じゅうじゅうと、黒々しい鉄板の熱が脂を弾いて無数の音を絶えず挙げている。同時に燻る肉が焼ける香りにまだテーブルに来ない料理を思い浮かべて、腹の虫がくうと鳴いた。
昼時も少し過ぎた頃。
軒下の黒板におすすめとして堂々とビステッカを掲げた店は、まばらに訪れる客をゆったり受け入れていた。
ヘールシャムの案内で通った近道のおかげで想定よりも早く森を出て、ランチでもと中心街に戻ってそのまま入ったこの店は、まだおれが表層に出ていく以前に来たことがある場所だ。以前研究所を訪れたとき、オリジナルと共にステーキを食べた店。ルッチにとっては色々と散々だったものだから、焼き直し。所謂リベンジを兼ねているという訳だ。
「──これってどういう場面?」
「ええと、シャアナさんがトランプ持ち出してきた時かな」
座席に腰を落ち着けたからか表情の緩んだヘールシャムの傍ら、厚紙を捲ろうと張り付いたビニール同士をぱりと軽く持ち上げて剥がす。決して多い訳ではないアルバムの頁にはそれぞれ写真が三枚ずつくらい貼られてあって、それを指差して問えば律儀に隣から答えが返ってくる。
料理が出来るまでの時間潰しとして、先刻言っていた『シャアナさんと知り合いの証拠』とはなんなのか、と聞いてみたところ取り出されたのが、今目の前に開かれたアルバム。
少しの劣化はあるけれど大事に管理されているのが見て取れる真四角の本は、おれにとってはシャアナさんや兄弟達の姿を写した貴重品だ。見せて欲しいと頼めば快諾されて、ついでとばかりに思い出話なんかも聞かせてくれているのである。
「ルッチ兄もシャアナさんもポーカーフェイス上手くって、こういう遊びじゃ大抵僕がボロ負けしてたんだけどね」
「あー、なんかちょっと分かるなァそれ」
「どういう意味だよ」
むす、と薄く頬を膨らませるヘールシャム。兄弟達に感情があろうとなかろうと、その結果は変わらなかったかも。コロコロと表情が変化する少年の考えは随分と分かりやすい。
微かに苦笑してから、ビニール越しに兄弟の写真を撫でる。真顔も真顔の見慣れ過ぎた同じ顔。何故かおれには振り分けられた番号まで判別できる、血の繋がった家族擬き。
この世界でシャアナさんとクローン達を覚えているのは、きっとおれだけなのだろうと思っていた。だからおれがあっち側に行ってしまえば、存在自体が無かったものになるんだって。
……持ち出された写真を見てしまえば、そんな考えはどこかに消えた。ちゃんと覚えてくれている。生きていた証拠が残っている。それが、無性に。
(思ったよりも親密だったらしいな、あの研究所と)
少しばかりの感心が混ざった声が心の中から呟かれる。内情が内情の研究所、その懐に入り込んだヘールシャムは評価対象なんだろうか。
(まァ、嘘ばかり吐かれていたようだが)
(そりゃあホントのことなんて何にも言えないでしょ、危ないことだって色々あるんだし)
伝え聞きの話と写真だけでも分かることはある。
──被写体は全く同じ顔。けれどシリアルナンバーはバラバラであり、つまりは健忘症など真っ赤な嘘であること。本当の方が少ないこと。……といっても彼に明かしたところで、だ。真実を知ったからっていいことなんて一つもない。ここは騙されたままでいてもらおう。
そうこうしている内にビステッカ……他で言うTボーンステーキが焼き上がったようで、二人分の皿がテーブルに運ばれてきた。前はオリジナルが態々カウンターまで取りに行っていたが、あれはシロップ掛けという仕込みの為だけだったりしたのだろうか。
骨の付いた厚めの肉をいそいそと切り分け、一切れ口の中に放り込む。歯に食い込むしっかりとした歯応えと溢れる肉汁、スパイスで乗算された旨味はサンジさん作のステーキとはまた違う味わいだ。うん、おいしい。
