水の都で命は踊る   作:盆回

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わたしを忘れないで

 

 とんぼ返りで森を出ようとした所で、近道を知っているというヘールシャムが先導してくれた。幾分か足場の悪い、来た道より狭い獣道を歩きつつ話の続きを聞く。

 

 

「家族のことはもういいんだ。問題は今からどうするかって話」

 淡々と歩を進める後ろ姿から表情は読み取れない。先程の苛立ちも鳴りを潜めているようだ。

 

 ……家族ってのは普通大切なものだって認識くらいはある。切っても切れない血縁で繋がった人、もういいだとかで切り捨てられると思えないのは、この価値観が一般的な家族を体感したことがない故に持っている理想像だからだろうか。

 

「いいんだってば。多分、僕が出てくことは父さんも母さんも納得してくれるはずだから」

 訝しむ気配が伝わったのか半身で振り返り、世間話でもするような軽さで苦笑される。

 

「ええと……親御さん、あんまり良い人じゃなかったの?」

「そういう訳じゃなくて、ただ本当に折り合いが悪かっただけ。フツーの親なんだろうけど僕には合わなくて、きっと一緒にいない方がお互い幸せだと思うんだよね」

 一言一句に腹立つんだから逆に凄いよ、なんてふんふんと頷いているのにルッチが眉を寄せる。

 

(唯の反抗期じゃねェのか? 親の言うこと為すこと全て気に食わないなんてよく聞く話だろう)

(おれは何とも言えないなー。そういうのはさっぱりだし……)

 家族間とのギスギス、というものにはちょっと理解が及ばない。強いて言えばオリジナルとは血の繋がりがあるけれど、アレは相当な特例であって。本人がいいと言っている、知識がある訳じゃないおれが聞いてどうするんだってのもある。家族とかそっち方面の深掘りはしないのが賢明かも。

 

 

「んじゃ、行く宛てがないってのが本題かな。帰るのが嫌にしたって、シャアナさん以外の知り合いとかに頼るのは……」

「そんなこと頼めるようなとこ、サン・ファルドには研究所以外にないぞ僕は。顔見知りすらほとんどいないんだもん」

「あれ、ヘールシャムってここの島民じゃないの?」

 おれの疑問を遮っての即答。その口振りでは、彼は今この島に住んではいないように聞こえる。例え引きこもっていたとしても世間は狭い、暮らしていれば見知った顔の一つや二つくらいある筈だ。

 

「ずっと暮らしてた島ではあるけどね。三年前に引っ越した上に、元から友達いなかったから」

「は、はァ……」

 ……どうしよう、人間関係近辺に難が多すぎる。いや本人あんまり気にしてなさそうだから、おれが勝手に気まずくなってるだけなんだけど。

 

 

 

──────…………

 

 

 

 ──自分の話に時折質問を重ね、それに返答する度どこか気まずそうにする背後の気配をヘールシャムはちらと横目で伺う。

 

 

 兄貴分として呼び慕っていた彼は、島を離れている間にまるで別人のような変化を遂げた。それも間違いなく良い方法へと。

 

 鉄面皮なんて言葉が生温く思う程動かなかった表情がよく変わるようになっていたのも、話し掛けなければ言葉を発さなかった彼がこちらを気遣ってきたのも、全くもって慣れないことで。先程手を差し伸べられたときだってひどく当惑してしまったものである。

 

 感情も意思も、記憶さえもが希薄であった難病持ちの患者。

 辺鄙な郊外に引きこもって、その患者を助けたいと願っていた研究者。

 奇人変人に分類されるような彼彼女らは、面影だけを残してここにはいない。病気が治り別人のようになったこと、ひとところに留まって居られない気質だろうあの人がどこかへ行ったこと。きっとそれは栄転だ。

 

 

 

 いい事だ、と思う。

 同時に、愚かしくも埒外の淋しさがある。

 離れていた三年間いつも反芻していたあの日々が今日この時、研究所と共に倒壊したのだから。

 

 懐かしい獣道を下り、下り。

 意識の片隅を奥へと沈め、沈め。

 何度も取り出した記憶を思い返す。

 救いとなったあの時のこと、人生の指針を与えられた時のこと。

 

 

 

 ヘールシャムに才能がないと断じてくれた、彼女のことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと恵まれた生まれだったと、ヘールシャムは自覚している。

