千奈は、今度こその手段に目をキツく閉じる。
「あ、言いそびれてたけど、その髪型よく似合ってるね」
「……ありがとう」
──夏油傑を殺す。
唯一の存在を生かすため、千奈は手始めに罪悪感を刺し殺し、夏油の懐に入り込むことに専念した。疑われてはいけない。信用できる仲間として、仇を騙すんだ。
千奈の痛む心臓の心拍数は、類を見ないほど高鳴っていき、来る日のために深呼吸で落ち着かせた。チャンスはやってくる。結奈のためだ。
雑談を話す夏油に曖昧に微笑んだ千奈は、下唇を血が出るほど噛んだ。どうせ怪我しているのだから、気付かれないだろう。歩調を合わせてくれる夏油の隣で、千奈はひっそりと殺意を募らせた。
* * *
「起きろぉーッ!」
冬休みが始まった早朝、家入の部屋突撃と布団ひっぺがしに、鼻を鳴らして指差された窓の外の雪を眺めた千奈は、ホワイトクリスマスとなった今日を確認した。
慌ただしく部屋に人が詰め寄り、抵抗虚しく千奈は拉致されていく。家入による強制着替えで着込まされ、防寒具を巻かれた千奈は夏油に小脇に抱えられるがまま、高専内にあるグラウンドの積雪の上に放り投げられた。
「そーれっ!」
「ちょっ、わっ!」
ボスン、と自らの形に象られた雪の跡から起き上がり、型抜きのような雪から振り返る。冷たさで鼻っ先を朱色に染めて千奈は、腹を抱えて爆笑する夏油たちに、真顔で時間を巻き戻した。
「そーれっ!」
横抱きにされて放り投げられる直前、抵抗しない千奈に油断しているところを、両足を地面に付けて夏油の背中に腕を回して踏ん張り、膝裏を足で蹴った。カクン、と力を無くして蹌踉めく夏油を連れて、後ろ向きで雪の上に二人して飛び込む。
「うぉわっ!」
ボフン、と肩を組むように雪の上に落ちた二人の内、夏油はすぐに上半身を起き上がらせると、雪を両手いっぱいに掬って、千奈の顔に被せた。
そのままワチャワチャと髪を揉みくちゃにしてくるので、負けじと顔に雪を顔に擦り付けて揉み返してやる。更に二人の頭上に影を落とした五条は、両腕いっぱいの雪を二人に落とした。
そうこうして、一部始終を撮っていた家入も巻き込んだ雪合戦が昼間まで続き、千奈は時間を食い潰した。
「うへぇ、靴の中ビショビショ」
「股間キモチわりぃ」
「一旦風呂だな」
男女に分かれてシャワーを浴びに、家入と足跡を残して歩いていれば、ズイ、と携帯の画面を見せられる。ほぼ白い画面に二人の人影が写り、雪の中に背中から飛び込んでいた。
「こん時に時間使ったでしょ」
「バレた?」
戯れ合う二人のうち、ズームされた雪で揉みくちゃになる自分の顔に、驚きのあまり家入の手を掴んで画面を覗き込んだ。寒さだけでない紅潮した頬から、嫌な既視感に全身が固まる。
不思議そうにする家入は、「あとでみんなに動画送るよ」と的外れな返事をして、携帯を閉じた。気の所為だということにした千奈は愛想笑いを浮かべて誤魔化し、下唇を強く噛んで黙った。
──なに楽しそうにしてんだ。
歯を見せて笑う自分の顔が頭にこびり付き、熱いシャワーを浴びても洗い流せないのだと悟る。
作り笑いしか出来ないんだ、私は。そういうことにしただろ。家族のことでしか笑えない。他人に囲まれて笑うなんて、私じゃない。
「大丈夫?」
シャワー室を出たところで、二人して足跡の反対を進む中、家入は千奈の顔を覗き込んでくる。一拍遅れて口角を上げた千奈は、新しい着替え下の胸元を摩った。ドクドクと脈打つ心臓に、眉間に皺が寄ってしまう。
「……大丈夫だよ」
大嫌いなんだ。ここに友情なんてない。
心配そうにしてから前を向く家入に、千奈は適当な相槌を打って、一歩後ろで歩き出した。
* * *