「そういやヘールシャム、これからどうするの?」
「……ん、あ、何?」
料理に集中するのもいいが、折角こうして一緒に食べているのに黙々と箸を進めるのは勿体ない。
そう思って声を掛けたのだけれど、こっちをしっかり向いている顔は何故か硬直していた。
「君はこれからどうしたいのって。なんか気になることでもあった?」
「あ、いや。……美味しそうに、食べるようになったなって」
じい、と何か含みのあるようなヘールシャムの視線がかち合う。
含みと言っても悪意じゃない、穏やかな感情が大部分を占めているような。
きっと何か思うところがあったんだろうけど、彼は深掘りすることなくおれの問いに考え込む。
「でもってどうするかって……ううん、そうだな」
しばし唸って、逃避の如く丸眼鏡の奥を閉じて目の前の肉を頬張る。仰々しくも嚥下してから、ふう、と息を吐いて。
「……ルッチ兄、なんか置いてくれそうなとことか知らない?」
「何も考え付かなかったんだね」
そう突っ込めばヘールシャムはフォークをゆらゆらと揺らしながら、眉を下げての誤魔化し笑いを困り顔の代わりに浮かべた。
「ないことはないんだけど……」
おれが紹介できるところ、といったらガレーラ以外に選択肢はないのだけれど。
言葉を濁して意識を奥に傾ける。おれはどうしたってヘールシャムに肩入れしてしまうけれど、ルッチならば俯瞰した見方をしてくれるはずだ。
(……ガレーラは慈善団体じゃあないが、まァ。今は奴らのせいで人手不足だ。大工職の適正でもあれば受け入れられるだろうし、駄目でも仕事の斡旋なんかはしてくれるかもな)
淡々とした声は、おれの思考を丸ごと読んだような答えを返す。つまりは別にいいだろう、と。
(……大丈夫かな、迷惑にならない?)
(事情が事情、混乱は必至だな。そこは面倒事以外の何物でもないとはいえ、お前の……おれ達の頼みなら、アイツらは無下にはしねェだろ)
ルッチは未だにヘールシャムという少年のことを警戒している。だというのに提示されたそれは、ガレーラカンパニーという会社への信頼があるからこそ。
「……うん、よし」
そんな当たり前に背中を押され、勢いに任せてヘールシャムに向き直る。
「ヘールシャム。船大工とかって、興味ある?」
「……船大工?」
こてりと首を傾げてオウム返しをする彼へ、元より無い警戒を生ませないように微笑みかけた。
空になった鉄板の上に食器を置けば、カチリと小さく音が鳴る。
脇に置いたリュックから小型電伝虫を取り出そうとして、店内の通話は良くないかと思い直した手が少しの間宙を彷徨った。
「実はおれ、サン・ファルドから離れて造船会社で働かせてもらってるんだ〜。知ってる? ウォーターセブンの、ガレーラカンパニーってとこなんだけど」
「そりゃあ……ガレーラって言ったら、あの海列車造ったとこだろ? 僕でも知ってるよ、凄い会社じゃん!」
考えるような間もなしにそう返された。流石の知名度、海列車の製作というネームバリューが線路が張り巡らされている島に広まっているのは当然か。別におれが関わった訳じゃないけど、ちょっと嬉しくなって心なしか胸を張る。
「……でも、僕みたいなぽっと出を雇ってくれるのか? 大工職みたいなのは経験ないし」
ヘールシャムの不安も尤もだろう、なんたって大企業。実際ガレーラの入社試験に落ちる人だって当然いるんだから、勧誘されたおれたち、というかルッチが特例。
「ガレーラは実力主義だからね! 手先が器用なら雑用程度の作業じゃ困らないだろうし。ドジとかがなかったら早めに普通の仕事も任せてくれるはずなんだわ、多分」
