夢の中を歩くひと
音のする方向にふらふらと歩を進めていけば、先程までいた路地裏の静けさなど嘘のように露店と人で賑わった市場へと辿り着いた。路地裏と変わらず漆喰とレンガで組まれた建造物の街並み、その隙間に張られた道路では地面よりも水面が幅を取っている。
「水上都市……」
街の中心地らしき場にそびえ立つ巨大な噴水はモニュメントだろう。物珍しく美しい、それでいて活気のある光景は観光地として紹介される所以となり得る。現実にある都市もこうなのだろうか。
……と。
「おう兄ちゃん観光かィ!」
「ッどわーっ!?」
感嘆として漏れた言葉に反応したのだろう、向かい側を歩いていた壮年の男性が、すれ違いざまに気さくな調子で肩を叩いてきた。予備動作から行動自体は把握できていた為驚く程ではないが、今の自分には冷静沈着などそぐわない。演技の一環として染み付いた『服部ヒョウ太』としての動きで体を飛び退かせてぐらりとよろめいた所に、慌てた手が伸びてきた。
「とと、危なっかしいな兄ちゃん! 足踏み外したら水路にドボン! だぞ」
「声掛けてきたそっちが言えることかなァ……」
足の縺れたおれの腕を掴み、急いで支えに回った男性に躊躇なく縋る。……少々無神経だが人の良い現地民、か。
「ねェ、貴方は地元の人? ぼくここには来たばっかりでわかんないんだ。よかったら色々教えてくれないかなーって!」
どうせ夢、それも明晰夢なら案内役でも配置してくれはしないだろうか。打算ありきの軽い調子でそう聞くと、陽気な男は一転、バツの悪そうな顔で頭を搔く。
「あーっと、そうしてェ気持ちは山々なんだが……今から仕事なんだよなァこれが。いやいっそサボる口実に……?」
「ぬは~っ! そりゃあダメだわ! お仕事行ってらっしゃい!」
……そう都合良くはいかないらしい。顎に手を当ていいことを思いついたと言わんばかりの彼の背をばしりと叩く。加減したそれは痛みにもならないだろう発破となり、からからと笑いを返された。
「意外に手厳しい! いや、すまねえな。代わりと言っちゃなんだが、貸しブル屋の場所くらいなら教えられるぜ」
「……かしぶる?」
聞き覚えのない単語に首を傾げると、観光客の反応を面白がってか男は大仰な動きで水路を指差す。
その先にあったのは、奇妙な……船、生き物? 個性的な顔をしたゴンドラのような物体は、少なくともおれの知識の中にない存在だ。
「やっぱり知らなかったな! ほれ、アレだアレ、あの魚……魚って見た目じゃあねェが、まあとにかく! 背中に船乗っけてるのがいるだろ? アレがブルだ。水路ばっかのウォーターセブンを観光するんなら必須だな」
「へェ~~! アレで魚なんだ? おもしろ!」
かしぶる、貸しブルか。レンタカーのようなものと考えて間違いはなさそうだ。得意げな顔でさらさらと簡易的な地図を書きながら話す男へ興味深そうに返答をする。事実魚は嫌いではない、金魚は昔飼っていたし。餌とかやれるのだろうか。
……それはともかく、新しい名称が出てきた。
ウォーターセブン。話の流れから察するに、この街のこと。以前に聞いたことがあるような、ないような。ぼんやりとした面影が重なる観光地が、本当にそんな名前だったかは思い出せない。
「ここをこう行けば……ホイできた! 是非とも観光楽しんでくれよ、それじゃまた縁があったら!」
「うん、ありがと~~!」
時間が危ういのか粗雑にメモを押し付け、挨拶もそこそこにすぐさま駆け出した後ろ姿へぶんぶんと大袈裟に手を振り返す。曲がり角で姿が見えなくなったところで受け取った紙を改めて見ると。
「コレは、…………」