クリスマスに託けた四人での出掛けに、家入チョイスの格好で外に出た千奈は、眩しい街中に目を細めた。雪掻きが既にし終わった通りは、ここまでの道のりよりも歩きやすくあったが、酷い人混みで相殺だ。逸れないようにと手を差し出してくる夏油に、千奈はその袖を掴んだ。
何か夏油に耳打ちした五条が突然足を痛がり出した。男二人で小競り合いを始めるので気にせずにいたら、千奈は家入に左腕を抱き着かれ、そのまま好きにさせていると、いつの間にか家入の腕に自身の腕が絡んでいた。両腕を絡まされたので、もちろん夏油の袖からは手が離れている。
その状況に遅れて気付いた夏油たちは、タイミングを揃えて二人とも口を閉じた。
「イッテェ! まだ何も言ってねぇだろ!」
「すまない、存在がちょっと……」
「ざっけんな!」
何やら八つ当たりをされたらしい五条の怒号が響き、家入が歩き出したので、千奈もそちらに付いていく。歩き出した二人に付いていく形で、やっと四人は通りを歩き始めた。
「なにすんの?」
「まずは昼飯」
「ステーキ食おうぜ、ステーキ!」
「夕飯はチキンなんだから、肉はやめとこうよ」
「千奈は食べたいのある?」
「タンパク質」
「出た、筋肉バカ」
昼食後、ショッピングモールに訪れた四人は、それぞれプレゼントを一つ買うこととなり、その場で一時解散をした。一時間半後の待ち合わせに、千奈は地図片手に偶然開いたベンチに座り込む。
家族連れやカップル、友人同士で賑わう人並みに流される気はさらさらなく、せめて何を買うか決めてから歩くことにした。
「男女兼用ね……」
クリスマスプレゼントなんて、いつぶりだろう。本来なら一昨年以来だが、何度も繰り返しているので計算がしにくい。人に贈り物をあげるのは、もっと前だ。大体三十年ぶりか。
前回贈ったのは、父の日。それ以来、誰かを想って買い物をしたことはない。
「……食べ物じゃ怒られるかな」
予算設定をしていなかったが、余程の馬鹿でなければ、一万円は超えないだろう。すでに全員が高給取りとはいえ、高校生で重すぎる。誰に渡るか分からないし、全員が喜ぶものをどうせなら贈りたい。店名一覧に目を通し、流れていく内容の一つにピタリと視線を止める。古風な店名下の概要欄の駄菓子の文字に、僅かに目を細めた。
『……結奈』
『なにこれ、ふ菓子?』
『誕生日だから……』
『……』
『ぁ……うれしく、なかった……?』
『ううん……ありがとうっ、お姉ちゃん!』
薄桃色のふっくらとしたほっぺを持ち上げる、エクボを作る小さな口。その上の双眼はどんな色をしていたっけ。もはや朧げにしか思い出せず、アルバムは家と共に焼け落ちた。私にはもう記憶しか残っていないのに、高専時代の記憶ばかりが積み重なっていく。重石となって思い出が圧縮されている。これ以上は避けなきゃ。
早まる鼓動に地図を閉じて開き、一度リセットした頭で再び目を通した。やっと見つけた目ぼしい店に向かうため立った席は、ベビーカーを押す男が連れの妊婦に座らせて、空白を埋めた。
『買い物終わった』
随分と伸縮性を持つようになった胃にタコ焼きを放り込み、千奈はガラケーでメールを一斉送信する。制限時間三十分を残して終えてしまったため、時間の有効活用をする様子の写真もメールに添付しておいた。それぞれから野次が飛ぶ中、居場所を尋ねてくる夏油に『フードコート』とだけ返した。
「やぁ、食いしん坊」
手提げの紙袋片手の夏油は向かいの席に腰掛け、いつもの笑みを向けてきた。肩をすくめた千奈はタコ焼き一つを箸で差し出して夏油に向けるが、少ししても食べられなかったので自分の口に仕舞った。固まってしまった夏油は、小首を傾げた千奈を見てやっと動き出すと、狂った調子を取り戻すため、俯いて深い溜め息を吐いた。
