さて、朝である。
……050の存在は秘匿することに決めた。二重人格と見分けがつかない彼について、もし話すとすれば発端から説明しなければならず。そもそもの話、誰も信じないだろう。別段話しておかねばならない理由もなく、明かしたとて精神異常者扱いが関の山だ。
荷物を整え部屋を出れば、ちょうど隣の部屋から同行者が現れた。
「おはよう。よく眠れたか?」
にや、とわざとらしい笑みを浮かべる男。間違いなく昨夜の目の冴えを分かっているであろうに態々聞いてくるあたり、本当に性格が悪い。
だがこの程度でイラついていればきっと八ヶ月など待たずにおれは頭の血管が切れて死ぬだろう。……今更ながら、ジャブラは毎度これに付き合っていたのか。あいつの頭が心配だ、煽りではなく純粋に。
「お前の考える通りだ、クソ兄貴」
「……早速口の悪いことだな、愚弟が」
だからこうしてフン、と鼻であしらってやる。ぴくりと眉を跳ね上げさせた仮称兄は、どうやらおれより煽り耐性がないらしい。
朝食もそこそこに最低限の土産を買い、海列車の始発へ乗り込む。
「さて、口裏合わせといくか」
「りょーかい。……どこまで黙ってればいいかってのも、ね」
社長を始め、ガレーラの職人にはかなりの心配を置かれている自覚はある。できることならばそれを晴らしたいのだが、とはいえ全てを包み隠さずに話すことは出来ない。もし何かに勘づいた者がいれば、隣の男の手によってお陀仏だろうから。
それに、近場とはいえ観光の名目で休みを取ったのだ。遊覧話の一つや二つは捏造しておかなければなるまい。
海列車に揺られながらパンフレットを両者の間に広げ、今しがた離れた島の名所を見比べる作業へと入った。
──車内アナウンスがウォーターセブン到着を知らせた。ここからは船大工とその見習いとなる、気分を切り替えねば。
駅のホームに足を付ければ、この四ヶ月で慣れた島独特の海の香り。それと共にふい、と知っている人の匂いが混ざった。
「アイスバーグさん? 偶然ですね、駅に何か用事でも? ポッポー」
車掌の老人と話すオレンジの服を纏った立ち姿は見知ったものである。同じく姿を認め躊躇なく話し掛ける同行者は、気心が知れているにしても精神が太い。
「……ん? ああ、海列車の様子を見に来ただけだ。ルッチにヒョウ太、おかえり。サン・ファルドはどうだった?」
「ただいまです〜! いやァキレーな街でしたよ、でもやっぱりウォーターセブンが一番落ち着くわ! あ、これお土産です! ……ガレーラにいる時に渡した方が良かったり?」
言いながら小さな箱を差し出したものの、今が仕事中であれば迷惑だろう。そう思って手を引っ込めようとしたところを取り上げられた。
「ンマー、いいや、ありがたく貰っとく……落ち着くって言ってもヒョウ太、せいぜい一泊二日だけだったろ」
「ン、まあそうなんですけどね。こっち来てからずっとガレーラにいたからさ〜!」
「そうか」
おれの言葉に口元を緩める社長。騙しているような気もしてくるが、ウォーターセブンへと無事に戻ってくることが出来て安心しているのは掛け値なしの事実である。
「……ん?」
眉を顰めて近付いてきた顔に思わず肩が跳ねる。……避けているからというのもあるが、教師によく似た彼だけはどうしても未だ慣れない。
「……寝不足か?」
……目の下に隈ができていることは確認していたが、一徹くらいでどうにかなるような軟弱な人間ではない。だというのに悟られたとは、やはり人をよく見ている。
「ぬははァ、バレちゃいました?だいじょーぶです、帰ったら寝るんで!」
「コイツ、今朝は眠れなかったらしいんですっポー。はしゃいだんでしょう」
ぐしゃ、と頭に手を置かれて髪を掻き乱される。……此奴に撫でられても不快なだけだ。頭を振って腕を跳ね除ける。
「ちょお、やめてよ兄さん〜〜!」
「兄さん?それは……」
突っ込まれることを想定しての言葉に案の定引っ掛かったようで、首を傾げてオウム返しをしてくる社長。
今のうちにトップへと釘を刺しておいた方がいいだろうというのは、おれ達の共通認識。
「アイスバーグさん」
「アイスバーグ社長」
「誰かに言うような事情ではありません。ごく個人的なことを解消しただけですから」
「だから深く聞かないでください、ね?」
「……そうか、ンマー聞かれたくないなら聞かない。安心してくれ」
