月の光とボールの輝き   作:中野 唯

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13(終) 宝物

 南一番エリア。プラトタウンとテーブルシティに挟まれた小さな池の辺が、彼ら定番のピクニック場所である。

 象徴的な樹木が悠然と聳え立ち、爽やかな葉をすりぬけた陽光だけが池に浮かぶコダックへ降り注ぐ許しを得ていた。

 

 緊急時の雨避けにも使え、装飾としてアマカジも完備されている此処は、彼のトレーナーにとってパルデアにおける名もなき名所。

 授業を終えた彼らが食事とする日常はいつしか近辺の野生ポケモン達にも受け入れられており、余分にサンドウィッチを作っては共に楽しんでいた。

 

「ん~……テスト終わったぁ~!」

 

 木漏れ日が傾き、テーブルの半分が覆われた頃。

 食事終わりの一息は補給された栄養を糧として、幾つもの憂いを晴らした解放感と合わさり勢いよく吐き出された。

 

「ジム巡りも、ペパーのマフィティフも、スター団のあれこれも……全部解決だー! ひゃっほーい!」

 

 手持ちのポケモン達も主に合わせ喜びを示す。彼は一瞥して頷いただけであれど、マスカーニャですら歓声を上げていた。

 

 ナッペ山を無事に踏破し、ゴーストジム、こおりジムを順調に突破。

 最後のヌシを撃破し、ミライドンは本来の力を取り戻すまであと一歩。

 スター団ボスとの闘いを以て、校長からの頼みも達成。

 アカデミーの授業は全て受講、集大成たる期末テストも突破し、先生方にも認められた。

 

 ミライドンの情報収集に関してもチャンピオンランクが必要となるために、ポケモンリーグ制覇は何れにしろ必須である。

 先の件でボタンは既に協力を約束してくれており、あとはリーグの先で待つネモとの約束を果たせば、ペパーの背中を押すに留まらずミライドンの正体まで聞き出せる。それらこそがトレーナーの目的であった。

 

 今回のピクニックは普段通り食事のためというのは勿論、自由であるが故の悩みが徐々に薄れ、進むべき道が明快となった自身らのための決起会という側面もあった。

 

「あぁ~、パモ吸いはやっぱりなんかこう……すぅーっ、あれだよね……すうー、はぁー……あのぅ、あれ……すーっ、はぁー……頭が冴える感じするよね……」

「パモッ!」

「マリルリの耳やばい、ほんとやばい。これ余裕で寝れる。てか寝るね、あとよろしく」

「リィルリィ!」

 

 パーモットやマリルリは手持ちの中でも特に主との親和性が高く、他愛ないやり取りを喜んで受け入れている。枕にされかけているマリルリは多少暴れているようだが、本心から嫌がっているのだと思う者はこの場にはいなかった。

 

 彼にしても今更その様子に呆れたりはしない。また自身の腹で深呼吸されてはたまらないと、食事を終えた後は独り離れ物思いに耽っていた。

 目下考えるべきは、彼女との関係性。

 プルピケ山道にて互いが兄妹であるとの認識を共有して以来、彼女は傍目から見て分かるほど余所余所しくなった。彼からして予想通りではあったが、いざそうなってしまうとどうすればいいのか分からない。罪悪感を抱く対象が幾ら「気にしていない」と言ったところで意味はないのだ。

 どれほどの窮地に陥ろうと、群れのイーブイ達に不和が生じようと、都度何をすべきか瞬時に見極め実行し、解決に導いてきた。なんでも分かるとは決して言えないが、下手な人間よりは賢いだろうと自負している彼はしかし、妹のご機嫌取りだけは昔から手を焼いていた。

 

 途方に暮れ、ぼーっと水面を眺める。ルリリが漂っている姿には何の手がかりもない。

 のどかな野生ポケモン達のあくびに誘われるようにして、気付けば彼は転寝していた。

 

 

 

 

