月の光とボールの輝き   作:中野 唯

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4 急転

 群れの先頭を歩いていたイーブイが、幾つも転がっているきのみを見つけて駆け寄る。そこで月明りで出来た影に紛れ、紐状の何かを踏んだ感触を足に覚えた。

 

「ブフゥーッ……!」

 

 イーブイは突如闇に現れた瞳を前にして漸く、踏んづけたものとあまりにも黒い岩肌の正体を理解した。

 

「ぶ、ぶいっ……ぶいっ!」

「いぶい? ……っ! ぶいぃ!」

 

 突然ギョロリと見据えられた恐怖で身体を竦ませながらも、なんとか仲間達に緊急事態であると伝えられたのは、彼が叩き込んでいた訓練の賜物。

 中央後方。索敵が得意な者に先頭を任せ、群れ全体を一望できる位置にいた彼が見たのは、思わぬ天敵の出現に戸惑う仲間と、報告者に駆け寄っていた妹の姿。

 

「ブゥフモゥ!!」

 

 イーブイの持つノーマルというタイプは、どんな場所であれ生き残るという目的に限って言えば優れている。

 有利なタイプは存在せずとも、不利なタイプも一種のみ。その唯一の天敵も基本的に人型をとる場合が多く、そうでない場合もなんらかの形で手足が発達している場合がほとんど。みやぶるとまではいかずとも「かくとうタイプかもしれない」という警戒をもつのは容易く、致命的な一撃を不意に受ける経験はこれまでなかった。

 

 問題は相性に関係なく大抵のポケモン相手に適わない点だが、群れ全体を初めから「逃げに徹する」という意志で統一できる彼らにとっては然程重要ではない。

 身を守るという一点を優先するのであれば、そもそも危険なものに近づかないのが最も有効である。比較的小さな身体を利用して、隠れやすい場所が多い地域で暮らすというのも、間違いではないのだろう。

 

 しかし一見しただけでは分からずとも、凝視されてしまえば発見される場所をはじめとして。万が一鳥ポケモンなどに見つかってしまえば、手ごろな逃げ場などない広漠な草原であったり。相手の感覚が鋭敏でないとみるや、強気に直ぐそばで息を潜めるなど。

 時にはリスクの高い選択肢も、最適解になり得る。

 そう理解していた彼は、山や洞窟、あるいは深い森といった、ある程度の大きさでも容易に隠れられる方法が点在する地域は、これまで避けて生きて来た。

 

 だが如何に頭が回ろうと、全くの未知については想像して備えることすら酷く難しい。

 ケンタロスでも隠れられる岩場があるなど、夜の視界では判別できなかった。

 

「ブゥゥフ!」

「ぶいっ!?」

 

 ツノが狙う先は、言うまでもなく最も近い場所にいる個体。すなわち彼の妹だった。

 その瞬間、指示を出す労力すら惜しんで突貫した。

 

 ケンタロスの発達した脚力から繰り出される突進は、如何に衝撃を緩和しようと一撃で致命傷になりかねない。イーブイ本来の生息環境とも然程差異はない場所で暮らすケンタロスは、まさしくパルデア随一の天敵であると言っていい。

 故に今まで接近は勿論、存在を認識されることすらも避けてきた。

 

 しかしその程度は今の彼には関係なく。時の流れから逸脱したかのような景色の中を、ひたすらに駆ける。

 闇を切り裂く眩い光を纏った彼は、ケンタロスの側頭部めがけてその身を投げ出した。

 

「ブモゥ!?」

 

 進化の際に伴う燦然たる光が収まると、〈げっこうポケモン〉のブラッキーは月明かりを糧として輪っか模様を淡い黄金色に輝かせる。

 

「ブッ、ルァ……ブラ゛ッ!!」

 

 振り払われると同時、ケンタロスが衝撃によってたたらを踏んでいる隙に指示を出す。彼が上げた声を皮切りに、一斉に離散するイーブイ達。

 

 冷静で慎重が常の、絶対的指導者。その彼が上げた、仲間達に初めて聞かせた乱暴な声。

 弛緩していたイーブイ達を取り巻く状況が突如として一変し、その思考が止まっていようと。荒々しいケンタロスとは似ても似つかない、柔らかい月光を纏ったかの如き優雅な黒い身体に変化しようと。

 日頃から「緊急時にのみ発する」と叩き込まれていた命令が、脳を介さずとも彼らの身体を動かした。

 

 坂道を駆け降りる者。相手にはない柔軟性と軽量さを活かし崖を飛び降りる者。最寄りの木に登り林に紛れ込む者。点々と聳える岩を伝い山を駆け上がる者。

 時には呆れてしまうほど用心深い彼の頭脳が、絶望としか思えぬ難題を解決してきた場面を、仲間のイーブイ達は幾度も見ている。故に今更その命令に背く者など存在しない。

 

 ケンタロスはと言えば、自慢の突進を真正面から受けてなお堪えた様子のない彼のみに怒りの矛先を向けており、これ以上敵意を仕向けさせる必要は見受けられない。

 

 上手く勢いをいなし無傷のままケンタロスと対峙できていた彼は、ここで決して背中を見せてはいけないと、正しく認識している。

 初めに起き上がった者はやはり尖兵だったようで、その背後から次々にケンタロス達がのそりのそりと姿を現した。

 

「ぶいっ……! ぶぅいっ……!」

「ブラ゛!」

「っ! ……」

 

 足を震わせつつも背後から「共に逃げよう」と懇願する妹を、生まれて初めて見せる乱暴な雰囲気で一喝する。

 僅かも顧みず、ケンタロスと睨み合う彼の背後。そこから、最後の仲間も立ち去った。

 

「ブゥウフ……」

「……ブラ」

 

 一際体格に優れた個体が一つ唸ると、ケンタロスの群れは彼を囲うようにして広がり始めた。

 

 イーブイと比べることも烏滸がましい立派な体躯に収められたエネルギー量は、彼を含め体力自慢の者ですらやがては追いつかれる。そこから繰り出される突進や蹴りは一撃も受けてはならず、圧し潰されようものなら逃れる術はない。

 それを覆す可能性も秘める連携を活かした奇策の類は、先の惑うばかりだった彼らには難しかっただろう。

 これが最善だ。そう自分に言い聞かせ、際限なく湧き出る後悔と反省を無理やり断ち切る。

 

 「ブモォウ!」

 

 その声を機に、周囲のケンタロスが一斉に襲い掛かってきた。

 群れを相手に一匹で戦う際は、統率者を執拗に狙うのが定石。左右交互に突き出てくるツノを躱し、逸らし、時には自ら迫りケンタロスの足の間を潜り抜ける。

 だが包囲網を搔い潜ったとしても、俯瞰して指示を出す個体の元に辿り着くまでに、背後から麾下の者達が一撃を与えてくるのは想像に難くない。

 

 進化の高揚感に身を任せすぎないよう必死で己を律し、まずは生じた感覚の差異を把握するよう努める。

 

「ブフゥ゛ー……」

 

 初めて戦う格上のポケモンを相手取った際、彼がまず行うは観察。

 その脅威を正確に測るべく、彼は月光の下で必死の時間稼ぎを始めた。

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