水の都で命は踊る   作:盆回

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あなたのためにあるきみたちのために

 

 

 数式の羅列を指で追いながら言ったおれに向けて、男は目を細めた。その瞳に湛えられた色は……意外、だろうか。

 

「その割には冷静だな。前のように取り乱したりはしないのか」

 ……冷静に見えているのか、ずっと頭痛に耐えているのだけれど。

 

「一年以内ってのは分かっていたこと、今更だ今更」

 だが、そう、今更な事なんだ。調整を受けずとも一番長い寿命を持っているのが050、一番長くとも一年以内にはこの体の命は尽きるのだと既に知っていた。分かっていた。覚悟は、……出来ていないかもしれないけれど。

 

 

「この研究所のクローンが死に絶えるまで、少なくとも八ヶ月か……チッ、長いな。放置してりゃあその間常に命を付け狙われる可能性があるわけだ」

「長くは、ねェだろ……」

 そして此奴は、変わらずクローンの敵だろう。目の前にその余命の相手がいるというのに言い捨てる男に苛立ちなど通り越して呆れてしまう。

 

 

 

 

「ああそうだ、ヒョウ太」

 

 つい、と此方に顔を向けられる。

 ともすればすぐに殺意が宿りそうな目が合った。

 

 

「お前はどちらの立場だ?奴らを生かすか、殺すか……クローン共も、お前も。害になるならおれは殺す」

 

 

 

 ──この男の目的について深く考えてこなかったのは、ある種の現実逃避。奴が懸念する問題の根本を正す方法はたった一つであると、分かっている。分かっていた。

 

 

 

 

「なんだ、決めさせてくれるのか?」

 命の期限が判明したからだろうか、一周まわって落ち着いたような気がする。気がするだけ。肩を竦めて口の端を上げ、おどけるように言えば男の眉がぴくりと跳ねた。

 

 

 笑ってはみたが愉快な訳でもなし、すぐに表情を戻して口を開く。

 

 

「……あの献身は異常だ。人間のようで人間ではない、人造物だからこそどこか欠けているんだろう」

 限りなくヒトに近い、ヒトを象っただけの創造物。この原型から何がどうなってあれ程素直になるのかと思いはしたが、人間の都合で造られたんだからそりゃあ人間に従順だろうという考えへと至った。

 頭が痛む。

 

 

「助け出して、もしクローンたちの寿命を延ばすことが出来たとしても、その目的はきっと変わることはない。そして目的が変わらないなら、どの道彼奴らを待ち受けるのはお前に殺される運命だ」

 意志はあっても意思はない。オリジナルと創造主しか知らず、その二つを想って生きているだけの肉塊の幾つかを目の当たりにした。

 

 

 そして、それらが自身と同一であることも、認識している。

 目が回る。

 

 

「はァ……駄目だな。随分と同情しているらしい、このおれが。科学者の身勝手で生まれた命は酷く純粋で、哀れで。──それこそ、これ以上生き長らえさせることを躊躇うくらいには」

 

 

 

 おれに彼らを救う術はない。彼らとて救いを求めているわけではない。ならば、末路はたった一つ。

 

 理論は破綻していないはずだ。

 ……理論は。おれの感情を置いての話。

 

 

 

 

「……なァ『オリジナル』」

 

 

 

 

「おれの行動は、『正義』に従って決めてきた。校則違反は当然のこと、法律を破るなんざ以ての外、だが」

 

 

 これは、『正義』か、『悪徳』か。

 それとも『責任』を取るための行為か?

 

 

 おれが決断しなければならないことは。

 

 

 

 

 ……ああ、クソ。頭が軋む。

 形成してきた自我、アイデンティティなんてものがばらばらと崩れそうだ。これは『悪徳』、まかり間違っても正義ではない。

 

 

 けれど。

 

 

 

 

 『ロブ・ルッチ』に向き合う。

 

 同じ色をした目と目を合わせ、声を張って。

 

 

 

 

「校則も、法律も、秩序すら。たとえおれの絶対の正義に反する悪徳を成してでも」

 

 

 

 

「あいつらの全て、ここで終わらせてやらなければならないと思うのは、おれのエゴか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は静かに聞き終わって、不意に口許を引き上げた。

 

「悪徳、エゴ、か。くく、はは、ははははは!」

 

 破裂するような笑い声が地下室に反響する。……一体、何がおかしいというのか。

 

 

 

「くく、……なァヒョウ太」

「……なんだ」

 意地が悪そうに口の端をぎゅうと歪め、同じ顔がおれへと語り掛ける。

 

 

「お前が『ロブ・ルッチ』なら、おれの名前はさぞ呼びにくいだろうな」

 