相手の解釈に全てを委ねるような濁し方。聞きたいことの一つや二つあるだろうに、そう言って小さく両手を挙げた社長は、やはり、人がいい。
──────…………
「クローンの騒動は片付いたぞ」
「おお」
「以上だ」
「ちょっと待たんか」
酒場での定例会。
古代兵器の問題は未だ膠着状態、そこに新しく湧いて降ってきたルッチのクローン問題は大層困ったことであった。潜入に直接は関係ないものの、どこから綻びが発生するか分からない以上不確定要素は無くさなければならないのだ。
その為ルッチ以外の潜入組は報告を待っていたわけなのだが。
「おんどれまァた言葉も情報も最低限にしおって!! 報連相を知らんのか!?」
「終わらせられたのならそれでいいだろう」
「お前さんはそれでいいかもしれんが! わしらがすっきりせんと言うとるんじゃ!!」
ぎゃんぎゃんと噛み付く光景だけ見れば年少が反抗しているようだが、実際は不足を叱っているカクとそれを流す大人気ないルッチの構図である。
溜め息を吐いて、傍から見ていた二人が話を再開させる。
「もう少し詳しく話しなさいよ、ルッチ。私たちも解決に手を貸したでしょう?」
「カクも落ち着け。いちいち噛み付くから面白がられているんだぞ」
「ぐぬ、遊ばれとるのは分かっとるが……!」
「──痴情の縺れっちゅうんは、本当だったんか……」
「だから縺れてねえって言ってんだろ」
当人はそう言い張るが、言い得て妙だろうと幼馴染の思考は一致する。挙げられた悍ましい内容の報告からは、聞き伝いだというのにどろどろとした恋情さえ越えた何かを感じ取れた。長く裏社会に身を置いていても聞いた事のない程のそれに、全員の背筋に震えが走る。
片手間に酒場の仕事を熟す店主が、グラスを拭きながら遠い目をした。
「お前が思わず六王銃を使うほどの薄気味悪い執着、か。……その日記は……見たくないな……」
「おれだって見たくなかったあんなもの……」
はあ、と溜め息を吐く様子はルッチには珍しく、本当に珍しく気が滅入っているようだった。立場の定まらないヒョウ太という相手がいる手前、弱さをなるべく表に出さないよう立ち振る舞っていたルッチだが、仲間の前ではその取り繕いも必要ない。シャアナの妄執が綴られた日記を前にした時ばかりは、流石にその皮も剥がれ落ちたが。
科学者の異常性から話は切り替わり、最も身近なクローンである050──ヒョウ太のことへと移る。
「ヒョウ太の今の状態……あと八ヶ月で死ぬようには、見えんかったが」
「少し体調が悪そうだったのも、もしかしてそれ関連なのかしら……」
「味覚がねェってのもな。おれの酒場にヒョウ太が来たのは数回だが、そんな素振りは見えなかった」
それら全てを悟られないように取り繕っていたのならば、政府に育てられた諜報員の目すら欺く手練手管を持っているということである。味覚異常に気が付いたルッチでさえ、048の言葉がなければ思い当たりもしなかっただろう。
「まさかお前ら、同情でもしてるんじゃねェだろうな?クローン相手に」
「……少しくらいしょうがないじゃろ、お前と同じ顔の子どもなんじゃから」
ツンとしたリーダー格の声に、ふてたようにカクが言葉を返す。事実この中で最もヒョウ太に情を移しているのは彼だろう。
殺せと言われたのならばなんの感情もなく殺せるだろうが、それとこれでは話が別である。……寿命はともかく、まさか味覚までないとは。どんな思いで食事をして、あまつさえ美味しいなどと言っていたのだろうか。
「お前自身は情が移っとらんわけか? 兄などと呼ばせおって」
「そうよ、ガレーラで聞いたときはびっくりしたんだから……何があったらそうなるの?」
訝しげな二対の視線が刺さるが、何処吹く風のふてぶてしい男はくく、と笑う。
「はは、……知りたいか?」
心底愉快そうに顔を歪める、自他ともに認めるほど性格の悪い幼馴染に、問い掛けた二人は呆れながら耳を塞いで首を振った。残りの一人も目を細め、グラス拭きの音を少しの間止めた。
「……やっぱり聞きたくないわ」
「わしも。ろくでもなさそうじゃしの……」
夜は深まっていく。
──もしヒョウ太の寿命以内にこの任務が完了したのならば、奴を政府の元へ連れて行っても構わんだろうという戯れ程度の思考は、仮の兄となったルッチの心の内に仕舞われたまま。
仲間内であれば人の心があるCP9メンバーが好きです。