 

「ブラッキー」

 

 主の声に反応し、黒い耳がぴくんと立つ。周囲を見渡し主を見つけたようで、謝罪代わりに一つ声を上げた。

 

「ふふっ、よく寝てたね」

「ブラ」

「いいよいいよー、疲れてるのは皆もだし。よく考えると、ナッペ山登ってからは正に破竹の勢い! って感じだったもんねぇ~」

 

 にへらと笑う主は「よいしょっ」と彼の隣に腰を下ろした。寝る前までテーブルがあった場所では、何箇所か草が踏み倒されている。

 陽射しの眩しさに思わず目を細めた彼がそちらを見やると、どうやら日の入りも近いらしい。明かりが無いと心許ないが、別に無くとも困りはしない、そんな時間帯だった。

 

「ブラッキーに聞きたいことあるんだけどさ」

 

 池を眺めたまま主が問う。彼もそれに倣い、水を飲むグルトンを見つめた。静かな水面に一糸乱れぬ波動が幾重にも生じている。

 

「もしかしてエーフィって、妹?」

 

 彼が思わず振り返ると、主はいつの間にか彼を見つめていた。目が合ったことで確信を得たのか、穏やかな笑みが乗せられた。

 

「あ、やっぱりそうなんだ」

「……ブラ」

 

 なぜ気付いたのかと問う。彼からすれば気付ける要素など無かったはずで、カマをかけるにしても関係性が的確過ぎる。

 

「えー? そりゃ勿論、私の持つ君たちへの愛がゆえに……!」

「ブラ」

「はい、すみません……そう言えれば恰好良かったんだけど、エーフィからあの時のブースター達が昔の知り合いだって聞いたからです……」

 

 胸元に指先を置き僅かに上を向く主を即座に牽制した彼は、続く言葉に目を瞬かせた。それは彼女と彼が知り合いだという根拠にはなり得ても、親戚であるという根拠にはなり得ないはずだと気付いたから。

 

「まあ……確かに、兄妹だっていうところは勘だね」

 

 いつしか持ち上がっている彼の尻尾は、輪っか模様が目立ち始めている。

 冗談めかしていた主だが、それは正しく彼と彼女をきちんと見ていたからに他ならないと、元より聡明な頭脳は今更見誤ったりなどしない。半分程は本当だというのに何故一々茶番狂言を挟むのか。目を瞑り息を吐く彼の口角は、ほんの僅かに上がっていた。

 

「実は私、弟がいてね。それでかな、なんとな~くエーフィを見るブラッキーから私と似たような雰囲気を感じたの。お父さんと一緒にイッシュ地方ってとこにいるから、今は会えないけど」

 

 手を組んで伸びをするかのように前へ突き出す。空気と共に吐き出した音に、寂しさは含まれていなかった。 

 

「その弟がね、ブラッキーに似てるの。私と違ってすっごい頭良くて、三歳の頃にはポケモンのタイプ相性全部覚えてた。お父さんの後を継ぐかは決めてないみたいだけど、ポケモン医学の本を趣味だって言って読むんだよ? すごくない?」

 

 ふと目を逸らした彼の脳内にあったのは、以前似てると言われたゾロアの表情。似てると言われた者への賛辞に対し、形成すべき言葉は滞留する煙の如き有様で、まとわりつかれた尻尾は徐々に下がっていった。

 

「手先も器用で料理は私より上手いし、他の色んなこともお姉ちゃんに比べてすーぐできちゃうの。まぁ私の教え方が上手いからっていうのは、言うまでもないくらい明白な事実である訳なんだけど」

 

 自身を卑下するような言葉の羅列だが、その声色はどこまでも明るい。

 長く伸ばされた太陽の手が、彼の特徴的な体色すら塗り潰して赤く染めていた。

 

「いつからか私が教わる側になっちゃったりして、医者のお父さんより弟からポケモンの治療教わったくらい」

 