……なんというか、酷い有様。言葉を選ばず言うならばゴミだった。紙上をのたくった線は、これは道を示して……いるのか……? これは夢の中特有の読み取れない意味不明な文字なのだろうかと、あんまりな地図もどきを片手にこめかみを抑える。
とはいえ他に行く宛てもなし、こうなっては向かってみるしかないだろう。地図を形だけ片手に携え、あの男が呟いていたテキトーな口頭説明を頭の中で反復しながら街中へと足を踏み出した。
──────………
迷った。おれに責はない。
土地勘など当然なく、頼みの綱は藁よりか細い地図だけ。夢の中であるならいっそ人目など気にせず空から見渡してみようかとも思ったが、現実と殆ど変わらない感覚のせいかどうにも実行に移す気は起きず、結局足は地についている。
再度誰かに声を掛けるべきかと、きょろきょろと辺りを見回しつつ考えていた、その時。
「海賊が出たぞーっ、立て篭りだ!!」
「ガレーラと、あと海軍に連絡を!」
「……海賊、海軍?」
何やら聞き慣れない単語交じりの叫び声が耳に入る。海軍はともかく、カイゾク、海賊……で合っているのだろうか。今も実在自体はしているらしいけれど、あまりにも非日常な存在だ。
興味半分警戒半分で騒ぎの方へと近付いていけば、血相を変えて転がるように逃げる人々とすれ違う。途中「危ないぞ!」と声がかかるが、曖昧な笑みで誤魔化し人波に逆らって駆け抜けた。
──そうして着いた喧騒の元は、決して朗らかなものではない。むしろ、その真逆。
「コイツを殺されたくなけりゃ、あるもん全部持って来やがれ!」
「おれたちゃ海賊だぜ? 逆らったらどうなるか分かってるよなァ」
徒党を組んだチンピラ共──本人たちが言うことを信じれば海賊が、店の内外を陣取って武器を振りかざしていた。
「海賊、って……」
先程の言葉は聞き間違いではなかったようだ。
海賊、海上の盗賊。少なくともばったり出くわすような存在ではない。夢という舞台に悪を登場させるのならもっと身近な……例えば学園の不良か、あったとしても強盗じゃないか?
と、自分の見ているものにケチを付けていても仕方がない。
何か行動を起こすべきだろうか。いずれにせよ夢の中だろうと放っておくには後味の悪い光景だが、どう介入を……、ッ!
「わあッ、刀!?」
突如視界に割り込んできた刀身に大袈裟に慄いて、両手を挙げてみせる。……自分が思っていたより、思考に没頭し過ぎていたらしい。
「そこのボーッとしてるテメェ! こっちに来いッ!」
「ちょ、どわァ~~!? 待って待っ、てェ!?」
遠巻きに観察していただけだったのだが、逃げも隠れもしない観衆は目立ったか。不注意を反省するような暇もなく首元に武器を突き付けられ、店内まで乱雑に引き摺るように押し込まれる。
警戒心を抱かせないよう無抵抗でいれば、男はおれを手錠で拘束した後、フンと鼻を鳴らしてまた店外へと戻った。どうやら他にも数人いた見張り役らしき連中と合流したようだ。……動き出しこそ不自由になったが、人質の安全と賊の制圧を考えれば内部に入れたのは好都合とも言える。怯える素振りを見せながら、目だけを動かし観察を続ける。
荒らされた店内に、人質は店員の格好をした女性一人のみ。恐らくは営業時間外だったのだろう。この状況を見れば外からおれを引っ張りこんだことに納得が行く。流石に人質が一人なのは心許なかった、という訳だ。
戦力としては期待できないが、庇い立てる対象が少ないのは楽でいい。幸いと言っていいのか、拘束は両手首を前でまとめる手錠だけ。当然動きは制限されるとはいえ、全身が武器となる自分にとっては少し動きづらい程度のもの。
更に視線を動かし、指揮を図っているボス格らしき男を見る。大人数で武力のなさそうな相手を盾にし立て篭るようなみみっちい奴だが、残忍さの滲む立ち振る舞いと武器の質を見れば間違いなく強者寄りの相手であることは分かる。相手の戦力を把握するまでは、この状況下で無駄に警戒を強めさせることは出来ない。
