「ガァバア!」
曲がり角の向こうにいるガバイトは、当然の如く激怒。『げきりん』も斯くやといった様子だが、その気持ちは彼にも痛いほど分かる。エーフィの緊迫した表情により、幼子同士のじゃれあいとは思えなかったというのもあるだろう。
緊急事態に際し、更なる確執を持つのは愚かという他ない。しかし対話による解決を望むには、ぶつかった種族が悪すぎた。
フカマル一族をはじめとした、いわゆる珍しいポケモン。彼の者たちはその希少性故に、他種族よりも同族への仲間意識が強い傾向にある。
複数の進化を重ねて、最終的には強大な力を備える種族。しばしば見られる未進化時の非力さも、親の庇護欲を加速させる要因だろう。
極めつけに、未熟ながらもドラゴンタイプであるという誇り。それはトレーナーが従える難易度の高さだけでなく、軽々しく無礼な相手を許さないという形でも表れる。
複数のフカマルを連れたガバイトは、これら全ての条件を満たす者として、事前の作戦会議で主が話していたポケモンだった。
しかしながらその出現率の低さから、突出して危険度の高い他ポケモンへの対策が優先されるのは言うまでもない。トレーナーとしても、マリルリがガバイト達に対し一方的に有利であったがため、総合的には大した脅威ではないと判断。「こちらから喧嘩を売るような真似をしない限りは大丈夫」という主の言葉が、彼の脳内で走馬灯のように響き渡った。
「ガァル!」
「ガァ!」
「フィ、フィ~……」
他のフカマル達からも抗議の声が上がる。確かに好戦的な種族ではあるが、問答無用で襲ってきた先程のポケモン達とは違い、今回は明確に此方に非がある。主に似て無益な争いを好まないエーフィであるからして、応戦するか否かの葛藤と、彼への罪悪感で思考が止まっているのが見て取れた。
普段の彼ならば話し合いでなんとか場を収めようと、手持ちのきのみを全て渡してでも謝罪するところ。だが野生で培ったガバイトの知識と主の忠告が、穏便な解決は不可能であると彼に即断させていた。
「ブラッ!」
「ガブァッ!?」
地面を踏み鳴らそうとするガバイトの動きを見逃さず、『バークアウト』で機先を制す。続けて放たれた『あやしいひかり』が、フカマル達も含めて意識を逸らした。
「ブラッ」
「フィ……フィッ!」
彼が「この隙に逃げるぞ」と声をかければ、意志を固める前の戸惑っている間も、彼女の身体は追従していた。間違いなく、戦闘に身を置く者としての動きが無意識に刷り込まれている。
彼女の成長した様子を見て浮かべられた彼の微笑みは、このような状況下であっても暖かく繊細なものだった。
「フィー……? ッ! フィッ……!」
並走する彼の様子に、どこか不思議そうな彼女。
それが何かに気付いたように喜色で満たされる直前。
「ッ!? ラ゛ッ!」
彼らの足を止めたのは、相も変わらずヤトウモリとヤングース達であった。
「シューッ……!」
「ギキルルルル……」
ヤトウモリの身体は、闇に紛れる黒と鈍色で染まっている。しかし今は、赤熱した背中の紋様と微かに光る紫の瞳を隠しきれていない。
「クルラララッ!」
「グクルルルッ……!」
嚙み締められた鋸歯状の歯を煌めかせるヤングースだが、その本命は鋭く研ぎ澄まされた黒い爪。硬い岩肌に食い込んでいる様を、彼らは今更見逃したりなどしない。
確かに先程戦っていた者達だと、立ち上る殺気が教えてくれた。
ブラッキーの感覚が正しければ、今は目的地であるポケモンセンターを大きく迂回した、先程の戦闘場所とは反対側の通路にいるはず。どうあっても避けられない戦闘であるが、状況は先に比べ悪化していると言えた。
ガバイトはともかく、フカマルは足が短くあまり機敏な動きはできない。フカマル達を放置してまで追いかけてはこないだろうという彼の推測通り、追跡は容易に振り切れそうであった。だが足止めの影響はそれを阻止するに留まらず、一本道における挟撃という最悪の事態を生み出した。
「クァアルォ!」
いつでも飛び掛かれる体勢で隙を伺うヤングースとは違い、彼らに追いついたガバイトは距離を空けたまま仁王立ちで停止。遅れて来たフカマル達が横に並ぶと、すかさず『りゅうのいぶき』を放った。背後にも気を配りつつ、それ自体は余裕をもって躱す彼ら。
「ブラァゥ……!」
「フィイッ……!」
しかし追随して放たれた幾つもの細い息吹が、移動後の着地に合わせて浴びせられる。控えていたフカマル達による、時間差の攻撃であった。
