晴れた朝。
今日は仕事が休みであることに胸を撫で下ろしながら──昨日の今日であの自分と同じ顔を見るのは忌避感が強い──栄養バランスの完璧で味のしない朝食をもそもそと食んだ。……味覚が機能しないことの苦痛など、今まで想像もしていなかった。元が痛みであるからか、僅かに感じる辛味だけが救いである。
さて、考えるべきことは多い。昨日は逃走できたものの、あの対応はその場しのぎ。再度顔を合わせる機会が必ずある男への対策、そしてその仲間と思われる三人への対応。……このまま元の世界に戻れれば逃げられるだろうが、帰還の手掛かりなど見つかってはいない今、その最善手は遥か遠い。おれの頭を悩ませるのは、総じて今後の立ち回りについてである。
そこまで考えて、息をつく。いくら思考を回しても所詮は机上。
「今日は何をしようか……」
とりあえず、外に出よう。日光と潮風を浴びれば少しは気分転換になるかもしれない。
──────…………
「ポッポー、大盛りラーメン一つ。ヒョウ太はどうする」
「あ、ええと、普通盛りで……」
「成長期なのに食わねェんだな、クルッポー」
──丁度今日の朝、昨日の今日でと考えていたはずだろう? こういうのをフラグというのか? 等と。服部ヒョウ太として動く上で身に付けたオタク知識が脳内を無駄に駆け巡る。
「お待たせしましたー」
ごとりと目の前に置かれた2つのどんぶり。大衆食堂のザ・ジャンクな見た目ではなく、小さな隠れ家的店の少しばかり小洒落た盛り付けと器である。
何故おれは昨日脅された相手と並んでラーメンを食べようとしている……?
「フルッフー、スパイス掛けすぎじゃないかお前」
でもって何故お前は平然としている??? うるせェな調味料に口出すな、味がしない麺啜りたくねェだけだ!!
……こうなった経緯、……経緯といえるほどまともなものではないが、とりあえず。
街を散歩していた所を曲がり角でばったり会って、逃げる前に首根っこ掴まれてそこらへんの店へ引き摺りこまれた。以上。
「よくもぼくに声掛けれたね〜〜……さっきは死んだかと思ったわ」
「物騒なことを言うなよッポー、昨日の詫びに奢ってやるってだけだ」
よく言うな此奴、とじとりとした目線を向けても何処吹く風。図太い男だ。──こうして無理やり対面する状況を作り出したからには、昨日の動揺はもう飲み込んだのだろう。
そして即座に始末する気もないようだ。人目がある店へと引き込んだのがその根拠。
「で、なんの用?……言っとくけど、誰にも話してないからね」
「賢明なようで何よりだ」
「昨日の続きだ、クローンの話」
器用にも潜めた高い声で紡がれた昨日と同じ言葉に顔を顰める。有り得ないと言っているだろうに。
「またそれ? 心当たりないって言ってんじゃんか」
「いいから、黙って聞いてろポッポー」
「むう」
むくれながら箸を手に取り、麺を口に入れた。相も変わらず舌触りはあるというのに味だけが抜け落ちており、ちくちくと口内を刺す辛さに救われる。嗅覚も触覚も機能しているというのに、何故こんなに無味に感じるのだろう。
「そうだな……お前は自分が『ロブ・ルッチ』だと言うが、それはどうしてそう思う。クローンではないと証明できるのか?」
「何それ、哲学? 悪魔の証明なんて吹っ掛けてこないでよね」
「不可能なら可能性はあるということだ、いくらお前が言い張ろうとな」
……此奴は何が言いたい。どれだけおれをクローンにしたいんだ。
もう本性だの何だのは露呈したのだし、並行世界のことも何もかも全てぶちまけてしまって構わないような気がしないでもない。良くない思考か? これは。──いや、否。早まるな、敵と言える相手に対して言うものではないだろ。そもそもこの状態で言ったって信じられるはずもない、嘘だと切り捨てられるだけ。頭の中で選択肢を消去する。
「じゃあさ、もし仮に、万が一! ぼくがクローンだったんなら、君はぼくをどうするつもり? 気味悪いって殺す?」
「安心しろ。クローンだからという理由だけで消すつもりはない」
「……そ。他の理由があれば殺る気満々ってことね……」
溜め息を一つ。何が気に障るのか分かったもんじゃない、地雷原を歩いている気分だ。
「目的次第だ。……お前はどうしてウォーターセブンに来た?」
「……それを知りたいのは、こっちだよ」
「ぼくだって知りたいよ、ここにいる理由なんて。目的なんてものもない。帰りたいだけ」
「……ならとっとと帰ればいいだろう」
……お前は、おれの癖に、何も分かっていない。
そんな一言で片付けるのか。簡単に帰れていたら、おれだって苦労はしない!