「……やっぱ貰ってもいい?」
「ん」
千奈は上目遣いで強請ってきた夏油に、皿と箸を夏油の方へ差し出し、再び固まる様子を不思議そうに紙コップの水を飲みながら眺める。今度は肩を落とした夏油は、自分でタコ焼きを一つ取り、箸ごと口の中に仕舞った。
「ほんとよく食べるよね」
「前に言わなかったっけ?」
「いや?」
返されたタコ焼きに目を落とし、千奈は小さな失態に口を噤む。この周ではまだだったか。
「……脂肪が筋肉に変化するんだって。だから、太って筋肉付けるため」
「相変わらずの筋肉バカだね」
「筋肉ダルマに言われたくない」
ギュム、と千奈の鼻が大きな親指と人差し指に摘まれる。夏油が筋肉質でなければ、鍛える必要はそこまでなかったとは言えず、甘んじて鼻声と息苦しさを受け入れた。「クリスマスにタコ焼きって……」と、夏油はやっと手を離して自身の荷物に手を突っ込み出す。一個貰ったクセに。
「はい、これ」
「……なに?」
「プレゼント」
テーブルに置かれた派手な小包に、顔を上げた千奈はキョトンとした。四人で交換するのに、なぜ今渡してくるのか。訝しんで手を出さない千奈に夏油はイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべる。細い目がいつもより細まるのを、真っ直ぐと見つめ返した。音を奏でる心音と手のひらに溜まった冷や汗も、随分と規模が小さくなっている。
「みんなと交換するのとは別で、個人的に千奈にあげたくて」
低く優しい声色と予想外の行動へ、目を見開いて驚く千奈に、夏油は空気を洩らして幸せそうに笑う。大きなリボンの付いた長方形の箱を受け取り、許可を貰ってから開いた千奈は、その中身に瞬きを繰り返した。
「……ネックレス」
「どうかな? 似合うと思ったんだけど……」
「……」
「……あまり好みじゃなかった?」
小さく透明なガラスがぶら下がる、銀色の細やかなチェーンを利き手で持ち上げ、光り輝くそれを目線に合わせた。僅かな揺れに室内の光を反射して、夏油の狭い瞳にも光を灯す。
「…………綺麗……」
千奈の言葉にホッとした夏油は、宙ぶらりんにされていた胸を撫で下ろした。お洒落にあまり興味がないようだったので、安全牌を取ってマフラーにしなくて良かった。プロテインは味気なさすぎるし、なんだか格好がつかない。
そんな胸中を察することなく、しばらくネックレスを眺めていた千奈に、夏油は微笑むと手を差し伸べてニッコリと笑みを作った。
「付けてあげるよ」
無言でネックレスを渡された夏油は立ち上がると、千奈の後ろに回り込んでネックレスのチェーンを外す。なんとなく息を止めた千奈は、秒数を数えて服上で揺れ動く光に神経が荒立つ。緊張していることは夏油に筒抜けだろう。
「よし、できた」
随分と時間がかかったものに、千奈は触って確認をした。俯いたら少し見えるそれを摘み、硬い感触を確かめる。前に回った夏油はその様子と、視線に気が付いて手を離した上で目を合わせた千奈に、満足気に頷くと席に着き直した。
「やっぱりよく似合ってる」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
──個人的に私へ。
痛む鼻奥を誤魔化すように目を閉じた千奈は、残りのタコ焼きを口の中に一気に放り込み、水で流し込んだ。突然の早食いに驚く夏油を前に、千奈は立ち上がって紙ナプキンで口元を拭いつつ、携帯で時間を確認する。待ち合わせの時間まであと二十分はある。
「まだ時間あるから、プレゼント買わせて」
奪うからこそ、夏油に貸し借りは無しにしたい。