 大海賊時代なんて荒波の中、芸術一本に身を捧げた家系はそれなり以上の暮らしが出来ていたから。

 

 父は画家で母は音楽家、共に暮らしていた父方の祖父は彫刻家。皆職業こそ異なっていても、何かを創り誰かの心を満たすことが好きで、それに見合う才覚が与えられていたのは同じ。

 そして、家族の通る道標は大なり小なり子どもの模倣先となる。彼とて例外ではなく、物心つく頃には既に父や母、祖父を見ては同じように手を動かしていた。

 

 

 

 努力すれば報われる。

 ……とく芸術の道には、根拠などない話である。

 

 環境は整っていた。

 努力だって人並み以上にした。

 けれど、駄目なものは駄目だった。

 

 こなせない訳ではないのだ。筆に狂いはない、音の外れはない、石に亀裂はない。けれど、ヘールシャムの創造が人の心を揺さぶるようなことは一度たりともなかった。

 ……そもそもの話。彼は、芸術に取り憑かれるような楽しさを見出すことが出来ない気質であった。幼い時分は自ら気付くことが出来なかったけれど。

 

 

 家族は悪ではなかったとも。才能がないからと虐待をしたり、見放したりするような人間ではなかった。

 とはいえ輝かしき善ではなく、そして自分が歩むにしろ子どもに歩ませるにしろ、芸術以外の視野を持ってはいなかった。だからヘールシャムは囚われた。

 

 第一の不運は努力できる環境があったこと。

 第二の不運は彼の一族が芸術以外に目もくれなかったこと。

 第三の最たる不運は、彼の実の兄が稀代の才人であったこと。

 

 

 

 数個年上の兄弟は、芸術と名が付けばありとあらゆるものに手を出し完璧にこなしてしまえる程の才覚を持っていた。

 そんな兄を見上げるのは酷く疲弊するものなのだと気付いたのは四年前、ヘールシャムが生を受けて十年経った頃。

 

 

 生来素直であった彼はそれまで、前へ上へと向かえると信じて愚直に走り続けられていた。

 でも、心身にへばりついた疲れに気付いてしまったが最後。ふと糸が切れて崩れ落ちそうになって、衝動のままにその場から逃げ出して。

 

 ──そこで、出会ったのだ。

 

 

 

 

 子どもの足で駆けるにしては長過ぎる距離をあてどもなく走って走って着いた先、木々に囲まれた灰白の建物。

 郊外も郊外なこんな所に誰かが家を? と思わず足を止めれば同時に脳内麻薬が切れたらしい、一気に肺から喉までを痛みが支配する。そんな過呼吸気味の苦しさに悶えながら不足した酸素を吸い込んでいた最中。

 

 

 

 不意にかたん、と金属が回る音。

「あれ? 人……っていうか、子ども? ここに来客なんて初めてだなあ」

「!? な、げほっ!」

 

 背後から掛けられた突然の声に反応しようとして、ヘールシャムは勢いのままむせた。

 

 

「っと、ごめんごめん。大丈夫?」

 げほげほと咳き込みながら振り向いた先にいたのは明るい水色の髪をした白衣の女性、言葉とは裏腹に一切悪びれていない笑みを湛えている。そして彼女が押す車椅子に座る生気のない少年。見目はヘールシャムより幾つか年上だろうか、瞼こそ閉じているが眠っている訳ではなさそうだ。

 

 医者と患者、のようである。

 病院であれば何ら目を引く光景では無い、しかしここは街中ですらない森の奥。そぐわない外観の施設と併せてヘールシャムは世界から切り取られたような空間に戸惑いを覚え、そして顔に出ていた。

 

「ンー……その顔したいのあたしな訳だけど。とりあえずきみは誰で、こんなとこに何用?」

「え、と。ぼくはヘールシャムで、その……」

 もしや迷子? と軽い調子の問いかけが重なる。

 迷子。……迷子かもしれない。否定したくとも来た道はいくら反復しようとしても方角すら覚えていないし、分かったとしても体力が尽きて帰れず仕舞いだろう。

 

「迷子、です……」

「あ、ほんとにそうなんだ」

 自分で迷ったと認めるのも癪ではあるが、それ以外ない。ううん、と唸りながらヘールシャムはこくりと肯定した。

 