「ったく、テメェの店にだァれもいねェせいで人質がほとんど取れてやがらねえ。チッ、どうしてくれやがんだ!」
「ひぃっ! っご、ごめんなさいっ」
気性の荒さを誇るかのようなボス格の理不尽な苛立ちと共に、がしゃん、とテーブルが蹴倒され、店員らしき女性へとサーベルの切っ先が向けられる。ひどく怯えた様子の彼女に気を良くでもしたのか、更なる脅しとともに刃が首の薄皮を掠めた。
……考える。人質の価値がある以上、命は保障されるだろう。奴らがたった二人の盾を娯楽で態々使い潰すような愚か者でもない限りは。
そして、この場にいる海賊だけでも十数人。しかもそれなりに戦えそうな奴らばかりで、戦力を把握しきれていない今は派手に暴れるには時期尚早。
……だが。
目の前の悪行を見過ごすのは、おれの正義に反する。
ふ、と息を吐く。此方に注意が向いていないことを確認し、いつも通りに足を振り抜いた。
「嵐脚」
口の中で小さく呟いた技名を霧散させるように、すぱん、と風を切る音。
「──ご、はァ!?」
「きゃあっ!?」
天秤は迷うことなく傾いた。
命は落とされない。逆に言えば、守られるのは命だけ。放っておけばあの女性には、守るべき弱者には、体にも心にも傷が残っただろう。それは何とも寝覚めが悪い。学校外でも、現実でなくとも、生徒会長としての行いは果たすべきだと倫理観が沸き立っている。
密かに飛ばした鎌鼬は、狙い通りに大柄な男の背中を切り裂いた。突然のことに悲鳴を上げた女性には申し訳ないが、許されて然るべきだろう、彼女には傷一つない。
「せ、船長!?」
突如血を噴き出し倒れた己ら集団の頭に、店内を占拠していた海賊共は一様に動揺の色を浮かべた。急襲によって最も強い筈の者が沈んだのだからそれも当然。
この混乱の最中に制圧できるのが一番良い方法だが……残った連中は先程倒した船長程の脅威こそ感じないが、数の暴力とは侮れるものではない。両手の塞がった今、直ぐに捌き切ることは難しいかもしれないな、と思考を回す。
「誰がやりやがった!……外か!!」
攻撃の出処を外部からだと考えたらしい海賊共が店内から意識を外した。何人かが出ていくバタバタとした騒がしさに紛れて床に転がった船長を遠くへ蹴り飛ばし、呆然と倒れ込んだ女性の前に屈み込む。
ざっと観察してみれば、傷は無いようだが涙の伝う頬は青ざめ、精神的なショックで意識が昏迷しているようだ。……このままでは自力で逃げることも叶わない。引き戻すために強く、かつ恐れを呼び起こさないよう穏やかに呼び掛ける。
「大丈夫? 逃げよ、おねーさん! 立てる?」
「あ、……え? ……っとその、腰が抜けてしまって……ごめんなさい」
声を掛ければあっさりと現実に意識を戻せたものの、へたりこんだ彼女の体は言葉通り、震えている。眉を下げて謝るのを、拘束された手をがちゃがちゃとコミカルに動かしながら遮った。
「いやいや無理ないわ、怖いもんね海賊! 気にしなくってだいじょーぶ! ならぼくが背負うよ」
「え?でも手錠……」
「あ。そーなんだよねェ……わんちゃん壊せたりしないかな?よい、しょ!」
軽い掛け声とは裏腹に、思い切り力を込める。──が、動かない。
「、ぬはは、流石に無理かァ~!」
「ですよね?鉄ですもんね??」
場を和ませようとしました、とばかりにからりと笑う。胸の内に走る違和感を悟られないように。
──おかしい、この手錠は海楼石ではないどころか、ひと目で見て分かるような粗雑な造りをしている。この程度の留め具を破壊できないことなどあるか、一般人ならばともかくこのおれが? ……どこか体に馴染まない、ふわふわとした浮遊感のせいか?
