飛び上がった瞬間、彼は思わず己の原点を思い出していた。
テーブルシティ。パルデア最大のその都市は、肩書に恥じない賑わいを見せている。だがそらをとぶタクシーがひとたび上昇すれば、見上げる気にもなれなかった建物がマメバッタほどの大きさにまでなってしまった。
「どう? ブラッキー。良い景色でしょ」
主の呼びかけに応え、彼はおっかなびっくりゴンドラから顔を出した。三人か、詰めれば四人は座れそうなゴンドラは、大型のポケモンがいないとはいえ六体全員をボールから出していれば当然狭苦しい。それでもこの主は、皆で景色を見たいからなどと宣うのだ。
しかし流れに乗じて抱きかかえようと迫るのはいただけないとばかりに、彼はたまらず自ら身を乗り出した。慌てた様子で冗談だと翻した主だったが、その言葉が本心ではないとポケモンとしての本能が告げていた。
「もう、エーフィならいつでも抱きしめさせてくれるのにな~、ねー?」
「フィー?」
彼らが別れを告げた中央広場に目を落とせば、色彩豊かな乱形石の敷き詰められた装飾が美しい円環を象っていた。テーブルシティでは定期的にポケモンバトルの催しが行われているが、その円の内側で多彩になぞられた長方形が舞台となる。
華やかな昼の顔とは裏腹に、陽が落ちれば街全体は暖かみのある橙色の光で包まれ、それがまた夜空との対比で澄明な顔を見せる。中央最奥に聳えるアカデミーが月を背負い、正面から見た際のバトルを、その歴史も相まって幻想的に彩るのだ。
彼は授業の合間に主と共に見た動画を思い出す。トレーナー同士のバトルでは試合中に使う技を四つに限定する必要があり、彼もその練習に励んでいる最中。いつかはあの場で戦うのかもしれないと思うと、不思議と胸元に熱を感じた。
「パーモットも言ってやってよ。少しはもふらせろー! えいえい、つっぱりつっぱり」
「パモッ、パモッ!」
点在する噴水を見やると、彼の小さな疑問が一つ解消された。囲うようにして描かれていた、幾何学模様に似て非なる曲線。それは上から見た際に花びらを模すようにしており、つまりは噴水を柱頭に見立てて花を形作っていたのである。
中央通りに面した数々の店を繋ぐ動線も、これまた多彩。目論見は違わず、飲食店や服飾店の前では大勢の笑顔が咲き乱れている。それ以外の部分は淡い色合いの小さな石で統一され、華麗な装飾を見事に引き立てていた。
「いけっ、マリルリ! おみみパンチ!」
「ルリリ~」
絢爛で瀟洒といえるテーブルシティであるが、しかして雑然とした印象は見受けられない。それは偏に、素朴な部分をも上手く活かしているからだ。
広場を中心として、南の正門と北のアカデミー、東西の大門から集約する主要な通りは、同じ乱形石による装飾なれど簡素で落ち着いた色相。
しかし住宅地や路地に入れば一転、整然と並べられた正方形や長方形による均一な煉瓦色である。多様な規則が入り乱れているにもかかわらず調和がとれているのは、煉瓦調の形が齎す端正な雰囲気と、陶磁器に見られる自然な色味が故か。
それら凝った意匠のタイルを見下ろすように並び立つは、三色の屋根を持つ組積造建築。くすんだ褐色は褪せ、蒼色の名残を窺わせ、闇夜に紛れる藍色が、それぞれの質実さを以て足元の華を引き締めている。
人間の美的感覚とは多少差異のあるポケモンであっても、素直に美しいと思わされる。改めて見た人間の街に、彼はただ圧倒されていた。
「あの、ごめんてブラッキー……無視しないで……」
だがいい加減に鬱陶しい。そう思い振り返れば、尻尾をぺしぺし叩きつけてくるエーフィと、長い耳を撫でつけてくるマリルリ。終いにはパーモットの両腕を背後から掴み、ぽむぽむ交互に押し付けてくる眉尻を下げた主と、ため息を吐きたくなる混沌が広がっていた。
主は取るに足らないにせよ、彼らは三体とも満面の笑みで迫ってくるものだから、邪険にする訳もいかず始末に負えない。