ガバイトの強力な一撃が当たればそれで良く、躱されてもフカマル達の一斉掃射で確実に消耗させる。身体を痺れさせる場合もある『りゅうのいぶき』は、殺傷力に乏しかろうと命中そのものに意味がある。
「ガーブァ!」
「クァル!」
思惑を看過したとしても、エーフィと同じく攻撃手段を絞っているが故の練度の高さは、単純ながら非常に対処し難い。ガバイト達も経験からそれを理解しているのか、彼らが最初の一撃以降全て避け続けていようとお構いなく、執拗に『りゅうのいぶき』を繰り返している。
「シギャーッ!」
「クルルッ!」
勿論その間、ヤトウモリやヤングースが黙って見ているはずもない。
彼らの足運びにおける重心の移動を見逃さず、即興でフカマルの追撃に合わせて放たれる『かえんほうしゃ』がヤトウモリの性格を表していた。
特殊攻撃飛び交う戦場で自身らの出る幕は無いと悟ったのか、ヤングース達は威力が低いと知りながら『マッドショット』を用いて援護に徹する。動きを阻害する泥はすぐに振り払えるものの、その際できる一瞬の隙を考えると決して無視できるものではなかった。
「ブラッ……!」
「フィッ!」
対する彼らとて戦闘経験豊富な、才気あふれるトレーナーの手持ちたる存在。彼は身を挺してエーフィを庇う行動に躊躇いなど欠片もなく、彼女もまた庇われるに際して心を痛めはすれど攻撃の手を鈍らせるほど無垢ではない。
攻撃を逸らす『ひかりのかべ』に『サイコキネシス』が力を貸し、稚拙な『マジカルシャイン』だろうと『てだすけ』があれば十分な威力となる。逃げ場もない相手の得意領域という点を鑑みれば、驚くべき戦果であった。
「フィー……」
「ラッ! ブ……ラ、ァ……」
「フィッ……!?」
奮闘する彼らではあったが、畢竟たったの二体。
いくら隙を見て精神を統一し『めいそう』と『のろい』で耐え忍ぼうと、十を超える一斉攻撃を前にしては焼け石に水と言う他なく。撒き散らされた『かえんほうしゃ』に『りゅうのいぶき』を覆い隠す狙いがあったと見抜くこと叶わず、彼の耐久力をもってしても行動不能へと追い込まれた。
そして当然、数の差というのは勝敗に直結する要素。十の内の一が欠けるよりも、二の内の一が欠ける方が影響は大きく、二体でも苦しかった状況を一体で打開できるはずもない。
「フィッ……フィイ!」
先程まで辛くとも確かな反撃に繋げられていたのは、ブラッキーによる同士討ちを誘う立ち回りと、適宜エーフィの動きに合わせた的確な援護があったため。
それが無くなった今、有利不利を交えた複数タイプの攻撃に身一つで瞬時に的確な応えを出し、隙を見て反撃を行いブラッキーを回収しなくてはならない。
考えるまでもなく絶対的な手数が足りず不可能と断定し、多少の攻撃は受ける覚悟で突貫した。『かえんほうしゃ』が背中を掠めようと、『りゅうのいぶき』は『シャドーボール』で掻き消し、『マッドショット』は『マジカルリーフ』で撃ち落とす。行動阻害に繋がる技だけは、なんとしても受ける訳にはいかない。
「クァグッ!」
「フィッ!? ギ、フィィッ……!」
持ち前の素早さでブラッキーのもとまで辿り着けたものの此処にきて、はりこみ待ち伏せていたヤングースによる『かみくだく』がエーフィに突き立てられる。
無意識に除外していた物理攻撃による不意の一撃は、いとも容易くエーフィの体力を削り取った。
「グクケルルルッ!」
「クラァアル!」
「フィ……ィ……」
遂にやった。狙っていた獲物全てではないが、最も損害を齎した憎き者を含め、隙をついて仕留めた。
そう言いたげに勝鬨を上げる野生のポケモン達ではあったが、彼らが瀕死の状態であっても警戒は解かない。特にエーフィの『サイコキネシス』の兆候だけは見逃すまいと、徐に距離を詰める。
「ブ……ラ、ァ……」
「キルル……?」
その様を見た彼は、思わず嘲笑った。怪訝な顔でぴたりと足を止めたのはヤトウモリだけで、他二種族は変わらずにじり寄っている。
未来を捨てた決死の反撃に転ずる可能性を考慮しているのだろうが、彼からすれば今のエーフィが生存を諦めるとは到底思えない。命を落とすその瞬間まで、きっと彼女は主の助けを信じ抜く。
当然主もそれは知っていて、今この瞬間も彼女を、そして恐らく彼自身をも助けるべく此方に向かってきているのだ。
トレーナーに対しそれだけの確信を持てるほどの信頼が、たった二週間で彼の中には芽生えていた。
「フィ、イ……」