そんな場合ではないと分かっているが、つい考え込もうとして。
「お前ら何逃げようとしてンだァ!?」
「うげ、時間切れ……」
そのまま店外を警戒していれば良かったものを。戻ってきた二人の海賊がこちらへ武器を構える。
「さっきのはテメェの仕業か?」
「まっさか! 距離もあったし、それに見てよこの拘束! ぼくに何か出来ると思う~?」
……ただの子どもと舐められているのならば好機だったのだが。確認に近い声色相手に怯えた態度などもう必要はないだろう。呵呵と笑い、煽るように平然と嘘を吐く。
「胡散臭ェ……やっぱり下手人はお前だな」
「どうやってかは分からねェが、まァいい! どっちにしろ船長が倒れちまった今、人質はもっと大切になったからよォ~。痛い目見たくねェなら大人しくしやがれ!」
「……なら、やられる前にやるしかない、かな」
確か、夢の中では動きが鈍るなんて通説もあったような。意味を持たない雑学を放り込んだ不確かな記憶の引き出しを開けている暇など今は無い。威嚇の意も込めてかちかちと床を爪先で鳴らし、飛び出せる準備を整えておく。
「二対一ってのに余裕だな? 不意討ちでも船長を倒したからって、…………いや、そりゃあおれ達だけじゃあマズくねェか?」
「それもそうか……おい何人かこっち来てくれ! おれたちじゃ足りねェかもしれねえ!」
……海賊などと名乗る無法者の癖に警戒心は強いのか。様子見をしているうちに、仲間を呼ぶ声が上がる。
二人の内に処理できたのならそれが一番良かったのだが、今はそういう訳にもいかない。派手な動きをするならばもう少し後だ。
呼び掛けに応えたのは気安い嘲笑、下品な笑いを上げながら四人の男が入ってくる。
「あァ? ガキと女の二人だけじゃねェか! ハハ、何ビビってんだよ!」
「ソイツが船長を倒したかもって? 縛られてンのにか? 有り得ねェだろこんな弱そうな奴が!」
これで合計六人、記憶違いでなければ店内外の人数はほぼ同数となった。これが吉と出るか凶と出るかはまだ分からない。外からの救援はより望めるようになっただろうが、服部ヒョウ太としての姿での戦闘はあまり見られたくはないのだ。
「ひ、」
──とはいえ、そうは言ってられない状況ではある。
背後で小さく息を呑む音がした。弱々しく気配が震え、後退りするのを感じ取る。屈強で横暴な、下衆に見定めてくる男共が武器を持って六人集っているのに対して、こちら側にいるのは腰の抜けた女性と、手を縛られた丸腰の人間が一人だけ。そりゃあ絶望もするだろう。
「おねーさん、立てるようになったら逃げていいからね? アイツらはぼくが引き留めるからさ」
こそ、と近くにしか聞こえない程の声で囁く。この状況で最も厄介な条件は一般人を庇っているということ。
「え? で、でも貴方は……」
「だいじょーぶ! こう見えて強いんだ、ぼく。それに……ほら」
ちらと目を海賊に向ける。ニヤニヤと、或いは警戒を隠さない視線は目立っているおれへと注がれていた。
「二人ともは、逃がしてくれそうにないし?」
【ロブ・ルッチ(ワンピース学園)】
校則を何より重視し不良を正すことを目的に動く新世界中学校の生徒会長。原作同様の過激さがあり、校内権力による揉み消しを行うなど闇の正義の兆候は見えるが、平和現代世界観なので不良の排除方法はせいぜいが病院送りか退学処理らしい。
今作では中学二年生の設定に従い13歳としている。あとダイスの導きにより身長が170cmに決定された。
【服部ヒョウ太】
明るく元気でひ弱なオタクくん。
しかしそれは仮の姿──野暮ったいメガネと豹柄のマスクを取れば生徒会長ロブ・ルッチの本性が現れる。
名前がネタバレすぎるのにルッチとは到底結びつかない格好のせいで気付かない読者が続出したらしい。誰だってそーなる、俺もそーなった。