スマホロトムで写真を撮っているマスカーニャは我関せずといった様子で、ソウブレイズは高いところが苦手なために縮こまっている。
ならボールに入っていればいいと思うのだが、他全員が喋っていると寂しいらしい。戦闘時の凛々しい様はなんなのか。次からはマスカーニャの呆れる様子に、心苦しくはあれど同意してしまうかもしれない。
「スパイシーポテトあげるから機嫌なおしてよ~、ねぇってばぁ~」
そんな主ら越しに目に入ったのは、ゴンドラを運ぶイキリンコ達を従える運転手の、笑いをこらえる様子。
途端に羞恥心が込み上げてきた彼は、ポテトを引っ手繰るようにして受け取る。身体の下に差し込まれた手は、ポテト代だと思い甘んじて受け入れた。
「むふーっ! やぁっともふらせてくれたなぁー? このこの~」
碌に反応のない自身を相手に一体何が面白いのか。
頬と頬を擦り合わせかと思えば、背中と顎を絶妙な強さで愛撫される彼は、どこまでも無反応を貫く。
「うりゃうりゃ~、こうかな? それともこんな感じ? あっ、こうでしょ!」
頭頂部から背を通り、腰部までをなぞられる。心地よいと感じてしまえば負けた気がして、素直に認めるのは何故か癪だった。
「すぅー、はぁー……うへへ。ブラッキー吸いは多分内臓が良くなってるねこれは……ひでんスパイスなんていらなかったんだなぁ……」
背中に顔を押し付けて深呼吸をされても、嫌がる素振り一つ見せない。すると主は受け入れられたと思ったのか、その後も満面の笑みでふれあい続ける。
訳の分からない発言を流すのも手慣れたもの。もう勝手にしてくれと、彼は月明りすらない真夜中を思わせる瞳で、全身の力を抜き身を任せた。
「ふぅー満足…… ん? あっ、もうロースト砂漠なんだ! いやー、こうしてみると綺麗なんだけどねぇ……できればもう通りたくはないなぁ、髪も大変なことになるし……みんなー、もうすぐ着くから集まってー」
眼下には、褐色ながらも確かな活気を感じさせる街が一つ。囲っているオリーブ畑だろう荒野の傍を流れる川は力強く、上流には青々とした大地が広がっている。
それらを越えて見えてきたのが、燦々と照らされ黄金色に輝く砂漠。不毛の地ではないという証拠に、数多のポケモンが跋扈していた。
地図を見て理解はしていたつもりでも、やはり実際に見るのとでは全くもって違う。
ちっぽけな身体のイーブイ達だけでこの大地を駆けまわっていたのでは、それはもう大変なはずであると、彼は妙に納得がいった。
登頂できるかも分からない山を軽く超え、並みの鳥ポケモンを凌駕する高度にいてもなお、端まで見通せぬ広大な世界。
人が創り出した精巧な美と、花鳥風月が織り成す自然の美。あの朝の陽射しに匹敵する美しい光景に彼は、これを見られただけでも今の主についてきた価値はあると、心の底から思えた。
「じゃあそろそろ作戦会議、はじめるよ」
ふと、硬質な音が彼の意識を引っ張る。
無邪気な仲間に纏わりつかれようと、主の手に身体を弄ばれようと、意にも介さず自分の世界に入りきっていた彼。その目と耳を、主の一声が引き寄せた。
思い思いに寛いでいた彼らの眼差しも、真剣なものへと変わる。
普段は可憐な様子を見せるマリルリですら研ぎ澄まされた戦士の雰囲気を醸し出し、スマホロトムを手放したマスカーニャからは不敵な笑みすら消えている。顔色は変わらないながらも、震えの止まったソウブレイズの凛とした表情は正に戦闘中のそれだった。
「今私たちが向かっているのはナッペ山っていう雪山で、そこに二つのジムがあるの。まずはゴーストジムのあるフリッジタウンを目指したいんだけど――」
どうやら雪山の外縁で最もフリッジタウンに近い場所は、オージャの湖という高レベルのポケモンが多数いる地域、またはそのすぐ隣らしい。
大きい湖と聞いた彼は一つの記憶が呼び起された。