受け取ったものを返す選択は千奈にはなく、夏油は心底嬉しそうに笑うと、続いて席を立った。
夕方ごろ、大量の荷物を抱えて高専に帰ってきた四人は、食堂に荷物を置いて慌ただしく準備を始めた。共有台所の冷蔵庫にケーキと飲み物を仕舞い、一旦それぞれの部屋へと解散した。
女子寮にある流しで手洗いうがいを済ませた千奈と家入は、部屋に戻ると上着を脱いで、鞄をベッドに置いた。部屋にある鏡に映る姿を確認した千奈は、黒いタートルネックに一番星のように光るネックレスに足を止める。外そうかと一瞬迷ったが、夏油に拗ねられたら面倒だと独り言ち、部屋を後にした。
部屋を出たところで、合流前まで無かったネックレスを散々からかってきていた家入に小突かれ、千奈は無言の相手に「うるさい」と返した。
食堂に戻ってきたところ、先に着いていた夏油たちが待っており、バッチリと目が合ってしまう。すぐさま目を逸らし、素知らぬ顔で冷蔵庫へと直行した千奈は、人数分のグラスに氷を入れた。防寒具だから当たり前だが、千奈が夏油にプレゼントしたマフラーは外されており、なんだかそれが癪だったので、落とした氷を拾うフリをしてカウンターに隠れた。そっとチェーンに手を掛けたところで、上から影が落ちてくる。
「グラス運ぶの手伝おうか?」
夏油の声に肩がビク付いた千奈は、両手を降ろしてしゃがんだまま見上げる。口を引き伸ばして黙ってしまった千奈に、夏油はス、と目を細めて首を傾げた。
「……取っちゃうの?」
「っと、」
「……」
「……わかったよ、付けとく」
「それはよかった」
根負けした千奈から影が退き、グラスを二つ持って足音が去っていく。溜め息を吐いた千奈は、手を洗い直して、同じようにグラスを二つ持ってテーブルに置いた。ジュースと皿、濡れた手拭きを取りに行く夏油と家入を見送り、準備の様子を写真に撮る五条を半目で見つめた。
「んだよ」
「……貧富の差を感じて」
「はぁ?」
通じない揶揄に怪訝な顔をした五条を置き、ビニール袋からチキンの箱を取り出していく。その様子も撮る五条は、不意に千奈の手元から顔へ携帯を上げ、シャッターを切った。連写された千奈は五条の脛を蹴ると、蹲って文句を言う五条を置いて台所へ退散した。
「ナイス」
すれ違いざま家入に褒められる。あまり褒められたものではないが、問題児三人にはこのくらいの扱いが良いらしい。千奈はテーブルに並べられていく物を確認し、少し考えた後、足元の戸棚を大きく開けた。中にあるフライパンやホットプレートなどを床に広げていき、最奥の壁を指先で引っ掛けて外す。戻って来ない千奈に気が付き、様子を見にきた家入が、怪訝な顔をして覗いてきた。
「何してんの?」
「盗み」
取り出した大きなガラス瓶を抱えた千奈は、トン、と上部の蓋に書かれた年号と名前を指さす。それを見た家入は驚きながらも口を開けて笑うと、「ナイス!」と叫んだ。
「いただきまーすっ」
四人が揃ったテーブルで囲むチキンは、少し冷めてしまっているものの、濃い味付けは変わらず美味しいのか、コーラを傾けた千奈は楽しそうに食べる三人を見守った。三人それぞれ食べ方に差があるが、齧り付く様はあまり変わらなく、つい観察してしまう。こういう姿の方が写真に納めるべきだろうと、まだ油で汚れていない手で千奈は携帯を取り出して、少し身を引いて三人に向けた。
写真の中で夢中な三人に、ふ、と息を漏らした千奈は、携帯を仕舞ってチキンに齧り付いた。
「さっき何やってたんだよ」
モゴモゴとケーキを刺したフォークを咥えながら尋ねてくる五条に、千奈は小首を傾げて先を促した。食後のケーキを、ホールで頼む無謀な提案をしてきた彼は、提案者なだけにひと切れ九十度のケーキをすでに半分は食べ尽くしている。「ほら、家入となんかやってただろう?」と、補足する夏油に合点がいった千奈は、家入に目を合わせた。