 ──随分と唐突な話。それは確かに事実であって、心の中であっても奴の名を呼ぶことは出来ていない。悟られているのも当然だろう。

 

 心底楽しそうに、愉しそうに男が笑う。

 

 

 

「そうだな、おれのことは兄とでも呼べばいい。なァに、血の繋がりはある、クローンなんだ。似たようなものだろ?」

「突然、何の話を」

 

 

 ぐい、と顔を近付けられる。

 

 

 

 悪魔のような笑みで。

「今のお前は生徒会長とやらじゃねェ、『殺戮兵器』の弟だ。ならヒトゴロシになろうと構わんだろうよ」

 

 

 

 

 悪魔のような、囁きを。

「このおれが、世界政府が、それを『正義』と認めてやる」

 

 

 

 

 

 

「お前の正義は、殺戮を容認するのか」

「殺しで世界が正されるならば、それは『正義』の行いだ。必要悪というものを知っているだろう?」

 

 脳髄の蕩けるような、おれの正義をどろかすような。その言葉の意味は知っている、誰かがやらなければならないこと。

 

 ……それをしなければならないのが、今はおれであるというだけ。

 

 

「これだってそうだ、お前がやらねェんならおれがやる。誰がやったとて同じこと」

「……そうか。なら、おれは、おれの正義から外れていても……おれが片付けないと」

 此奴に頼むことはしたくない。きっと、おれの手で終わらせないといけないことだから。

 

「手伝ってやろうか」

「いらねェ。おれの負うべき責任だ」

 ニヤニヤと笑う男に背を向ける。書斎の出口へ足を向け、踏み出そうとして。

 

 

 

 立ち止まった。

 

 

 足が止まった。

 

 

 

 

「……でも、これだけは」

 拠り所のない悪徳の寄る辺を求めるのは心が弱いから。分かっている、けれど。

 

 早鐘を打つ心臓の上、服の胸元を握り締めて、『正義』を語る男を振り返る。

 

 

 

「おれの必要悪は、お前の正義に委ねてもいいか。……兄、さん」

 

 

 

 

 

 

 

「くく……ああ、いいだろう。お前の悪徳の一切は、おれが『正義』と定義するさ」

 

 

 

 

 

──────…………

 

 

 

 

 自意識が揺らぎそうになる。何かと混ざっているような気がする。破綻、しているような。常識、意識、人格、理論? 何が? 何、だろう。わからない。

 

 

 

 

 せめて苦しむことのないように、脳天を刺し貫いて。

 

 

「なんで?」

 おれも、すぐにそっちに行くだろうから。八ヶ月だ、すぐだろう?

 

 

「なんで?」

 これで本当に正しいのか? いや、否、正しいわけがない。

 分からない、何も。分かっても何も出来ない。

 おれにはきっと、これしか出来ないから。

 

 

「なんで」

 生きたいと言ってくれたなら。

 これが正しい行いなんかじゃないって言ってくれたなら。

 

「なんで」

 

 どうか、許してくれ。ゆるしてくれ、許さないで。

 

 

 

 

 怯えもせず、悲鳴も上げず、ただ何故とだけ問いかけてくる同位体。

 歪な体で自我もなく、動く事もなく、抵抗すらなく貫かれる同位体。

 指を調色板にして、血と脳漿の混ざる色。おれと同じ皮膚の欠片が。

 

 

「なんで」

 何故か、なんて。

 

 おれが決めたことなのに。なんでおれがなんて思ってしまう。あのオリジナルの男を怨むのはお門違い、誰に責任を負わせるのも、違う。おれが、050が。

 背負わなければいけないのに、この命を、今奪った三十一つを抱えなければいけないのに。

 

 混ざる。

 交じる。

 

 

 ……頭が痛い。

 

 

 

 頭が軋む。足が軋む。

 赤と黄色に染め上げられたまま、返り血の足跡を残しながら、最後のクローンがいる部屋へと。

 

 

 培養室へと、辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

「またきたんだね、ぜろごーぜろ」

「……」

 平坦な声に何も返さず、歩みを進める。ぴちゃりと滴る血液の音が反響した。

 

 

 023は先程と同じ場所に変わらず座り込んでいた。

 見下ろして、慣れてしまった動作で頭に指を突きつけて。

 

 

 

「……どうしたの、ぜろごーぜろ」

 舌っ足らずな落ち着いた声。おれと同じ声。先まで殺していた者たちの声。

 

 

「なにか、あったの?」

 

 

 

 その声が、『なんで?』って定型文以外で問いかけてくるものだから。おれは、おれは。

 

 

 

 

 

 

「……ないてるの?」

 

 

 

 

 

 意識が沈む。

 

 

 切り替わる。

 

 

 

 

 

 

 ──似た感覚を、前にもどこかで。

 

 

 

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