「多分って、テキトーだな……」
力があって頭が回って、労働意欲もそれなりにあって。それでもルッチがずっと雑用として留まっていたのは、わざとのドジで自分の昇格を遮るきらいがあったから。『ヒョウ太』としての演技が抜かりないのもあるんだろうけど……いつか帰る、離れるんだって思いが根本にあるからこれ以上の仕事を請け負うことはできなかったんだ。
ヘールシャムにはそんなしがらみはない、年齢の壁は幾分あってもガレーラであれば大丈夫だろう。
「まァ、一旦話は通しておかなきゃかな。ちょっと待ってて!」
一旦店を出て、人通りのない小道へ。誰もいないことを確認してから電伝虫を操作する。その相手はパウリーさんだ。出来ることならアイスバーグ社長に連絡するのが一番いいんだろうけど今は忙しい時期、電伝虫の対応なんてしている暇はないはず。
職長も職長で大概多忙とはいえ、事情を踏まえて連絡するなら造船のあの場にいた相手じゃないとダメだからそればっかりは仕方がない。
「もしもしー、パウリーさん? 今大丈夫?」
「ヒョウ太? どうしたんだ、何かトラブルか!?」
がちゃという音を合図にして話し掛ければ、電伝虫は表情を少し焦ったものに変える。その勘違いを、こちらは問題ないと、伝わりはしないけど手を振りながら否定した。
「ンや、そういうんじゃなくって。一個頼み事があってさ──」
研究所周辺の込み入った部分はなるべく切り捨てて、さらりと簡単に事情を話した。それでも説明せざるを得なかった部分に頭を悩ませてしまっているのではないかと心配しながら通話越しにパウリーさんの様子を伺う。
「要はお前の知り合いを受け入れてほしいってことだな? 一人の宿の用意程度は出来るし、雇うのも構わねェぜ。多少は本人の腕次第になるが」
「あれ、結構あっさり」
平常運転な声の主は、おれの想定以上に何も聞かずに頼みが通した。断られるとはあまり思っていなかったけど、てっきりもうちょっと悩んだりするかなと。
「そりゃあ、お前はヘタな奴を寄越したりしないだろ? 今は人手がある程いい、そういう新人なら大歓迎。詳しい事情は後で聞くとしてな」
電伝虫は、アイスバーグさんも同じ考えだろうぜと笑う。『ヘタ』な……つまりはオリジナルのような──スパイのような人間を雇い入れることを警戒しているみたいだ。何せ前例が出来てしまったものだから。そんな心配りをしなくてもいいとなれば、確かに悪くないのかも。
「って訳でおれらは問題ないんだが……。どうするんだ、そいつには……話すのか?」
暗に寿命のことだとか、おれがいなくなった後のことをどうするのか、と。
……おれの抱えた事情は、その一つ一つがヘールシャムの抱えた思い出に亀裂を刻みかねない真実に繋がることになる。騙されたままでいるのと全部知ってしまうのと、彼にとってどちらがいいのかは分からない。
「後のことは、……何とか誤魔化すよ。だいじょーぶ! 演技は得意だし、あの子は随分素直みたいだから」
だから、幾ら不誠実であろうとも隠すと決めたこれはおれの勝手。
「……無理だけはするなよ」
「うん、大丈夫」
「何かあったら、いや何も無くても! ちゃんと連絡してこいよな! 今回みたいな相談だっていつでも受けるぜ」
「ぬはは、そうそうないってば。ありがとね」
「んで面倒事にはなるべく首突っ込むなよ、あと……」
「……パウリー」
「うォ、おう」
「長い」
「ハハ、悪ィ!」
──────…………
からん、とドアベルが音を立てた。入店したのは先程出ていった客だと気付いた店員が興味を無くすのを傍目に、食事を終えてしまったようで手持ち無沙汰にしていたヘールシャムへと手を軽く振る。
「お待たせー! オッケー貰ったよ!」