 それを聞いた彼の中には、コレクレーのコインを見つけた時のような、すっきりとした感触が広がった。手当がやけに手慣れていると思っていたものの、単純にポケモンへの愛が故ではなかったのかと得心がいった彼は、即座にそう勘違いした意味を自覚し頬を染めた。

 

「でもね、私はお姉ちゃんだから。あの子が怪我したら私が手当するし、虫ポケモンに怯えてたら私が追い払ってあげるの。困ってたら助けるし、頼られたい。ブラッキーだってそうでしょ?」

 

 どうやら気付かれてはいないらしい。内心を覆い隠してくれた夕焼けに感謝しつつ、何を当たり前なことをと、彼ははっきりと頷いた。

 

「ふふっ、でしょ? 出来の良し悪しとかは関係ないの。私も、伊達にお姉ちゃんをやっていないのです」

 

 むふー、とでも言いたげに腰へ手を当て胸を張る主。その様子に彼は思わず、いつだかと同じ物言いたげな目線を向けた。

 

「あ! またナッペ山のゾロアみたいな目ぇしてー!」

 

 すると興奮した主が、腕を伸ばして頭から突っ込んだ。避ける訳にもいかない彼は甘んじて受け止めるも、それを受け入れられたと思ったか、主は好き勝手に彼の感触を堪能しだした。

 

「今思い出しても笑えるよねぇあれ、ほんとにネットで見た通りジト目でさぁ」

 

 何が楽しいのか好き勝手に騒いではくすくすと笑い、抜け出そうと藻掻く彼に細くとも力強い腕が追いすがる。無邪気な様子とは裏腹に、決して彼が抜け出す隙を見せない。

 

「……」

「……ブラ? ラっ!?」

 

 動きを止めた主に怪訝な様子で問いかけようとするも、突如覆いかぶさるように飛びつかれる。虚をつかれた状態で全身を胸元に掻き抱かれたものだから、抵抗も儘ならない。

 

「ね、ブラッキー」

 

 陽は陰り、徐々に湿気を帯び始めた宵の風が、彼の耳朶を優しくなぞる。

 黄昏には無い、心地よい温もりを伴った闇が彼の聴覚を鋭敏にしているのか。あるいはそれとは関係なく、主の常には珍しい真摯な様子だからこそ彼の身体から力を抜かせたのか。

 

「そんな弟がいる私だからこそ、多分ブラッキーとエーフィ両方の気持ちが分かるの」

 

 ポケモンという枠に収まらない彼の類まれなる知能は、人間が度々用いる迂遠な言い回しすらも看過する。いつしか意識せずとも行えるようになり、気の利いた立ち回りで以て場の者達を和ませられたかと思えば、憶測による無用な懸念を抱いては都度憂慮した。

 その彼をして、主の言葉が本心から出たものであると、疑いなくすんなり受け入れられた。

 

「ちょっとだけ勇気を出して、エーフィを信じてあげて欲しい。多分あの子も、お兄ちゃんに頼られたいって思ってるから」

「……ブラ」

 

 主の顔を一目窺おうと、その抱擁からは抜け出さずに少し距離を空ける。視界に入る直前に改めて強く引き寄せられた彼の身体は、淡く光りを発し始めていた。

 手のひらが彼の頭に伸びる。すり、と撫でつけたまま、ゆっくりと主が立ち上がった。

 彼の瞼は落ちたまま、なお上を見たりはしない。確かな月の存在を感じられさえすれば、それ以上を望む必要など何処にもなかった。

 

「そろそろ帰ろうか。もう日も暮れちゃったし」

 

 太陽の如き陽気なものでもなく、月光の如き穏やかなものでもない。軽やかで丸みのある、どこまでも落ち着いた声。

 それを聞いて、彼は漸く目を開く。

 主が振り返った直後だというのは、中空に舞う小さな宝石が示していた。遠くの街の明かりを反射して橙色に光るそれが、奇しくもブラッキーの黄金色と相まって艶美な趣を見せている。