「帰れないから言ってんの!!」
気付けば、がたんと音を立てて立ち上がっていた。赤く染まったスープの水面が揺れている、卓を叩いていたらしい。
「……、あ、ごめん、なさい」
端の席とはいえ注目が集まり、気不味く座り直す。……この顔に、あんな事を言われたせいだ。相手のせいにしなければやってられない程に感情の制御が上手くいかない、自覚している。しているけれどどうしようもない。
「クルッポー……」
「ハットリも、驚かせてごめんね」
相手の肩で全身を毛羽立たせた白に、眉を下げて謝る。
何故これ程ヒステリックになってしまうのかと髪をぐしゃぐしゃ掻いた。妙な俯瞰視点が理不尽だと叫ぶ。どうにも心が腐れて沸点が低くなっているらしい、と自己分析をして落ち着かせようとする。
「帰れないってのは心情的なものか、誰かに止められでもしてるのか?」
隣の男は少し目を見開いたもののすぐ元の無表情に戻り、また質問を続けてくる。……本当に無神経だな。
「違うよ、物理的な話。帰り方が分かんないの」
「どこに帰りたいんだ」
「……グランドシティ。言っても分かんないでしょ」
「フルッフー、ああ、聞いたことないな」
「だろうね」
意図せず声が低くなる。もしかしたら、声色を変えることすら出来ていないかもしれない。……ダメだ、此奴の前では服部ヒョウ太でいられなくなる。
空気を吸い込んで、全て吐いて。感情の起伏を押さえつけ、レンズ越しの姿を睨む。
「ならさ、ぼくに関わってこないでよ。ぼくだって君が何してようと干渉する気はないんだから」
「……いいだろう。おれはお前に手出ししない。その代わり、お前はその『邪推』を誰にも言うんじゃねェぞ」
「あくまでもそれで押し通すつもり?まァ……いいよ、約束。指切りげんまんしとく?」
「結構だ」
こんな口約束などに縋るつもりもないが、相手とて立場がある。派手な行動はしたくないはず。
……此奴が手出ししてこないだけでカクやブルーノが飛んでくることはあるだろうが、力量的には奴らに殺されることなどない。
妙な縁による深い関わり合いはこれっきり。
「クルックー、そういえば」
「なに?」
まだ何かあるのか。うんざりとした空気を隠すこともなく雑な返事をする。
「水路に落ちたってのも演技か」
「その話やめない?」
「……まさか真正か?」
「この話やめよう」
見た事のない感情の籠った、自分と同じ色をした目から顔を逸らした。忘れかけていたのに思い出させないでほしい。
──────…………
月の隠れた夜。海列車も通らない真夜中。
ゆら、ゆら、揺れる線路の上。ふら、ふら、歩く黒い影がある。
肩まで無造作に伸びた髪。
意志を宿さぬ黒い瞳。
夢の中のように漂い歩く。
自我のない胎児がかえるように、歩く。
前へと突き出した手の中に一欠片の紙を持っている。
ずりずりと進行方向へと動く紙を。
水の都へ。
原型の元へ。
そうやって、ただふらふら歩く幽鬼の姿かたちは。
『服部ヒョウ太』と、全く同一であった。
ビブルカードの仕様は元の大きい紙の方に破片が近付くもの。だから追跡は相手が元紙を持ってないとできない。理解してます。しといてよく勘違いされるビブルカード元の本人に近付いてく方の設定が便利だからってそっちを使いました。
科学者の発明したビブルカードの類似品ってことで許してください。
許してやるよォ!!!(セルフ許し)