ゆっくり歩こう
仄かな日射しに刺激された重い瞼を持ち上げ、ぼやけた狭い視界に映されているのは記憶にない天井。
あれから確か……どうしたんだったか、燃えていく船を見送ってからの記憶がない。
辺りを見渡すべく体を動かそうとしてもどうにも力が入れづらく、身を起こすことすら腹筋だけでは儘ならない。筋挫傷でも起こしたのだろうか。仕方がないので両腕を突っ張り起き上がる。
ぎちりと纏わりついた鈍い痛みを払うように頭を振っていると、がた、と扉の開く音。そちらを見れば、巨躯の髭面が驚いたような視線を此方に向けていた。
「オオオォヒョウ太!!!! 良かった起きたのか!!!!」
「うるっせェ!!!」
耳を塞ぐ動作が間に合わずに、起き抜けに聞くものではない声量の直撃を喰らってしまって反射的に負けじと大声が出ていた。タイルストンもタイルストンで怪我しているだろうにそういう所はいつも通り、随分と元気なようで何より。
「イヤすまん! だがまァそんだけデケェ声出せるんだったら大丈夫だな! 無事に帰ってきたってのに急に倒れちまったって、アイスバーグさんが心配してたぞ!!」
曰く、あの後すぐにおれは気絶してしまったのだと。
寿命についてのどうこうをぼんやりとしか伝えていなかったせいで、このまま起きなかったらどうすれば、という無用な心配をさせてしまったらしい。
「ところで、ここは? 病院じゃなさそうだが」
きょろ、と部屋を見渡せば生活感のある雑多さが見て取れる。匂いも病院独特の消毒液や薬のそれではなく、しかし知っているもの。
「ン? ああ、おれの家だ! 裏町は壊滅しちまっててお前の部屋には帰れなさそうだし、アクア・ラグナと本社襲撃が重なって病院もいっぱいだしな。ケガの治療はしてもらっといたが」
おれのクローンなどという事情を知っていて気兼ねしないこと、家が無事であること。そんな条件の奴らで引き取り手を決めた、と。とはいえそれが当てはまるのはタイルストンかパウリーしかいないだろう、ルルはおれと同じ社宅に住んでいるのだし。
タイルストンはベッド横に椅子を引き摺って座り居住まいを正す。
「お前が眠ってる丸一日、本当に気が気じゃなかった。……あんな話を聞かされた後だ、そうじゃなくても麦わらの次に外傷が酷かったモンだからな」
「一日? そりゃあ……心配かけた」
「気にするな! お前が無事に帰ってこれた、それだけでいい!」
そう言ってがははと鷹揚な笑い声を上げるタイルストンに、どこか安堵を覚えた。何かを欠くことも、失うことも無く、ようやっと日常に戻れたとそう思えて息を吐く。
「そうだ、言い忘れてたな!」
不意に立ち上がったタイルストンから、大きな手のひらでがしがしと髪を掻き乱される。
普段の豪快さに反して痛くないように調整されたそれに顔を上げれば、弓なりに笑った目が合った。
「おかえり、ヒョウ太!」
「……ああ、ただいま」
雑談代わりにおれが眠っている間の状況を聞く。職長らは本社を修復する傍らで、大勢の職人を引き連れて壊滅した裏町の復旧作業をしているそう。タイルストンも今から出るところだったらしく、起きるタイミングが良かったと頷いていた。
麦わらの一味は一番ドックの仮設宅で療養中。今日は分からないが、昨日は全員等しくぼろぼろだったものだから、おれと同じように寝ていたのだと。
「少なくとも今日はまだ休んどいた方がいいんじゃねェか? 動きもぎこちねェようだし……」
出勤準備を整えながらタイルストンが気遣わしげな声を掛けてくる。確かに痛みは随所に広がり、あらゆる行動に多少なりとも支障が出てくることだろう。……少なくとも、戦闘なんかは出来なさそうだ。
とはいえ。
「……いや、おれも一緒に出ていいか? 寝たきりじゃあ治るものも治らん」
首を横に振り、毛布を退けてベッドから降りる。一瞬ぐらついたが自力で歩けない程ではないし、しばらくすればこの感覚にも慣れるだろうから問題はない。
「そりゃ構わんが! だが仕事は裏町の補修とその指示くらいで、特段何かするって訳でもないぞ?」
「いいさ、少し動きたいだけだからな。邪魔にはならねェよう、……確約は出来んが、善処する」
慣れるまでが大変かもしれないが。リハビリなんてものの面倒さは一年前によく思い知った、今回はあの時のように重点的に足をやられたのではなく全身を満遍なく、といったダメージであるから、勝手は随分と違うだろうけれど。
「邪魔たァ思わねェよ! んじゃ服だの靴だの用意するから、ちょっと待ってろ!!」
