彼はその様子をじっと眺めていた。
「美味しい?」
「フィーッ……!」
「エーフィは甘いの好きだもんね〜」
無邪気にサンドウィッチを食すエーフィを、にこにこと眺めるばかりの人間。
テーブルの周囲では既に食べ終えたポケモン達が、柔らかい草の上で食後の睡眠をとっている。
マスカーニャが〈くさねこポケモン〉と称されていた進化前の名残は、草に溶け込むような濃淡散ずる体色に現れていた。薄緑を基調とし、深緑の脚部がすらりと伸びている。
今は〈マジシャンポケモン〉と分類される理由が同じ深緑の仮面から見て取れるものの、すやすやとした穏やかなその寝顔からは普段の不敵な笑みの気配など一切窺えない。
首元から生えたマントの如き鮮やかな緑葉は、魅了されたハネッコ達が集り共に寛いでいる始末。
そんな一行を更に取り巻くのは、母たる午後の陽気に見守られている豊かな自然と、のびのびと暮らす野生のポケモン達。
少し遠くにいるパーモットは、野生のパモやデデンネと戯れている。互いの電気を交換し合うという、でんきタイプ特有の挨拶をしてからは、追い駆けっこに興じている様子であった。
「わっ」
ふと攫うように吹いた川風は、蒼然と茂る草花だけでは飽き足らず。うなじまで覆う煌めく銀髪をも、その帽子ごと頂かんとしていた。
しかしその程度では彼の主にとっては何の脅威でもない。帽子を押さえ、狼藉を働いた風の行く末を微笑みながら見守っている。
はためくテーブルクロスは十分に水の入ったボトルが留め、空のバスケットは彼も初めて見る大きなポケモンが押さえつけていた。
「ありがとねミライドン」
問題ない、とでも言うかの如く声を上げたミライドンに頷いて返し、顔を覆わんとしていた髪を梳かし終えた主は、改めて帽子を被る。
エーフィへ向けていた微笑みをそのままに、未だ口をつけていない彼に向かって問いかけた。
「ブラッキーは食べないの?」
目の前の皿に乗った、綺麗な断面を保ったサンドウィッチを見やる。
彼とて、主らとの食事を嫌っている訳ではなかった。だがこれはエーフィの求めに応じて始まった昼食会であり、主がサンドウィッチの具材を数秒考えたかと思えば、始めに挟んだのは苺。彼はそれに見覚えがあった。
街の人間はそれを食べて、甘いと言っていた。「あまい」という感覚がどういうものかは分からずとも、不思議とあのきのみと同じだという確信が彼にはあった。
薄く赤みがかった紫のような、ちょうどエーフィの体色に似た薄紫を基礎として、下部から黄色の突起が横に逸れ出た、忌々しいきのみ。
トレーナーとしての腕は認めていようとも、あれに似た味を食べろという指示だけは、今後とも聞き入れられる気はしなかった。
「そっかぁ。ふむ、甘いの苦手なのかなぁ……」
「ブラ」
だから自分のことは気にしなくていい。食べ物くらい、今まで通り自分でとってこれる。
彼はそういう意志を込めて声を上げた。
「ちょっと待ってて!」
しかし当の主は聞いているのかいないのか。先ほど片付けたばかりの調理器具を再び手に取った。
「ひとまず好き嫌いを把握したいからシンプルめのもの……とりあえずソルトベースかな。きりみとアボカド、トマトに……うーん、でもやっぱレシピ通りだとおもしろくな……味気ないよねぇ。あ、ビネガーかけよ。分かんないけど美味しくなるでしょ、多分」
不穏な主の言葉に、彼は思わず半目になってその様を見つめる。料理の経験など勿論ない彼ですら、その調子が危ういことだけは分かった。
実際このトレーナーは母親が一際料理上手なのもあってか、パルデアに来て初めてのサンドウィッチ作りが、同じく人生における初めての料理でもあった。加えて簡易なサンドウィッチといえど、パルデアでは癖のある食材も多い。