「しっかし迷子ね、そうだなあ……ま、一旦中入りなよ。お茶くらいは出せるから」

 そう言って、からからと車椅子を転がし建物に入っていく白衣に釣られるようにドアを潜る。かつりかつり鳴る足の音に着いていきつつ薄暗い廊下を見渡せば、ちらほらとゴミを詰めた袋が転がっていた。

「ちょーっと散らかってるのはご愛嬌ってことで。何せ人なんて来ないからね」

「ああ、はあ……」

 

 訪れたことのない空間、名前すら知らない相手。どこか場違いであるように感じて縮こまってしまって、ヘールシャムは相槌を返すくらいしか出来ずにいた。

 それを見兼ねたのか、否か。

 

 

「あー、そういや自己紹介がまだだったかな?」

 彼女はくる、と車椅子ごと振り返り、眠っているような少年の肩に両手を乗せる。

 

「あたしはシャアナ、この子はルッチ。この研究所にはあたし達しかいないから、まー好きにしてって!」

 一切の陰りもなく快活に笑うその人は、暗い研究所にも無表情の患者にもそぐわないように見えた。

 少なくとも、ヘールシャムの目には。

 

 

 

 

 それが最初。

「また迷子? 家出でしょーが。来る時は先に連絡してよね、こっちにもルッチくんの調整とか片付けとか、色々あるんだから」

「いつ来ても全然片付いてないことの方が多くない?」

「重要書類とかがあるの! そっちはちゃんと管理しなきゃだからゴミは二の次なんだって」

 何となく家に居づらいときには来るように、つまり定期的に通い詰めるようになって。

 

 

 

「……だ、れ」

「ッうわあァ!? しゃ、シャアナさん! ルッチくんがしゃべ、喋った!」

「ふふん、段々良くなってきてるってこと! ほら自己紹介しなよヘールシャムくん」

 置き物同然だった彼と意思疎通が叶い、森奥の研究所には息抜きだけではなく経過を見守ることも訪れる目的として加わり。

 

「もう立てるようになったのか? 凄いな、あの状況から回復できるものなんだ」

「……誰」

「、え」

 ほとんど一方的に話し掛けてばかりだったけれど認識はされているだろう、と思っていた相手から忘れられるなんてトラウマが出来かけたりして。

 

「あー……ルッチくん、健忘症なんだよね。分かるかな? 定期的に記憶無くしちゃう病気」

「そう、なんだ」

 横から入った補足に病気ならば仕方ないと落胆して、でも少しだけ安堵してしまったりして。

 

 

 

 

 

「聞いてよシャアナさん、また僕忘れられてた……普通に動けるようになったのもいい事だけどさ、記憶の方どうにかなんない?」

「当分難しいかなー。まずは体が健康にならなくっちゃ、いくら天才のあたしでも何も出来ないってもんよ」

「自称天才……」

「事実! 天才!」

 ルッチと呼ばれる少年のどこかが良くなる度に、名前も何もかも忘れられる。そんな否応なしの物悲しさを繰り返しても彼彼女らに流れる時間の穏やかさは変わらなくて、ヘールシャムはそれが好きだった。

 

 

 

 

 ルッチくん、とシャアナを踏襲して呼んでいたのが兄呼びに変わったのも、ほとんど悪ノリのようなもの。

 

「あっ、ぶな! ったく、足元ふらふらするんなら手すりとか持てよなお前」

「うん、ヘールシャム。松葉杖そっち」

「はいはい、これでいい? 兄さん。……?」

「にいさん?」

 本当にただの言い間違え。

 自分の兄とは全くもって似ても似つかない、歳の頃が同じなだけの彼をそう呼んでしまったことに、誰よりヘールシャム自身が動揺したものだ。

 

「…………っあー!? 違う! 違うから、言い間違えただけだから!」

「いいじゃないの兄さんで!呼び方可愛いし!」

「うん。いいよ、にいさんで」

「何にもよくないぃ……!」

 シャアナは横で煽り立て、ルッチはきょとんとしているような無表情でそれを受け入れる。その時は一頻り頭を抱えていたヘールシャムだって、いつの間にかなんの抵抗もなくルッチ兄と呼んで憚らなくなっていく。

 

 それは、彼等が出会って季節が半周した頃の話。

 

 

 

 