 

「よしっ、じゃあ明日からはリーグに向けて特訓。ブラッキーはうち唯一の受け要員だからね! 頼りにしてるよ」

 

 震えた出だしに、後半は通常。少なくとも声色だけならば普段通りと言えよう。だがブラッキーの夜目を忘れているらしい主には悟られぬよう、ほんの僅かに目を逸らす。普段よりも微かに増した血色を認めた彼は、話を逸らす意味も込めて逆に問うた。

 なぜこうも戦法に偏りがあるのか。

 

「あ~……それはぁ~……そのお、ですねぇ……」

 

 指先をそれぞれ合わせ、楕円体の空気を揉み込む。立てては沿わせ、四指の基底部が幾度も近づいては離れゆく。

 

 プルピケ山道の件以降、一時的にパーティから外していただけであったらしいデカヌチャンとドオー両名共、既に交流を深めている。彼ら二体を含め、彼は当然パーティの不均衡に気付いていた。

 主の中心的な戦力はマスカーニャ、パーモット、マリルリ、ソウブレイズ、デカヌチャン、ドオー、エーフィ、ブラッキーの計八体。

 エーフィとブラッキーを除いた六体全員がものの見事に物理攻撃を主体とし、且つドオーを除いた五体は特徴的な素早さも用いて機先を制する戦いを得意とした者達。

 エーフィとて特殊攻撃主体ではあれど、同じく素早さも併せて苛烈な速攻が強みとなるよう育て上げられていた。

 

 これの何が問題かと言えば、彼らよりも更に動きが速いポケモン、若しくは搦め手や耐久力を売りにしたポケモンには手も足も出ないという点。

 攻撃一辺倒の思考では不意の一撃が致命傷になりかねず、一度でも隙を晒せばその瞬間に戦闘不能を覚悟しなければならない。

 だが続けられた言葉は、その綱渡りを為し続けてきたと肯定するモノだった。

 

「やっぱ皆が傷つく姿は見たくないなぁって……それで思ったの。相手より先に動いて、一撃で倒せばいいんじゃない? って」

 

 何を言ってるんだこいつ。彼は自身の表情がそう物語っているであろうと、自身で知覚できるほど心の底からそう思った。

 

「でもそう上手くはいかなくてですね……搦め手とか、カウンターとかも考えなきゃなぁって思って、それでブラッキーに仲間になってもらったの!」

 

 主の手持ちとなったばかりの頃、妙に逆襲する際の指示だけ迷いを感じた記憶が蘇る。まさか攻撃を受け止めた後の動きを碌に考えていないが故であったと理解すると同時、逆に言えばこの短時間に彼ですら感嘆するほどの指示を出せるまでになっていたのかと驚愕した。

 大雑把で雑な性分と、それを覆して余りある程の才能に呆れ果てた彼は、これ見よがしに特大の溜息を吐いた。

 

「ごめんってばー! これからは戦術とかもちゃんと考えるからー!」

 

 とはいえ彼も他人のことばかり言ってはいられない。きちんと、妹と向き合う必要がある。

 

「だから私には……」

 

 微笑みを凍てつかせ頭を振る主。改めて載せられたのは、力強く不敵な笑み。

 

「私達には、君が必要なの。これからも一緒に来てくれる?」

 

 ボールを差し出し、彼に問う。

 当然それは、黒地に黄色の線が通ったハイパーボール。

 

「……ブラ」

 

 彼の動きに躊躇いは無かった。

 ブラッキーの輪っか模様を思わせるその意匠は、未だ彼だけを特別足らしめている。優しい月の光は、ほのかな黒と黄を等しく照らしていた。

 

「ありがとねブラッキー。私と一緒にいてくれて」

「ブラ」

 

 彼は、今ほど人間の言葉を喋れたら良いと、そう思った瞬間はなかった。

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