「いやあ……一番小さいのを引っ張り出してきたんだが、サイズ合わねェな!! ダボダボだ!!」
「お前がデカいだけだ!」
昔に着ていたお古であると渡された服を着てみれば笑い飛ばしてきたタイルストンに半分怒鳴って、盛大に余った裾を摘む。
おれの背丈には見合わない大きさかつテロテロに伸びているのは奴の体躯とガサツな性格から読めた未来ではあるが、普段の服はあちこち破れてしまったのでこれを着るしかない。まさか今からタイルストンを服屋に走らせる訳にも行かないし。
オーバーサイズの服をベルトで留めて何とか着れるようにし、借りたシンプルなマスクと帽子を装着して準備が整う。もう顔の特徴を隠す必要はないかもしれないが、一応だ。
「大丈夫そうか? ようし、いくぞ!」
──────…………
中央街を抜け、裏町へと辿り着く。襲撃時、そして潮が満ちていた町に落ちた時は見る暇などなく、そうでなくとも高潮が覆っていたものだから状況はよく見えていなかったが……被害を目の当たりにすれば、水害の恐ろしさをまざまざと感じられた。
「これは……酷ェな」
建物は大小関係なくどこもかしこも破壊され、土台から根こそぎ持っていかれている箇所もいくつか。これは確かに、ガレーラの船大工を駆り出しでもしなければ修復に終わりは見えないだろう。
「去年とは桁違い、アレが例年通りなら今回の規模が来ればそうもなるか」
「普段は多少の破損はあっても本職大工だけで十分なんだが……こんなデケェアクア・ラグナは初めてだからな!」
一度に全て流されたような惨状ではあるが、住民達の士気は高い。その要因の一つはやはりガレーラカンパニーの存在か。今も隣のタイルストン──1番ドック職長に喜色の視線が向けられていることからそれが分かる。
随所が欠けた水路沿いを歩いていると、一人の男が片手を気さくに上げ歩み寄ってきた。それなりに見た事のある顔だ。この辺りの店を経営しており、名前こそ知らないが幾度か挨拶を交わしたこともある相手である。
「職長! タイルストンさん、ガレーラも忙しいだろうに来てくれて……助かるよ! そっちの帽子の人は、ええと……見た事あるような……?」
此方に首を傾げられるのも当然、少しの知り合い程度では結び付かない格好をしていることは自覚している。
「あれ、眼鏡ないから分かんないかな? ぼくだよ、ヒョウ太です!」
いつもの笑みを作り帽子の鍔を少し浮かせて顔を見せれば、相手は瞠目してまじまじと覗き込んできた。
「……ヒョウ太!? ああ確かにそうだ! 印象変わるなあ、眼鏡も服もいつもと違うモンだから気付かなかった」
「ぬはは、服とか全部流されちゃって。今はちょっと、タイルストンさんにいろいろ借りてるんだ〜」
別段嘘が必要な場面でもない。概要を浚って話せば納得したような声を上げる男性に笑いかけ、軽く話してからその場を離れる。
……そういえば、さっきからタイルストンが静かだ。普段はいくら注意しても黙りなどしないというのに。斜め上にある顔へ首を傾ければ、胡乱げな表情がそこにあった。
「どうした?」
「いやァ……知ってても、イヤ知ってるからか? 切り替えがスゲェなと」
表情筋どうなってンだ、と言いながら頬を摘もうと伸びてくる指をはたく。
「なんだ今更。まァ、こういうのは得意なんでな」
「……それ、人格分裂ってのが関係あるのか?」
本当にタイルストンにしては珍しく、耳元で小さく潜められた声に、少し肩が揺れた。
エニエス・ロビーへと向かう暴走海列車の中で話していたことを覚えていたのだろう。正確には人格分裂ではないけれど。
「演技、切り替えは元から出来るだけ、それとは関係のねェ話。人格のことは……」
信じてくれるだろうか、おれが別の世界から落ちてきた『ロブ・ルッチ』そのものであるということを。
もしも、おれが聞かされる立場だったのならきっと信じない。並行世界自体が眉唾である上に、知り合い達と同一人物がいるだなんてふざけた話、一笑もしないだろう。
……でも。
「言いたくねェんなら言わんでもいいぞ! なァに聞いても聞かんでも何が変わる訳でもねェし」
この考えは楽観的かもしれない。突拍子もない、与太話のような経緯を話してもいいと思うのは。
「……ちゃんと話す。職長と、アイスバーグ社長がいるときに、ちゃんと」
「──そうか!」
多分彼らなら、全部聞いても最後には、今みたいに鷹揚に笑ってくれるだろうから。