「……ほんと? 許可取るの早くない?」
端的に結果を伝えると、ここまで早く了承を取ってくるとは思っていなかったのだろう彼は驚きに目を見開いた。
「ほんとほんと〜。これで心配は晴れたかな」
「うん。……ありがと、ルッチ兄」
少しばかり呆けて、それから綻んだ表情に笑みが浮かんだ。おれ自身は知らないとはいえ、知己の助けになれるというのは心が梳く。
「あ、そうだ! その呼び方のことなんだけど」
「?」
無駄に事態をややこしくしないように、とルッチに釘を刺された部分を訂正しておかなきゃならない。丁度いいから、今のうちに。
「おれのことはヒョウ太って呼んでほしいんだ。今、ルッチって名乗ってなくて」
「……はあ? どういう事だよ、改名したってことか?」
「まーそんな感じ。ウォーターセブンじゃ完全にヒョウ太で通ってるしさ、皆のことあんまり混乱させたくないの」
呼び方どころか名前自体が変わっている、なんて唐突な話は訝しげに唸られて然るべきだろう。でもここで納得してもらわなきゃそりゃもう困る、大体オリジナルのせいで色々と。
お願い、と手を合わせて軽く頭を下げるとヘールシャムは暫く考え込んだようだったけど、やがてこくんと頷いた。
「ピンと来ないけど……んじゃ、ヒョウ太兄……? で、いいのか?」
「うん! やっぱおれはそっちの方がしっくりくるな〜」
呼びにくそうにしている彼には悪いけど、こればっかりは仕方ないと苦笑する。
……ルッチは、ルッチと呼ばれたままが良かっただろうか。折角何の含みもなく本当の名で話していてくれていたのに。
(其奴が兄貴分だと認識してるのはおれじゃない、お前だろう050。別に構うことはねェ)
(そう? なら、いいけど)
心に引っかかった欠片は漏れていたらしい、内側から気にするなと首を振る気配がした。
(何ならお前がヒョウ太を名乗ってもいいと思うがな。その仕草に思考、おれより相応しいんじゃないか?)
(……それはいいよ、おれはR-L.050。お前のものでしょ、『ルッチ』も『ヒョウ太』も)
そうか、と色の見えない声でそう言って、ルッチは奥へ沈んだ。脳内会話を長引かせるのも不審がられるだろうと頭を切り替える。
「さて! ご飯も食べたし話も着いた、観光に戻るとするかな」
何だかんだでどこも行けてないからなー、とボヤきつつ荷物を持ち直し席を立つ。今の時間は昼過ぎで、まだ十分に見て回る時間はあるだろう。
「んじゃ行こっかヘールシャム! 食べたばっかだけど動ける?」
「……え」
「え?」
ぽかん、沈黙。流れる気まずさに、変なことを言ってしまったかと目が泳ぐ。
「あ、えと、僕も一緒でいいのか? って驚いただけで、嫌とかじゃなくって!」
慌てたのはヘールシャムも同じだったらしい、あわあわと腕を振っての否定に思わず吹き出した。
「ふふ、いやごめん、急だったね。……前のおれとは街を回ったりした?」
「ううん。る、……ヒョウ太兄は病気だからあんまり動けなかったし、まして研究所の外に出ることなんてなかったから」
「つまり、おれはサン・ファルドのことをなーんにも知らないってこと。前まで住んでたのに変な話だよねェ」
窓から見える景色は見覚えがあって、気の所為かもしれないけど空気もどこか肌馴染みがするように思える。
「だから色んなとこ案内してよ。ね?」
一応の生まれ故郷を訪れるのは、これが最後。だったらいっとう良いところを見たいと思う。色々なところを見たいと思う。
「いいよ勿論、全然いい! ……ほんと、夢みたいだ」
弾かれるように背筋をぴんと伸ばしたヘールシャムにそう即答される。これは彼の見ている夢じゃないと思えばこそ、ちくと胸が痛んだ。