 自身の家にも芸術にも一切関与しない交流によって、コンプレックスの肥大は治まりかけていた。学校に通うこともなく閉じた環境で、ヘールシャムの才能を見つけようと張り切る両親と優秀過ぎる兄以外に殆ど関係を持たない、そんな世界はようやく開かれたのだ。

 

 ……けれど。

 

 

 

 

 カッカッ、と速く床を蹴る音。研究所で走るような人間は一人しかいない、施設の主は当たりをつけて口を動かす。

「いらっしゃいヘールシャムくん。どうしたの、今日は早かったじゃ……」

「シャアナさん」

「……ヘールシャムくん?」

 入り口に目をやらず、少年が来るのをいつもの事だと書類に向き合っていたシャアナは、やけに抑揚のない声に首を傾げて振り返る。俯きがちに目線を下ろしたまま、彼女の名前を呼ぶのが精一杯だと言わんばかりに唇を噛むヘールシャムがそこにいた。

 

「……何かあったのかな。とにかくこっちおいで、座りなよ」

 

 

 

 

 

「引越し?」

「……うん」

 泣き出しそうになりながらギリギリのところで留めているような、そんな焦燥を醸したヘールシャムから何とか理由を聞き出した。

 

「父さん達の知り合いがいる島に行くんだ。遠くて、海列車も通ってないところ。……仕事の都合も、だけど、一番の理由は僕らしくて」

 ソファの布生地を握り締めてぼそぼそと言葉を零すのを、シャアナは無言で促す。

 

「そこならもっと色んな人、芸術家とかがいるから、何か一つくらいは上手くいくだろうって言われた。……ほんとかなあ、僕、どうやったらもっと上手くやれるんだろ」

 

 僅かに心の内に残るプライドと、この期に及んで自分に眠っているのかもしれない才能への期待のせいで。無理だと泣き喚くことも出来ず、迷子のように身をかがめるしか出来ない子どもを前に、シャアナはううん、と首を捻る。

 

「やっぱよく分かんない悩みだなあ、あたしには」

「……知ってるよ、シャアナさんは天才なんでしょ」

 自分のことを天才と呼ぶ彼女は、ヘールシャムの味わい続けている辛酸など分からないだろう。そしてこの一年の交流でこの人が常人と感性が異なっていること──特に感情についての理解がどうにもズレているところがあるということも知った。

 共感されるとは端から思っていない。ただ吐き出したかっただけ。

 

 

 僻みの片鱗がヘールシャムからちらつこうと気を悪くすることなく、シャアナはするりと指を組む。

「ま、それもあるかな? きみの気持ちも芸術の良し悪しについても、あたしは何にも分からない。その諦めの悪さの出処もね」

 何故諦めないのか、なんてあっけらかんとシャアナは言う。

 激励を期待した訳じゃない。けれど、あまりにも予測出来ない言葉だった。

 

 

「なんで、って……」

「物心ついた時には始めてたって前言ってたでしょ。それでも手が届かない、それどころか楽しくもない。そんなの、お世辞にも才能あるとは言えなくない?」

 慰めるでも共感するでもなく、ヘールシャムの悩みを根本から蹴り飛ばすように。

 

 

 怖かった。怖いことだと思っていた。

 才能なんてないと言い切られるのは、自分が無意味な人間であるのと同義なのだと。

 

 

「僕って、才能無いの?」

「うん、まあ。ド素人のあたしが断言するのもなんだけど、他のことした方がいいと思うよ?」

 

 思い悩む素振りも見せず、シャアナは残酷なまでにはっきりと言い切った。

 

 

 

 

 

「……そっかあ」

 恐れていたのに、それなのに、これはなんだ。

 無神経にも程がある歯に衣着せぬ物言いはひどく鮮やかで、爽快じゃないか。

 

 

 

 色々と考え込んでいたのが馬鹿馬鹿しく思えてきて、張っていた肩肘が自然と緩む。無自覚に詰まらせていた息を、きちんと意識して解放した。

「お、泣くのやめた? 慰めるつもりなかったのに」

「だろうね、それでも。……そもそも泣いてないってば」

 ぱ、とソファに食い込ませた指を開く。

 

 何でも卒なくこなせる癖に、創る物は平均くらいで止まる腕を、シャアナの言う通り他のことに。それもいい、きっとそれがいい。

 

 