シャワーズに進化した仲間の居住地として試しに様子を見に行き、群れの全会一致で却下したのを覚えている。あの明らかに格上のポケモン達で溢れかえる傍を僅かでも通るのは、確かに躊躇われた。
そのため、一度もう片方のジムを通り過ぎる形でゴーストジムを目指すという主の提言は、彼にも妥当であると思えた。
「プルピケ山道を抜けて、更に雪の中を長いこと進むことになるんだけど……皆、ついてきてくれる?」
各々が気合い十分といった様子で主に返答すると、それはもうたまらないといった様子で破顔した。
「ありがどねぇ゛~、みんなぁ゛~……!」
六匹を纏めて抱きしめようと、もといその感触を楽しもうとしている主から、彼とマスカーニャだけはするりと抜け出した。
にやりとした様子で流し目を送ってくるマスカーニャとは、気が合うのか合わないのか分からない。
洗練された身のこなしは、相手から目を離すなど通常はありえない戦闘中に、彼であろうとついその誘導に従ってしまうほど。相手の意識を逸らすのが極めて巧く、作り出した隙で相手の急所をつき、時には彼と同じく相手の力を逆に利用して反撃を叩き込む。
あのトレーナーの相棒とは思えないほど理知的なのだ。
ブラッキーと同じあくタイプを副次的とはいえ備えており、他五匹の中で最も彼の存在意義を揺らがしているのは間違いなかった。
「ふふっ、皆かわいいのに頼もしいですね」
「そうなんです! うちの自慢の子達です……!」
運転手がそう言うと、主は我が意を得たりと言わんばかりに胸を張りそう宣言する。
抱きしめられていた四匹はと言えば、主の真似をしているつもりか同じく胸を張り、見上げるような体勢で運転手にアピールしていた。
やめてくれと思っているのはどうやら彼だけのようで、マスカーニャですら得意そうに口角を上げている。
「んふふふふっ……! その制服、アカデミーの生徒さんですよね。ナッペ山のジムリーダーは両方とも凄く強いですから、頑張ってください。応援しています」
「ありがとうございます! もしかしてお姉さんも、挑戦した経験がおありで……?」
「実は私、卒業生なのよ」
「えっ、そうなんですか!? ってことは……OGってやつ? ですね!」
トレーナーとそのポケモン達に対する運転手の笑みは、微笑ましいものを見つめるようなそれに他ならず。
彼は今ほど人間の言葉を喋れたら良いと思った瞬間はなかった。
卒業生の助言も参考にして、より詳細な作戦概要や合図などを定める。
その際、改まった態度が徐々に緩んでいく姿は、今に始まったものではなかった。
硬くも暖かく、締めつつも和む。トレーナーが意図しているかは定かでなくとも、彼らに齎される緊張具合はとても好ましい。
主が、自身を従えるポケモントレーナーとして。そしてなにより、荷を託す者として相応しいと、彼はとうに認めていた。
人とポケモンがすし詰めとなったゴンドラは、乗り切らない程の笑顔を載せて空を飛ぶ。
鮮やかに照らされる広大な砂漠を横目に、左前方から見えてくるは例の湖。ゴンドラ内を直接照らせない朝陽は、ならば下からだと言わんばかりに水面をも利用して彼らの表情を彩っていた。
その様子を、彼は儚い笑みと共に眺める。
主への想いから進化を果たしたであろうエーフィとは違い、お山の大将として立派になっただけのブラッキーは、次のジムを攻略すれば晴れて野生の身。今度こそ独りで生きていくために、二度と見られない美しい光景を目に焼き付けずにはいられなかった。
彼(当時はイーブイ)
「ちょうど近くに大きい湖あるらしいよ」
進化直後でうきうきのシャワーズ
「うふふ、楽しみだわ」
見た後
小さきものたち
「そりゃしり込みもするって」
「あの水を前にして背中なんて押せるわけない」
「小さきもの、それは私。私です、まぎれなく」
身の程を弁えたシャワーズ
「うふふ、無理だわ」