ゆっくりと、されど確かに、彼は痙攣しながらも身を起こした。誰の目にも明らかな衰弱とは裏腹に、揺るぎなく迫りくるポケモン達を睥睨する。
普段の、否、今までの彼とは何かが明確に違う雰囲気を、彼女は漠然と感じ取った。
「クグルル?」
「グァアブ……」
ヤングースとガバイト達も何とはなしにその異変を察知。追い詰められた者の危険性など、野生ポケモン達からすれば言われるまでもなく知り尽くしている。
「……ブラ」
「フィ……? ッ! フィイッ!」
すまない。そう意志を込めた声が背後の彼女に過たず届いたのかは、すぐさま振り返った彼には分からなかった。唯一分かるのは、それが彼女と交わす最後の言葉ということだけ。妹とは違って情緒に疎い己らしい、あまりにも無骨で野暮ったいものだと、場違いにも冷淡な笑みさえ浮かんだ。
向き直った彼の間近に迫るは、嚙み砕かんと鈍く光るヤングースの牙と、地を這うヤトウモリの口で燻る炎、そして竜の力を宿したガバイトの爪。
全てが所定の威力を孕んでいるのなら、ブラッキーの耐久力をもってしても間違いなく命に届きうる攻撃。
「クゥオォルッ……!?」
「ギルルルッ!」
「グクルッ!?」
しかしそれらの破壊力は示されないまま、到達する寸前で皆が等しく凍り付いた。
時間が止まった訳ではないという証拠は、予備動作を断たれたヤトウモリの周囲でちりちりと舞う火の粉のみ。突如として動きが鈍り、彼の周囲は一様に当惑の色で染まった。
ブラッキーとして全身全霊で発揮した力は、エーフィを除いたこの場にいる全てのポケモンと己を同期させ、麻痺状態を強制した。だがこれを成した『シンクロ』という特性は消耗が激しく、相対した者一体に効果を及ぼすだけでも相当の体力を消耗する。
瀕死状態で斯様な無茶を実現させるに必要なのは、彼自身の生還という選択肢を捨てる決断。
すなわち、命を捨てようと主が到着させるまでの時間を稼ぐ。
「ブラ゛ァ゛ア゛アッ!」
その覚悟で放たれた『あくのはどう』は普段の彼らしからぬ大雑把なもの。だがその乱雑さが軌道予測を困難にし、襲撃者達に回避への専心を余儀なくさせていた。
互いに痺れの走る条件下ならば、心構えがあった分だけ精神面で有利。
至近距離で放たれた黒い波動が吹き飛ばし怯ませ、『バークアウト』で破壊力を削ぎ、自身が倒れた後も考慮し『いやなおと』と『あやしいひかり』でエーフィへの追撃を少しでも躊躇わせる。彼女が主導権を握れるヤトウモリは後回しに、フカマルとヤングースを一体ずつ抜け目なく撃破していく。
「ギシャーッ……!」
「ブッ、グ……ラァ……」
死力を尽くした反撃で幾体かは退けたものの、今の彼は本来ならば疑う余地のない戦闘不能状態。そのうえで更なる無理を押した立ち回りは、確実に彼の生命力を削っている。
卓越した耐久力も、ヤトウモリの『りゅうのはどう』ですら甚大な被害になるほどだった。
「フィイッ……! フィィーッ……!」
「ラ……ァ、ブラ……」
撃ち落とされ、地べたに頬を擦り付ける彼の耳にどこか遠くから響く、妹の悲痛な声。
とうに手持ちのきのみは『やきつくす』で無くなり、此処は天を拝めない洞窟内。身体は指一本たりとも動かず、回復手段は無く、声を出せているのか自分ですら分からない。それでも、ブラッキーという種族に許された嫌がらせの手は全て打った。
残されたのは、あの人間なら間に合うと祈るのみ。
「グクルララッ!」
彼の霞む視界を照らすのは、横様に真っすぐ迫りくる炎。だが夜目すらも覚束ない今の彼には寧ろ有難い。
「フィィ……!」
彼は立派になった妹に顔を向けると、ゆっくりと笑みを浮かべた。それは彼女をしても初めて見る、柔らかく悠然とした表情。
きのみを分け与えてくれる優しさでもなく、群れを守るべく戦っていた勇ましさでもない。人間と仲良くなる手腕を褒めてくれた際のどこか安心したような表情でもなく、彼女自身に言い寄る群れの雄を追い払う時の不機嫌そうな表情でもない。
想起される記憶は、未だイーブイだった頃のものばかり。それでも今になって思えば、先程まで分からなかったのが信じられないほど、目の前のブラッキーと纏う雰囲気は同じだった。
ふと、彼女は全身の痛みなど無かったかのように、静かに起き上がった。そこに有るのは救出の構想などではなく、ただ傍に寄りたいという想いのみ。
半ば無意識のまま、走り出すべく足に力を込めるその刹那。
「フィッ――」
兄の姿が、燃え盛る炎に包まれた。