そんな中、驚異的な感覚と親譲りの才能を以て、飲食店で提供されるものにも劣らぬほど美味しく作り上げてきたのだ。まさに異能とも称せる程の腕前に、最も付き合いの長いマスカーニャはとうに理解を諦めている。
つまるところ、トレーナーは雰囲気で料理をしていた。
「あとこれもかけちゃえ、いけるいける……挟んで刺して……おまたせ~! 特製きりみアボカドサンド! ……んぅ? どしたのブラッキー、ナッペ山のゾロアみたいな顔して」
間の抜けたあどけない顔で問われる。別のポケモンに化けて惑わす小賢しいアイツと似た目をするのは業腹だったが、手際が良いのか悪いのか分からない主の調理工程を見せられればこうもなるだろう。
彼は今ほど人間の言葉を喋れたら良いと思った瞬間はなかった。
だが主を中心とした群れのなかで、わざわざ彼のためだけに主が手を尽くしたのは事実。これを食べない選択肢はないだろうと、恐る恐る口にした。
「……っ!?」
「あっ、美味しい? 良かったー!」
先ほどエーフィに向けていたものと、同じ顔で見つめられながら咀嚼する。
他者と共にする食事など久しくなかったものだから、どうしてもそちらに意識が向いてしまう。「この味かぁ、覚えておくねー」などと宣う主は妙に嬉しげで、彼は白日にも似た不思議な感覚を覚えた。
食べやすいよう丁寧に並べられた具材に、綺麗な断面のサンドウィッチ。それがどういう感情由来の行動なのかを、彼は知っている。
だが他者にした経験はあれど、誰かにしてもらうというのは彼にとって初めてだった。
「フィー」
「……ブラ」
あれだけ食べていたにもかかわらずまだ食べたいとでもいうのか、好奇心に身を任せたエーフィが近づいてくる。
決してこれを分けたくないという意味ではないが、彼女の舌には合わないだろうと思った彼は思わず「やめておけ」と声を上げた。
「……フィ……?」
それを聞いたエーフィは何を感じたか、彼の顔をまじまじと見つめ、すんすんと鼻をならしたかと思えば首を傾げる。もしやと思った彼が問おうとしたところで主が制止した。
「エーフィ、それ以上は食べすぎかな~? 女の子なんだから、あれだけ甘いもの食べて更に食べたら太っちゃうよ」
はっ、とした様子で勢いよく主の膝に上るエーフィ。『とんぼがえり』も斯くやといったその速さはイーブイの頃ならいざしらず、生き方を定めた彼らの体重では相応の威力になろうと容易に想像できる。
だが雌に対しそういった発言は控えるべきだと知っている彼は、寸でのところでサンドウィッチと共に飲み込んだ。「ふぐぅっ」と声を上げた主など知ったことかと言わんばかりに、彼女は定位置で眠りに入った。
お腹を押さえた主は苦笑を浮かべつつも、膝でまるくなるエーフィを優し気に撫でた。すると彼女は目を細め、心地よさそうに喉を鳴らす。
微睡を邪魔しないよう声を抑えつつ、未だ食事中の彼に「食べながら聞いて」といった様子で喋りかける。
「ベイクジムリーダー、リップさんの都合がついたって連絡も来たし……明日の朝、いくよ。新戦力のブラッキーくんには期待しておるぞよ」
この人間の群れの一員となってから初めて彼の力を振るう機会。だが彼は自身の力を示すと同時に、トレーナーの腕前を見極める心づもりでもあった。
ポケモンと人間の、絆の力。不確かで、曖昧で、形のない。されど確かにそうとしか形容できない力を見極めるべく、あのボールに収まったのだ。
主の言葉は冗談交じりだったものの、彼は真剣な面持ちでこくりと頷いた。