ニヤッと悪い笑みを浮かべる家入のゴーサインに、千奈は台所へ向かうと、例のガラス瓶をテーブルに置いた。
「学長秘蔵の梅酒」
「マジで?!」
「ちなみに学長と夜蛾先生は今夜高専にいない」
「最高かよ!」
何周目かに手に入れた情報を基に、振る舞うことにした千奈は、褒め称えてくる三人を置いて、お玉と常備させている天然水などを持って戻った。ついでに炭酸水と氷の入った小さなグラスを持っていき、梅酒に夢中の三人を遠目からまた撮っておく。お盆を置いた千奈は、テキパキと蓋を開けると、お玉で梅酒を掬い上げ、薄すぎない程度に希望の水か炭酸水で割っていった。
四人分行き届き、早く飲みたそうにソワソワする三人を今度は待たせず、梅酒の蓋を閉めて席に着いた千奈は、サッと掲げられたグラスたちに、自らの分を近付けた。
「カンパーイッ!」
良い音を立てるグラスを仰ぎ、人生初であろうアルコールにはしゃぐ様子を、結局写真に収めた。
「もうムリ……」
どこから食べても倒れないケーキをツマミにする千奈は、何杯目かの梅酒を煽り、早々にダウンした真っ赤な五条に炭酸水を差し出した。
「お前ら、よく飲めるな……」
「悟が弱すぎるんじゃないのか?」
「はい、苦いけど炭酸水飲んで出した方がいい」
「千奈が言うと説得力ヤバい」
「ゔぇえ……」
素直に従う五条が珍しく、撮影を始める家入、おかわりをしてくる夏油の頬は上気しており、千奈は夏油の分を注ぐと蓋を固く閉めた。
「これ以上はバレるからやめとこ」
「もうちょっとだけならバレないっしょ」
「主犯は私、みんなは共犯。一番怒られるの私」
「戻されても責任取れないし」と、続けると二人は諦めて、五条は二度と飲まないと嘆いた。倒れないケーキを頬張り、深夜に差し掛かる時刻に、会話は雑談へと流れていく。久しぶりに口にした酒により、浮いた気分が千奈を饒舌にさせる。
昔に比べて随分とお喋りになった千奈は、年末の話に入った話題から、手を引くのを忘れてしまった。
「三十日から二日まで実家にいるつもり」
「俺は二十九から」
「私は硝子と同じ。千奈は?」
「家ないから帰らない」
──あ、しまった。
固まる空気に千奈は、気まずそうに視線を逸らし、グラスに口を付ける。流石にこの空気感で理由を言わないのは、後に響きそうだ。来年の京都校との交流会で知られるのだし、こうなったら伝えておいても問題はないか。
「……実は、二年前に火事で家が燃えちゃって。大晦日は高専で過ごすつもり」
「その……家族は?」
「…………両親はその時、家にいて……」
学校帰り、焦げ臭さと家方面の騒がしさに、自然と足を早め、走り出していたのを今も覚えている。野次馬を掻き分け、立ち昇る黒煙を背景にした赤い火の粉が鮮血に見えた。その後、葬式での勧誘で千奈は高専への入学が決定されたのだった。多額の生命保険や火災保険は、口座に入れたまま手付かずにしている。結局、人生で一度も使うことはなかった。
「……妹が一人、神宮寺家にいる」
この場で話すか迷ったが、いずれ知られることだし、先に言っていても問題ないだろう。千奈の告白に酔いが冷めたらしい五条は起き上がると、真剣な眼差しで話に食い付いた。
「ウゲ、マジかよ。あの家嫌いなんだよな」
「呪術関係の家?」
「腐ったみかん共がウジャウジャいて、術式大好きなとこ」
「へぇ、どうして千奈の妹が?」
「そこの一家相伝を妹が持ってて、引き取られてった。神宮寺家は父方ので、久島は母方の苗字。私もいわゆる親戚」