タイルストンを中心にして材木や煉瓦で街を元の形へと戻している作業を眺めるのもそこそこに、その傍で身体の動き具合を確認する。
……リミットが近いからか、それとも今になってあの薬の副作用が来たのか。生命帰還を用いて全身に意識を張り巡らせ、鈍さの原因を精査してみれば、負傷由来ではない部分に異常があった。
故に、怪我が治ったとしても恐らく前のように機敏には動けない。先程考えた通りに戦闘は出来そうになく、日常生活においても支障は残ることだろう。
「自分一人で動けるだけマシ、かもな」
緩く手の平を開閉しながら、はあ、と小さく溜め息を吐いた。歩くだけなら補助も必要ないのが救いだ、松葉杖生活は大層面倒だった思い出がある。
(ただでさえ最期までここに、なんて迷惑掛けるんだし、介護までさせられないもんね)
独り言のつもりで落とした言葉は拾われた。ウォーターセブンに残りたいという希望を言い出したのは050、おれもそちらの方がいいのだろうと考えていたので一も二もなく頷いたのである。きっとここの住民は、最期に一人になどさせやしないだろうから。
(でも……これからもっと悪くなるかもしれないんだよなあ)
確かな気落ちはありながらもどこか他人事のような声音に、僅かに眉を顰めながら心の中で会話を続ける。
(……そんなこと、考えなくてもいい。自由にやったって誰も文句は言わねェよ。ンなネガティブなことより、今の内にやりてェことでも考えとけ)
おれは元の世界に帰るのだとしても、050に残された時間は変わらずあと二週間程度しかない。その間に願うことがあるのならば、出来る限りなんでも叶えたいと思うのは可笑しなことではないだろう。身体の痛みが和らげば主導権を完全に譲ることだって考えてある。
(やりたいこと……)
(なんでもいい、行きたい場所でも、やりたいことでも。味覚を戻す目処も立ってんだから、それでも。食い倒れまでは行かせねェがな)
目の前に興味があるものがあれば飛びつくのだろうが、自分の頭で考えるとなると途端に難しくなるらしい。 050はううん、と唸り頭を捻っている。
(やりたいこと、そうだなあ……色んなとこ見て回ったり? あんまり遠くには行けないだろうし、海列車が繋がってるとこ、セント・ポプラとかプッチとか、……サン・ファルドとか)
最後に思考が一瞬淀んだのは、生まれ出て終わりを翳した研究所のある島であるからか。おれにとって良い思い出は欠片もないが、土地自体は至って普通の観光都市だ。行くことに抵抗はない。
(セント・ポプラは春の女王の町、プッチは美食の町だったか。サン・ファルドは丁度カーニバルの時期じゃなかったか? 確かパレードもあっただろう)
(カーニバル、謝肉祭だっけ? ……うん、行ってみたいな)
ぽつぽつと、少しの誘導も交えながらささやかな計画を練る。春の女王ってなんだろう、とか、美食が分からない、なら味覚を取り戻してから行こう、とか。着地点のない話はゆるく進み、尽きることなく。
「ヒョウ太ー!!」
ふいに大声が飛んできて顔を上げる。
気が付けば時は進み、日が真上まで登っていた。目の前にはタイルストンを先頭にしてドックの区別なく大勢の職人達、その中にはパウリーにルル……アイスバーグ社長もいる。
「はーい、みんな休憩? お疲れ様~」
ひらひらと手を振って、高めのトーンで労いを掛ける。職長達はともかくとしてガレーラの何も知らない大勢に素を見せることはしたくない、パニックになることも考えうるので。
「作業が一区切りついたから、麦わら達の所に行ってみないかだと!!」
投げられたその誘いは好都合。見舞いもそうだが、果たさなければならない用事がある。
「うん、行く!」
こくり頷いて返答し、腹を決めて立ち上がった。
途中、どういう訳か味方に着いていたエニエス・ロビーの元守衛である巨人族二人と合流しつつ、1番ドックに建てられた仮にしてはしっかりとした作りの仮設住宅を訪れる。すると、何やら裏手の方がわいわいと騒がしい。
其方にあるのはガレーラの社員プール。麦わら達はもうはしゃげるまでに回復したのだろうか、頑丈なものだ。
「ウオー!! 麦わら!! 起きたのか!!?」
「おお、バーベキュー!!」
香るのは肉や魚の焼ける匂い、積み上げられる傍から吸い込まれていく串焼き。お祭り騒ぎの気配は麦わらの一味を中心にして伝播し、フランキー一家にガレーラの社員、更には一般市民までもが総出で集ってくる。
「よーし!! 宴だァ!!」
それら全てに大口を開けて笑い、海賊船長は上機嫌に宣言した。