 それでも。

「……ねえ、シャアナさん」

「うん?」

「僕、もうちょっとだけ頑張ってみる。それでダメだったら、その時には」

 それでもまだ、完全には諦めきれないのは未練たらしく情けないだろう。けれど生まれついてから続けてきたものを切り捨てるというのは十一歳の少年にとっては大きな決断だ。

 

「その時にはさ……良かったら、ここに置いてくれる?」

 ついでのように付け足した将来研究所に住まわせてほしいなんていう頼みだって、ヘールシャムにとっては勇気のいる事だった。

 良くも悪くもルッチという少年以外をあまり意に介さない彼女からあっさりと手を離されることは、簡単に想像が付いてしまったので。

 

 

 ヘールシャムの頼みから一拍置いて、きゅ、と彼女の目が弓なりに細まる。そこには無関心だとか、ましてや不快感なんてものはないように思えた。

 

「あっはは、もちろん! そうだなあ、家政夫とかで雇ったげよっか? あとルッチくんの話し相手! 今とそんなに変わんないね」

 にこにこ変わらない笑みを浮かべて、何でもない風に足を組んで。からりと全ての不安を掻き消してくれる軽口は光明以外の何物でもない。

 

 

 

「いつでもおいで。あたし達はここに居るからさ」

 

 

 

 兎にも角にも、救われた。

 これ以上はないほどの言葉をくれた。

 

 

 

 

 

「せっかくだし、これ持ってきなよ」

「おわ、わあっ!?」

 

 ぽいと何の気なしに投げ渡されたのは真四角の本。わたわた受け取ってシンプルな厚めの表紙を開いてみれば、そこには数枚の写真が散りばめられていた。

 

「アルバム?」

「そ。きみが来始めたころかな? あたしも趣味ってものを思い出してねー、撮り溜めてたんだ」

 そういえば、ふとした時にカメラや電伝虫を向けられることがあったと思い出した。

 ぺりりと微かな音を立てるビニールに包まれた白紙を彩るのはヘールシャムとルッチ、時折シャアナの三人だけ。ぱらりと一枚捲る度に、薄灰色の背景で代わり映えのしない新たな写真が現れる。

 

 

 

 特に枚数の多い……というかほぼ全ての頁に載った無表情の少年はどこをとっても丸ごと写し取ったような顔で、見慣れているとはいえ改めて並べられるとどこかシュール。いくつかの写真がボケていたりすることも相まって、少し笑ってしまいそうだった。

 

 

「趣味な訳だから下手の横好き、たまーにブレてたりするのは仕方ないってことで」

「いや、……凄くいいと思うよ、僕は。でもいいの? こんな貰っちゃって」

「いいのいいの、きみの為に作ってたんだから。それがあれば忘れないし……忘れても、でしょ?」

 写真がなくたって、と喉奥から出そうになった声は飲み込んだ。

 忘れるという言葉の先がヘールシャムだけでないことは、たった十一歳の子どもにだって分かること。

 

 

「うん。……大切にする」

 両腕に収まるアルバムを、ヘールシャムはぎゅうと抱きしめた。

 

 

 

 

 

 餞別を肌身離さず持ち歩きつつ、勧められる芸術を凡才なりに努力しつつ。

 そんな中で旅立つ準備をこつこつと進めていた。お金を貯めるのは勿論のこと、今まで気にもとめていなかった海の情勢の確認だとか勉強だとか、体力作りだって欠かさずに。

 

 そんなヘールシャムは家族からどう映っていたのだろうか、努力家? それとも奇異な者として? 気にならないと言えば嘘になるけれど、どんな形であっても別に構わなかった。あれだけコンプレックスとして頭の上にのしかかっていた兄の存在だって、残影を振り払うことこそ出来はしなかったけれど軽くはなったのだ。

 

 

 引越し後のごたつきもあって、準備が整うまでに三年と思ったよりも時間が掛かったせいだろうか。

 

 今や研究所は瓦礫を残して無くなって、面影も消え去って。

 

 

 

 ──置いていかれた、ともすれば忘れられた。そればっかりは寂しかったけど、悲しかったけど、大丈夫。

 

 

 

 もう救われて固まったヘールシャムの芯がこの先折れることなんて、決してありはしないから。

 

 

 




新キャラのパーソナリティ+研究所の解像度向上用の幕間。
流し見で大丈夫です。後書きに書くことではない それはそう
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