ケーキで一旦口に蓋をした千奈は、「ここに来るまで呪術なんて、私は全く知らなかったけど」と付け足した。知らなかったのはこれだけではない。両親は恋愛結婚で駆け落ちしただとか、何度も神宮寺家に訪れては、次女を返して欲しいと交渉しに行ったとか、結奈の学費を別で貯めていたとか。未来の私は、神宮寺家と我が家のことを調べれば調べるほど、その内容に愕然とした。無知でいたことの愚かさと、それらから守ろうとしてくれた家族には感謝しても足りない。特に妹である結奈には沢山の恩がある。彼女だけでも守りたい。守らなきゃいけない。
「妹さんはなんて名前?」
夏油の質問に、他人に興味を抱く彼らに笑みを溢した。私にもこんな風に他人へ興味関心があれば、姉妹間が歪むこともなかっただろう。ほんと、自分の名前くらい、言われなくても覚えるべきだ。
「結奈。結ぶに、奈良の奈」
「千奈と同じ奈か」
『お姉ちゃんの名前の奈は、私とおそろいの奈だよ』
『……おそろい?』
『だから、ちゃんと覚えてね!』
思い出した記憶に苦しげに目を細めた千奈は、グラスの淵をなぞり、自重気味に微笑んだ。
「うん……おそろい」
暖かい記憶全てが今では苦い毒の呪いみたいだ。どこか物悲しげな千奈に、三人はまた黙り込むと、目配せをしあって話題を変えていった。
「年越しに電話してもいい?」
「いいけど……帰省するんでしょ?」
「なんならウチ来る?」
「それはちょっと……」
「俺はお節持って帰ってやるよ」
「え、なにコワイ」
「やっぱやらね!」
「待て千奈、五条家のお節って絶対美味いよ」
困惑する千奈にやんややんやと年越しの話が進み、遅れながらも慰められていることに気が付いた千奈は、過去よりも重すぎる未来の懺悔を呑み込み、なんとか善意を受け止める。
──この輪を壊すのは私なのにな。
ループを重ねるごとに強まってきている自殺願望を無視して、何度目かのやり直しの友情に千奈は微睡んだ。
* * *
小学校の校舎裏、バケツいっぱいの牛乳に浸された教科書を抜き取り、適当に流しに置いて蛇口を捻った。子供の残酷な悪戯を出たイジメに、少女は虚ろな目で滲み出た白い液が薄まっていくのを眺めていた。
「お姉ちゃん!」
聞き馴染みのある声に振り返った千奈は、駆け付けてきた結奈に瞬きをした。千奈の絆創膏だらけの手を握り、低学年の彼女は心配そうに顔を覗き込んでくる。パッチリ二重の目が悲しみに歪むのが嫌で、頬に手をやろうとしたが、先程までバケツに手を入れていたことを思い出し、手を力なく下げた。
「またやられたの?」
「……うん。大丈夫」
「大丈夫じゃないっ。担任の先生は?」
「…………わかんない」
「わかんないって……」
「顔も名前も覚えてない」
「んもー……」
クラスメイトも担任にも興味はない。教科書は読めるなら問題はないし、暴力も対して困ったことではない。最近覚えた名前だって、結奈が教えてくれなければ、千奈は今も認識すらしていなかった。適当に人の群れか結奈の手に流されていれば、学校生活に何の支障はない。
「私がいなくなったら、お姉ちゃんどうするの?!」
「……さみしい」
「そういうことじゃなくて……」
「あと、イヤだ」
「……私とお姉ちゃん、どっちがお姉ちゃんなんだか……」
「どっちでもいいよ。私は、お母さんとお父さん……結奈がいれば、なんでもいい」
握られている手でギュッと応える千奈に、ゆるゆると結奈は力を抜くと「んもー……」と繰り返した。
「お姉ちゃんは、私がいないとダメだね」
至近距離で微笑む結奈に、千奈はそうなんだ、と納得して視線を下げ、控えめに頷いた。家族という絶対的味方に、私はこの頃から胡座をかいていたのだろう。だから、バチが当たったんだ。